on performativity

| コメント(6) | トラックバック(0)

さらにApemanさんから反応があったことをコメントでお知らせいただいたのであるが、全体的な感想としてはElleさんと同じく反論・批判になっているのかどうかという点で首をかしげざるを得ない、という感じ。というか、Apeman氏は冒頭から「ああ、根本的に感覚が違うんだな」ともお書きなのであるが、私としてはそれ以上に達成目標も主語も違うのではないかという気がする。

第一に達成目標の点であるが、私の議論について氏は「具体的な事情を一切捨象した水準で考えれば「御説ごもっとも」である」とか「具体的事実を捨象した「正論」」とかお書きであり、つまり結果が気に入らないからといって「中立」となっている機関の決定に文句を付けてはいかんという理論的主張の内容については正しいとお認めいただいているようなので私としてはじゃあそれでいいじゃねえかという話である。

もちろん氏としては「そのごもっともな正論が具体的な文脈においてパフォーマティヴにどのような政治的効果を発揮するか」を問題にしておられるわけだが、私は実のところかなり心の狭い学究なので言説のパフォーマティブな効果を気にするのは政治屋の仕事であると思っているし、パフォーマティブに不適切だからといって正論を主張することをためらうような人間は大学から出て行けと思っているので、なんか言われても「はあそうですか」という以上のものではない(もちろん氏にはそういう学究的議論は政治アリーナから出ていけとか言う権利がある。が、繰り返し述べているとおり私自身はmore speech論者なので相互の言説に一定の限界があることを承知でどう受容するかを読者に委ねた方が健全だと思っているのでそれに同意することはないだろう)。

第二は主語の点であり、つまり氏のご批判はつまるところ私の主張がパフォーマティブには不都合な結果をもたらすというもののようであるが、それは誰が言っているのか、もしくはそのようなクレイムの主語は何なのかということである。

とりあえず私としては、その主語の境界線に関係があるのは政治的選好だろうなあと推測するところであり、私がいくつかの正当に対する批判を含めている点、氏がそれに対して各政党の態度を挙げて批判としている点からもその推測は妥当であると考える。もちろん私にも個人的な政治的選好はあるし、それが直接・間接に議論に影響することは否定できない。しかしその、私は氏のバックグラウンドについてほとんど知るところがないのでこれは当該エントリからの推測であるにとどまるが、その政治的選好ということについて言うならば私と氏のあいだでは支持政党(というよりは、これは推測に推測を重ねることになるかもしれないが不支持政党)がまったく異なるのではないだろうか。仮にそうだとすれば、私の言説が氏(の支持する政治的セクション)にとってパフォーマティブに不都合だとすると私(の支持するセクション)には有利だということであって、じゃあパフォーマティブにもそれでいいじゃねえかということにはならないか。つうか対立している相手に「そんなことを言われるとこちらが困るんです」てえのは普通「泣き言」とか言わんか?

いやもちろん氏としてはそうではなく主語は「日本国民」とか「世界人民」とかおまえ自身も含まれる集団なのだと反論されることが可能だと思うので、もしそうであればそうなる脈絡についてぜひ説得的にご説明いただきたいと思う。あるいは政治的選好が主語の範囲を決定するファクターというのが勘違いで実はそういう主張をすると名古屋大学に不利益があるとか法哲学が滅びるという話であれば、もちろん私としては保身のためにすみやかに主張を撤回して証拠隠滅を試みようと思うのでご一報いただきたいところである。どちらも該当しないのであれば、やっぱりこれも「はあそうですか」という以上の話ではない。

***

まあ上記の二点、つまり「これが何故おおやさんへの反論であるとApemanさんが考えているのか、僕には分かりません」(Elleさんのコメント)で言い尽くされていると思うのだが、ついでに感覚をめぐる問題にも簡単にコメントしておく。

第一は私の議論について、reversibilityは「自民党ないし与党=自民に馴れ切った政府を批判するためにこそ有効だ」と主張されている点。私はreversibilityを「(参院で)多数を取ったからといって中立性を侵犯するな」という文脈で持ち出しているので、それに対して上記のような指摘が批判として機能するとお考えであるとすれば、Apeman氏は「おまえらが多数を握っているあいだにちゃんと数の暴力を行使しておかないのが悪いんだよばーかばーか」と自民党・政府を批判したい、のであろうか。

まあたぶんそうではないと思うのだが、だとするとまず自民党・政府が多数のあいだに数の暴力で中立性を侵犯したということを前提にして、だからいま野党にやり返されても仕方ない・やり返すのは当然だとそういうことを主張されたいのであろうか。もちろん第一に前提が真であるかが議論になり得るわけであり、私としては自民党は外見的には中立性を保った上で(「中立性を偽装して」と言いたければ言っても構わないが、私は善と偽善を区別しないので大きな差は感じない)人事・予算などを通じて間接的な影響力を行使していたのだからむき出しの直接的な介入とは異なると考えているから、氏がそう思わないとすれば確かに「根本的に感覚が違う」のかもしれない。個人的には、直接の介入と間接的な影響力の行使とか、氏が参照している歴史研究者の抗議内容のように直接的な命令や暴力による強制と実行を容易にしたりそのような行動を選好するように誘導することを区別しない思考というのは非常に法的ではないなあと思うわけであるが、もちろん法的だからえらいとか正しいとか言いたいわけではない。

話を元に戻して、まあその点を不問に付して前提は真だというところから出発するとしても、だからいいんだってえのはパレスティナ問題に関するイスラエル一部勢力の主張を彷彿とさせるなあという気がする。もちろんパレスティナと違って(第一の)加害者と(第二の)被害者が同一である点には留意する必要があるだろうが、しかしレヴィナスとかそういう議論でイスラエル軍による虐殺行為を正当化してたよな、という話は確か前に書いた。復讐であっても直接的な自力救済は正当化されないのであり、加害者・被害者を問わず権利実現のためには普遍的な法に従わなくてはならないというのが近代法の理念であると思うわけだが、もちろんそれを感覚的に共有しない人というのがいるであろうなあとは思うところである。

第二は民主党の主張の評価に関わる点で、「「ところで今回の教科書検定の結果に不満だから参議院で撤回の決議案を可決しようと計画している政党の諸氏」と批判対象が名指される時、それは共産党だけを指すはず」とご指摘なのであるが、新聞報道によると「野党4党は(……)検定撤回の国会決議を衆参両院に提出することで合意した」(asahi.comより10/2)ということであるし、菅直人・民主党代表代行の「検定のやり直しを求めることが必要だ」という発言は「(政府が撤回に)応じないのであれば、国会の意思を問う」(asahi.comより9/30)と補完されるわけである。にもかかわらず字面として「撤回」が入っていないから民主党は撤回を要求していない、というのはパフォーマティブモードがOFFになっているよねえ。

パフォーマティブなレベルを云々するなら、「集団自決が、日本軍による強制・誘導・関与等なしに、起こりえなかったことは紛れもない事実」と明記したうえで「検定結果の中立公正性に疑義が生じている」と主張した決議案(「民主党「沖縄集団自決」教科書検定見直しを要求 参院決議提出へ」イザ!)が可決されたとして「再検討したけど問題ありませんでした」と言えるのか、決議案に「「検定意見の撤回と集団自決の記述回復」の文言は入れなかった」にも関わらず「国会が歴史の認定に踏み込むこと」になっていると当の民主党(参院)が考えていることを見ると(「沖縄教科書検定決議、採択困難に」asahi.com)、まあそうではないよねえ。民主党が「全会一致での成立」を目指していた云々についてはまあ決議を出す側としては「自民党の反対少数で成立することを目指します」とは言わんわな、という以上でも以下でもないと思うのだが、見たいものだけが見える人なのか都合のいいようにパフォーマティブモードスイッチをON/OFFできる人なのか、まあそこがパフォーマティブな言説ですよと言われればそういうのもありかもねえ。

第三にトリヘドランさんのコメントをめぐって「被害者側の生存者の証言であり、他方は加害者(と目される)側の証言である」とされている点については、もちろん一般論として加害者側は被害を過小に・被害者側は過大に証言するバイアスが働きます、それが加害者・被害者のreversibilityですてえ話でしょうな。それを無視して被害者の証言の特権的な地位を認める歴史理論がどうダメか、という話は(高橋哲哉先生の主張などをめぐって)すでに「規則とその意味」補論で書いたので繰り返さない。なお紙幅の関係で『法哲学の言語哲学』には含まれていないので読みたい人は国家学会雑誌のバックナンバーを探してください(申し訳ない)。つうか私としては「具体的事実を捨象した「正論」」によって塗りつぶされてしまうような個別の記憶なんて塗りつぶされてしまえばいいのであると考えているわけだからやはりこれも「はあそうですか」という話で終わりになってしまう。

というのはまず一つ極論をするが、「南極の氷の下の穴の中にあるナチスの秘密基地から飛んできたUFOにアブダクトされました」という被害証言をしている人がおり、数々の証拠から当人が真摯にその主張をしていることは疑えないとしよう。物理法則のような「正論」によればこの証言は「国民の記憶」に統合されることなく塗りつぶしてしまえということになると思うのであるが、そうではなくこれも被害者の側の真摯な証言なのであるからその内容は「国民の記憶」に統合されねばならず、教科書にツンデル氏とかにご登場願わないといかんのであろうか。

もちろんそうではないとお認めいただけると思うわけだが、だとすれば「正論」に負けるべき被害証言の例が少なくとも一例存在するのだから「被害者の証言だから」というだけで特権的な地位を認めるわけにはいかないのであって、他の証拠・証言との整合性その他の普遍的な判定基準に照らして真と認めるかどうか吟味しなくてはならないということになるはずである。もちろん私としては沖縄における諸証言が南極の秘密基地と同レベルだとかそういう主張をする気は微塵もないわけだし、「沖縄戦について歴史学者がどのような研究を蓄積してきたか」という話が当然にあるのだろう。ここで言いたいのはそういう事実の積み重ねの議論ではなくて被害者の特権性にすぐに飛びついているところが結局「弱い議論」を作っていますよというお節介の話である。

***

まあここまでの話をまとめると、なにやらいろいろと不都合を申し立てられているようなのだがそのなかに私自身にとっての不都合であって心を改めたりすべき事由というのがまったく見出せないので、いや私はあなた方がそういう生き方を選択する主体性というのを尊重したいからどうぞお仲間で気持ち良くなっていてください私は邪魔しませんから、感覚も達成目標も主語の範囲も共有しない相手に無理に文句付けようとしなくていいんじゃないですか、ということなのである。つうか私沖縄にも沖縄人にもコミットメントないしさ、自分の議論と「ぼ、ぼ、ぼくがローゼンメイデンがこんなに好きなのになぜ君は見ようともしないんだあああああ」とかいう主張との違いがあるかどうかについてもう少し自覚的な方がいいんじゃね? て感じ。このコミットメントを強制し得るかって問題も昔書いたな。まあそのレベルの議論を経てから何か言ってください、ということで終わる。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.axis-cafe.net/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/467

コメント(6)

>「「中立」となっている機関の決定に文句を付けてはいかん」問題は、その中立ということになっている機関の人選とかを多数派(直接選挙で選んでもなお事情は同じ)に委ねざるを得ない点にある、と、少数派の俺は言う。

と、はてなブックマーク(URL欄)にてコメントしましたのでお知らせ。

民主制下では多数派が横暴する気になったら基本的にどんなことでもできてしまうというわけです。しかもこれを確実に防ぐ方法は原理的には存在しない。少数意見がそれなりに尊重されるのは、多数派がその手の誘惑を断っている間だけである、と。orz

>教科書にツンデル氏とかにご登場願わないといかんのであろうか。

そうなると「逆さパンター砲塔付きUFO"ハウニヴー2"」の写真も載せなければなりませんね。

何かすごい既視感が…

おおや先生どうもです。

結局、加害者側は被害を小さくしたがるし被害者側は被害を大きくしたがるから「『中立』となっている機関」が必要なわけで・・・というわけで話は始めにもどるわけですね。

今回は加害者側に寄りすぎていると「『中立』となっている機関」が批判されているわけですが、逆に被害者側に寄りすぎているという批判が出ている例としては、8月に御殿場事件が控訴審でも有罪判決が出たことが話題になりましたね。
まああそこまでいくと正直どっちが被害者なのかもわからなくなってきますが・・・

大屋先生が証拠隠滅をはかっていない、ということは、まだ「ご一報」はないようですな。
ツンデルに反応してこんなエントリ起こす時間はあるのに。
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20071015/p1#c
「ま、このツンデル云々で、この大屋雄裕なる研究者が自分の専門以外の研究分野に対して敬意を抱いていないことがよ~く分かった。」
いや、そう言う問題ではないでしょうに。
それとも大屋先生、田中眞紀子が文科相になった時の為に雌伏なさってるとか・・・

>BUNTENさん
それはまったく正しいご指摘であると思います。しかし「少数決」がさらにろくな結果をもたらさないというのもまた事実なので、一定の基底的制約の範囲内において多数派の意思を尊重するシステムがおそらく「最悪の中で最善のもの」なのだろうなと、多数意思に対する基底的制約の優先性を主張する点においてリベラルである私はそう思います。

>JSFさん
T72教もすみやかに適切な証言を発掘すればご真影が教科書に載るのではないでしょうか。パスタファリアン戦略との共通性と差異について考えてみるのも楽しいと思いますが、私はErisの信者なのでかき回して遊んでいようと思います。Alles Heil Discordia!

>トリヘドランさん
ごく一般論として言うと、裁判結果に対して不満を感じる人の比率は勝訴側より敗訴側の方が高いという統計的な結果が出ているそうです(法社会学の研究)。まあ、そうね、という話ではありますが。

>Tammyさん
ありまへんでした。というわけで私にはいまだに、彼のためにならないことをするとなぜいけないのかがよくわかりません。中立性を尊重する義務を誰が・どのように負うべきなのかという一般的抽象的な話と、言説の主体・名宛人は誰なのかという話が確信だと私は思いますが、どうもそういう点にはご関心がないようです。

コメントする

2012年10月

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

Monthly Archive

Webpages

Powered by Movable Type 5.14-ja