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一本書いた。
まあ安倍政権にはいろいろ言いたいことのある人も多いだろうけど、とりあえず「戦後レジューム」とか書いてるやつは単語の書き取りからやり直しな(挨拶)。誰かというとコウタリンだ。
さて「概念と構想:理念から決め方の論理へ」という原稿(注を入れて50枚弱)を書き終わりまして、自分でもいつ書いたのか謎であります。憲法周りの話ですが一緒に書く人に立派な実定憲法学者がいるのでもっと基礎的なというか、法哲学から政治学あたりの原論的な話にしてみました。読者層はおそらく基本的に法律家・法学者ではない雑誌なので、どこまで何を説明すべきかというあたりでまだ戸惑っていたり。詳細はいつものとおり掲載が決まってからお知らせします。
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ということで、初校拝見いたしました、と地味に挨拶。近日中に大屋先生のところに戻るかと。見苦しい鉛筆などあるかと思いますが、笑って検討いただければ幸いに存じます。なにぶん未熟なもので。
内容への言及は、守秘義務うんぬん以前に校閲の本分としていたしませんが、10/10前後のエントリーおよびその応答とあわせて読むとなかなか興味深いと思った次第です。
なんというか、特にweb上でなのでしょうが、大屋先生を批判する方々は、なぜ「語り方の問題に重きを置く大屋雄裕」に対して概念からの説得を試みようとするんでしょね。概念での批判は大屋先生には届きようがない——おそらく大屋先生は、その概念が個人的に容認できないものだとしても、それが正しい手続きに則った上で形式的に問題なく施行されるならば、「個人としての大屋雄裕」がどう振る舞うかは別にして、受け入れると思うんですが——し、しかもその物語りは逆に大屋先生の射程にはぜんぶ入りこんでしまう(「わら人形叩き」じゃねえかと言ってしまえる)わけで、これはもうフルボッコにしか見えないんですが、こういうことを書くと信者扱いされるんだろうな。
最近の議論(というにはやはり噛みあっていないかなあ)を見ていると、概念でもって大屋先生を射程に入れようとする方は、自分の概念は正しいに決まっているので全員が耳を傾けるに違いなく、だから構想の問題を気にする必要はないのだ、と無意識的にでも信じているような感じがします。議論の相手もある概念を持っている以上その振る舞いは無邪気に過ぎると思いますが、それについて自覚的だとは、やはり思えないですね。
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しかし、この論文を「おおやにき」で読んでみたかったという気が少し。あの辺とかあの辺とかがもっと「TPOに応じた」表現になるだろうなと思うと、ゲラを読みながらにやついてしまったもので(しかもコメントとトラバがおもしろいことになりそうだという予感もあり)。もちろん、雑誌に載れば大屋先生の学者としての実績にもなるだろうし、原稿料で懐も多少なりとも暖まるだろうしで、それはとてもいいことなんですけれども。
フライング失礼しました。
>なかの人さん
あ、なかの人だ。いつもお世話になっております。またご迷惑をおかけしたようですいません。
ええっと。まあこれがどういう話なのかは近刊予定の論文が出ると見ている人にもわかるようになると思うわけですが、つまりベタとメタなのですよ。で、読むとまた怒る人が出るんだろうなあと思うわけですが、まあ何書いても怒る人は怒るので仕方ないよね、と諦めつつある最近。
というわけで読者の方々におかれましては乞うご期待、と。私は正月のモチ代にしようと思って原稿料に期待しております(笑)。