というわけで刊行予定日まで2週間を切った模様ですので、若干詳しい予告をさせていただきます。9月にちくま新書で『自由とは何か—監視社会と「個人」の消滅』というタイトルで本を出します。テーマとしては『思想』論文の延長で、情報化社会における権力のあり方の変化とそれが「個人」という存在に与える影響について考えたものであります。自分としては当たり前のことを当たり前に書いただけのつもりですが、どうもこういうモノイイを世間ではというか、監視社会インダストリではというか、とにかくあまり見かけないなあという気はしており、まあどちらが悪いのか私は知りません。お読みいただいて皆さま自身がご判断いただくといいのではないかなあと思いますので、ぜひとも買うてください。『法解釈の言語哲学』のときと違ってお手ごろ価格ですから遠慮なく言ってみました、はい(いやあれだってがんばって安くしてもらったんだけど)。
大屋雄裕『自由とは何か:監視社会と「個人」の消滅』 筑摩書房ちくま新書、2007年9月刊行予定、予価735円 はじめに—いま「自由な個人」を問う意味 第一章 規則と自由 1 「個人」の自己決定と法・政治 2 自由への障害 3 二つの自由—バーリンの自由論 4 交錯する自由 第二章 監視と自由 1 見ることの権力 2 強化される監視 3 ヨハネスブルク・自衛・監視 4 監視と統計と先取り 5 監視・配慮・権力 6 「配慮」の意味 7 衝突する人権? 8 事前の規制・事後の規制 9 規制手段とその特質 第三章 責任と自由 1 刑法における責任と自由 2 自己決定のメカニズム 3 責任のための闘争—刑法40条削除問題 4 主体と責任 おわりに—「自由な個人」のために
ちなみに「いま林信吾氏や氏に近い人々が怒るだろうなあという原稿を準備しているところ」(「週刊オブイェクト」コメント欄467)と書いたうち、片方は『岩波講座 憲法』第1巻に載った論文で、もう片方がこれです。
そういえば最近2chや大手のサイトで自分にとって気に入らないことを書くブログのことを取り上げる→それに同調する人たちが多数出てブログ炎上、閉鎖という光景がよくみられますが
最近ではどうも特定の思想をもった人間が自分には受け入れられない思想をネット上から排除するために行っているものが見受けられます。
これは反対意見を封殺して思想を原理主義化させていき
外部への攻撃性を高めていって最終的に暴走しかねなあいと個人的にはかなり不味いかなあと考えていますが。
おおやしきさんはどうお考えでしょうか?
> 最近ではどうも特定の思想をもった人間が自分には受け入れられない思想をネット上から排除するために行っているものが見受けられます。
> これは反対意見を封殺して思想を原理主義化させていき
外部への攻撃性を高めていって最終的に暴走しかねなあいと個人的にはかなり不味いかなあと考えていますが。
自分のブログを炎上させたくなければ、コメントもトラバも受け付けなければいいだけの話です。
(某「きっこ」のように。)
また、言うまでも無く、ブログを含むWebサイトというものは、公序良俗に反することや、法に触れることさえ掲載しなければ、どんなに大衆に気に入られない内容でも、Web上に公開し続けることはできます。
もちろん、その意見に賛同してくれる人がいるかどうか、ということとは別問題であることは、ネットの世界でもオフラインの世界でも同じことです。
これまで数多くのサイトが炎上を経験し、たまに一般のメディアの話題にも上ってきましたが、
多くの場合、単に「少数意見である」というだけで「祭り」の対象になることはありません。
何かしら、一般常識、もしくはネットユーザーとしてのマナーなどからかけ離れた対応や、言動などが火に油を注いでいるというのが実際でしょう。
(最近の例で言えば、AAAの起こした落書き事件に対する、エイベックスの対応など)
また、祭りや炎上が起こる際には、某2chのスレッドなどでサイトが晒されたりするのですが、宗教団体や人権団体のような
団体が、半強制的に政治活動に動員しているようなものとは異なり、炎上サイトへの書き込みは、あくまでも自らの意思でやっているものである、ということにもご留意ください。
ネットの書き込みは排他的だ、と主張する人間に限って、
ネット世論が、自分の意見と食い違っていることが許せないという、排他的な思考に取り付かれていると思えてなりません。
>七誌のごんべい さん
私は「炎上」の背後に善意の人々を少数の悪意ある人々が煽るメカニズムがあるのではないかと思っていますが、その「悪意ある人々」が相互に連絡していたり謀議していたりするのかについてはなんともわかりません。そういうケースであると確かに見たことはないな、という程度なので幽霊に対するのと同じくらいの信頼度でしょうか。そういうものがあってこの世の中に影響を与えていると主張する人々はいて、私にそれを否定する根拠もないのですが、しかし私は見たことがないのです。