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あららの話(2)
もう一つ、というのは前にちょっと触れた唐沢俊一氏による著作の無断利用問題であって(「健全な懐疑」)、なにやら長引いているなあと思っていたら原著者によれば交渉が決裂したらしい。あらら。まあ無断利用問題の本体についてはすでに書いた通りであって、客観的な類似は歴然としており、適切な出典表示や引用部分の明示を欠いているのだから著作権法上の「引用」にもあたらず、あとは故意の盗用なのか適切な処理を欠いたという過失の問題なのかが問題としては残るがいずれにせよ権利侵害は明らかであるな、ということである。
で、まあこの間事後処理に関する話し合いが無断利用されたブログの筆者側と唐沢氏の側で行われており、後者は唐沢氏と版元である幻冬舎だが具体的な対応は幻冬舎に一元化されていたところ、交渉がまとまらずについに決裂、という経過が利用された筆者のブログでやはり公開されている。以下はその経過を読んだ限りにおいてのことだが、まずあえて法律屋ごりごりの立場で言うならば幻冬舎の対応は理解できるし、筆者氏の怒りどころがわからないということになろう。
というのは、第一に筆者氏は交渉の過程で合意したはずの条件を何度も蒸し返されると怒っておられるのだが、最終的な合意にまだ達していない限り個々の条件が出たり消えたりするのは当然だわな、と思うわけである。和解というのはトータルパッケージであって、たとえば損害金額を低めに算定する代わりに慰謝料で色をつけるとか、利率で双方の面子を立てるとか、個々の条件での押したり引いたりの合計で納得したり妥協したりするものだ、というのが(繰り返すが法律屋としては)普通の感覚ではないかと思う。
第二に、交渉過程を公開しないというのもたとえば企業間の和解交渉であれば当然のことであり、上記のように条件が出たり入ったりする過程を逐一公開されると見てるひとが混乱するというのもあるし、当事者間の交渉に第三者が介入してきたり圧力をかけてきたりするのは好ましくないというのもあるだろう。最終的な和解条件を公開しないというのもよく聞く話である、というかそちらの方が普通なのではないかという気もする。その理由はいろいろ考えられるだろうが、たとえば知的財産関係の紛争だったりするとそもそも情報をできるだけ表に出したくないから和解交渉にしているのであって、出していいなら訴訟で解決しとるわというケースも多いようである。
第三に、当初の問題においては被害者であるところの筆者氏が公開した情報に問題があれば法的措置を講ずる可能性があると警告されたという点だが、当初の問題の処理とそれ以降は別の話なのだからその過程で不法行為があればそれに対する救済を求めるのが法務担当者の職務上の義務である(自社の権利を守るのが仕事なんだから)。交通事故の和解交渉で被害者が加害者を殴りつけたらいかんでしょ? というだけの話。「加害者なのにそれを言うか」という意見もあるようだが、第一にたとえば幻冬舎の法務担当とか弁護士さんとかは「加害者側」ではあっても直接的な「加害者」ではないのであって、まあ被害者から見れば文句を言いたくなるかもしれないが「加害者」と同じ気分を持っているわけはないとは意識しておくべきだろう。第二に警告してあげるのは親切なのであって、理屈の上ではほっぽらかっておいて不法行為を起こした時点で抜き打ち訴訟でもいいわけである。このあたり「法的措置」というものに対する感覚の差もあるよなと思うのだが、「不法行為があれば法的措置を検討します」というのは法律屋にとって「ボールを上に投げたら落ちてきます」というのと同じレベルの話であって、それをもって威嚇的とか強迫的とか言われてもなあとは思うわけである。この話、つづく。
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