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雑感

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とりあえずクールビズを批判する人は私の敵ですから(挨拶)。というわけで、雑感。

安倍総理が参院選後の消費税アップの可能性に言及して自爆だかなんだかというスポーツ紙の見出しを通り掛かりにちらりと見て、まあ現状において税率を上げたり上げなかったりすることの功罪というのは私にはよくわからないが、しかしこう、「税金上がります」と聞くととにかく怒り出してしまう人を支持者としてかき集めるというのは本当に大丈夫なのか、民主党とか。

金を出すのが嫌いな人には、しかしモノゴトには適切な価格というのがあるよねえと思っている人ととにかく出る金は少なければ少ない方がいいと思っている人の二種類がおり、前者が倹約家で後者が吝嗇家である。ポイントは吝嗇家がご商売に成功することはなく、吝嗇家を当て込んだご商売が栄えたためしもないという点にあろうかと思う。もちろん選挙権というのは富裕層だろうが貧困層だろうが倹約家だろうが吝嗇家だろうが一人一つずつしかないという非常に特殊な布置状況の財であり、政権を獲得するとか多数の議席を得るとかのためであればどんな性格の有権者であろうがその多くの支持を集めればいいわけである。

しかしもちろん政治というのは得票だけでは運営できないのであって、たとえば資金とかを吝嗇家から本当に集めてくることができるのか、あるいは彼らの支持が現実には到底実現できない口約束に基づいていた場合、政権獲得の瞬間に崩壊しはじめるというのはなんか以前に見たような光景だよな、とも思うわけである。

政治とは社会における利益の分配を決めるシステムである、というのは古典的にしてもちろん一面的な定義なのだが、しかし高度成長期みたいに分配すべきパイが拡大を続けているご時世ならともかくバブル後の「あとしまつ期」においてはむしろ不満の分配を決めるシステムだと言った方が良いのではないかという気がする。ムフの「恐怖の民主政」ではないが、バラ色の未来とか信じられなくなっている中でしかし人々が人生に対して抱いている不満の総量を最小化するためにはどうすればいいのか、各個人が受け止めることのできる不満の量を超えないような分配が可能なのかといったようなことが政治に求められる考慮なのではないか。仮にそうだとすれば、不満ではなく満足、不利益ではなく利益のことだけを語る政治勢力というのがこの点において信頼するに足るのかな、とは思うところである。いつぞや放映できなくなったらしいCMではないが、「本当に怖いことは、人気者の顔をしてやってくる」ということであろうか。

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Comment(2)

TK さんのコメント (2007年7月12日 23:38):

全く同感です。

6月からの住民税UPでも、TVや新聞では批判一色ですが、そもそも、自分達が住んでいる自治体の予算(決算)を見た上で言っているのか?と思ってしまいます。
そもそも、プライマリーバランスが赤字の自治体の住民が、税金が上がったと言って怒るのは、本末転倒だと思うのですが(住民税下げる代わりに、公共サービスの大部分を減らす(例えば、乳幼児の医療費無料廃止とか)と言えば怒るだろうし、受益者負担を明確にするため、公共料金をUPすれば怒るだろうし、金は払いたくない、でも、サービスは欲しい、というのはいかがなものか、と思います)。

ついでに言うと、老人達が、各種控除が減って税金が上がったって怒っていますが、そりゃこれだけ借金があれば当然だと思うのですが。まさか、借金はしたけど、返済するつもりはなかった、ということなのでしょうか?
この点に関して思うのは、アメリカ独立で一躍有名になったスローガン、「代表なくして課税無し」ですが、一体、今の子供(未成年者)は、爺婆の代の借金を返済するという義務を負わさる訳ですから(国債は、租税徴収権が担保になっている)、まさに、「代表無けども課税有り」の、近代憲法の大原則の蹂躙状態にあると思うのですが、この点、法哲学的に分析するとどうなんでしょうか?

おおや さんのコメント (2007年7月14日 14:05):

>TKさん
後段、つまり「代表なくして課税なし」というスローガンの文字通りの実現は《原理的に》不可能だ、という話であって、実のところそこで批判されたバーク流のVirtual Representation論の方が正しいんじゃないの、というところではあります。
さらに言うと、そもそも現在生きている世代についても昨日の自己の決断によって今日統治されるわけですが、昨日と今日の「私」が同一の存在だとなぜ言えるのか、それは「私」に対する制約であり他律の源泉だ、といえばシュティルナー流の実存的エゴイズムになります。あるいは、そもそも「昨日の私」とか「明日の私」などというものは《私の思いとしてしか》存在していない、と言えば反実在論になります。まあ結局「代表なくして課税なし」の価値というのは政治的スローガンとして分かりやすい点(のみ)にある、という話になるのではないかと。

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