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韓国法制処研修
ただいま本学に韓国の法制処という、どうも我が国でいうと内閣法制局にあたる官庁からどうやら参事官にあたる方々と事務官さんが研修を受けに来訪されておりまして、私も今日の午前に講師を担当してまいりました。「名古屋大学日本法センターの設立と法学教育支援」とかいうタイトルでしてだから俺の専門は何なんだ。
ところでこれは誰をそしろうというのでもなく私自身の単なる信条の吐露なのであるが、個人的には社会のバランスがどうとか自由と幸福への配慮とか割とどうでもよく、研究者としての私の欲望は基本的に分析することにある。もちろん私個人の利害関心というものはあるし、ひたすらに分析して喜んでいるとおまえ何かの価値にとにかくコミットしろとか結構不条理な要求を突きつけられたりするのでそういう部分をちらりちらりと見せてみたりはするわけだが正直どうでもいい。新しい枠組で新しいものが見えたら嬉しいなあと思っているだけで浜辺できれいな貝殻を探している子供とまあたいした差はなく、そして箱の中で乾いてしまった貝殻から子供が興味を失うように、私が見たものを他の人たちがどのように理解しどのように使おうが私の知ったことではない。仮にその結果として世界が滅びるなら(そんな大層な帰結をもたらすことのできるようなものが見えているとは思わないが)、多分そのとき私は社会がどのように滅び・どこにその原因があってこれからどうなるのかをにこにこしながら分析しているだろう。まあこういう研究者もいるというだけの話である。
あと歴史的にはイギリス流の観念が先行していてあとから独仏流の理論がくっついてきたというのが正しいとしても(いや正しいと思うけど)、だからイギリスの理論が正しいというのは典型的な発生論的誤謬なのでもうちいと言い方に気を使われてはどうかと思う。いや私自身は著作者人格権なんかやめて広範な利用料徴収権に転換した方がいいと思っているので(簡単に言えば「金は払うから文句は言うな」主義)、主張の内容に反対するところはないわけだが。
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