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健全な懐疑
竹熊健太郎氏が「ブログからの盗用疑惑」(Sankei WEB)と題して「サブカル作家でテレビ出演も多いK氏」の盗用疑惑について書いているのだが明らかに唐沢俊一氏のことであって隠すこともあるまいと思う。というか本当に盗用したのか偶然の一致なのかの判断が著作物というものの性質上微妙なものであるとするならできるだけ個々の読者が直接に双方の著作物を比較してそれぞれの結論を持つべきなのであって、だとすればここは名前を隠してはいけないところだろう。
問題になっている記述について言うと、先に公開されていたブログ(漫棚通信)の記述と唐沢氏の著作の問題となった部分の客観的な類似性は否定できない、というかまったく同一の部分さえあるのでその点は明らかであり、問題はそれが故意の「盗用」なのか、参照したことを忘れたとか引用元を明記することを失念したなど過失の問題なのかという点に帰着するだろう。でまあその点については当事者間でお話し合いいただければ良いことだと思うのだが、とりあえずタイトルでは「盗用疑惑」と書きつつ本文冒頭から「文章を盗用していたことが発覚」と故意犯であることを前提に書き始める竹熊氏は相当に香ばしい。
しかしより香ばしいな、と思うのは同様に竹熊氏が「K氏が剽窃・盗用した疑いは濃厚」(ルビ略)とか「K氏の場合も、ごく軽い気持ちでネット検索をかけ(……)つい文章を「拝借」してしまったのだろう」とか「これでは剽窃と言われてもしかたがない」とか書いている点であって、というのは最近話題になったように竹熊氏は著作権の非親告罪化の問題について「いったいなにが著作権侵害で、どこからがセーフなのかという判断は簡単にできることではありません。」(強調ママ、Web魚拓)として反対の立場を鮮明にしていたのである。……あんたしとるやん。「「盗作検証」にしても、それが許される範囲の模倣か、許されない模倣かは慎重に判断していただきたい」と言いつつ、ご自分は例外なのだろうか。
もちろんこれは多少竹熊氏に不公平な言い方であって、おそらく氏は慎重に判断しても「許されない模倣」であることが明白なケースはある、この事例もそうだと言われるのであろう。そしてまあ故意か過失かという重要な論点を竹熊氏が完全にすっ飛ばしてしまっていることを除けば、上で述べた通り私も客観的な類似自体は明白だと思うのでその点はよろしい。だがそうなると問題は、唐沢氏をめぐる問題について・当事者から発信されている断片的な情報を元に第三者たる竹熊氏が判断できるのと同水準の判断を、やはり第三者ではあるが国家権力を元に強制捜査を含めた情報収集を行うことができる警察や、検察側・弁護側双方から提出された証拠を元に判断することのできる裁判所が行なえないと信じる理由がどこにあるだろうかという点にある。
もちろん警察が、特定の目的のために与えられた権力を濫用する可能性があることは間違いない。しかしその可能性があるというだけのことなら竹熊氏にだって「K氏とはここ10年ほど没交渉なのだが、一時は交流もあった」というその交流が途絶えた契機になった事件の復讐のために敵失を利用しようとしている可能性があるだろう(念のために言うがこれは単なる悪意の冗談であって両氏間の交流関係の経緯その他について私が何かを知っているわけではない)。にもかかわらず警察や国家の判断だけを疑う根拠はどこにあるのだろうか。
悪用する可能性があるのなら、考えるべき問題は第一に悪用を防ぐ仕組みを十分に作るためにはどうしたらいいかであり、第二に(悪用される可能性×その場合に生じる被害)を(善用される可能性×その場合に防ぐことのできる被害)が上回るかどうかだろう。どちらの問題もすっ飛ばすことができるのは、可能性があるではなく「悪用するに決まっている」と思い込む場合だけなのではないか。なんか共謀罪をめぐる議論に似た構図だな、とも思うわけである。そういえば著作権非親告罪化の問題を朝日新聞の土曜別冊Beが扱ったときのオチも共謀罪だったな、と思い出したがさしたる意味はない。
ところで私自身は非親告罪化問題に関する態度を明確にしかねているところがあって、というのは上記の第二の問題についてどれほどのメリットがあるのかがよくわからない。海賊版の探索を含めた告訴に至る過程や、告訴後の警察・検察への対応などに相当の手間ひまお金が必要なので刑事告訴に消極的になる権利者がいるというような議論もされているようだが、現在の案では非親告罪化するとしても大規模な海賊行為などに限定することになっており(そういう構成要件をうまいこと書けるのか、というのも懸念の一つなのだが)、しかしだとすれば対象となる著作物も大規模に複製される著作物であろうから、そういう権利者は法的処理のための資源を比較的裕福に持ってるんじゃねえの? という気がするのである。民事対応を考えているあいだに告訴期限が来てしまうという問題も指摘されているがそれは期限延長で済む話だしな。まあ告訴期限がどうとかいうテクニカルな話より非親告罪化の方がシンボリックな効果が高いと言われればそうかもしれんが副作用がな〜。
そうじゃなくてやっぱり耐えきれないほどの負担になるケースがあるのか、あるいは負担の問題ではなくとにかく刑事告訴に消極的な権利者がいるという話なのか、なんとなくマルボウ関係だったりすれば後者の可能性が考えられないこともないかなあとも思うのだが、いずれにせよそういう話なのであれば関係各位はさっさと正直に言った方が余計な疑惑を買わなくていいのではないかと思ったりした。
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お久しぶりです。
blogの方、いつも楽しませていただいております。
こちらの項にて、些細な点ですが一点良く判らないところがありましたため、宜しければ確認させてください。
>問題はそれが故意の「盗用」なのか、参照したことを忘れたとか引用元を明記することを失念したなど過失の問題なのかという点に帰着するだろう。
とのことですが、盗用とするには故意であることが必須なのでしょうか?
いや、よく「引用は無断でできるものだから無断引用は正しくない」とか言われるもので、となれば「過失による・故意かどうか判別つかない著作件侵害」を適切に表す用語は何なのかな、と思いまして。
今回のケースだと一部表現を変えているようなので「転載」と言うのとも違うようですし。
>紅氏
ども。まず「剽窃」は法令用語ではなく、「盗用」は特許法・弁理士法などに例がありますがいずれも《職務上知り得た情報を他の用途に用いてはいけない》というスジの禁止規定(おそらく以前の「窃用」)であって、ここで想定されている行為とは異なります。というわけでどちらについても日常用語としての解釈しかできないのですが、その限りでは私は故意があることを要すると考えます。
根拠の一つは著作権法119条以下の罰則がいずれも故意犯の場合に限定されていること、もう一つは「盗」の意義であってたとえば窃盗の過失犯はねえだろうと。弁理士法30条、特許法200条ともに故意犯のみの処罰規定であることも補強材料になるのではないかと思います。
で、「過失による・故意かどうか判別のつかない著作権侵害」を簡単に表す用語は思いつきません。まず「客観的な類似」という段階があり、これは偶然に同様の著作物を二者が作成したような場合にはそもそも著作権侵害にすらなりません(本件では唐沢氏が参照したことを認めているのでこの段階は超える)。故意の場合は前述の通り「盗用」「剽窃」あるいは「僭用」を用い得ると思います。
あえて言うとその中間というのは「許諾を得ていない利用・複製」あるいは「無断複製」ということになろうかとは思います。「引用も無断の複製である」と言われるかもしれませんが、まず無断の複製は違法なのであって、一定の条件(私的使用・引用・教科用図書への複製など)に該当する場合にのみその違法性が例外的に解除されるところ、今回の唐沢氏はその例外規定を満たすことに(故意か過失かにより)失敗したということになるでしょう。
いや単に
>なにが著作権侵害で、どこからがセーフなのかという
「適切な」
>判断は簡単にできることではありません
というだけなんでは…。ブログの放言では適切性の要求水準は相対的にかなり低い訳でございまして
>というか…さん
「適切性の要求水準は相対的にかなり低い」ブログでは判断が難しいと言っていて、要求水準が高いはずの新聞サイトの記事(実際の紙面にも掲載されたのかどうかは不知)で断言してしまっているのだから、その理屈ではまったく擁護できないでしょうな。
裁判での判断と比較してのつもり