病院にて

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まあ終わらなかったわけだが(挨拶)。土曜に上京して師匠の研究会で岩波講座憲法第1巻の合評会をやってもらい、というか師匠が編者でご自身を含め執筆者が4人も揃っていたので別に私のためということでもない。とにかく日曜に名古屋に戻ったら緊急通報が来ていたので急いで対処、月曜の午前に医者に行ってから出勤して最終調整を済ませ午後は医学部附属病院の某委員会に出席して3時間。軽く腹痛もあったのでわしの方が病人じゃという話ではあるのだが、まあこれでお医者さんが少しは働きやすくなるなら仕方ないのである。

さて委員会の議事を聞きながらぼんやり考えていたのだが性差医療というのが最近はあるらしく、たとえばある種の薬に対する感受性が男女間で有意に異なるというようなケースから治療方法等についてもその点を考慮しないといけないという話なのだが、某所ではそこから男女間に本質的な差異があるので異なる社会的取り扱いが正当化されるというような話に広がっていた。まあつまりアファーマティブアクションの正当化理論として使おうということらしい。
ところである種の抗がん剤についてはどうも副作用の頻度に人種間の差異があり、たとえば日本人ではあるタイプの症例が有意に多い、というような話を聞く。となるとこれは、さきほどの伝でいえば人種間には本質的な差異があるので人種差別政策が正当化されるということを示唆するのであろうか。
まあもちろんこれはただの皮肉である。むつかしいことはよくわからないが副作用の頻度が高いというのは特定の遺伝子変異とか亜型とかを持っている人間の頻度が「(遺伝的)日本人」と社会一般の通年上くくられている人々の中では高いとかまあおそらくそういう類の話に由来しているのであり、その原因が突き止められれば遺伝子診断で個々の患者さんがそうなのかそうでないのかを判定すればよろしく、そこまで行けば日本人とかアメリカ人とかは関係なくなる。いま現在「(遺伝的)日本人」を一つのグループとして想定しているのはまだ原因それ自体が判明していないから便宜的にそうしているのに過ぎない。
で、まあこれは性差医療についても同じ話であって、男とか女とかは上の「(遺伝的)日本人」と同じく便宜的なカテゴリーに過ぎず、本質的には個々人はその体質に応じた医療を施されるべきであるという話に帰着し、つまり個々人は個人として平等に扱われるべきだという原則だけが残る。特定の疾患の治療の話と社会的制度に何の関係があるのかというレレヴァンスの話をする以前に議論の構造がまったく破綻していますと、まあそういう話。
結局この日、附属病院から法学部に戻ってさらに自宅に戻ったら10時前であって火曜・水曜の講義の準備が終わっておらず、しかし少しは静養しないといけないので24日(木曜)になってから遡って書いている次第である。

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どうもお疲れ様です.
以前に『書斎の窓』誌上で,旗手さんが「性差医療」についての記事をお書きになっていました.
どうぞご参考までに.すでにご存知でしたら,失礼をば.

 http://www.yuhikaku.co.jp/shosai/2004/200411.html

>おや痔氏
おやそれは気付きませんでした。研究室で発掘して読んでみます。ご教示多謝。

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