「一般意思」

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まだ解放されない(挨拶)。ところで私が普段読まない新聞にこういう記事が載っていたという情報を目にしてついリンクを踏んでしまって不幸になる。ん〜まあこの方が法律について語るわりにはちっとも勉強しておられないという件についてはすでに述べているのだが、しかし本来のフィールドに近いはずの社会思想にまでここまで不勉強だとは思わなかったなあ。東京新聞から「【試される憲法】社会学者 宮台真司さん 国家操縦の『憲法意思』大事」。他の部分についてはまあそういう意見もあるだろうという話なのだが、問題は以下の箇所である。

ルソー(仏の哲学者)のいう一般意思だから、日本人の大半がそう思っている、と日本人全員が思えなければなりません。
それには、国民の八割が投票して八割が賛成するといった圧倒的意思が、示される必要があります。

いや一般意思に多数とか関係ないから。なお以下引用文は岩波文庫版の『社会契約論』(桑原武夫・前川貞次郎訳)より、カッコ内の数字はページ数であり、ただし用語を「意思」に統一した。

まずルソーにおける「一般意思」が全人民の個別利害の一致する部分・共通部分に基づく意思とされており、したがって個々人の意志(特殊意思)を集計した「全体意思」と区別されている点に注意する必要がある、というかこれはルソー理解の常識レベル。

実際、各個人は、人間としては、一つの特殊意思をもち、それは彼が市民としてもっている一般意思に反する、あるいは、それと異なるものである。彼の特殊な利益は、公共の利益とは全く違ったふうに彼に話しかけることもある。(35)

各個人が具体的に表明する意思にはそれぞれの立場などが反映してしまっているので、それを集計して「全体意思」にしても人民全体の利害を正しく実現できるとは限らない(「合成の誤謬」と同じ問題)。全体意思と一般意思のあいだには「時にはかなり相違があるものである」(47)。だから政府の運営は全体意思によってではなく、人民全体の共通利害に基づいて形成される一般意思によらなくてはならないと、ルソーは考える。

国家をつくった目的、つまり公共の幸福にしたがって、国家のもろもろの力を指導できるのは、一般意思だけだ(……)なぜなら、個々人の利害の対立が社会の設立を必要としたとすれば、その成立を可能なものとしたのは、この同じ個々人の利益の一致だからだ。(……)社会は、もっぱらこの共通の利害にもとづいて、治められなければならぬのである。(42)

「一般意思は、つねに正しく、つねに公けの利益を目ざす」(46)。もちろんそのような共通利害と一般意思の所在を確認するために、人民自身の集会とか投票を行なうことは一般的には有益である。だが「人民の決議が、つねに同一の正しさをもつ、ということにはならない」(同)。なぜか。

人は、つねに自分の幸福をのぞむものだが、つねに幸福を見わけることができるわけではない。人民は、腐敗させられることは決してないが、ときには欺かれることがある。(46〜7)

もちろん投票によって「特殊意思から、相殺しあう過不足をのぞくと、相違の総和として、一般意思がのこる」(47)ことが期待できなくはないが、それは「人民が十分に情報をもって審議するとき、もし市民がお互いに意思を少しも伝えあわないなら」(同)、つまり個々の市民のそのままの利害が投票行動等に反映され、徒党や利益集団や政党のような部分集団が形成されない場合に限られる。「だから、一般意思が十分に表明されるためには、国家のうちに部分的社会が存在せず、各々の市民が自分自身の意見だけをいうことが重要である」(48)。このような条件のないところでは、投票の結果が一般意思の反映になっているという保障は、まったくない。

別の言い方をすれば、ルソーによれば「意思を一般的なものにするのは、投票の数よりもむしろ、投票を一致させる共通の利害であることが、理解されなければならない」(51)。投票は真理たる一般意思を発見するための一つの道具として・一定の条件下で有用たりえるだけのものであり、投票で多数だったとか人民の多くが現に納得しているとかいうことが一般意思にかなっているかどうかの本質的な指標になるわけではない。あほおな人民が集まって投票をした結果よりも、人民の共通利害を本当によく理解した有能な独裁者の決断の方が一般意思をよく反映しているという事態は十分に考え得るし、したがってルソーは統治形態として君主政・貴族政をまったく排除していないのである。重要なのは一般意思の内容が実現されているかどうかだけだから、定期的な市民集会によって人民の委任があることだけが確認できれば、通常の政治プロセスに市民が関与する必然性はない。というか、そもそも代議制・代表制を真っ向から否定するのがルソーの特徴である。

人民の代議士は、だから一般意思の代表者ではないし、代表者たりえない。(……)イギリスの人民は自由だと思っているが、それは大まちがいだ。彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるやいなや、イギリス人民はドレイとなり、無に帰してしまう。その自由な短い期間に、彼らが自由をどう使っているかをみれば、自由を失うのも当然である。(133)

同様に、一般意思にかなっていれば市民の同意のない君主の命令だろうが正当に拘束力を持ち得るし(これは決して、首長の命令が一般意思として通用しえない、ということを意味するのではない——自由にその命令に反対できる主権者[人民]が、あえて反対しないかぎりにおいて。このような場合には、全体の沈黙から当然人民の同意を推測すべきである。(43))、私の具体的な意思(特殊意思)に反していても一般意思がそう命じたならば、間違っているのは私の方なので無条件で服従すべきだということになる。

市民はすべての法律、彼が反対したにも関わらず通過した法律にさえ(……)同意しているのだ。国家のすべての構成員の不変の意思が、一般意思であり、この一般意思によってこそ、彼らは市民となり、自由になるのである。ある法が人民の集会に提出されるとき、人民に問われていることは、正確には、彼らが提案を可決するか、否決するかということではなくて、それが人民の意思、すなわち、一般意思に一致しているかいなか、ということである。(……)わたしの意見に反対の意見がかつ時には、それは、わたしが間違っていたこと、わたしが一般意思だと思っていたものが、じつはそうではなかった、ということを証明しているにすぎない。(149〜50)

まとめて言うと、ルソーの「一般意思」とは彼特有の・かなり特殊な概念であり、投票の多数とか人民自身の納得という要素とは本質的に無縁である。仮に私が一般意思の命ずるところを間違いなく知ることができるのであれば、人民の大多数が反対し、「人民の多くはそう思っている」ということに誰一人納得することができなくとも、それを実行し、すべての人民を強制的に服従させることが正義にかなっていることになる。したがってそれは、「人民の本当の意思」を知っていると僭称する勢力の無制限な実力の行使を正当化することにつながっているというのが、たとえばアイザイア・バーリンの批判であった(もちろんここでは、「我らが総統は知っている」とか「歴史の発展法則から必然的にそうなる」とか主張していた人々のことが念頭に置かれている)。多数の投票とか納得とかをルソーの一般意思と関連付けるというのは、したがって、『社会契約論』も近代社会思想の定番も読んでいない——もしくは「まともに」読んでいない——人にしかできない芸当なのだ。

ちなみに、この記事の水準のことを私の学部「法思想史」の答案に書いたらほぼ問答無用で「不可」になる。劣化が進んでいるとはいえそうかここまできたか、と気分が重い話なのであった。

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コメント(19)

すいません、操作ミスでコメント4件を削除してしまいました(ただしうち3件は同一内容の重複)。以下に再掲しておきます。

《ラインハルトさん》
大学院まで出てバカが治らなかった悲劇的な事例、とい
う解釈でよろしいでしょうか?

《というか…さん》(重複3件)
「一般意思たる必要条件」を要求してるんであって…

>ラインハルトさん
ども。いや、1990年前後までの宮台氏は優秀な理論社会学者だったと思います。どちらかというと、「ああ、人間というのは壊れるのだなあ」という感傷でしょうか。

>というか…さん
きちんと読みましょうね。多数や納得はルソーにおいて一般意思たる必要条件でも十分条件でもありません。
もう少し正確に言うと、『社会契約論』の最後の方(第4編だったかな)でルソーはたしかに、事務的なものほど単純多数決でよく、社会契約に近い事項ほど特別多数などの要件が要求される、と述べています。だから「もしルソーがいま生きていたら憲法改正問題にどう言うか」という議論なら、「最低投票率を要求するかもしれない」と言ってよいのです(義務投票制を主張する可能性の方が高いような気はしますがね……)。
しかしこれは上述の通り、《各市民が独立の投票を行なえば利害の相違する部分は相殺されるだろう》というきわめて弱い前提に依拠した議論で、ルソー一般意思論の主軸とは本質的に食い違っているところなのです。だから最低投票率論の正当化としてルソーを参照するというのは非常に奇妙な話になってしまうのですね。

というか《重要事項だから現実に多くの投票が必要である》というのは(私は支持しませんが)常識的な見解の一つではあって、だから読者の常識に訴えても——たとえば高見先生の「私の視点」がそこにとどまっているように——十分に主張することができる内容のはずです。
しかしそうはしなかった。そうではなく《ルソーの議論があってこれは正しく、私は理解していて偉いがおまえら愚民は知らないだろう、黙れ》というモノイイですわな、これ。つまり人民の意思が重要であるといいながら人民の常識や判断を尊重せず(うんまあこれはルソーっぽい)、ルソーという虎の威を借りて黙らせようとしたところ自爆しましたという哀しいお話なのです。はい。

ルソーって書かなきゃ良かったんじゃないの と単純に思います。「ルソーの」が効くのは、ルソーをちょっとは知っている権威に弱い人ですが、あまりたくさんはいないように思います。宮台氏の文章には「XXがすでに語っているように」式のフレーズが多いのは感じていましたが、俺がオリジナルじゃないよという謙遜の意味と私は受け取っていて権威づけとは認識していなかったのですが(^_^;)

>NOB.Yさん
ども、いやその通りであって別にルソーの名前書く必要ないよねえというのは上のコメントに書いた通りです。でまあそれをどう読むかについてはもちろん個々人の自由があると思いますが、引用部から「どうも憲法というものを分かっていないようです。」と続くところを見るとやっぱり《俺はわかっていてお前らはわかっていない》式なんじゃないかと、私自身は思いますね。

つまり、投票率や得票率とは関係なく民意が誤る事はあるし、正しく政治運営できる独裁者がいるならそいつによる独裁はOK、という理屈なのでしょうか。しかし政治の正解など誰の目にも明白にはならない以上、それは独裁の正当化と紙一重であり、色々良くない前例のある今のご時世それはどうなんだろう、と。
仮に件の社会学者氏が「一般意思=現在の憲法(特に9条)」であると確信しており、それを覆すには「国家のうちに部分的社会が存在せず、各々の市民が自分自身の意見だけ」を言った結果改憲を肯定する必要がある。と考えているのだとするとある程度つじつまが会うような気がします。
勿論それは0.8×0.8=64%の国民が賛成する事とは全く別なのですが。

一般意思という要件を満たすためには、私(宮台)は「……という条件が必要である」と考える

と解釈すれば、そんなに問題ではないような気がする。だけども、

ルソーが「一般意思という要件を満たすためには……という条件が必要である」と言っている

とも読めるので印象操作もしくはミスリーディングである、という感じな訳ですけど。

>flankerさん
ルソーはそう主張している(ことになる)と言ってよかろうと思います。もちろん逆に「多数者の専政」ならいいのかという批判もあるので単純にルソーを否定すればいいという話にはなりませんが。
で、つじつま合わせが不可能だとは思いませんがその場合宮台氏は当然ながら事前のキャンペーン類に完全に反対しないといけないわけで、そんな主張はかけらもしていないよねえ、という気がします。

>というか…さん
それは「一般意思」の宮台定義なので、もちろんそういう別の定義をしてそれに基づいて論を進めること・その論の中身自体をただちに否定することはできないわけですが、ルソーじゃねえだろ180度違うだろという話なわけですね。はい。

ある定義から形式論理的に導けない見解だからと言って、その定義を使っていないということにはならないと思うんだけど

引用部分から、ルソーが「特殊意志と一般意思の違いを強調」していることは分かるけど
全体意思というのと一般意思とは対立するとも特に言っていないような

ま、別の部分で言ってるのかもしれないけれど…

>というか…さん
一言、《てめえで読め。》
ルソー解釈のイロハのイもわかってないようなド素人が完膚無きまでに納得するテクストを俺がここに書く義理があるのかどうかちったあ考えろこのデレ助、とまあそろそろ言っていい頃合いだろうと思うわけですよ。しかし宮台信者ってなあみんなこんなんですか。まあ、だからなんだろうけど、なあ。

>一言、《てめえで読め。》

うーん、でも「もっといい引用部分」はないものなのかと…

俺はルソーを読んだ。で、宮台の言ってることはルソーの言ってることと正反対だ

と大屋さんが言っていることは、もともと分かっている訳でして。

「ルソーは、全体意思と対立するものとして一般意思を考えた」と思っていないような人達に向けて

大屋さんはこの文章を書いていると私は考えたのですけど、それは見込み違いだったのかも。

お初にお目にかかりますが、宮台さんは自分の専門外のことに首を突っ込みすぎで「全てに気の利いた答えを返さなければならない病」にかかってるよーな。自分の知らないことに無茶して答える必要はないんですよね。

マスコミ受けしたコメンテーターがよくかかる病気ですが。

>というか…さん
そうだね、私は大学教員で保母さんではないからね。わかったらみんなのところに行きなさいね。

>ぽへぽへさん
重複したコメントは削除しました。ええまあおっしゃる通りではないかと。ただその、いまの彼の専門はなんなんでしょうね。

うーん。でも、知らない人に新たに知っていることを付け加えるのも教員の業務の一つだと思いますよ

まあ、ここは教室ではないから、それは関係ないのかも

>しかし宮台信者ってなあみんなこんなんですか
はい!宮台のシンパです(^_^:)
 というより、おおや先生の反応がマジなのでつい、つついてみたくなる…
 <他の部分についてはまあそういう意見もあるだろうという>と先生自身も書かれた1)たいした新奇性もない内容の新聞掲載記事で、2)以前から衒学癖の宮台が、3)ルソーを誤引用した。
のに対して<劣化が進んでいるとはいえそうかここまできたか、と気分が重い話なのであった。>と先生に言わしめたものはいったい?。今までまともだった宮台のレベルが落ちたという嘆き!なわけないと思いますが興味をひかれます。

>NOB.Yさん
いや半分はそうで、『権力の予期理論』までの宮台氏はまともでしたからね。あと半分はこれにだまされる人がいるといかんだろうなあという話です。

 『権力の予期理論』までの…って
『権力の~』は宮台氏の学位論文で89年、それ以前の著作はみたことないので、ほめてるようでほめ殺し?私は90年台の著作から入ってさかのぼって『権力の~』を読んだので、こんなガチガチのゲーム理論がらみの論文で学位とったんだととても意外でした。『権力の~』より後の著作も素人の私は楽しく読みましたが、研究者の発表物としてまともではないということなのでしょうか。

相変わらず、宮台の奴が憲法改正について偉そうに語ってますよw

>多数決の問題じゃなく、国民みんなの意思だと思えることです。
>最低投票率を設定しないでおいて国民4割が投票して過半数の2割賛成で改正憲法が出来ても、
>皆の意思だと思えないから憲法として機能しません。

>悲劇を共有したばかりの国民が、悲劇を反復しないための決断として立憲します。
>擬制ですが、共有された擬制です。その意味で、重みのある憲法を作りたいなら、
>極端な話、日本人の全体がもっと困窮しないと無理。
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=515

>注意したいのは、憲法の骨格を変えるような意思の集約が、国内的に平和な時代において可能なのかです。
>革命を成し遂げたとか侵略者を追い出したといった「悲劇から自己回復する共通経験」がないと、
>国民が主体的に意思を集約するのはもともと難しいのです。
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=522

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