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ダメのひと
きしょい(挨拶)。と最初から感情的な表現を用いるのもどうかと思うのだがそうとしか言いようがない。「【知はうごく】「大塚英志氏 一問一答」」(SankeiWEB)のことだが、何が悲惨といって政府のコンテンツ振興政策が「新しいメディアを使って対外的プロパガンダをやった戦時下の思想の焼き直し」だと主張する大塚の議論それ自体が冷戦終結前の古くさい左翼思想の焼き直しに過ぎない点である。まあ、わざとやってるのかもしらんが。
間違っていると思うところは多数あっていちいちツッコむのが難しいが、まずコンテンツ政策を「庇護」としか認識しないところ、コンテンツ産業サイドが「全く庇護を望んでいない」としている点から問題だろうと思う。私が知っているのは2年くらい前までの状況でありそう大きくは変化していないだろうと思うのだが、たとえば当時アメリカで開かれた映画の商談会というか、コンテンツ制作側が作品紹介をしているところに公開サイドが多数訪問して気に入った作品があればご相談みたいなコンベンションがあったのだが日本の制作サイドがほとんど出展できておらず、いても用意されている資料が日本語だけだったりしてとてもご商売になりませんというような話があった。
どれだけ良い商品があってもその売り方、特に世界を相手にする場合には英語その他の言語でどれだけその内容をアピールできるかという点がきちんとできていなければ売れないのであって、その部分が(たとえば日本の他の産業分野と比較しても)非常に弱いというのはコンテンツ産業側も意識するようになってきた点だろうと思う。実際マンガがアジアやヨーロッパで有名になってきたのも日本のコンテンツ産業がうまいこと売ってきたというわけではなく、先方の熱意ある人が輸入(や海賊出版)の努力を続けてきたからという側面が強い。そういう個人の努力に頼っていては大規模商品である映画などの本格的な輸出は難しいので、売り方を改善せんといかんという話はあるわけだ。
そこでたとえば、かつてJETROがそうしたように現地の需要を調査するとか、展示会・商談会を組織するとか、資料の翻訳や整備を支援するといった売り方の問題を支援すれば産業規模が拡大するのではないかというのが現在の政府のコンテンツ政策の基礎にあるのであって、つまりそれはマンガ・アニメが弱いから庇護しましょうということでもなければ商品の内容に文句をつけようという文化政策でもないのである。まあそもそも「文化的な領域の産業は、国の庇護下に入らないで自立していくのが基本」とか偉そうなことを歌舞伎や能や文楽やクラシック音楽や陶芸や美術をやっている人の前で言えるのか、というあたりから始めても良い話ではあるのだが。
あるいはハリウッドに対して「日本がもう一度文化的植民地にされているぐらいの危機意識を『右』が持たないのは『左』のぼくには奇妙」だと述べるあたり、結局幻の「右」を相手にダンスを踊っているという点でも古くさい左翼と同一の気配を感じるのだが(たとえば私自身は日本をアジアの極東ではなく欧米の極西だと思ったほうがまだましだという近代主義者だが政治的には保守なので、「危機意識」とか言われてもさっぱり意味がわからない――まあ別にハリウッド映画が素晴らしいと思っているわけでもないが)、そこでハリウッドへの対抗軸として「アジア」が持ち出されてくるあたりにもう言いようのない気色悪さを感じるわけである。
つうかまずあんたの言う「アジア」ってのはどこのことだと聞きたいわけだが、世界的に通用する正しい言葉遣いでいうとそれはトルコから東側、日本まで全部のことである(ロシアについて言えばウラル山脈から東側であろうか)。でまあウズベクからの留学生を面接していて「なぜ日本へ留学を希望したのか」とか聞くと必ず「我々は同じアジアの国であって文化的共通性がある」とか返事が帰ってくるのだが、もちろん彼らは我々に審査される側であって我々の意識に対して迎合的であることを考慮しなくてはならないのだけれど端的に「ねえよそんなもん」と答えたくなることも事実である。たとえば彼らはイスラムであり、我々はそうではない。彼らには非常に長い肉食の伝統とその背景としての遊牧文化からの影響があり、他方我々は肉食を拒否した歴史的伝統の持ち主である。彼らの国では客人が料理を残すことが望ましく、日本ではそうではない。仮に彼らと我々のあいだに文化的共通性があるとすれば、同じくらいの共通性がヨーロッパやアメリカとのあいだにもありそうだと思うところである。
だが本質的に問題なのは、仮に文化的な共通性があるとして、だから分かりあえる、だから助けあえる、だから一つになることができると無根拠に想定されている点にある。当然ながらこれらは無茶な想定であって、たとえば兄弟や双生児の遺伝的な共通性は非常に高いが、相互に憎みあったり嫌ったり果ては殺し合いになるケースだってあるわけだ。逆に、異質であるがそれを相互に認めるからこそ協力できたり尊敬しあえるという事例も多いだろう。本来、共通かどうかということとだから手を組むかどうかというのは別のことで、その利害得失を冷静に検討すべきであるにもかかわらず、同質性幻想をもとに協調していくべきことが当然の帰結として導かれているあたり、それこそが「戦時下の思想の焼き直し」ではないかと言いたくなる。芸風なのかもしれないがこの種の気色悪い芸はもういい加減にしてほしい、とまあそういう話であった。
ところで著作権保護期間の延長をめぐって開催されたトークセッションについて報じるITmediaの記事(「著作権保護期間、作家が選べるシステムを」――延長めぐる議論再び)によれば延長派である日本文芸家協会の三田誠広は権利情報のデータベースを構築し「例えば『ネット上の再配布はフリーにする』、『死後はパブリックドメインにするが、著作権は保持するから、勝手に書籍化しないように』などと指定できるようにする」という提案をしたそうだが、仮にこの報道が氏の発言を忠実に伝えているものだとすればこいつは著作権法制のことが何ひとつ正しく理解できていないので、文芸家協会も別の人を代表として出すようにした方がいいと思う。つうか著作権の「浪人」松本零士といい、延長賛成派に馬鹿ばかりが目立つのは何かの陰謀なのかとさえ疑ってしまうわけだが、どうなのかそのへん。
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単純にネットの上でも出版の上でも同等の立場から忌憚無く内容について意見を交わせる場が育っていないと事実誤認を含みがちな意見が通ってしまうことが問題なのだと思います。
先生が突然喧嘩腰でコメントされた相手に対して怒りを感じられたり、或いは揶揄されているのはまことにごもっとも、人間の感情当して当然のことではありますが右であろうと左であろうとこれが日本の軍事に関する知識の共有(その是非はさておきですが)の出発点であることはやむをえない事実ではないかと思います。悲しいことに自分が納得できる料理の仕方でないとなかなか本は読みにくいものです。
銃剣に関する議論については銃剣が剣の立場を継ぐ者であるのか、例えば日本刀などのような精神的意味合いがあるのかってあたりに抵抗感がまずあるような気がいたします。そこから「時代遅れ」のものを筒先につけた小銃というイメージが来てるのではないかと思うのです。
もうしわけありませぬ。投稿するポストを間違えました。
続ひたぶるにうら悲しのほうに投稿したつもりだったのがこの体たらくでございます。
折角ですから大学の先生に対して恐れ多くも拙論を披露させて頂きます。ご笑覧くだされ。
「都市を飼い慣らす―アフリカの都市人類学」という本を昔読んだ記憶を頼りに引用しようという危なっかしい主張なのですけども、同質であると仮定しあうことでお互いが了解し知人としての共通の基盤を得られるという意味合いでアジアという言葉を使えるのではないでしょうか。この本の中ではケニアのナイロビに出て来た地方出身者が互いを見知らぬ異人ではなく、なにかしらを共有する者としての絆を作るきっかけとして地方の慣習を積極的に改変していくさまが描かれております。大学の先生に一般書を引いて反論するのはまことに恐縮、さらには大学の先生がやさしく啓蒙書として書かれたものを引いてくるに至っては汗顔の至りでありますが、おそらくアジアという言葉に込められているのはこのような戦略を使おう、欧州なり米国なりといった先行し築き上げた物を抱えている相手に対してどう味方を作るのかという話であるように感じられます。
国同士で友人関係を結べるのかは分かりませんが、意味合いとしてはそのようなものなのではないでしょうか。
>とん さん
「ここからはじめなくてはならない」というのはご指摘の通りの悲しい事実ですが、やっぱり改善はまず粗悪品追放から始めないといけないんじゃないですか(笑)。なお林信吾氏についてはもう不快感とか何とかいうより実験動物を見るような目をしています。ある意味面白い。
あとすいません、銃剣の話は私には良くわからんのでするならJSFさんのところの方がいいと思います。
もう一つの話、それなら仮定する共通性は「同じ人間同士」でいいと思います。それだって人間という「種のエゴイズム」ですけどね。
ああ。
大塚さんは多分「「文化的な領域の産業は、国の庇護下に入らないで自立していくのが基本」とか偉そうなことを歌舞伎や能や文楽やクラシック音楽や陶芸や美術をやっている人の前で言える」ある意味困った人だとは思います。
反米がきしょいというのはそのとおりですね。
>いなばせんせい
……それはそれで筋の通った方なので立派だと思います。お付き合いしたくはないですが。
あと反米は別に構わないでしょう。私もあの国の政策が気に入らなくなることは結構あります。イヤなのはむしろべたべたしたアジアとの同質性幻想の方でして。はい。