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かんづめちゅう
書く書く言っていたものがぜんぜん書けていないので自主的に謹慎中でありましたが、ようやく1本提出することに成功。まだ受け入れられるかわからないのと、しばらく置いてから見直そうと思っているので手を離れたわけではありませんが、一服です。なおタイトルは「根元的規約主義は解釈改憲を放縦化させるのか?(仮題)」であってええとそのなんだ「しらんがな」とか言っちゃいけませんか。
つうか私の考えた題名ではないわけであっていかにも向けられそうな疑念かなと思うところはあるが、しかし基本的に「こうとしか考えようがありませんよねえ」といって根元的規約主義に至っているわけであって、そうすると不都合なことが起きますと言われても困るというか、目をそらしても事態が解決するわけじゃないだろうと思うわけである。遺憾ながらそれで終わらせると諸方面から怒られることが容易に予測できたので、自分なりに生じ得る事態に対する考え方を書いてみたわけではあるのですが。
なおこの間もちろん他の仕事もしていたのであって、修士論文の審査はまあそりゃ仕事だから仕方ないと思うし(しかし英語論文の方が多いというのはちょっと疲れる)、日本法教育研究センターがらみで調整に追われていたりしたのもまあやむを得ないと思うのだが、モンゴル・ウズベクと名大を結ぶテレビ会議システムのメンテや動作確認をなぜ私がしておるのか。そのへんの技術面を担当していた講師が1月中に退職したため他にわかる人間がいなくなったというのがどうやら敗因らしいのであるが、器用貧乏とはまさにこういうことではあるまいか。ぐれてやる。つうか引き継ぎリストに1行「→大屋先生」とか書いていなくなるんじゃない。>前任者
ところで1本終わっても書いていないものはまだあるので当面謹慎は続く模様であります。とりあえず状況のご報告でした。
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