ひたぶるにうら悲し。(2・完)

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さて林信吾『反戦軍事学』(朝日新書)について、前回は著者の議論の全体的な問題を指摘したのだが、そこで挙げた例は歴史の問題であって軍事ではないと、言えばまだ言えるかもしれない。したがって以下では軍事に関して気付いた問題点を指摘するが、第一に私の専門も別に軍事ではないので兵器に関する位置付けとかデータについては間違っていたとしてもわかっていませんということと(逆に言えばそんなアマチュアにツッコまれてしまう本が「軍事学」を名乗るのはどうかという問題なのだが)、第二にあくまで管見の範囲で、覚えている問題点をいくつか挙げるにとどめるという点を注記しておく。

兵器について。自衛隊の装備は国産にこだわっているので価格が高く(ここまではほぼ事実)、だから政治家たちが国防のことを真剣に考えているはずはない。他国で不要になった装備を大量導入するなどして価格を下げればよいではないか、というような主張をしており、つまりこの方、機械類は整備がかならず必要だが質の高い整備のためには製造技術・設計情報などごと自前で握っていることが望ましく(必須とまでは言えない)、兵器の場合には壊しあいをするので整備・修理の能力をどれだけ自前で抱えているかが重要だということをどうやらおわかりではないらしい。だがさらに問題なのは、どうやら兵器を野菜かなにかと勘違いされているらしいことであって、スーパーに行けば誰にでも同じ価格で売ってくれるようなものではないことがわかっていない点にある。つうか、戦闘機売却に関する連邦議会での審査とか、ニュースで読んだこともないのだろうか。

軍事という局面において、各国家はいわば「同業他社」であり、分業体制の成立する関係ではない。ライバル社から「おたくの半製品を安く買わせてもらえればウチの経営が改善されるんだけど」と言われてその半製品を安く売ってやる会社がどこにあるだろうか。あるとすれば(a)別の半製品について安く供給を受けることとのバーターが成立する とか、(b)拒否するとライバル社が安くて質のよい代替品を開発して市場を奪う可能性が高い とか、(c)同業他社だが経営統合を進めていて同一資本に属する(ので分業関係が成り立つ) といったケースに限られるだろう。ところで(a)(b)はそのライバル社も高い製品開発・供給力を持っていることが前提であり、兵器の場合にこれを実現するためには日本も競争力の高い一部の兵器分野に特化して輸出まで含めた生産力を持つ必要があることになる。(c)はたとえばEU/NATOが近い関係だろうが、日米関係の現状でもこのレベルには達していない(*1)ことを考えると、さらにアメリカと緊密に連帯して同一の軍事行動を取ることが必要になる。どちらにしても著者の主張と逆の結果になることは言うまでもない。

階級と組織については、かなり大胆な断言に満ちていて心配になったが、媒体を考えればある程度の単純化は正当化可能な範囲であると思われる(たとえば明らかに陸軍のことしか念頭に置いていない(召集されたら誰でも二等兵から始めるんですってよ奥様(*2))、とか)。しかし将校と下士官・兵が強く分断された別々のグループなのだという指摘は(高等教育修了者であっても二等兵として召集してから幹部候補生制度で下士官・将校に起用した旧帝国陸軍にどの程度あてはまるかというような問題はあるにせよ)まあいいとして、兵からスタートすると准尉までしかなれないがそれは称号みたいなものだというような書き方はちょっとどうか、たとえば日本軍の場合それは何年から何年までの陸海軍どちらにあてはまるのかとは思った(この部分、正確には覚えていないのでもう少し正しい記述だったかもしれないが、いずれにせよごく一部の軍隊のごく一部の時期にしか該当しない記述ではあったと思う)。

全体に、とりあえず旧日本軍の話なのか各国の軍隊の相場の話なのかがきちんと区別されておらず、というか階級ひとつ取っても各国陸海軍各時期でばらばらであって相場というものがきちんとあるのかどうか不確かであり("captain"がどの階級だか言ってみろ、というのは私が外書講読で学生をいぢめる定番の一つである)、それがわかっていればとりあえずモデルを一つ決めてその話を基礎に据えて書くと思うのだが、そのあたりが明示できていないわりに将官の上には元帥という階級があるが日本軍の場合正確には階級ではなくて一部の大将に与えられた称号であるとか余計なことが書いてある。元帥に触れるなら日本の場合それが「終身現役」であったということと、現役・予備役の別を説明しないと意味がわからないと思うのだがそれは書いていない。まあWikipediaでも読んでまとめたのかねえ、体系的な勉強をしたことのない人の文章だねえという感じである。

未来予測の部分では要するに格差社会の負け組が軍隊に行くという筋書きなのであったが、さきごろアメリカで軍人平均の方が全社会平均よりも高校時代の成績・教育水準ともに高いし、「良い家庭」の出身者が多いというデータが発表されていること(*3)や、戦前の日本において甲種合格で兵役に行くことが名誉と看做されていたことも多かった点とどう整合するかという問題もあろう。

軍事に関する点以外にも、自衛隊員が被選挙人になることができず、政治活動を厳しく制限されているのは彼らが軍人だからであって、そうでないとすればこのような制限こそ憲法違反になるだろうというような主張もしており、どうやら著者は一般職の国家公務員も被選挙人になることができず、政治活動を制限されていることを知らないらしいのである。見た範囲ではほぼ全編がこのレベルの議論であり、私がおなかいっぱいになってしまった理由がおわかりいただけるものと思う。

***

はっきりと言ってしまえば、今まで逃げていたからこそ目立たなかった人材不足が、なまじ勝負しただけにはっきりと示されてしまったということになるだろうか。マガジン9条が始めた『教えて!山田先生 -短期集中軍事講座-第1回』なる企画に初歩的なレベルの誤りが非常に多いことは、「週刊オブイェクト」(カテゴリ: 教えて!山田先生)でも指摘されている。今まで自分たちが不勉強だったことのツケを払わされているのだということをきちんと自覚して勉強しなおすべきだというのがこの人々へのアドバイスであるが、山田朗教授にせよ林信吾氏にせよ何故か自分の正しさを確信しており、間違いを指摘されても詭弁で逃げようとするタイプらしいので(このことは山田教授については明確に示されており、林氏については文章の構造から推定したものである)どうにもならんのだろうなという気もする。

繰り返し書いていることだが、世の中には直らないタイプの人というのがいる。そういう人々に対して我々ができることは、せいぜい彼らが世間に出てこられないように努力すること、出てきても彼らの言うことを信じるものがいなくなるように努力することに過ぎない。朝日新聞社が、林氏の著作が真に良いものだと信じて世に出したのであれば私としては「もっときちんとしろ」という一言である。そうではなく、レベルが低いのはわかっているが左派の人々からはこの程度のものでもカネがかっぱげるのだと思って刊行したのだとすれば…………すべてはひたぶるにうら悲しい物語である(*4)。

(*1) たとえばイージス・システムについては供与されなかった部分があり、日本側独自開発で補完したりしているはず。
(*2) これもどこの国のいつの時期の話かを特定しないとどうしようもない話なのだが、戦前の日本における一般的な話として言えば海軍に召集される場合もあり、その場合は四等兵からのスタートになるはずである。
(*3) ただしこれについては、「リベラルたちの偏見」を批判するために出されたデータである(したがって党派的な発言ではある)こと、若干結果の数字の出しかたに不自然な点があること、たとえば「貧困層」の中のまだマシな部分だけが軍隊を通じた社会的上昇を狙うことができるがそれ以外は放置されるような状況(「貧困層が軍隊に追いやられる」のよりさらに苛酷な状況)であったとしても同様の数字が出てくるのではないかという懸念に注意しておく必要があろう。
(*4) もはや秋にはあらねども。

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