日本法哲学会(1)

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今年度の日本法哲学会学術大会が11月25・26日に開催されたので行ってきました。会場は青山学院大学、統一テーマは「法哲学と法学教育:ロースクール時代の中で」であります。

まずは分科会なのだが正直マジメに聞いたのは稲田報告・横濱報告のみでありまあこれは同門のよしみ。横濱報告についてはご当人の会場到着が遅れて我々が多少はらはらしたことを除けば問題もなく、というか氏の遵法責務に関するこだわりが私にはよくわからないところではあるのだが(私はそれは単なる事実上の問題に過ぎないと思っている)、とにかく猛烈に勉強をしている方であって造詣の深さについては私なぞの及ぶところではなく、全体に「そういう議論があるのか〜」と関心しながら聞いていた。まあ準備段階などでもう何度も聞いている話題だから、という理由もあるのだが。

前に戻って稲田報告。身内だから書く、というところもあるのだが聞かれたことに一向に答えない質疑応答ってのはどうかと思った。内容についても問題は多い。第一は私が質疑で指摘したことなのだが、グローバル・シティズンシップだか何だか知らないが制度構想がさっぱりわからないことであって、なんか国籍とかにこだわらずにみんなで幸せに暮らせたらいいよねえと聞かれればそれはそうに決まっているのだが、それは天からマナが降ってきてみんなが飢えずに暮られるようになるといいよねえというのと同次元の話であって、夢物語なら新興宗教でも作って語った方がよろしい。社会科学者の仕事というのは(と書いてこのメンタリティがどこまで法学以外の分野に共有されるかが不安になるところもあるが)有限な資源の範囲内で実現可能な最善の選択肢は何かを考えるところにあると私は信じるわけだが、その点から稲田報告を見た場合の特徴は肝腎のシティズンシップ概念というのがどのような権利なのか、いかなる場面でどのような権能を持つものなのか、その侵害に対してどのような救済を与えようとするものなのか、云々というような制度構想がまったく存在しないことである。

この点については数年前にも某研究会で指摘したのだが、一例を挙げればつまりそれは長期居住の事実をもとに地方首長・議会に関する選挙権を与えましょうという国内制度として実現可能な構想とどこがどう違うのかという問題であり、聞いても答が返ってこないので一向に判然としないのだが、正体の見えないものの実現可能性とか正当化可能性とか論じる意味がねえだろうと、年来思い続けているわけである。

第二はシティズンシップのゆらぎなんてえものが生じている地域が世界の何程を占めるのかという問題であり、多民族国家だろうが国境の壁が厳然とそびえている地域もあればそもそもゆらぐようなシティズンシップが存在していない地域だってあるわけである。ラオスの山地に住む少数民族みたいに国家への帰属意識もなければ国境の観念もないので現在ただいまそのあたりを強化して国民国家建設nation state buildingの真っ最中ですという地域もある。なんかヨーロッパあたりで揺らいでるから世界的にもゆらぐよねえという感じの議論に私としては90年代初頭の電子民主主義論(インターネットを通じて世界規模の直接民主政が実現するんだ!)と同じニオイを嗅ぎとるわけで、自分たちの周囲と同じことが世界中で起きてるに違いないと思いこむアメリカ西海岸的世界観はいかがなものか、というモノイイの背景はまあこういう話である。まあ最近「モンゴルやラオスにもその理論が適用可能だと思いますか?」系のコメントで議論をかきまぜるという芸風が定着してきていて問題だ、とは自分でも思っているのだが。

第三はまず師匠が先に質問していてさすが師匠とか思ったが、結局それはグローバルな活動に参加できる先進国の市民にのみ大きな権力を与えることにならないかという問題である。別の言い方をすると(まあ私は師匠より悪人なので)、そういう「能動市民」と参加への資源を持たない「受動市民」の二層構造を前提として前者の後者への干渉を無制限に肯定する「新しい帝国主義」ですね? という感じである(なおここでいう「帝国」はオスマン帝国とか中華帝国のイメージであろう)。

もう一つ、これは師匠の指摘の裏返しだが、国家間のシティズンシップの障壁を低くしましょう、という提案をまっさきに歓迎するのはアフリカあたりの「失敗した国家」の支配者集団だろうなとも思った。だって政治腐敗によって築いた財産を持って先進国に逃げていけばいいわけで、残された国民のことは先進国の心やさしい「帝国市民」の方々が面倒見てくださるわけでしょ? なんかものすごくdisgustingな光景だ、と私には見えるのだがそうは思わない人もいるらしい。

でまあ、つまりは善なる意思に基づく行動が善い結果に結び付くとは限らないという話なのではあるが、なぜそうなるかといえば制度構想がないから、という最初の論点に戻る。第二点・第三点は適用可能性と副作用の問題を指摘しているわけだが、これが杞憂に過ぎないのか、現実にある程度問題になるのか、致命的なのかといったようなことは具体的な制度としてどのように組み立てるかと無縁には検討できないわけである。そこが一向に出てこないので、何を言われても「いやしかし理想はすばらしいですよねえ」を繰り返すしかなくなっているのだということを、いい加減自覚してもらってもいいのではないかと思う次第である。(2007.01.03公開)

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