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教員稼業の特殊性(1)
「そもそも教師にサヨクは多かったのか? そしてもし多かったのだとすると…」(Apes! Not Monkeys!、bewaad Institute経由)、なかなか面白い着眼点だなと思ったけど、論点に大きな欠落があるのでこのままではダメな議論だろう。例えば仮にアメリカの小中高教員に黒人が有意に多いというような事実があったとして(あくまで例であって本当はどうなのかぜんぜん知らない)、それは何故か、という問題ならこれでいいんだけど。
と書けば簡単にわかるように、人種は変化しない(ある人を何人と呼ぶかというカテゴリーが変動することはあっても遺伝的な特徴が変化するわけではない)のに対し、政治信条は変動し得る点が問題である。
つまり仮に「他の職場に比べて学校にはサヨクが多い」という経験的事実があったとして(これ自体検証すべき事実であることは措く)、それを説明する仮説としてはApeman氏の検討している(1)教師になる人間にはサヨクが多い 以外に、(2)他の職場ではサヨクが淘汰される というものを考えることができ、これはさらに(2a)他の職場ではサヨクの離職率が高い と、(2b)他の職場に長期間いると政治的立場を変えることが多い に分割することができよう(もちろん逆側の可能性 e.g. 学校に長期間いるとサヨクに変化することが多い も考えられるのだが、煩雑なので片側だけを挙げておく。また、「サヨク」の語は元エントリが用いているのでここまでそのまま使ったが、以下価値中立的に政治的信条の違いを示す際には「右派」「左派」を用いる)。
有名なわりには誰が言ったのかいまひとつ判然としない言葉、「二十歳までに左派でない人間は心がない。二十歳を過ぎて左派である人間は頭がない」というのは、左派であり続けることのできる条件が学校環境には存在するが「実社会」にはない、ということを示唆している(念のために言うが、左派であることが規範的に良いかどうかはここでは問題にしていない)。すると一般的な「会社」と「学校」の職場としての性質に(サヨクであり続けることができるかどうかを左右するような)大きな違いがあるかというのがポイントになるだろうが、私見によれば、それはある。というか、私自身は学校から出たことのない人間なので「実社会」については伝聞になるわけではあるが、その限りで考えても職場としての学校にはかなりの特殊性があるという気がする。
(1) 権力関係が少ない: 第一の特徴として、上司・部下の関係とそれに伴なう権力行使が少ない点が挙げられる。普通の企業では上司がいて職務命令を受けながら働き、そのうちに部下を持って指示を与えながら仕事をするようになり、やがて管理職になるわけである。何歳でどのあたりかというのはそれこそ会社規模や文化によってだいぶ異なるだろうが、22歳で就職すると30前にはなんか肩書きがついて部下が発生し、35歳とか40歳で課長になって管理職扱い、というのが一つのモデルにはなるだろうか。
これに対して、小中高の管理職というのは校長・教頭にほぼ限定される。彼らも個々の教員に対しては全般的な監督ができるだけであって、具体的に日々の授業内容をチェックしたりはしていないし、できない。校長・教頭になる教員の数は限定的であり、その道を選ばなければ管理職経験を持たずにキャリアを終わることもある。
大学については理系と文系、文系でも文学・教育系と法学・経済系でだいぶ文化が違うのだが、法学・経済系ではやはり助教授以上は独立した研究者であって日常の業務遂行にあたって一切他からの指示監督を受けないと言ってよい。その一方、これは誤解されることが多いかもしれないが、事務の方々というのは教員の部下ではない。事務官さんたちにはもちろん指揮命令系統があるわけだが教員はそこに含まれておらず、彼らに対して教員が業務遂行上の指示を下すということは基本的にない。まあ俸給表上で換算して「格上」「格下」といった比較ができないわけではないだろうが日常的にそんなことを考えているわけでもなく、系統の違う人たちなのでもれなく敬語で「お願い」、というのが少なくとも私の場合の振る舞い方である。50歳も過ぎて学部長にでもならない限り管理職に就くこともない、というのが大学教員のキャリアパス。小中高教員と同じく、職場における権力関係の経験が乏しいという点を、普通の職場との違いとして挙げることができよう。
(2) 権力関係にある: 第二の特徴は、猛烈な権力を行使しているという点である。第一の特徴と矛盾するように思われるかもしれないが、ここで権力の対象になっているのは同じ「職場」を構成する人間ではなく学生・生徒のことだ。最近は状況が変わってきているという点を留保するが、しかし逆に言えばそれまで教室において教員は絶対的な権力者であり、不公正・不適切な権力行使があってもクレームを圧殺できる(あるいは被害者の側で自発的に圧殺する)ような立場にいたわけである。実例はApeman氏が挙げている通りであり、氏はリベラルと政治的左派をやや無警戒に等置するのでだから教育界はサヨクだらけと言われるのに納得できないと言われるのであるが、マクロな権力を非常に警戒する人々がミクロな権力に無自覚な例など枚挙に暇がないので別段不思議でも何でもあるまいと思う。
(3) 成果がはかりにくい: 第三の特徴は、仕事の成果を測定することがかなり難しいということである。これについては普通の会社でも総務・人事・経理などの部門では同じことだと思われるかもしれないが、それらの場合に困難なのは数量的な評価であって、仕事相手・上司・同僚などの意見に基づく質的な評価は十分に可能である。これに対し教員の場合は仕事の多くが孤立した状況で行なわれていること、そこで相手にしている学生・生徒とのあいだには権力関係があることから、そのようなピアレビューを行なうことも難しい。
結局のところ、教員の仕事というのはかなり孤立的な環境で、他者からの監視・干渉を受けにくい状況で行なわれているという点が特徴的だと思われる。それが良心的な教育を実践するために一定の意義を持つことも踏まえるべきだが、他方、政治的信条の左右を問わず体育会的体質の持ち主やtrue believerにとって非常に快適だ、というのも事実であろうと思われる。この話、つづく。(書いたのは20日ですが公開は22日になりました。)
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あ、そうかShawのオリジナルからの「心がない」と「頭がない」の部分が誰の手になる書き換えか、という話だと確かに来歴不明ではあるような気がしますね。Churchillだという説もあるようですが。こっちのヴァージョンだと以下の通り。
"Anyone under 30 that is a conservative has no heart. Anyone older than 30 that is a liberal has no mind."
>法の無思慮氏
やあ。heart/mindのバージョンなのですが、Churchillという説にはあまり根拠がないらしいので上記の通り判然としないとしておきました。