区別しよう。

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今日の朝日新聞。「昔は静かな場所だった。まつられている人とは関係ない人が騒いで、雰囲気が悪くなった」……マスコミとか?(挨拶) まあその、今日は移動日だったので夕刊以外には目を通していないしこの問題にはさしたる関心もない。というか最近仕事が忙しいせいもあって新聞をあまり読まなくなっている。もちろんインターネットのサイトでニュースには目を通しているが、それ以外にどの程度必要かなあと時々自問している。紙面にあってサイトにない(あるいは乏しい)のは(1)各ニュースの価値付けと(2)分析だろうが、(1)は自分の中にあればいいような話でもあり(2)はそもそも信頼に値するものではなく。まあ元気なときにはヲチするのもいいが疲れているときに相手するべきものでもないよな、という評価が定着しつつある。それが日本のマスメディアやそもそも民主政と言論についてどうか、というような話はまた元気なときに考える。

さて、というわけで別の話。夕刊文化面に「境界線で」という連載記事の第4回「パクリとオリジナル」が掲載されており、前にどこかで言ったが実家は読売に転向してしまったので以前の回を読んでいない。読んでいないが少なくとも今回は出来の悪い記事だなあと思った。その主たる理由は概念整理がきちんとできていない点にあろうと思う。

先行作品と似た作品を作る、あるいは先行作品の中の一定の要素を再利用することを、ひとまず価値中立的に「模倣」と呼んでおこう。注意すべきなのは、ひとくちに模倣と言っても以下のような3パターンが考えられることである(*1)。


  1. 先行作品と同一であることを主張しているが、適切なライセンス取得を行なっていない場合(ただのり)。
  2. 先行作品が存在することに言及・注意せず、模倣を含む自己の作品全体がオリジナルであると主張する場合(パクリ)。
  3. 先行作品が存在することを前提として、その要素を利用することで先行作品に対する一定の評価・感情を表明したり(オマージュ)、批評的な効果を表現しようとする場合(パロディ)。

ここで(1)については契約関係と不正競争防止法の問題なので除外すると、著作権に関連して問題になる模倣は(2)の「パクリ」と(3)の「パロディ」ということになるが、この両者については(現実的には若干難しいことがあるものの(*2))上記の通り概念的には明瞭に区別できると考える。つまり、「パクリ」の場合には先行作品の存在に気付かれれば無断利用がバレるのでそれを隠蔽しようとするが、「パロディ」は先行作品の存在とそれとの差異を前提にして始めて表現として機能するので、それが先行作品であること・それとの類似性を隠蔽しない、どころか基本的には明示しようとするということである。類似性を隠蔽する「パクリ」と差異を主張する「パロディ」と言っても良い。差異を主張するためにはその対象に読者(表現の受容者)が気付いていなくてはならないのだ。

もう一つ「パロディ」の特徴としては、先行作品と共通している部分(同一部分)と異なっている部分(差異部分)がなくてはならないという点がある。同一部分がなければ先行作品に対する指示・言及として機能せず、差異がなければ異なる表現として機能しないからである。従ってしばらく前に話題になったスーギ氏の絵の場合、差異がほとんど存在しないので当事者がどう言おうがパロディではない、あるいはそう機能していないと判断できる(*3)。パロディはこの差異部分において必ずオリジナリティのある創作であり、それは作品が模倣を基礎に置いて成立しているとしてもそうなのである。あるいはむしろ、どんなにヘボでも自分で一から描けばオリジナルの絵になるというのと比較した場合、差異部分だけでオリジナリティを主張しなくてはならないパロディの方がより高度の創造性を必要すると言っても良い。

この両者は著作権の観点で見ても異なった機能を持つ。というのはパロディの場合には「戻りインセンティブ」(と私が呼ぶもの)が発生する可能性があるのに対し、パクリにはそれが欠けているからだ。例えば手元の平野耕太『ヘルシング』7巻(少年画報社 2005)の巻末キャラクター紹介を見ると何故か「山守義雄 通称天政会初代会長」から始まっておりいやもちろん本編には登場しないのだが『仁義なき戦い』シリーズを知っている人間に対してはこの唐突な登場がパロディとして機能するわけである(*4)。しかし戦後も遠い昔であって最初の映画『仁義なき戦い』の公開は1973年、実は私もまだ生まれていない。最近の読者の中にはこれが何かのパロディを意図していることはわかっても何を参照しているのかわからないという層がいるだろうことは確実である(*5)。その中には「まあいいや」と思ってほおっておく人間もいれば、オリジナルを調べるために『仁義なき戦い』のDVDを借りに行ったり買ったりする人間もいるだろう。後者の場合、パロディを契機としてオリジナルに対する新規の需要が生じ、オリジナルの創作者に対して新たなインセンティブが発生したわけである。先行作品に対する言及は(先行作品の著作権が存続している限りにおいて)インセンティブをも戻らせる可能性がある。繰り返すが、これはパロディが先行作品の存在とそれへの言及を明らかにしているから可能な事態であって、関係を隠蔽している「パクリ」にはこのような機能はない。

もちろんこれは「可能性」である。パロディが創作されることによって実際にどの程度の「戻りインセンティブ」が生じるかは状況によって異なるだろう。ちょっと話は変わるが深夜にテレビのニュース番組をぼんやり見ていたら折から開催されていたらしいコミックマーケットの話題になり、「専門家」として西川りゅうじん氏がコメントしていたので仰天した。私には氏についてバブル期の経営評論家という程度の印象しかないのであるが、マンガでもパロディでも著作権でもいいが、そういうものの専門家だとは寡聞にして知らなかった。で、その氏がコミックマーケットの暗黒面だか何だかとして著作権侵害にあたるようなパロディが横行しているのを出版社側が黙認している現状があるという趣旨の発言をしており、その種のパロディが著作権侵害にあたるかどうかについては法的に結構議論が必要ではないかとも思うが今は措く。ポイントは、パロディが著作権侵害なら侵害で、なぜ出版社が黙認しているかという点にある。出版社もあほうではないのであるから(そう信じる)、黙認するからにはその方が有利だという価値判断があるはずではないか。

相手が無数におり被害金額が細かいので訴訟が経済的に成り立たないというのは一つの候補だが、あまり事実に合致していない。そういう部分も確かにあるが、かなりの部数を出版・販売し高額の利益を挙げているサークルが少数ではあれ存在していることは周知の事実である。そういったところを狙い打ちにすれば訴訟単独で引き合う可能性も高いし、一罰百戒的な効果も期待できる。なぜ、そうしないのか。黙認した方がもうかるからという可能性はありそうだ、と思うわけである。もちろん同人誌がいくら売れても先行作品の著者に金銭が直接支払われるわけではない。だが上記の「戻りインセンティブ」を考えればどうか。朝日記事の中では田村善之先生の「オリジナルの売れ行きに影響しないほど改変が進んだ場合は問題ない」という言葉が挙げられているが、単にマイナス効果がないだけでなくプラス効果をもたらす場合もあることを考える必要があろうと思うわけである。

さて最後に村上隆氏の「DOB君」が模倣されたケースについて。正直に言って私は氏の「芸術」にあまり関心がないし、たまたま目にしたものに限って言うと面白いと思ったことがないが、しかしこのキャラクターが例えばミッキーマウスの醜悪な模倣であり、かつそのことによって一定の批評的効果を示そうとしていることは明らかだし、それを氏自身としても隠していないと思うわけである。従って上で説明した分類によればこれは「パロディ」であって起源を隠蔽する「パクリ」とは異なるし、独自のオリジナリティを持っていて保護の対象となるのも当然だ、と思われる。この両者を区別せずに「模倣だ」というだけの理由でごっちゃにして論じるから特権がどうのオーラがどうのというボケた議論になるのだと思うが、まあこれ以上はまた悪口になるからやめておこうと思うわけである。

(*1) 「いんすぱいあ」とかむずかしい話はとりあえず無視する。
(*2) もちろん当事者の意図をどのように推定するかという問題もあるが、例えば誰も知らないようなマイナーな作品のマイナーな部分を模倣して、ほとんどの人間がオリジナルだと思い込んで観賞するのだが具眼の士だけが「あ、あれか」と気付く、そういう読者の選別装置を作者側が意図的に組み込むような場合もあるよねという話。
(*3) 念のために言うと、差異部分が作品の置かれた社会的文脈に限られる場合というのも想定可能だとは思う。何を言っているかというと確かデュシャンの『泉』だったと思うが、物質的なモノ自体は商品として市販されているものと変わらないわけで、それが芸術という社会的文脈に移されたことが差異部分であり批評的機能を持つということになろう。
(*4) 各巻のあとがきにほぼ毎回登場するので従来からの読者にとってはあまり唐突ではないという話もある。むしろ繰り返しギャグの類であろうか。
(*5) ちなみに大学教員というのはこの種の世代間ギャップに直面しやすい職業ではないかという気がしており、とりあえず新入生がもうソ連を知らない(正確には、知識として知っているがビロード革命以前をリアルタイムで見ていない)というのは心臓に悪かった。講義で使っているドラえもんネタがいつまで通用するものか、実はかなりどきどきしている。

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