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雑感

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先日買った中華せいろが大変に便利で蒸し鳥だの蒸し野菜のサラダだの手作りシューマイだのに大活躍中。サイズが大きいと中身の取り回しが楽で、今まで茹で鍋兼用の簡易蒸し器に苦労してどんぶりを突っ込んでいたのが馬鹿らしい。なんでさっさと買わなかったかと思うわけだが収納場所が本棚の上というあたりにその原因があり、つまり収納スペースの問題である。中華鍋の乗っている本棚というのもなかなかシュールなものがあるわけだが、というわけで雑感。

とりあえず朝日新聞は法律用語を正しく使って欲しいという話。6月8日の社説「ドミニカ移民 国は謝罪して償いを」だが、「判決は政府を厳しく批判したものの、移住者の請求を退けた。損害賠償を求めることのできる20年を過ぎていたという「除斥」を棄却の理由に挙げた。」とある部分、正しくは「除斥期間」である。「除斥」という用語は除外する・排除するといった意味で、例えば清算手続において期間内に届け出のなかった債権を配当対象から除外する場合(権利の除斥)、裁判官が事件当事者と特殊な関係にあるために公正さに疑念が生じるとして職務執行から排除する場合に使われる用語で、サ変動詞である。一方「除斥期間」は特定の権利について法により定められた存続期間のことを指すが、期間が経過した権利は消滅するのであって、存在するが排除されたり除外されたりするのではない。この事例の場合、適用されているのは「除斥期間」の法理であって「除斥」の規定ではないし、除斥期間が徒過した場合に権利が「除斥」されるわけでもない。書く前に調べろ、とは言いたいところである。

論旨についても問題はある。「除斥期間」の規定を適用しないこともできるのだから東京地裁は踏み込むべきだったというのだが、同じように時間経過によって権利を消滅させる制度でも一定の事由で中断が認められる「時効」と異なり、そもそも「除斥期間」は絶対的な効果を持ち、中断することもなければ当事者の援用も不要とされていた。不法行為については民法724条により20年で権利は消滅するのであり、それ以前に訴訟提起しない限りもはや保護は受けられないというのが大前提である(出訴時が基準なので、それ以降の裁判にどれだけ時間がかかったかは、この点に関しては問題にならない)。平成元年12月21日最高裁判決は、不発弾処理を手伝ったところ警官の不適切な指示による爆発に巻き込まれて負傷した原告の国家賠償請求を棄却している。この事件では補償を求めたところ役所の間をたらい回しにあったなどの事情があったことから原告側は除斥期間の主張が信義則に反する、または権利の濫用であると主張したが最高裁に退けられた。除斥期間は(時効と異なり)当事者の主張によらず成立するので、権利の濫用にあたる余地がないとされたのである。第三者から見ても気の毒な事例だが、最高裁は法律関係を早期に安定させることの重要性を具体的な救済よりも重視したと言うことができるだろう。言い換えれば、「権利の上に眠るもの」を保護すべきではなく、被害者の側も確定した法律関係を作ることに対する責任を負っているという判断である。

もちろんこの判決に対しては批判も強く、のちに例外的判示がなされる。それが社説も言及している平成10年6月12日最高裁判決(集団予防接種の副作用をめぐる事例)だが、これは除斥期間の経過前後に被害者が心神喪失状況にあったにもかかわらず禁治産宣告が行われておらず、従って後見人による訴訟提起がまったく不可能であった事例であることに注意する必要がある。判例のいう「著しく正義・公平に反する場合」が念頭に置いているのはこのような場合だし、またその場合にもごく限られた期間の猶予しか認められていない。つまり判例は時効に関する民法158条の規定、「時効の期間の満了前六箇月以内の間に未成年者又は成年被後見人に法定代理人がないときは、その未成年者若しくは成年被後見人が行為能力者となった時又は法定代理人が就職した時から六箇月を経過するまでの間は、その未成年者又は成年被後見人に対して、時効は、完成しない。」の趣旨を除斥期間にも適用し、後見人就任後6ヶ月に限ってその成立を猶予している。

今回の事例ではどうか、もちろん具体的な判断は証拠に照らして行われる必要があるので断言はできないが、報道によれば60年代から帰国した人々による責任追及が始められていたということであり、だとすればその時点から訴訟提起が可能になっていたのではないかと考えられる。実際にその間、国会議員に対する陳情や日弁連に対する人権救済申立なども行っていたとのことであり、にもかかわらず訴訟提起だけが不可能だったと判断するのは難しい。中断を認める時効の場合であっても、そのためには「請求」すなわち訴訟提起その他の裁判所が関与する手続を必要とする(単なる請求である「催告」には完全な時効中断の効力がない)。それすら行われていない今回のようなケースで除斥期間の適用を排除するのは無理だと、まあ報道の範囲を前提とする限りはそう思う。

ではなぜ社説のような意見が出るかというと、気の毒だからだろう。そのことを否定する気はない。この原告を救済したほうが正義にかなうのではないかという意見は理解できる。しかしそういう主張をする人々が見逃していると思うのは、法律関係が確定し、それを我々が信頼して行動できるということの価値である。除斥期間制度を維持した場合の損害は原告たちに集中して生じ、だからそれに同情する人々が多数でることになるわけだが、その損害を回避すれば「期間経過によっても法律関係が確定せず、いつ覆されるかわからない」というリスクを社会全体が負うことになる。それを本気で背負う気があるのならそういう主張をしても構わないが、とは言いたくなるところである。念のために言うと原告の被害を救済すべきではないというつもりはない。やるとすればそれは立法によって行うべきだと、これはまあ社説の結論と同旨でもある。


エレベーター圧死事件に関して製造元会社の対応が批判されているようであり、まあ正直メディアスクラムとはどっちもどっちとか思わないでもないが、しかしこの会社が日本での商売のやり方を理解していないという点は確実であるように思われる。日本的ルールの善し悪しはまた別問題としてあるわけだが、とりあえずこの会社が日本でシェアを握れていないのは不思議でも何でもないな、と。とはいえ官公庁や公共施設では結構普及しており、私もさきほど本学部のエレベータを確認しに行ったところ国産メーカだったのでとりあえず一安心。ただしもちろん、あまりたいした根拠のある話ではない。

条件に合致する範囲で安ければ契約獲得、という入札制度には長期にわたる安定性や信頼性、品質の評価がしにくいという問題があり、典型的な「安かろう悪かろう」問題が生じ得る。例えば西村淳『面白南極料理人 笑う食卓』(新潮文庫)にはこういう事例が出てくる。筆者は南極越冬隊に参加して主として炊事などを担当した人だが、越冬期間中、食料調達の一切できない状況で全隊員が頼る食料のなかに粗悪品としか言いようのないものが混ざっていたという。川に戻って遡上し始めたことを示す黒い縞々の婚姻色がはっきりと出た二束三文のサケ(粗塩でうろこごと模様をこすり落としてごまかしてあるが、「処理のまずさから、血合いが残り、その生臭さが身にじわりと乗り移り、カサカサ」)、塩水をたっぷりと添加することでヘナヘナの身を強引に凍結させた冷凍貝柱。これらはいずれも、入札により調達された予備食であった。隊員の食卓金で賄われる「調達食料」は信頼できる業者との交渉で買い込むのでこんなことはないのに……という話。「サケ」という条件で入札にかければ、粗悪品でも何でも「サケ」であれば審査は通ってしまう。それを利用する業者というのは、まあいるわけだ。

念のために言うと、だから入札よくないよねえと単純に言える問題でもなく、随意契約が腐敗の源泉になることも非常に多いわけである。しかし、だからといって入札であればいいというものでもなく、上に挙げたような品質面の問題が生じ得るし、それを防ぐために要求諸元を厳密に規定しようとするとそれ相応の能力が発注側に必要になるので行政コストが上昇し、それでもがんばって「これなら大丈夫」という仕様を確定するとそれを満たせる企業が一つしかなかったりして結局怒られる。なんかやっぱり行政というのは「怒られるゲーム」なんじゃないかという気がだんだんしてくるわけだが。なんかこう、いい方法はないのかねえと、あちらこちらでそういう話をしていたり。


ちなみにさきほど挙げた『笑う食卓』とその前編である『面白南極料理人』(新潮文庫)はいずれも名著であって、つまり人間が行為する際には膨大なインフラストラクチャが必要とされるのだということを思い起こさせてくれるわけだが、苛酷な環境の中でいかにして少しでもましなメシを用意するかに苦闘する筆者の姿は、真剣であるだけになおさら愉快である。もちろん、傍からはそう見えるだろうな、と意識しながら書いている著者の余裕がユーモアを成立させる重要な要素なのだが、その一方で任務の達成とか生活の維持というようなことに対して著者が抱いている猛烈なコミットメントを無視するべきではない。それが必要であると思えば著者は、事務官や業者やその他の障害とケンカしながらでも調達してくるのである。ユーモアとは単に相対化する視線からのみ生じるものではない。

『笑う食卓』の方は具体的なレシピも豊富だが、いずれも大ざっぱであって大変にうまそうである。もちろんこれは誉めているので、コストだの手間だのを考えずに美味を追求するのも悪くないしそういうものを食べるのも好きなのだが、そんなこと家庭でできるものではないと言えば別に家で作って食べるわけではないと言い返されるだろう。しかし私自身は自炊派なので適当に手間をかけて適当にうまいものを作ることをポリシーとしており、いわば食におけるコストパフォーマンス派である。その観点からはどのレシピも魅力的なのだが、特に「楊貴妃の涙」と名付けられた一種の皮なしシューマイが簡単でうまそうなのでぜひまた挑戦しようと決意しているところなのである。蒸し器の大活躍、継続中。

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TK さんのコメント (2006年6月 9日 19:46):

地裁判決について一言。
私は、本案解決に必要のない判断を判決で行うのは問題だ、と思っています。理由は2つあります。一つは、不意打ち、一つは、判決理由の誤りを理由とする控訴が認められていないこと、です。
不意打ちですが、この判決が典型なのですが、法律的に(法律家の目から見て)明らかに勝訴となる事件では、勝訴する側は関係ない争点について力を入れないことはままあります(相手方が、関係ない争点について力を入れていたとしても、傍観するか、または、「まあ、言いたいことを言わせてあげておこう」と悠長に構えるでしょう)。もし、本案解決に関係ないことが判決理由で述べられるなら、訴訟当事者は、全ての争点について、全力をもって対応しなければならなくなります。何故なら、主文では勝訴、でも、理由では敗訴、という自体を避けるには、勝訴を勝ち取るために必要のないことについても、神経を張りつめて対応しなければならないからです(しかも、裁判官が交代するたびに、裁判官の関心に気を配って、適切な対応をしなければなりません)。
第2の判決理由についての控訴を認めなければ、地裁の裁判官はやり放題だし(公式参拝違憲訴訟で、主文で国を勝たせて、判決理由で違憲意見を述べる等が例)、主文で勝訴した側は、判決理由で「実質敗訴」となっても、その敗訴部分を争うことができないからです。これは、現在の民事訴訟制度の根幹に関わる問題だと思います。

次に、シンドラーエレベーター事件ですが、マスコミの首尾一貫性のなさを表す事件だと思ってます。
だって、シンドラー社がいかに安値受注をしていたかの例証として、入札結果を報道し、国産メーカは○○万円台なのに、シンドラー社はそれよりも○割も安く受注していたのです、的な報道がなされてますが、当のマスコミは、つい数ヶ月前までは、これと同じ事象を、業者の談合の現れとして批判していたと思うのですが。

TK さんのコメント (2006年6月18日 23:32):

今日も、朝日新聞で面白い記事を発見しました。
「お年寄り「寝耳」に増税 住民税の老年者控除全廃」
2006年06月18日03時06分
です。
何故、これが面白いかというと、そんなこと税制改正の中で随分前に分かっていた事だからです。
もちろん、当の老人に税制改正の中身を理解しろ!というのは酷かもしれません。でも、マスコミには分かっていたはずです。
では、何故、今、こんな事が起きるのか?それは、マスコミが税制改正の中身を、国民生活に与える影響という点で報道してこなかったからではないでしょうか?税制改正という痛みを伴う事の報道は、政府の発表を垂れ流すのではなく、生活者の観点から、翻訳して報道することがマスコミに求められているのではないでしょうか?今になって、「寝耳に水」というのは、要は、マスコミの報道が手抜きであったことの証明ではないでしょうか?
でも、もしかしたら、朝日新聞は税制改正の報道の中で、キチンと報道してきたかも知れません。でも、それなら「寝耳に水」ではないでしょうし、それでも、「寝耳に水」だとしたら、自分達の報道の無力さを反省すべきではないでしょうか?

住基ネットの時もそうでしたが、法律ができて、さて実施しようかな、としたときに「○○という問題がある」という報道が多いように思います。それが、PSE問題の様に、突然明らかになったのならさておき、「そんなこと、法案読めばわかるだろ」レベルのことですら、実施段階で、さも今分かったような報道が多いように思います。

日本は、制度について、運用しながら手直ししていく、という発想が乏しい様に思います。一方で、初めから完璧な制度を求め、他方で、制度に欠陥があっても、一度導入した制度は直さない、という傾向があるように思います(前者の典型は、国会論戦。十分な審議をしてないのに採決するのは議会制の否定だ、と言うのはよく聞くが、なら、カンガルーやギロチンがある英国議会は議会制を否定した議会なのでしょうか?後者の典型は、消費税。消費税の最大の問題は、簡易課税方式であるのに、それに手を付けないで居る)。

問題を見抜けないマヌケな報道と、自分のマヌケを棚に上げて批判する報道、そして、欠陥を許さない風土、欠陥があってもそれを認めない風土。
こういう日本で、今までとは違った事を行おうとすれば、
小泉氏の様な人間が必要なのかな?と思ったりします。

なんか、脈絡がなくて、済みません。

otiak さんのコメント (2006年6月23日 22:07):

おおやせんせいの手料理を食べてみたいなぁと思ってみたり。

件のエレベータについては、そもそもなんで基本的なフェールセーフが付いてなかったんだろうかと言うのが気になっているところであります。扉が開いているときは動かないような仕組みを仕込んでおこうなんてことは、学生にでも考えつくような話だと思ってたのですが。

それ以外の部分は入札にしてもメーカの対応にしても正直どこにでもある話という気がしていて、マスコミがことさら取り上げるのが正直理解に苦しむところで。
いやまぁ、商売だからと言われればまぁそうなんだろうとは思うのですが。

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