領域と関係

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朝日新聞の社説(「君が代判決 教育に刑罰は似合わぬ」)がゆかいだったらしく早速あちらこちらでいじられているわけですが、根本はまあここだよなと。

 しかし、教育のプロである教育委員会や高校が、学校で起こった問題をすぐに捜査機関に委ねようというのは安易ではないか。そうした教える側の態度は、生徒の目にはどう映るだろう。
 元教師のような行為を二度と許さないというのなら、相手とじっくり話し合って解決の道を探ることもできるはずだ。

じゃあおまえは宅間守が小学校に侵入してきたのに対して「じっくり話し合って解決の道を探る」のか

「教育」というのが特殊な関係であり、一般社会の規律をただちに適用すべきでない場合があるという原則自体は、私も承認したい。問題行動を起こした生徒が(私の場合は学生ですが)いたとして、単に警察に通報するとか、学校という場から排除すればいいというのではなく、適切な指導を通じて改善への努力をするべきだと、ここまでは認めてもいい。もちろん努力にも限界があるし、だからといって公序良俗に反する「かばい合い」(いじめの対象に重傷を負わせた場合であっても警察捜査への協力を拒否するとか)が許されるべきではないとも思うが、しかし「学校」というのは特殊な部分社会であって国家介入を控えるべき場合があるとは認めたいのである。

しかしこの社説のダメなところがどこかというと、その「学校」概念を空間で捉えていることである。学校という場所で起きたら特殊な取り扱いをすべきだというなら、先に述べたように不審者が侵入してきた場合にも教育的に説得すべきだということになる。類比的に言えば「言葉のチカラを」信じているらしい新聞社の人間であれば自らの領域に入り込んできたいかなる相手に対しても言説のチカラで戦うべきだということになりそうだが、実際には赤報隊事件に関して警察の捜査に協力しているし、それは当然のことでもある。言説のチカラで戦える・戦うべきなのは言説で攻撃してくる相手に対してのみであって、それ以外の相手に対しては警察という武力に頼って何が悪い、と誰でも思うだろう。言い換えれば、相手に特別の配慮をすべき理由は相手との「関係」にあるのであり、その行為が行なわれた「領域」にあるのではない。

だとすれば、しかし、この事件で学校側が取った対応に何の問題があるかとも思うわけである。生徒がそういうことをしたのであれば、学校と(あるいは個々の教員と)その生徒の関係は教育的なものであり、教育的な手段による対応を優先すべきだと言っても良い。それはまた、「教師/生徒」という一方的・権力的な関係が暴走しないためのブレーキでもあり得るだろう。だが、ときに問題になる学校・教員間の関係というのは単なる雇用であり、学校側には教員に対して「教育的配慮」をする義務など何一つない(*1)。それともそうしてほしいと主張する教員は、自分が他者の監督下に置かれるべき「未熟な人格」の持ち主だと言いたいのだろうか。だとすればそんな人間が教員として活動していること自体があり得べからざることだから即刻辞職して教壇を去れと言いたいところではある(*2)。

だがこのケースでは、当事者はすでに退職した教員であり、学校との間には雇用関係すら存在していなかったのだから、その意味において宅間守と何が違うわけでもない。もちろん来賓だったそうなので校舎に立ち入ることが不当であったわけではない。しかしその招待は式の進行を妨害しないという信頼の下に行なわれた行為であるだろうから、それが破綻した時点でその場にいる資格も失われたと解すべきで、実際学校側も退場を求めたがそれに従わなかったことが問題とされているわけである。報道によればこのとき元教諭は「怒号を上げ」たそうで、それでも話し合うべきだというなら社説子にはぜひタイムマシンに乗って池田小学校に行き、宅間守とじっくり話し合っていただきたいと思うわけである。

なんかしかし、この人きっと「いい先生」だったんだろうな、と思うところはある。朝日の紙面では、学費に困った元生徒の口座にこの先生が何も言わずにお金を振り込んでくれたという話が紹介されていた。「先生」たるもの生徒を守るのだという責務感があふれていて、ある意味ウザいとか言われながら生徒たちが最後に頼るのはこの先生、みたいな典型的なパターンでもある(*3)。ただその、生徒たちというのはいつか成長して社会に出て行くわけだし、そうすれば彼らも一人前の「個人」であって先生が先生面をする相手でもない。そこをこの先生は勘違いしていたんじゃないか、いつまでも自分は「先生」だと思ってたんじゃないかというのは、「なんで教員を追い出すんだよ、お前」とか「怒号」していたあたりにも現れていて、いやあんた退職したんだから教員じゃねえだろう。卒業する学生たちを「これからは対等な市民としてつきあおう」と言って送り出した、というのは先日本学を定年退職された(それで別の大学に移られた)某教授のエピソードであって、まあこの台詞も芝居がかっていると思わなくもないわけだが、しかし教員たるものそういう覚悟は必要だよな、と思うわけではある。


(*1) 念のために言うとこれは「学校」の意思決定がどのようになされるべきかという問題とは独立であり、その方式がどのようなものであれ正当な手続きを経て決定された命令がある場合に、それに違反した場合のことを問題にしているのである。
(*2) これも念のために言うとここで「未熟な人格」というのは自分の行為に対する責任を負えない、「主体の論理」を担い得ないということであって、聖人君子かどうかという話ではない。私自身聖人君子では毛頭なく、というか講義でも自分が品性下劣であることを学生諸氏にきちんとアナウンスしているが、しかし自分の行動や発言に責任を取ってきたつもりではいるのである。
(*3) もちろん何が生徒のためかということを勘違いしていると目も当てられないわけだが。

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コメント(6)

朝日の社説は、日本で典型的に見られる「自分に関する事」と「自分には関係ない事」のダブルスタンダードだと思いました。
所で、学校についてよく分からないのは、
生徒が教師をなぐり怪我をさせると、警察に傷害罪で逮捕されるのに、教師が生徒を殴り怪我をさせても、頭をさげるだけ(+減給)で済むのは何故でしょうか?
あと、生徒が教師を殴ると警察が呼ばれるのに、教師が生徒を殴ると先生方が隠蔽してくれるのは何故でしょうか?
ついでに、憲法9条命!の教師達は、
武器を持たず、相手を攻撃しないことを明言すれば攻められることはない、自衛隊があるから日本は攻められるんだ、と言うのに、その教師達が勤める学校は、何故、校門を閉ざし、外部の人間の進入に備えるのでしょうか?

こんにちは。

社説のような意見にいらだちを覚えることが多いです。こういう人たちは「悪気は全くなかった」とか、「日頃から生徒思いで○○というハートウォーミングなエピソードがある」とか、そんな別の話との抱き合わせで、緊急事態におけるどうしようもないボーンヘッドを過度に免責したりしますが、しかしながらそうしたムーディで「円満」な解決の裏には忘れ去られたり取り残されたりしていて受けるべき保護を受けられなかった人が必ずいますし、また、こうした解決を好む人種は通すべき筋を通して異議を申し立てる人に対して裏で不当な攻撃すらします。貴殿はそれを批判しておられるのだと理解しております。
少々荒っぽい言い方や言い回しも敢えてしておられるのも(私はどれも全く「荒っぽい」と思いませんが)そうした異議申し立てには必然だからですね。私もやってます。頑張りましょう(笑)。

>TKさん
え〜、私の認識では、生徒が教師を殴っても教育的指導で済むのに教師が生徒を殴ると懲戒免職+刑事罰コースなんですが。もちろん、そもそも殴るなという話が根本ですし、言及されたような隠蔽の事例もたくさんあった(し今もある)のは事実なんですが、一応教育現場にいるものとして言いますと昔に比べて学生生徒の地位がきわめて改善されており、場合によっては行き過ぎているとも思います。教室は権力的空間、というのは教員が警察的権力を行使できることを前提にしているわけですが、その行使を禁止する学校とか、学生の授業評価アンケートを匿名制にするのはいいとしてその結果を教員の待遇に直接反映させる大学とか、まあバカな話をよく聞きます。
後段のご質問についてはですな、申し訳ないのですが私の能力では彼らの思考経路をトレースするのは無理なので、当人たちに聞いてくださいな。あたしゃ「俺が殺されるくらいなら相手を殺す」と講義で明言しちゃう教員なので。

>bunさん
ども。そういう話もよくありますね。師匠である井上達夫の「弱者」論(既得権益を握る自称「弱者」によって本来の弱者の権利保障が損なわれるという指摘)を思い出します。

このような記事を見ました。
私の認識では、普通の人間がこんなことやれば、
傷害と逮捕監禁で逮捕→懲戒免職、だと思うのですが、
学校の先生だと、停職で済んでしまうようです。
多分、良心的な教育委員会だと、
停職→辞表→依願退職(退職金支給)でしょうが、
非良心的教育委員会だと、
停職→復職→何にもなかったように勤務
だと思います。
専門職としての教師の自浄能力はないのでしょうか?

県央部の県立高校の30代男性教諭が、先月17日のダイビングの授業中、見学していた3年の男子生徒(17)の
顔面を素手で殴打した上、塩化ビニールパイプで頭をたたくなどし、打撲や擦り傷を負わせていたことが6日、
分かった。

県教育委員会は同日、男性教諭を停職6カ月、管理監督責任を問い校長を戒告の懲戒処分とした。

県教育庁によると、男性教諭はプールサイドで見学中の男子生徒に、見学許可を取っていることを知りながら「おまえ
も男だったら(プールに)入れ」などと説得。これに対し、生徒が「意味わかんねぇ」と答えたことに激高、その場に押し
倒した。

さらに、襟元をつかんで実習室に連れて行き、鍵をかけた上で暴行。生徒は顔や頭を打撲、首や背中に擦り傷を負った
が、翌日から通常通り登校している。

ソース
秋田魁新報 http://www.sakigake.jp/servlet/SKNEWS.News.kiji?InputKIJICODE=20060607c

>TKさん
ちょっと調べました。処分については人事院の通知「懲戒処分の指針について」というのがあり、これは直接には国家公務員に対するものですが、地方自治体等の場合においても事実上これに準拠した基準が定められていることが多いので、「官」側における処分の「相場」だとは評価できるようです。
さてその通知によればですが、この例はおそらく「傷害」にあたるところ、「人の身体を傷害した職員は、停職又は減給とする。」とあり、つまり免職を認めない規定になっています。停職6ヶ月というのはこの範囲内では重い処分だという評価ができるでしょう(人事院規則によれば停職期間は「一日以上一年以下」です)。
もちろんこれはあくまで基準ですから、「個別の事案の内容によっては、標準例に掲げる量定以外とすることもあり得る」とされているのですが、そういう事情があったのかどうか。人事上の処分と刑事手続は別問題ですから、悪質な事案であれば処分とは無関係に警察による逮捕・検察による刑事訴追が行われてしかるべきと思いますが、記事からはそのような事実は読み取れません。それがなかったとすれば、まあその程度の事例であるという評価も可能ではあります。入院加療を必要としていないようでもあり、少なくとも傷害の程度が(「傷害」になる範囲の中では)かなり軽い、「にもかかわらず」停職6ヶ月という重い処分になった、という見方もできます。ここは感覚の問題でちょっと説明しにくいですが、公務員の世界で停職6ヶ月というのはほぼ死刑宣告と同義というか、事実上の諭旨免職だという感じが、私にはします。
さてこれは「官」側の基準の話ですから、「民」とその感覚が乖離している、という問題提起はなお可能でしょう。この点について言うと、しかし私は処分の公平性等については概ね「官」の方がまともなのではないかと思っていますが、セクハラ男でも営業成績が良ければ見逃されるとか、最たる例ではそれが社長自身だったとか、そういう体験談から構成された印象なのでどこまで正しいかはよくわかりません。談合事例などにおいて、たとえ刑事訴追されても「会社のための犯罪」ならば雇用が保証され、さらには栄転によって報われることさえあったという話も聞きますから、単純に「民ならもっと厳しい」とは言えない、くらいの表現にしておきましょうか。
自浄能力については、イヤな話ですが、処分権者が外部にいる(高校以下の)教員というのは比較的ましな方だと、私は思います。大学教員もその例外ではないのですが、日本の専門職で自浄能力が働いているケースを探した方が早いのではないかとさえ。主として能力の問題だったようですがオウム事例の横山弁護士とか、青戸病院の内視鏡手術などが想起されるところですね。

ご教示、ありがとうございます。
傷害って、結構、軽い扱いなんですね。早速、指針を見たところ、「18歳未満の者に対して、金品その他財産上の利益を対償として供与し、又は供与することを約束して淫行をした職員」は、「免職又は停職」で、痴漢は、停職又は減給、となっていました。
傷害と、淫行・痴漢、どちらが、より悪いのかは、個々人の価値観によるでしょうが、世間的(マスコミ的)には、淫行・痴漢の方が悪い、ということなんでしょう(信用失墜行為という面に重点が置かれているということなんでしょう)。

あと、専門職の自浄作用については、まあ、まともに機能している所が少ないだろう、というのは、(直感的に)分かるし、それはそれなりに、理解できない訳でもないのです。
ただ、それなら、専門職の中にも、どうしようもないヤツがいるという事を前提として、制度設計等をすればいいのに、
専門職に就いている人間が、「専門家」としての「高度の専門的能力」+「専門家としての倫理」を兼ね備えていることを当然の前提とした議論をするから、腹が立つのです。

専門職の自浄作用のなさを表す事件として、今日(6月23日)の朝日の夕刊に、中日新聞の健康コラムの挿絵が(全55回)盗作であった、という記事がありました。中日新聞社内の社員の行為だそうですが、雑誌や単行本で盗作があったら、その作者は干され(酷いケースだと、全作品絶版)、当該出版物は回収なのですが、新聞社の場合は、そこまでやらないようです(私としては、日々の新聞全て回収は無理にしても、少なくとも、縮刷版は回収してしかるべきだと思うのですが)。
マスコミという、著作権によって生計を立てている専門家集団も、自分のことになると、甘い、という例だと思いました。

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