お望みの結末?

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ようやく仕事が一段落して(というのは日程の決まっているものが一応片付いたという話でヒマになったということでは毛頭ないのだがあああもう新学期じゃねえか)一息ついていたらとんでもないニュースが(PSEなし中古家電、実質販売OKに 「後で検査」前提(asahi.com))。ありゃまあ。

「ありゃまあ」、というのは前にも述べた通り私はこの問題の結論自体にコミットメントはないのでどうなってもいいのだが、しかしこの「解決策」はスジが悪いなあと思うからである。つうか業界団体とのあいだではこれで手打ちということなのだろうが、反対派の皆さんは本当にこれでいいのだろうかと、そういう感じ。

現時点でもまだ詳細が経産省のウェブサイトで公開されていないのでわからない部分もあるのだが、ポイントとしては


  1. 所定の検査を受けるまでのあいだは「販売」ではなく「レンタル」とする
  2. レンタルなので所有権は移動していない。
  3. 検査を受けた時点で所有権が移動する。

という感じだろうか。しかし最大の問題は(1)の「とする」の趣旨と主語であって、第一にこれが「法的にはそういうことにします」という趣旨(看做す)である場合、bewaadさんがすでにご指摘の通り、その法的根拠が問題となる。法規範の内容に変更を加えることになるし、後述の通り所有権のありかは法的権利に違いを生じるから法律の根拠が必要だろう。だが、そのようなものは明らかに存在しないと考えられる。「PSE法は憲法違反」どころではない、この新対応に憲法違反のおそれが生じるわけだ。

となるとこれは法律的に「看做す」のではなくて「我々としてはそのように考えることにします」という趣旨だろうが、その場合の問題点はその主語が誰なのかである。「政府は」という表現が一部のテレビ報道で聞かれたような気がするのだが(確証はない)、そのように言うためにはせめて閣議決定が必要だと思うのだがそれはやってないだろう。すると「経産省は」という話で大臣までは通っているのか、「担当部局は」という話なのか、「私こと消費経済政策課長は」という話なのか。まあ最後のはさすがにあるまいが、いずれにせよ問題なのは警察・検察・裁判所はこの「考える」主体に入っていないのでそう考える保証がないわけですがという点に尽きる。「レンタル」と考えるのはいいとして本当にレンタルにするための契約書を整備するわけでもないようだし、点検までの期間も定めなければ実質的にチェックするための方法もないとなると明白な脱法行為である。「実質は売買に過ぎない」として警察が摘発する可能性というのは論理的には残る。この点、リサイクル業者の側で「レンタル」と構成しようという話においては(確か「生活創庫」の話だったと思うが)ちゃんとレンタル契約の実質があるように契約を構成していたので、それと比較してもスジの悪い脱法行為だと言える。まあ本当に摘発すれば批判は免れないだろうし(その批判がどこに向くかと考えると「やってくんねえかな」と思っている霞が関の中の人も結構いるんじゃねえかと邪推してみるが)、故意の認定あたりで面倒くさいことになりそうなのでやらないだろうと期待してはみるが。

もうちょっとありそうな話をすると、(2)からユーザの手元にあっても所有権は店側に留保されている。だとするとユーザがそれを別のショップに売れば他人の所有物を売ったということになりそうだし、他人の物なんだから担保権を設定するということもできなさそうである。店側の所有物なので故障したときには店に修理する責任があるそうだが本当にそんなことできるもんなのか、店が倒産したらどうするのか。逆に、ユーザが商売をこかして動産執行がかかるようなときにはユーザの所有物ではないので除外されるはず、と言ってみるのはいいがそんな解釈を債権者なり国税庁なりが認めるものか。どうにも問題を複雑化するばかりで本質的な解決になっていないと思うわけである。

さらに言うと、結局すべてを(法治主義の原則すら乗り越えるように)行政府の裁量で解決しているわけで、批判されていたはずの「行政裁量」がかえって拡大していることになる。これがお望みの結末でしたか?というわけだ。念のために言うと多くの反対派の人々にとってそうではなかったろうということはわかっている。しかし結局はこうなってしまった。今となってはその原因を考えるべきだろうと思うのだ。


その際にまず、やっぱり「中古は『販売』に入らない」という解釈はできなかったことを確認しておく必要があろう。第一に、経産省は実質的にはリサイクル業者の要求を受け入れた解決策を、しかもここまで脱法行為的なことをしながら認めたわけだが、それでもこのような措置が必要になるのは中古販売が「販売」に含まれるからである。これだけなら経産省がそこまで体面にこだわったという解釈も可能かもしれないが、第二にコメント欄で挙げられていた朝日新聞の社説(3月22日)も毎日新聞の社説(3月23日)も実施延期論であって、つまり「中古も販売に含まれるという経産省の解釈は否定できないが、このまま実施すると混乱するから延期せよ」というものである。第三に、民主党が議員立法で提出することを検討しているとされた法案の内容も、報道(asahi.com)によれば猶予期間を1年伸ばしてその間に再検討するというものだからやはり中古が含まれることを前提している(というかその解釈を前提したbewaadさんの提案そのままである)。通産省・小泉政権・PSE法に対する評価云々とは無関係に見方が一致しているので、やっぱり「中古は『販売』に入らない」という法解釈は無理だったと言って良いだろう。

問題だと思うのは、その無理な解釈を思い付く人がいるのは当然として(世の中法律の専門家だけではない)、それを信じ込んで陰謀論に到達したり他人を居丈高に批判する人がいることである。このあたりはまた考えてみたいところだが、既存の業界団体等において「何故気付かなかったのか」が問題だと思っているだけでなく(まあこの話が発端だったわけだが)、特にネット経由で展開された反対運動において誰も専門家の意見を聞きに行かなかったのかが非常に気になる(「この状態から考えると聞きに行ったとは思えない」という趣旨なので、誰か弁護士さんに相談してその結果をソースの証明できる形で公開したという事実があれば訂正する)。相談にはカネがかかるというのは事実であるが(ある程度……というのは無料相談がないわけでもないので)、この問題に強いコミットメントを持っていたはずの人たちであるからその程度の費用は募金でもして集めてもよさそうなものである。何故なのか。

一つには、この間のコメントのやりとりでも判明したように「ソースを確認する」ということに非常に無頓着な人々がいるからとは言えるだろう。ある証言を事実だったと前提しているのだがその内容の疑問点については確認もしていないし、そもそもそのような証言者が実在するかも疑問ではある。ネット上できちんとそれを確認するのは困難だというのは事実だが、だとすれば「ネット上の証言については信頼性を限定的に考えないといけない」という結論が出てくるはずであってだからすべての証言を信じていいという話になるはずがない。自分のリソース(金や時間)を使うだけの話なら「そうか、病気の子供はいなかったんだ」というのを「ちょっといい話」と考えても構わないが、他人のリソースを使うべく運動しておいてその話は通らねえだろうと思うわけである。注記すると原因は他にも考えることができて、例えば弁護士さんへの相談料の相場とか、相談に応じてくれる弁護士さんの居場所とか、そもそもそういうときに弁護士さんに聞くという選択肢があることとかが知られていないという可能性もある。その意味での法システムと人々の距離というのは別の問題として確かにある。

しかもこの人たちがいくら言っても聞きゃしねえよというのも事実で、法解釈についての原則はコメント欄で MORITA 氏が端的に表現された通り「法律もコンピュータのプログラムと一緒で、書いた人が思った通りに動くのではなく、書いた通りに動くもの」なのだが、私が長いこと説明を書いたあとでもまだ「中古品が含まれると明記されてない」から「含まれない」という推論をしている人がいて、具体的にはコメント欄の「なまこ」氏とかトラックバックを送ってきた「chosaku」氏とか、率直に言えば読解力がないか「自分は間違っていない」という信念をお持ちなのだと思うが後者だとすればその根拠はなんだと問いたい気分である。

読んでないが「『自分以外はバカ』の時代」という惹句の付いた 速水敏彦『他人を見下す若者たち』(講談社現代新書 2006)という本があって、しかし直感で言うとそういう人はどの世代にも一定数いるので世代論として考えると面白くない、問題はむしろそういう人々がネットを通じてつながりあい、ヤな感じのスパイラルを作れるようになったことじゃないかと思ったりする。念のために書くとPSE反対派の人たちがみんなそういう「他人を見下す」人だとかスパイラルを形成していると言うつもりはなく、ただそういう都市伝説の形成そのまんまみたいなプロセスと、学術的・専門的な検証のプロセスの違いが見えにくくなっている、中には間違って前者の方が価値・真実性が高いと思う人もいるとそういう印象である。


ついでに「chosaku」氏のblogはコメントを許容していないのでここで補足しておくと、警察庁への注意喚起について「「改めて」という場合は、以前に行われていたことを示唆しますが、かつて(たとえば旧法制定時)に、注意喚起あるいは通達の類が行われていたことをご存じでしょうか。」とお尋ねである。これは霞が関の内部プロセスの話なので知らなくても無理はないと思うが、今回のPSE法改正は内閣提出法案である(というのは衆議院のページにある「通商産業省関係の基準・認証制度等の整理及び合理化に関する法律案」(成立後の平成11年法律121号)の整理番号が「閣第95号」であるところからもわかる)。である以上当然に閣議を経ており、国家公安委員長を含めた全閣僚がその内容を知り得る状態に置かれている。閣議に提出される案件はその前に「事務次官等会議」を通過しているはずだが、そこには警察庁長官が出席している。まあここまではちょっと形式的かと思わなくもないが、実際にはさらにその前に「合議」(あいぎ)という過程があって、私の記憶が正しければ法律改正の原案は全省庁に送付されて異議がないことを確認するはずだから、警察庁が改正内容を「知り得なかった」ということは絶対にないと言える。これに加えての注意喚起があったかは内部者でない以上知り得ないし、経過から考えるとなかったのではないかと思われるが、罰則もあるし所管業界が対象になる可能性があるのだから「一般人も知り得た」とか「業界団体も知り得た」という場合よりはるかに「知っていて良かった」とは思う。

「中古も含まれるか」について大筋は既述の通りだが、「複数のマークがあると混同するから」という説明について国会が受け入れていることをどう立証できるかという点、まずその論点は引用された通り政府委員説明として議事録にも残っているところ、その後可決されたのだから「立法趣旨と結論について承認した」と考えるのが相当だろう。逆に「趣旨について異論はあるが結論のみ承認した」と考えるならその根拠が必要だろうが、修正案も付帯決議も出されていないようである。続けると経産省が2005年11月に出した文書に「来年4月から販売できなくなることもあります」と書かれている点については、経過措置が5年で切れない(それ以上続く)製品もある以上そのように表現するのも当然であって、逆に「販売できなくなります」とは(誤りなので)書けない。この時期に経産省の解釈も揺れていた証拠としては弱いし、すでに述べた通りそもそも経産省の意図がどうあったのであれ関係ない。

すると問題は「仮に法規範の内容は確定していたとしても、一般人が気付くのは無理なのでは」という点に帰着し、第一にそれはその通りだからこそ「団体」の役目が重要だとすでに述べた通りである。第二に、ではどのように救済すべきかと考えた場合、もちろん私もリサイクル業者とか趣味の人とかかわいそうだねえとは思うのだが、私なら救済としては臨時の低利融資制度の創設・検査機関の拡充・検査費用の削減など法解釈の外部での救済を考える。一方、例えば「Dworkin萌え」氏は日本の中間団体は弱く、彼らを責めるのは苛酷だという見解に立つ。その見解自体は共有できなくもないが、だとして救済としてはどうあるべきだと考えるか。さて現実にはその中間団体の圧力によって(と言ってもいいだろう)救済のスキームができたわけだが、それを法解釈としてどう評価するか。

ポイントは、新たに講じられた手段で誰が得をするか、誰が損をするかという点にある。早い段階で法解釈を確認して対応のための措置を講じていた大手業者も、あるいは逆に対応できなかったが法律は法律なので従わなくてはならないと感じて在庫を「あわてて売りに出し」た「『元』一古物商」氏(コメント欄より)のような人もこれで救済を受けることはできない。結局得をしたのは法律を知らず(それが責められることかどうかは保留して)・法律を守る気もなく・大声を挙げて経産省を批判した業者たちである。あるいはその中には、どうせそういう展開になると踏んで「『元』一古物商」氏のような人が売りに出した在庫を買い叩いた業者もいるかもしれない。商人としてはその先読み能力が立派であることを認めるにやぶさかではないが、しかし「『元』一古物商」氏よりそのような人々が保護されることを、私はあまり望ましいとは思わない。

結局こういうことである。法治主義をないがしろにして官僚の裁量が大きく効くような制度においては、その主張の正当性とは関係なく「声の大きい少数派」が得をする。一方、法律は知り得るし(団体のレベルにおいては)知るべきだということを前提にするならば、そういう知識を得るように務めた人間が得をする。政治力と知識、どちらを得るべく努力せよと言うのが少数者にとって望ましいか。

こう書くと、しかしお前も法改正という手段を提唱していたのではないか、法改正とはまさに政治のプロセスではないかと言われるかもしれない。その通りだが第一に「団体」がきちんと機能していれば緊急の法改正は必要なかったはずである。第二に、法改正のためには国会を通す必要があり、まあそれがどこまで現状の日本で本当かという議論は可能なのだが、議論は公開されるし議事録も残る。少数派の主張が正当化できないようなものであればそこを通過できないか、あるいは少なくとも記録されて政治プロセスを動かす要因になるだろうと、そう考えている。従って、現在のこの問題をどう考えるかという点についてはともかく、日本の法システムの将来をどう考えるかという問題としては「法治主義をきちんと取る」「そのための条件整備を(「団体」を含め)きちんとする」という方向性が望ましいだろうというのが私の考えである。最終的に「知らなかった人間が損をする方が、力の弱い人間が損をするより良い」と判断しているのでその限りでマッチョであると言われればそうかもしれず、まあ私としては「強い個人」であることを求める(しそのように個人を育てるべきだと主張する)「おせっかいなリベラリズム」と称した方がいいのではないかと思うが、それについては率直に認めたい。『思想』論文の末尾ではこの点に関する見解を示さなかったが、私自身のコミットメントは「主体の論理」の側にある。


最後に、「素人お断り」とか書いとけというご意見もいただいたのであるが、私はこれには反対したいところである。そう書いておけば確かに私は無用の攻撃を受けることはなく、読んだ方々も余計な手間がかからなくて良かったかもしれないが、しかしそれでもこの間のディスコミュニケーションから私は何らかのものを得たと思うし、何かを得た読者の方もいただろうと思う。上にも述べた通り、今回の反対運動の中では「中古は『販売』に入らない」のように専門家的にはまったく取れない解釈も横行していたから、素人さんをシャットアウトしたところで議論したならば「ダメだよねえ」の一言で済んで私としてはたいそう楽だっただろうと思う。というか現実にはそれが「カーテンの向こう側」で起こっていることであって、閉ざされたプロの世界で進む議論・そこでしか進まない議論というのもあり、そこでは事前審査によって「一般人」が排除されている。

しかし、ではそういう議論に触れると傷付くからという理由で目をそらしていたら一般人が幸せになれるかと言うと、見ていないところで専門家が議論をまとめてしまって、結果が明らかになったところでみんなして驚くという今回の問題のパターンが繰り返されるだけなのではないか。インターネットとかブログとかのいいところは、事前審査がなくて参加の可能性は万人に開かれており、「空気を読めば」あるいは「情報や議論の信頼性を自分自身で判断し、それに責任が取れるならば」さまざまなコミュニケーションに参加することができる点だと思う。その過程で生じるディスコミュニケーションをどのように解決すべきかという問題もあるが、常に一般人が専門家の議論に付いていかなくてはならないという話でもなく、考え落としていることを指摘するというような形の参加もあるだろう。自分たちが幸せであるためには、そういう経路から逃げているだけではダメなのではないかと私は思っており、上でも述べたがその限りでマッチョであると評価されればその通りだと思う。

またこれは専門家の側にとっても同じことであって、なんでカーテンの向こう側から出てこないかといえば一つには今回の私のようにえらいことになるからである。しかしでは隠れていれば専門家の幸せを噛みしめていられるかというとデマがデマを呼ぶスパイラルがいつのまにか発生していたりして、結局その被害を受けるのは自分たちだったりもする。面倒でも早いうちからディスコミュニケーションを解消する努力をした方が結局いいんじゃないかと私は思う。

結局問題は(これは高橋さんがよく指摘してくれることだが)いわゆる「ニセ科学」と同じで、多大なディスコミュニケーションを覚悟しつつも粘り強く努力するしかないし、そうした方がお互いに幸せだと思う。「ニセ科学」に比べると一般人の着想とか指摘が正しい可能性は高いので、なおさらである。もちろん「専門家/一般人」という軸は固定的なものではなく、私自身が一般人としてその道のプロの方から教わることもある。小さなことかもしれないが「カップ焼きそばのお湯はコンビニで捨ててくれる」というのはその一例だろう。私自身は「given enough eyeballs, all bugs are shallow」というか、ディスコミュニケーションを通じたコミュニケーションの可能性というのを素朴に信じているところがあるので今後もがんがっていきたいなあとか考えており、我ながらあほやなあと思うし某所では「ひまじん」という評もいただいたようだが、まあそういうあほおもひまじんも世の中に一人くらいいてもいいのではあるまいか(いかん、と言える人として私に仕事を頼んだ編集さんたちを挙げることができ、あああすいませんすいませんすいません)。ずっとやってると疲れちゃうのでときどきにしよう、とは思うのだが。


というわけでとりあえずこの問題についてはこんなところ。個別のコメントに対するフォローはこれからするところもあると思いますが、とりあえず朝にヨーグルトとグレープフルーツ食べただけでずっとこれ書いてて気付いたらこんな時間なのでそろそろ休みますのです。はい。

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ちょっと感動した。今、芸術的な格ゲーのコンボムービーを見たかのような気分です。インターネットってこんな凄いメディアだったんだなって。ちょっと胡散臭いですね、はい。 とい... 続きを読む

Sasayama's Weblog - (2006年3月27日 09:53)

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bewaad institute@kasumigaseki - [law][government] (2006年4月11日 05:09)

コメント(26)

えーと。率直に言えば読解力がない?

長作は旧法で中古品は含まなかったと考えていません。tbしたエントリにもそのような認識は記していないと思いますが。

旧法でも中古を含む、ということについて。 2006-03-12 17:59:46
http://ameblo.jp/chosaku/entry-10010045573.html
のエントリでも「条文上、中古品は除外されていないので、経産省が「含む」と言っている以上、含むと解釈するしかありません。困ったことに。」と書いていますし、Bewaadさんの提案を受けてのエントリ
議員立法のためのお願い文案 2006-02-23 05:19:34
http://ameblo.jp/chosaku/entry-10009378411.html
でも同様に「含まないこと」を前提に記述しています。

tbしたエントリhttp://ameblo.jp/chosaku/entry-10010274779.htmlでの質問は、旧法で中古品を含むかどうかではなく、誰がどう認識していたか、について手がかりになりそうなおおや氏の記述に関する事実関係の確認です。

初めまして。
PSE問題の一連の話を大変納得しながら読ませてもらっていました。

この問題の関連の記事は、反対派のみにむけられたものでしょうか。
でなければ、疑問に思う部分を先生に質問したく思うのですが。
お時間が許せばで結構ですので、よろしくお願いします。

もし反対派のみにむけられた(つまりそうでない人を意図していない)ものであれば、
ここでの質問は控えたいと思います。その趣旨を台無しにする可能性がありますので。

法文自体が中古を含んでいない、という論陣を張っていた人が、ネット上に、あるいは、それ以外の場所にどれだけいたのでしょうか?

匿名で、コメントを付ける人の中には見られたかもしれませんが、自身のBLOGなどできちんとそういう主張をしていた人は、あまり見受けられないように思います。

私個人としては、法律が中古を含む電気用品すべてを対象としているのは揺るがないとしても、法律自体に不備がある中で、PSE法における「製造」の定義を例えば、PL法においてのそれと齟齬を生むくらいに、行政の裁量で拡大することができるのならば、同じように、そこでの「販売」の定義を「国内で最初に流通を開始することを指す」というように行政の裁量で限定することも、可能ではなかったか? その方が「電気用品安全法の概要」における流通前、流通後の措置の説明とも齟齬を生ます、現実的にもほとんどすべての混乱回避につながったのではないか?
とは考えるのですが、法の専門家の方はどのように考えるのか。知りたいところです。

(今回の国内で販売することが確定していない業者間の流通はマークなしでもOK、とした措置は、実質、それと同等とも思いますが)

>BBさんへ。
本旨ではないがかなり遺憾なので一点だけ。

法文自体が中古を含んでいない、という論陣を張っていた人、
ここにも一人いますよ。
俺の場合は、匿名で、匿名掲示板へですが。
延々、工作員扱いのレッテル貼り攻撃を受けましたが。

ところで、BBさんは「匿名であるか」に意味を見いだしてるようですが、
その匿名とはBBさんは自身は含まれるのかな?

例えば、「アフェリエイト」を含む小遣い稼ぎのサイトに、
固定ハンドル、ホームネームで論陣を張ったから、という理由で、
匿名でないと気取られるのは困ります。

他にも、他人に自分の日常を見られたい(俺に言わすとネット露出癖のある)人もいるでしょう。
また、名前を出すのがすなわち商売につながる人。
法学者や音楽プロデューサーなんかは、プライバシーよりも実名での論陣を好むでしょう。

匿名であったからと(実際にはプロバイダへはIP晒してますので匿名ではない)、
何もやってなかったように評価されるのは極めて遺憾です。
また、それを言い訳に
「法文自体が中古を含んでいない、という論陣を張っていた人が、
ネット上に、あるいは、それ以外の場所にどれだけいたのでしょうか?」
も同じく極めて遺憾です。

こういう理由で今回のことを正当化されると、俺のやってたことは何?と悲しくなっちゃいます。
というか、俺は絶対その手の言い訳を認めません。

この問題に直接のコミットメントがなく、
上記の小遣い稼ぎがしたくもなく、ネットへの露出癖もなく、
売名の必要がなければ、匿名は必然ですし。

それともあなたは、小遣いほしさのホームネームは認めるが、
このような理由での匿名を否定なさる?

#訪問者同士の議論は好ましくないでしょうが、
#どうしても言いたかったので。
#自分勝手で申し訳ありませんが自分の発言がカテゴリ違いにならないためにも、
#先生からもこの「匿名」であるかについて、先生のご意見をお聞かせ願いたいです。

あ、完全に読み違えてる(汗
削除パスもないし、穴があったら入りたい。

どう読み違えたのだろ?
せき髄反射でレスってしまった。

「法文自体が中古を含んでいない」
を、
「法文自体が中古を含んでいる」
とどうやら読み違えてます。

け、消してほしい。というか自分が消えたい(泣

>BBさん
お願いですから、上記は読み飛ばしてください。

>りょうさん

読み違いはともかくとして、上の匿名に関する意見は、僕も理解できます。僕にしても、半匿名であるかもしれないし。

で、とりあえず、僕が言いたかったのは、「中古は含んでいない」という法解釈での反対意見が、ネット、あるいは、その他の場所での主たる論調であった、とは到底、思われないんですが・・・・ということで、掲示板などでの匿名での意見表出を軽視しているわけではないです。

ただ、コテハンでよほど頑張らない限り、掲示板などではなかなか、論陣を張る、というほどには捉えられない現実はあるかと思います。

>結局得をしたのは法律を知らず(それが責められることかどうかは保留して)
>・法律を守る気もなく・大声を挙げて経産省を批判した業者たちである。

この点について、反対していた業者が全てこの3点に該当していたと
考えるのは問題だと思います。

・法律を知らず
これは全ての業者がそうだった、と言って良いでしょう

・法律を守る気もなく
どうせ取締りきれるわけがない、そのまま売れば良い、と考えていた
店は、実は終始冷静なままでした。

・大声をあげて経産省を批判した
一番悲鳴を上げたのは、二転三転する経産省の見解につきあって、
違法行為をしないように検査機器を買い、在庫整理等で損をしながら、
経産省を批判してきた業者でした。

この3条件を反対派が全部共有していると考えると、反対した中古店は
全て悪質、不正直者であるという解釈になります。

・法律を知らず、法を守らないつもりで、騒がない
・法律を知らず、法を守らないつもりで、騒いだ
・法律を知らず、法を守るつもりで、騒いだ
これら全てを同一視しないでください。

大事になるほど取り締まらざるをえなくなります。
実は経産省の譲歩を勝ち取れる可能性は非常に低いと判断されていました。
ならば余計に、「法を守らないつもりなら、騒がない方が得」なのです。

騒ぎになったのは、法を守りたいのに守れない状態になったためです。
「法を守りたいから騒いだ」という事を理解してください。
正直者として対応しながら、騒いだ業者が多かった事をわかってください。

ここを理解すると、血を流しながら対応した業者を「正直者がばかをみない
事が大切」として余計に強硬になった事、騒ぐ業者を悪質としたことは、
「自分達の血で自分が悪質とされた」という話だと理解できるはずです。

良心のある業者が、法を守るために、血を流しながら経産省を批判していた。
それを、「批判するものは全て悪質業者」としてしまった事で、
良心のある業者がさらに傷ついた。これは認識不足のせいです。

経産省の「解釈」に集中したのは、一番の原因は時間の問題です。
「中古禁止」がはっきり言われたのが2月半ば。
もう法改正は間に合わない。解釈で行くしかない、という事です。
「本来PSEには中古は含まれないはずだ」という願望解釈や、経産省解釈への
批判は、その裏返しとして発生したものです。

もし本格施行まで2ヶ月ではなく、1年2ヶ月あれば、そんな願望解釈は
すぐに消えて、より現実的な法改正へと動いていた事と思います。
判明した時点で手遅れ、法改正が間に合わない、という追い詰められた状況が、
「中古は含まない」という願望解釈や暴動的反発を生んだわけです。

それらを批判するのは良いのです。ですが、願望解釈が生まれざるを得な
い所まで、突然追い詰めてしまった事には、問題がないでしょうか。
民の気持ちを忖度する「義務」は法的には行政に存在しない、となって
問題ないとされるのかもしれませんが。

「中古品は含まれないという根拠はなんだと問いたい気分」と仰いますが、
では敢えて申しましょう。

まず、誰それによるパブコメなり何なりをソースとし…
自分の頭で考えない人たちの増加に、社会的な危機感を覚えます。
それは直に経罪惨業商PSE問題とは関係しないのですが…とにかく、

「法的に中古も規制対象であった」というのは、詭弁に過ぎないのですよ。

なぜか?

まず、旧来から中古も規制対象であったなら、中古家電も一緒に競売に
掛けたりする裁判所や古物商を管轄する警察庁も違法行為を数十年もorz
という、まことにオカシイ、社会の根幹を揺るがすヤバい話と成ってまいりますので、
公には、「規制対象であった」としては成らない問題なのであります。

それ以前に、そもそも中古規制そのものが、社会主義国にも見られない、
公共の福祉にも値しない、世界初の異常事態なのですから、
これはもう、社会的に通用しないお話なんですよ!

わかります?(^-^)

「誰が如何言ったから、如何だ」ではなく、そういうことに成るってことは
自分から「気づく」くらいじゃないと、社会人として失格ですよ。

偏った知識やマニュアル、パブコメといったことを基にデジタル演算することしか
出来ないデジタル人間は、往々にして頭でっかち(知識バカ)で、
社会的に役立たずであることを今まで見てきました。

ここを見ても、そのことを再認識した次第です。

>りょう さん
別にそういうわけではないのでご質問いただいてもかまいませんが、反応までに時間がかかる可能性がある(さらに見落とす可能性もある)ことはあらかじめご承知ください。はい。
匿名について、私はまともな議論をするために「実名」は必ずしも必要ではなく、継続的に使用され・「宛先」(メイルアドレスや根拠となるblog・掲示板など)を持ち・つまり自分の言論に対して責任を取る意志と可能性のある「仮名」でも構わないと考えています。そういう意志のない・書き逃げのための「無責任な匿名」は許容できないという点も含めて、BB(高橋)さんのおっしゃっているのと同じような判断ではないでしょうか。

>BB(高橋)さん
とりあえずここのコメント欄には大勢来られましたし、ちょうどこの上にも来てみえるようですね。少し前まで来られていた「山崎」氏のネタ元だったらしい「PSE法逝ってよし!」(http://osaka.onigiri.name/)というサイトは今でも中古除外論のようですし、別エントリのコメントでご紹介いただいた「a site without a view」のエントリでも「本来中古品は規制対象外だったのではないかという疑問」を挙げておられますね。私自身は2ちゃんねる法学板のPSE法スレッドや私ネタのスレッドにそういう人々が何度も来襲しているのを確認しています。
これらの人がuniqueに何人いたか・登場する場所にどういう傾向があったかというのはわかりませんし、実はそこが面白い点ではないかと思いますが、そういうわけで無視できる量ではないのは事実だと考えます。
定義問題についてですが、正直に言えば「製造」の解釈もスジが悪く、立法段階できちんと考慮しておかなかった問題のツケを払っているという印象ですが、「販売」の拡張解釈はさらにスジが悪いという印象です。「製造」の拡張には「点検・整備など実質的に製造と呼んでいいような行為があるなら」というようなイイワケがあり、従って聞くところのハイファイ堂のようにかなり独自整備しているところは問題がなく、一方清掃だけで「製造」と言い張るのはやはり脱法行為になるというような判断基準が出ます。ところが新品販売と中古販売では別に商行為としても契約としても違うことはしていないので、何をもって「中古は『販売』ではない」という論拠にするかが思いつきません。
なおこれは「解釈でやるなら」という話なので、PSE法を改正して同法における「販売」を新品に限るような定義を置くという解決は可能だと思います。ただ、「PSEマークのついていない旧製品をいったん開封して『中古』だと主張する」ような脱法行為が横行する可能性がありますから、「製造」の定義を変えるとか、PSEマークをつけるための検査を妥当なものにするという解決策の方がいいのではないかと考えています。

>ATATさん
いやその、直前に「法律は法律なので従わなくてはならないと感じて在庫を「あわてて売りに出し」た「『元』一古物商」氏」の話もしているわけですからそんな読み方されても困るんですが。反対派の中にさまざまな人がいることを前提に、その中でどういうアプローチをとった人が得したかを問題にしています。

>長作さん
「合議」も含めたプロセスの件はスルーですかそうですか。認識の如何は法解釈上は問題にならず、結局救済の対象と手段の問題になるという話もスルーですかそうですか。つうか「ありがとう」の一言もないのねこの人。
私も先生生活が長くて親切が身に付いてきたから言うけどさ、正直あなたのエントリ読んでこいつクレクレ厨だなと思ったよ。そういう偉そうな口がきけるのは金を払ったときだけだというのを今のうちに覚えた方がいいんじゃないかな。
「中古も含まれると考えていた」ということならそれでいいし、ムカついたのはわかるけど、そういうときほど書き込む前に落ち着いてよく考え直すんですよ。あわてて反射するから、ほら「「含まないこと」を前提に記述しています」とかトンチンカンな書き違いしてるでしょう?

「渓慈」さんの相手は、もうしなくていいよね。とりあえず、例えばPSE法27条は対象を「電気用品の製造、輸入又は販売の事業を行う者」としているところ裁判所の競売は「事業」ではないとか、「社会主義国にも見られない」「世界初の異常事態」ってえのをどうやって確認したのかとか(ええと、ラオス人民民主共和国に中古販売規制がないことを証明してもらえますか?)、ツッコミどころは満載。じゃあね、ということで。

>「渓慈」さんの相手は、もうしなくていいよね。

何処かの首相と同じニオイですね。

>(ええと、ラオス人民民主共和国に中古販売規制がないことを証明してもらえますか?)、ツッコミどころは満載。じゃあね、ということで。

なんちゅーか、反対者への反論ありきだってことが判りました。

その話は川内議員ブログ内の書き込みがソース。
それ以前に、公共の福祉に値しない不当な規制であり
子どもにもバラせないような異常事態であることが理解できてます?(^_^)

新品用の法を無理に中古に適用して日本国を苦しめなくても、
中古用の法を作れば済む話なんだし。

ほんと、頭でっかちの輩って禄なことを言わないというのは定説にしてOKですな。

>溪慈 さん
さすがにちょっと見かねましたので、横槍を。

>まず、旧来から中古も規制対象であったなら、中古家電も一緒に競売に
>掛けたりする裁判所や古物商を管轄する警察庁も違法行為を数十年もorz
>という、まことにオカシイ、社会の根幹を揺るがすヤバい話と成ってまいりますので、
>公には、「規制対象であった」としては成らない問題なのであります。

とのことですね。旧来から中古も規制対象であるとしても、電気用品取締法施行以来、電気用品安全法の猶予期間が終了するまでの間において、販売が規制されていたものは「テレマークがついていない機器」のみです。すなわち、テレマークのついた機器を売る限りは中古だろうと違法行為にはならない。つまり中古規制=違法とは全くいえないわけですが、そのへんについてはいかがお考えでしょう?

また、私としては法には多くの人間がかかわるだけに、「法と現実とのすり合わせ」が重要になると考えております。しかしそこにはちゃんとした根拠(条文解釈なり、判例なり)が必要です。「とりあえずそうなる」では誰も納得しませんし、裁判所も支持しない。

その上で、今施行されている電気用品安全法は、解釈上どう考えても中古を含んでしまっているのです。
それが分かっているからPSE問題を考える会の代表は経済産業省に対して「コンプライアンスという観点からは法改正により対応していただきたい」と述べているのですよ。運用により見逃してくれることは理解したが、それはあくまで法の抜け穴(しかも人為的に作ったもの)にすぎず、遵法という観点からは認めがたい。ちゃんとした根拠がほしいと求めている。
そして貴方が引用元とした川内議員もその意を理解しているからこそ、「『緊急避難的』に混乱が回避された今、LAW MAKERとしてのぼく達の役割が更に一層問われる事態になっているのです。」と、緊急避難であることを述べ、今後の法改正が重要であることを主張しているのです。

貴方の発言を見る限り、貴方は彼らの努力を全く理解していませんね。中古電気用品愛好者として、非常に残念です。

>BBさん

発言の趣旨理解しました。
こちらの読み違いでの発言であるにもかかわらず、
好意的に解釈していただけて助かりました。お礼申し上げます。

匿名の不利さを十分理解しております。
しかし、同時に有利さ(プライバシーの配慮)も。

さらに匿名に付随するメリットに「気楽さ」もありますが、こちらは賛否両論あるでしょうね。

>おおやさん

質問の許可をいただきましてありがとうございます。

他の方とトーンをあわせるため、以後おおやさんとの表記に変えさせていただきますが、
他意はありませんのでご理解ください。

まず、匿名性についてですがこのブログにおきましては、
おおやさんにはこちらのメールアドレスが伝わっていることにより、
要件が満たされると思うのですが、
例えばですが、BBさんからみた自分はこの要件が満たされていないです。
もう少し要件の緩和を熱望したいのですが。「宛先」を持ちの要件の緩和を。
おおやさんの基準を下げてもらわなくとも別にかまわない問題ではありますけど。

またその要件では、当事者のどちらかが管理しない掲示板(2chも含めて)での議論で、
「まともな議論」が成立しなくなりそうです。
実際、そういう掲示板で「まともな議論」が成立しづらく、
おおやさんの言われる要件には一理も二理もあるわけですが。

脱線しましたが、本題に入らせていただきます。
一点目はスジの悪さについてです。
これは反対派ではなく、経産省からみても同じく、
「新対応に憲法違反のおそれ」か、
「警察・検察・裁判所の保証のないお墨付き」というスジの悪さがあり、
これでいいのだろうか経産省という視点を持つことはなしなのか。

つまり、このこれでいいのかを客観的な立場から反対派に求めるのは少し筋が違うように思うのです。
どちらかというと社会全体で受け入れねばならない問題にも思います。
反対派もその社会の一員であるので、その範囲において負担してね。社会も後押ししますので、であれば納得です。
お望みの結果であったか否かという側面では、反対派にむけられるものかとは思いますが。

二点目は「故意の認定あたりで面倒くさいことになりそうなのでやらないだろうと期待」について。
経産省のお墨付きのある行動に、警察・検察は現実問題として動くのでしょうか?
また裁判所は処罰という判断をするのでしょうか?
悪質性でも無い限り、積極的にお目こぼしされるべきケースに思います。
明確なお墨付きのないパチンコなんかよりも、もっとお目こぼしが必要な部分ではないでしょうか。

つまり今回の件が、経産省の独自判断、例え一官僚の独断での発言であろうとも、
官僚以上に正確な法解釈ができる一般国民であることを、
政府や司法が国民に期待するのはあまりに重きに過ぎます。

お墨付きという事実がある以上、お墨付きがないものとの比較において、
救済されるであろうことに期待してしまう自分は筋が悪いでしょうか?
警察の面倒さに期待するより、自分としてはこちらに期待できる社会であってほしいのですが。

また司法が官僚と違う解釈をした場合ですが、
官僚が解釈を間違えた以上、また正確に解釈できていた他の官僚を誰も確認できない以上、
国民がその解釈を同じように間違えても無理はない。
もともと読解不可能な法律であったとは言えないのでしょうか?
司法だけに解読可能な暗号でかかれた法律に成り下がってしまいます。
そういう解釈を司法がすることがあり得るのか。

三点目は「専門家の意見」について。
その専門家は、弁護士だけに求めるべきものでしょうか。
国会議員は含まれないのでしょうか。

司法の専門家のうち国民よりなのが弁護士でしょう。
行政の専門家のうち国民よりなのが行政書士、弁理士、税理士などでしょうか。
立法の専門家を市会、県会、国会議員と解釈することに何か問題はありますでしょうか。

某議員のブログにおいても「本来中古品は規制対象外」というコメントが散見されました。
そしてそのコメントに対し某議員は間違いとの指摘をすることなく、
毎日、日々の行動をアップし続けておりました。つまり容認ないしは黙認状態です。
反対派は十分専門家に相談している気分になり得ているのだと思います。

この某議員さんは、この法律の改正時にも賛成票を投じており、
賛成票を投じた議員自らが、行政の解釈にケチをつけるというのは、
「立法は(少なくとも俺は)そういうつもりで法律を作ったのではないぞ。間違った解釈をするな。」と
行政に詰め寄っている構図なのではないでしょうか。
これだけみるに「本来中古品は規制対象外」という判断はこの議員さんにより十分正当化されていると思います。

大量の疑問を一度にぶつけてしまい申し訳ありません。
お時間が許せばで結構です。気が向いたときにでもよろしくお願いします。

#改行の挿入方法(改行多すぎ)が煩わしいとのことでしたら、ご指摘ください。

丁寧なレスを有難う御座います。

>最後に、「素人お断り」とか書いとけというご意見もいただいたのであるが

これは私の事だと思いますが、趣旨を誤解されているようです。
以前のエントリで貴方に対して「勉強し直せ」という発言がいくつかあり、それにはあまり説得力を感じないとのお考えを読みました。
同様に、私のように法律の素人に対して「文章を読み直せ」と書かれていたのでそれは説得力がないという趣旨で書いたのです。誰が読むか分からないブログですから、極力わかりやすい表現にして貰いたかっただけの話です。
貴方がその努力を怠るということは(今はそうは思っていませんが)、素人お断りに準ずる扱いであると思ったというのが書き込みの理由です。

私はこのブログで法曹関係者に対するイメージが変わり、失望と希望が同時に襲ってきました。「失望」は、弱者の痛みに案外鈍感な所があること。「希望」は、法律家でも脱法行為を勧めることがあること。
「悪法といえど法は法」を主張されるなら、終戦直後闇米を食べずに栄養失調がもとで亡くなった判事さんのようなストイックな方が多いのかと思っていました。
古臭い人間とお笑い下さい。

>りょうさん
匿名の件、どうしても「私と誰か」のコミュニケーションになってしまうBlogのような場においては、私に対して「無責任な匿名」でなければいいのではないかと思います。加えて(例えば)BB(高橋)さんや他の方々とも議論したいという場合には、例えば自分でもそのためのBlogを開いてトラックバックを送る形にするとか、そういう工夫が必要かなと。
2ちゃんねるでは「トリップ」制度があって一応は「なりすまし」が防げますよね。そういう工夫をしている場合には結構「まともな議論」ができるところもありますが、過去のスレッドが見られなく(見にくく)なってしまうとか、継続的な議論が難しいところもあります。率直に言うと私としてはあれはブレーンストーミングや情報交換には向いているけど、「まともな議論」までは難しい(不可能ではない)なという印象です。

第一点、「スジ悪い」というのはおそらく一定の法学教育を受けたもののほとんどが感じると思います。また、これは私が最初から認めていることだとも思いますが、経産省が5年前にもっとちゃんとしていればそもそもこんな問題にならなかったはずですから、両方含めて「経産省ちゃんとしろ」と思っている人は、私のように法学の世界にも、他省庁にも、おそらく経産省自体にもたくさんいるでしょう。
私としてはそのような視点を持つのは当然であって、しかし「官僚が常に完璧であること」を求めるのは第一に実際に不可能だし、第二にかえって我々の自由をそぐので、規制者側だけでなく被規制側ももっと協力になるべきなのだ(そういう社会を作るようにみんなで努力した方がいいのだ)という考えです。なので、おっしゃるように「社会全体で受け入れねばならない問題」だという発想だと思います。

第二点、警察官ではない私には彼らの行動を予測することしかできませんが、もし私であれば摘発には乗り出さないでしょう。第一に、おっしゃる通りこの件で個々の国民に「いきなり正確に法令を把握せよ」というのは無理です(一般的に無理だ、という話もあります)。ですから例えばあらかじめ警告を繰り返して、それでもやめないような場合を「悪質だ」として摘発するような手順を踏まないと、「警察の横暴」という社会的非難を招く可能性があります。なので急に摘発するのは無理でしょう。第二に、本件では法規制自体に強い批判があり、あえてその法規制の執行を強制した場合にはその批判が警察・検察に向く可能性があります。第三に故意の認定について言うと、確か刑法理論としては「ある行為をしようとする故意があって(例えば「この中古アンプを売ろう」)、しかしその行為が違法であることの認識がなかったとしても、犯罪の故意はあったことになる」はずです。しかし例えば所管官僚の「お墨付き」があって「合法であるに違いない」と信じており、しかもそう信じることにもっともな理由がある場合にはどうなのか。
どうも「故意」に関する刑法理論の問題に触れてしまうようで、簡単に調べた限り判例はそのような場合でも故意ありとするのですが、学説は総じてそれに反対しているようです。すると仮に訴訟になれば当然この点が争点になりますし、無罪判決になる可能性もあります。で、まあこれ自体はいい話かどうか難しいのですが、日本の刑事裁判は訴えられた者の99%以上が有罪になりますから、無罪判決が出ると目立ちます。関係した検察官・警察官の経歴に傷が付きます。その可能性があってもなおこの問題を摘発するかと言われれば、私ならしません。それは第四に、捜査したり摘発したりするべき事件は他に山のようにあるからだ、ということになります。
以上は警察官・検察官が自分の損得を考えて行動する「合理的な人」であれば、という話でした。彼がさらに「良い人」であれば、おそらく摘発したい気分はさらに減るでしょう。こういう判断も「お目こぼし」に言及した背景にはありました。

第三点、議員さんたちが立法の専門家である「べきだ」というのはその通りですが、個々の議員さんがそうだとは言えないというのがまずお答えだと思います。理由は国民の場合と同じで、社会問題は山のようにあるのでそのすべてに正確な知識を持つことはできないからです。そこで現代政治では「政党」が私の述べたような「団体」の機能を果たしており、例えば法案は(自民党の場合)「部会」と呼ばれる関係議員の集会で審査され、その結果「政党として賛成する」ということになったら他の議員さんたちはその法案についてよく知らなくても賛成投票すると、そういうシステムですね。
ですから、ある政党が特定の判断をした場合にはある程度信頼できるけれど、ある議員さんの判断は、特にその判断が所属政党によって否定されているような場合、信頼に値しないと考えます。UFOについて国会質問する議員さんとか、まあ、いるわけですよ実際。
さらにいうと議員さんが「立法」の専門家だというときの「立法」というのは「ある政策目的のためにこういう手法をとるべきだ」と判断することであって、実際に法律の条文を作ることではないのです。議員さんが望むような法的効果を実現できるような法文を起草するのは官僚の人たちで、じゃあ議員さんたちには書けないかというと元官僚である議員さんもいるから無理だとは言いませんが、非常に困難です。それは官僚の人たちにそういう作業を頼めない民主党が、対案路線と言いながら数ページ程度の「法案」しか出してこれないような点に、例えば現れています。
正直その議員さんが「俺はそのつもりで作ったんじゃない」と言うとしても、法の最終的な解釈は司法府の権限ですし解釈能力を持つ人がいるのは司法府・行政府であって、彼らが「しかしそうしか読めない」と言うわけですから、「だからダメなんだ」という評価になってしまうかな、というのが正直なところです。
じゃあ弁護士は「個人」なのに大丈夫なの? という疑問を持たれるかもしれないので補足しておくと、一つは弁護士さんも大きな事務所に所属して組織として仕事をする傾向が強まっています。もう一つ、彼らは依頼に応じて必要な情報を調べた上で判断する、必要であればもっと詳しい人に紹介してそっち行ってもらうという仕事のプロフェッショナルですから、(ふつうは)リサーチ能力が高いですよ、という判断があります。

>綾重さん
他にもお一人似たようなことを書かれた方がおられました、はい。私自身が弱者の痛みに鈍感かどうかは自分でよくわからないところもありますが、「もっと強くなった方がいい」と言いたがるお節介であるという点は間違いないでしょう。しかし法律家にもいろいろいてもっと弱者に近いような方もいると思いますから、これが代表だとは思わないでいただければと思います。でも確か亡くなった判事さんはお一人だけだったか、ごく少数ですから、そのほかの方々は闇米食べてらしたんじゃないですかね。「ストイックな法律家」というのは、私が言っていいのかわかりませんが、多分に幻想なんじゃないかと思います。

>やっぱり「中古は『販売』に入らない」という解釈はできなかったことを

これは法律全体の流れ(製造・輸入事業者以外はマークを貼れない)、
11月までの経産省の解釈(電安法の概要・電安法手続きの流れ
http://www.meti.go.jp/policy/consumer/seian/denan/tetsuduki_annai/index.htm)
を見れば、再流通品がこの法律の適用外であるということを主張しておりますが、
さらに、電取法時代においても、再流通品が適用外であることを
3月29日の経済産業委員会にて、共産党塩川議員が明らかにしました。

 電気用品取締法が審議された時に販売の制限についてどのように言っていたか。
 1961年10月27日衆議院の商工委員会でタナカタケオ議員が
 
田中「この「販売」というのは新品を指しておる。それならば再生品だとか
  あるいは改善をした修理品、手直しをした修理品、こういうものについては
  販売規制から逃れるのかどうか」

政府 「店で売る限りは、ちゃんとした検査のマークが付いておらなければ売れないわけです。
  ですから、最初のものがちゃんと〒マークがついておる、それをいろいろまた修理して
  売るということであれば、一番最初にこの〒マークがついておる限りは、これはいちおう
  本邦では売ってもよろしいという形になっている」
*検査後いちど市場に出た製品は安全の確認は行われている、と答えている。

 1961年4月4日参議院商工委員会で通産省の局長が、委員会において
 電取法の補足の説明をしている。
 27条の販売制限が念頭に置いているのはモグリの製造事業者だ。

政府 「新しく製造業者だけを取り締まっても、モグリの製造業者が、あるいは
  型式承認を受けない不良品が、相当市中に出回っておりまして
  これが漏電をしたり、感電をしたりして、事故を起こしているという
  こともございますので、販売の制限をいたしまして、電気用品の販売の
  事業を営む者が、ただいま申し上げました〒マークの表示がついていないものは
  電気用品を販売の目的で陳列をしてはならない」
*つまり販売の規制はモグリの製造事業者の製造した製品の流通阻止が目的である。

電取法から電安法への法改正の主旨は検査を民間に移すことであり、同時に中古を
規制しようなどという話はどこでもされていない。そして安全基準も変わっていない。
これをもってしても再流通品が電安法で対象となると思いますか?
貴殿であれば「形式承認を受けない不良品=電安法の承認を受けていないもの」と
解釈されるのでしょうが。
木を見てさらに森を見ればそのような見解はありえないと信じますが。

それから、再度附則の50条について伺いますが、この規定で猶予が与えられているのは
規定の施行の日から起算(2001年4月以降)して、製造から販売までに通常相当の期間を
要する(一度も販売されていない新品)移行電気用品であり、法施行以前(2001年3月以前)
に既に販売が完了している電気用品は、この電安法の対象外であると主張しますが
これをもってしても、2001年3月以前に販売済みのものも、この電安法に含まれる
とお考えですか。

ええと、ですね。

おおや様が
>私が長いこと説明を書いたあとでもまだ「中古品が含まれると
>明記されてない」から「含まれない」という推論をしている人がいて、
>具体的にはコメント欄の「なまこ」氏とかトラックバックを
>送ってきた「chosaku」氏とか、率直に言えば読解力がないか
>「自分は間違っていない」という信念をお持ちなのだと思うが
>後者だとすればその根拠はなんだと問いたい気分である。

と書かれたことに対して、
「「中古品が含まれると明記されてない」から「含まれない」という推論」はしていませんという指摘をコメント欄でさせていただきました。コメントに誤記があったことについてはお詫びして訂正致します。書いた時には気付いてませんでしたが、tbを送ったエントリでも

>個人的には、「中古品販売も改正施行の段階で規制対象に含まれていた」のではなく、旧法制定時から規制対象に含まれていたと考えていますが、「法令が採択された段階で確定していること」に経産省が気付くまでに、50年近くの歳月が必要だったのではないかと想像します。

と書いています。そうではなくともトップに行けば「旧法でも中古を含む、ということについて。 」のエントリがあるし、度々引用されているbewaadさんのところのPSE関係のエントリのコメントにも長作の名前があることに気付いて頂ければ「含まれない」と推論している人という決めつけは避けられたのではないかと思いますが。

「「中古品が含まれると明記されてない」から「含まれない」という推論をしている人」に対して、読解力がないとか、自分は間違っていないという信念を持っているとか、率直におっしゃっていただくのは、この際それでいいのですが、また、長作に対して読解力がないとか自分は間違っていないという信念を持っているというような評価を頂くならばそれは真摯に受け止めたいと思いますが、少なくとも上で引用したおおや様のエントリにある長作についての記述は誤りであるかと存じます。先の指摘に対して

>「中古も含まれると考えていた」ということならそれでいいし、

とおっしゃっているということは、その間違いはご理解頂いているのですよね? 今度は「間違いですが何か?」とでも返されても困るので、愚直な言い方で恐縮ですが、訂正を求めます。

>「合議」も含めたプロセスの件はスルーですかそうですか。
>認識の如何は法解釈上は問題にならず、結局救済の対象と
>手段の問題になるという話もスルーですかそうですか。
>つうか「ありがとう」の一言もないのねこの人。

>正直あなたのエントリ読んでこいつクレクレ厨だなと思ったよ。

「「合議」も含めたプロセスの件」「認識の如何は法解釈上は問題にならず、結局救済の対象と手段の問題になるという話」はスルーですよ。間違った根拠を元に読解力がないだの自分は間違っていないという信念をお持ちだの言われていることの指摘のほうが優先です。長作が条文の法解釈としては中古販売も「販売」に含まれると認識しているとおおや様がご理解頂けたならば、プロセスの件や「…という話」を長作は求めていないことも、ご理解頂けるのではないかと期待したこともあります。そもそも長作のエントリでは、「事実関係の確認」として「かつて(たとえば旧法制定時)に、注意喚起あるいは通達の類が行われていたことをご存じでしょうか。 」「「「複数のマークがあると混同するから」という説明を国会がすでに妥当なものとして受け入れてしまっているというのも事実」の典拠はどこなのでしょうか。」の二つですから、「知らない」「長作が例示している議事録の他にはない。その議事録からそう読んだ」と答えて頂ければ十分です。せっかく答えて頂いているのに、問いとすれちがってしまっているため、そのすれちがいの理由や、読解そのものの正当性についての話をはじめると長くなりますし、おおや様の元のエントリの主旨からも遠く離れてしまいますので、スルーです。なお、プロセスの件や「…という話」について「ありがとう」の一言を求められても困ってしまいますが、その親切な心と、あれこれ書いて頂いている中で長作が尋ねたことの回答は推測できましたので、この2点については、遅ればせながらありがとうございましたと申しあげます。また、最初のコメントを付ける段階ではスルーしましたが、今晩あたり自分のブログでエントリできるかもしれません。

ついでですが
>「来年4月から販売できなくなることもあります」と書かれている点については、
>経過措置が5年で切れない(それ以上続く)製品もある以上そのように表現するのも
>当然であって、逆に「販売できなくなります」とは(誤りなので)書けない。

経過措置が5年で切れない(それ以上続く)製品もあることを踏まえるならば、「販売できなくなります」と書けなくとも、「来年4月から販売できなくなる電気用品もあります」「一部の電気用品は来年4月から販売できなくなります」と書けばそれで足りると思えますし、それが当然でしょう。

エントリを書いている段階で、おおや様に何かを求めているというつもりはまったくありませんでした。これがクレクレ厨と思われるのですから、長作としては、今後も文章力を鍛えなければならないとの思いを強くするばかりであります。

問いかけをしたのは二つ、いずれもより的確な表現あるいはあらかじめソースを示して頂いていれば避けられた問いであり、予測されるソースはこちらで用意させて頂いて曖昧な部分について確認させていただいています。わかりやすくいえば、文章の曖昧さへのツッコミです。
最後の段落のことを指すのかもしれませんが、せっかく法に関する知識と見識をもったおおや様が広くアクセス可能であるブログにおいて長文のエントリを書くのであれば、しばしば不適切な比喩を交えまるで読者をむかつかせることを意図したかのような修飾を施すのではなく、その内容が読者に伝わるように書いた方が双方にとってよいのではないかという意見をお願いのような文章として僭越ながら述べさせて頂いたものです。わかりやすくいえば、それじゃ伝わらないけど何か教えたつもりになってご満悦?というツッコミです。

なお、「お望みの結末?」の「今となってはその原因を考えるべきだろうと思うのだ。」までの段落は、余計な煽りがなく、法の専門家による見方を学ぶことができました。こちらの要望を受けて頂いての文体の変更であるかどうかはわかりませんが、これには心の底から感謝の念を込めてありがとうございますと申させて頂きます。

「「合議」も含めたプロセスの件」「認識の如何は法解釈上は問題にならず、結局救済の対象と手段の問題になるという話」についての続き。お読み頂かなくてもよいですが。
http://ameblo.jp/chosaku/entry-10010895486.html

簡単な指摘のみ。

>反対派さん
(1) 61年議事録について、その部分から見る限り田中議員は新品販売に限るという解釈で質問していますが、政府答弁はそう受け取れません。仮に中古販売がそもそも対象外だったとすれば、〒マークの有無を問題にする必要がない(なくても売れるはず)。田中議員は修理すると「新品」に戻るので〒マークを再取得する必要があるのではないかという趣旨で指摘しているようですが、政府答弁は修理であれば元々の〒マークの効力が続くと回答しており、中古販売の場合も〒マークの有無が問題になることを前提にしています。
(2) 電取法の立法趣旨が「モグリの製造事業者の製造した製品の流通阻止」にあるというのはおそらく正しいでしょうが、それはあくまで趣旨であり、法解釈をする際の参考にされることはありますが、決定的なものではありません。むしろ、表に出せば世論の反発が強いだろう規定を別の大きな「趣旨」を掲げた法案に混ぜておくというような手口もありますから(少なくともアメリカではよく使われる)、立法趣旨や概要に頼りすぎるのは副作用が大きすぎます。
(3) 附則50条の「製造から販売までに通常相当の期間を要する」移行電気用品の「販売」が、おそらく事実としては新品を念頭に置いていたことは確かだと思いますが、中古販売を含むと考えても矛盾は生じません。つまり、中古市場があってそこを介した流通期間の長い製品(たとえば「ビンテージ品」)も含まれると考えれば、話は通ります。また、この規定は「移行電気用品」に含まれる品物の*種類*を製造から販売まで通常要する期間を基準に決めますよ、というものですから、そこに含まれる品物(例えばゴム絶縁電線)の中で通常より長いあいだ販売されることもなく、例えば新品のまま倉庫で忘れられていたものがあったとして、それが「ゴム絶縁電線」ではなくなるというものではありません。ですから、この規定を根拠に中古販売が規制対象外と考えるのは無理です。

>長作さん
(1) まず先のエントリの時点で長作さんが中古品が法規制の対象に含まれることを認めていた点については認めて良いと思いますので、上記における「トラックバックを送ってきた「chosaku」氏とか」の部分は誤りであったと認めます。その点、訂正します。

(2) 「「合議」も含めたプロセスの件」をスルーされているのは間違いだと、これは指摘しておきます。つまり私が直接に回答したのは今回の電安法改正時のプロセスであり、従って直接的には長作さんの求める「たとえば旧法制定時」ではありませんが、書いた通り内閣提出法案であればすべてこのようなプロセスを経ているので、旧法制定時にもやはり制定前に警察庁への「合議」が行なわれているはずです。この点、私は霞が関の手続から「当然に」注意喚起されているという趣旨で書いていたので、それがソースであり、言及されている議事録云々は問題にしていません。
もう一つ、重要なのは彼らが法制定前に「見ている」ということであって、つまりその時点で問題に気付くか関係業界に照会していれば手間のかかる立法プロセスを再度動かすことなしに問題が解決したはずだという点です。現在のようにパブリックコメント制度のような立法前の周知が広く行なわれていない時期ですから、官報を確認するのとはまったく異なったレベルで情報が入手できていたことになります。

(3) 注意喚起の有無については、現場ではさまざまなレベルがあり、正式に書類を出して通知するようなものから担当者から担当者に電話して済ませるといったようなものまで考えられます。後者については「言ったつもりで言えていない」とか「言われたけど重要性がわかっていない」という可能性もあり、このうち国会答弁などで回答するためにその有無をきちんと確認できるものは限られていますから、質疑で出てきた回答が事実であったと考えるのはナイーブです。ただし、「あとからはっきりやりましたと言えるレベルの注意喚起」(例えば業界向けのパンフレットを作って持っていく)がなかったことは少なくとも確かであり、それだけで経産省の対応の問題点を指摘するには十分である、とも思います。

すべての議論が噛み合いません。そもそも「法の不知はこれを許さず」「知らなかった方が悪く自分で身を守らなければならない」などと
言っておられますが、法律の条文に書かれている事を知らないというのは通らないが、法律にも政令にも省令にもどこにも書かれていない

ことなど知りようがない。法律に書かれていないことまで、想定しなければならないならば、そもそも法律など必要ないですね。
「憲法違反か」との疑問に「法律が政令に委ねるとしているので問題ない」との見解でありますが、それが正当であるならば極端な話、
ある法律があり一条一項しか記載無く、そこに「この法律の内容は政令で定めるものとする」とだけしか書かれておらずとも全く法律とし

ては問題ないことになってします。

この議論が噛み合わない原因はブログ主が「法律の条文に適用除外と書かれていない以上含めると解釈するのは当然である」という持論に

全てが則っていて、この持論が唯一の拠り所としているものは「含めないという根拠が無いという前提」だけだからだと思いますね。
要は「含まないという根拠」を出しても、それを否定することに終始しているのだけなのですね。

そもそも、法律の条文に書かれていないことをどう判断するかは、社会通念、慣習、商習慣等、これまでの経緯を考慮のうえ判断する(少

なくとも裁判所ではそのような点を重視する)が、ブログ主はこの点を考慮に入れて含まれるとしているのか、いかがでしょうか。
もし、これらの事を考慮されていれば、附則50について私が2001年3月以前に既に販売が終了しているものとしているにもかかわら

ず「中古市場があってそこを介した流通期間の長い製品(たとえば「ビンテージ品」)」とか「新品のまま倉庫で忘れられていたもの」とか

いう事が飛び出してくることもありえないでしょう。

この法律を見つめるにはさきほどの社会通念、慣習、商習慣とともに、電気というもの、電気部品、そして電気製品の製造工程、検査、出

荷、そして販売、その劣化の部位、起こりうる事故の要因、等を知ったうえでなければ、ブログ主いわくの「私は古物の流通を仕事にして

いるわけではないし、私の趣味の中に今回の問題の直撃を受けるものはない・・・・基本的に利害関係はない・・・・世間の人々のほとん

どはこの問題に対して同じ程度のコミットメントしかないと思う。」のとおり、つまり大して問題とも思われない、しかしながら直接的な影響が生じこれらの

知識があったうえで、この電安法、省令、施行規則を読み知れば知るほど、この法律が中古を含まないと考えざるを得なくなるのです。

私はブログ主の逆の立場に立って、「法律の条文に適用すると書かれていない以上含めないと解釈するのは当然であり、含まれるという根

拠が無いから含めることは適当ではない」として、「含まれないという根拠が無いという前提」を外した場合、ブログ主の含めるのが当然という主張が成り立つのか、ブログ主のコメントのすべてにツッコミを入れて見ます。しばしお待ちを。

>反対派さん
それは不要です。上記で疑問を呈されたポイントはいずれも、法学教育の1〜2年目で教えられる程度の基礎知識に過ぎません。「三角形の内角の和は二直角である」のようなものでしょうか。他専門の方が知らないことを責めたりはしませんが、それに対する疑問を否定するために法学概論の講義を丸ごとする気はありませんし、またその義務もないと考えます。
もちろん、だから疑ってはいけないというわけではありません。ご自分の場所でご自分のリソースを使って疑問を呈されるのは自由だと思います。しかしながら私個人としては、素人が基本的知識の正当性を疑うことに意味はないと考えますので(リーマンは幾何学の素人ではないのです)、この場でそれ以上議論を展開しようとすることは認めません。
例えばご自分のブログで議論して、それがここを契機としていることを示すためにトラックバックを送るのは構いません。もしくは、ご自分の議論を展開されるホームページなり掲示板なりのアドレスをコメントによって告知するのでも構いません(いずれも必要な程度を越えていると判断した場合は削除の対象とします)。しかしこのブログのコメント欄でこれ以上あなたの主張を展開しようとすること、またこの処分の正当性を論じることは認めませんので、以降該当するコメントがあれば削除しますし、度重なる場合にはコメント・トラックバックを含めて一切のアクセスを禁止しますので、あらかじめご承知おきください。

詳しい解説、ありがとうございます。お礼が遅くなって申し訳ありません。
いろいろ考えるところがありまして、自分なりの考えを整理するのに時間がかかってしまいました。

第一点と、第二点はすごく納得できました。
特に第二点の「お目こぼし」については安心もできました。
法律上担保されていなくても、自然とお目こぼしされるべきものは、
お目こぼしされてしまうというカラクリがあるわけですね。
目から鱗が落ちた気分です。

自分が今回考えていたことは、
第三点目と匿名の件に少し関連しているのですが、
おおやさんが言うところの「ヤな感じのスパイラル」についてです。
これを生み出さないようにするためにはどうすればいいのか。
そういう意味で、匿名の掲示板でも「まともな議論」を成立させる必要があると思っています。

上記で述べましたが、匿名には「手軽さ」という効果が付随します。
匿名だからこそハードルが低く、誰でも議論に参加できるわけですが、
これにより専門家でもなく、さらには知識もない人が簡単に論客を気取れます。
また手軽だからこそ、無責任な発言が増えてしまいます。
この手軽さもヤな感じのスパイラルを生み出す原因の一つだと思います。
そして、この声を代弁してしまう議員までいれば、相乗効果にてもう止まらないと思うのです。

ネットがなかった時代であれば、こんな問題もなかったのでしょうけれど、
もうネットの無い時代に戻れないですから、これからいくらでも似たような問題が起こります。

そこでこの根源である匿名の掲示板で、どうやればまともな議論になるのか。
「陰謀論」に到達してしまう人はそこからでてこなくなります。
意見対立する人を「工作員」とレッテルを貼って誤魔化すのも、陰謀論の一種でしょうね。
ここで問題なのは、陰謀論に到達してる人も、
自分ではまともな論を展開してると思ってることだと思います。

本来ならば、おおやさんも指摘しているとおり「ソースを確認する」という作業が必要なわけですが、
匿名掲示板では自らはそれをしない人が多いです。
そこで、こちらから簡単にソースを確認できるような状態にしてやる必要があります。
ここまでお膳立てをすればちゃんと理解してくれる人も結構います。
そこまでするのは、あくまで自分にコミットメントのあるテーマだけですが。

匿名同士での、また議論する相手が固定されなくとも、
正確な情報を提示することで、間違った方向にいかない議論にはなります。
素人同士での議論ですし、また匿名故に罵詈雑言、誹謗中傷が入り乱れがちな程度の低い議論ですけど。
逆に言えば、正確な情報無しでほっておけば「ヤな感じのスパイラル」はどんどん大きくなってしまいそうです。
自分がやってることも匿名でのまともな議論とおおやさんに評価してもらいたく、つまりクレクレ厨です(笑)

以下の記事も似たような問題に触れています。
テーマこそ違えど、全く同じ原因によるものではないでしょうか。
「噂が噂を呼ぶブログ社会」に対し「事実を元に議論しあう基本的態度を」と呼びかけています。

これでいいのか? ブログ世界の理不尽な未成熟さ
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/y/02/

おおやさんが編集者さんに怒られますので、返事はいりません。
といいますか、これはただ自分の考えを整理しただけのコメントに過ぎず、
特に読み捨てられない部分がない限り、これに対しおおやさんはわざわざ返事をしてはいけません。
執筆優先でお願いします(笑)

>りょうさん
ご指摘の記事に関連して新しいエントリを書きました。ご覧いただければと思います。なお言及していただく前から書こうと決めていた内容ですので編集さんに怒られるのは私であり りょう さんではありません(笑)。本当です。

 どうもご無沙汰しておりました。
 お忙しい中の丁寧なご回答、誠にありがとうございました。
 ここから先に突っ込むと、話がどうしても学問的な方向に流れると思ったので事態が落ち着くのを待っておりましたが、そろそろ落ち着いたみたいなので(笑)書かせていただきます。よろしければお付き合いください。

 当エントリー並びに書き込みへのレス、興味深く拝読いたしました。ここまでの展開によって、僕の質問への回答はほぼ頂けたと思います。大雑把に確認させて頂くならば、「想定する法規範は何か」の問いには「擬制としてのリーガリズムの再構築」をもって、「あるべき状態は何か」の問いには「国家ー中間集団ー個人のポリアーキー」をもって回答を頂きました。とりわけ後者は、先生のいわゆる『思想』論文(「情報化社会における自由の命運」『思想』2004年9月25日号)における、配慮の論理と主体性の論理のあいだのバランス戦略といった観点に密接に関係しており、非常に興味深く読むことができます。

 そして、中間集団のあり方にたいする僕の指摘に対しては、将来達成すべきものとして、業界団体に責任を負わせることを通じた主体性の回復を提示されました。僕の指摘はあくまでも現時点の認識に関するものでしたが、その分、国家官僚機構による配慮が個人の主体性を弱め隷従を招いてしまう傾向(「隷従への道」)をどうするかということに関しては等閑に付しておりましたので、興味深い指摘でした。いってみれば、世話を焼きすぎることにより子供(=個人)の成長を阻害する「悪い母親」(=「配慮」の権力)の専制から脱するには、一定のマッチョな父性は必要であり、問題はそのバランスをいかに見出してゆくかである、といったところでしょうか。

 このビジョンそのものに関しては特に申し上げることはございません。僕自身、日本人はもう少し主体性を持った方がよいとは思いますし、経世会政治的な「隷従への道」が困ったものであることには違いありません。ただ、中間集団を通じた主体性の回復というビジョンは、あくまで長期的な調整を通じて達成されるべきなにものかであって、現時点において規範的・評価的意味をもって言及されるべきものではないだろうとは思います。つまり、今回の件に関連して言うならば、リサイクルショップの業界団体が存在していない時点において業界団体の失敗を問うのは、存在しないプレイヤーの責任を問うようなものであり、すこし性急なのではないかということです。

 といっても、先生はおそらくその点については既に自覚なさっていると思いますので、そこを責めるつもりはありません。しかし、現時点における無力そのものを失敗と断じるのであるならば、話は変わってきます。なぜならその場合、自己の身を守れないくらい「弱い」団体は生き残る資格がないというメッセージを内包することになるからです。「経済産業省はもっと告知をしっかりすべきだったが、業界団体もちゃんと知る努力をすべきであった」というとき、左のごとき態度をとるならば、そのゲームにプレイヤーとして参加できない「未熟な業界団体」あるいは「前業界団体的な運動体」を、現時点における無力を理由に切り捨てることになります。そうなると、リサイクルショップ業界団体のごとき「弱い団体」は、満足に主体性を獲得するチャンスも得られないうちにゲームから排除されることになります。その場合、オルテガの「弱い敵とさえ共存する決意」という言葉によって捉えられるリベラルな寛容は、一定の閾値以上の闘争力・交渉力をもつ政治主体間の「暫定協定」=強者連合の前に敗北することになるでしょう。

 この点、先生の場合、今回のような苦境に立たされた業種の人々に対しては法解釈の外部での救済を考えるべきだとされています。そこで、そうした配慮をもってゲームへの参加が担保されると解釈するならば、結果的には(!)リベラルな寛容は先生のビジョンの内においても生きのびることになりそうです。しかし、ドゥオーキン萌えな僕といたしましては(笑)、あえてもう一つ突っ込んで訊きたいと思います。先生は、未熟な中間集団の「現時点における無力」が明白である状況において、リベラルな寛容はいかにして担保されるべきだとお考えでしょうか。また、彼らについて、理論的にいかなる配慮が必要だとお考えでしょうか。

 これについて、たんに「法解釈の外部での救済」があればよいというだけに止まるならば、結局、一定の閾値以上の闘争力・交渉力をもつ強者の配慮に期待するだけにとどまってしまう、いいかえると、「悪い母親」による保護を求める状況がなおも続行することになってしまうように思われます。一方、そうではなく、「法解釈の外部での救済」もリベラリズム由来の理論的根拠から導かれるべきだという風に解釈するならば、救済のあり方にも一定の方向性が出てくるでしょう。僕はそこでロールズの格差原理を思い起こし、未熟な業界団体を一人前のプレイヤーとして成長なさしめる可能性を高めるように制度設計を見直す(ことにより分配の正義を実現する)べきだと考えるのですが、先生はいかがお考えでしょうか。

 だいぶ専門的な話になってまいりました。どのみち急を要する種類の話題ではないわけですし、読むのにも答えるのにも相当時間の掛かる話になってきましたから、編集の方に叱られない程度に(笑)ゆっくりご検討くださって、気が向いたらということで結構です。

 忘れておりました(苦笑)。もう二点だけ。

>本件について立法により救済することを私はまったく否定していないのですが、なんか業界団体(しかもリサイクル業者のではなくて、大企業も会員になっているアーティスト団体ですが)にアゲンストであることが「救済にもアゲンスト」ととられた面はあるのかなと。

 難しい問題ですが、要するに、言うタイミングと言い方に問題があったということに尽きるのではないでしょうか。PSE問題の場合、業者側があまりにも追いつめられていたので、騒動になること自体は避けがたいことでしたし、実際、エントリー「雑感」アップの時点ですでに騒動になっておりました。騒動になっていたということは、状況が幾分政治的になっていたということで、(シュミット流に言えば)あらゆる言動が敵/味方の二分法で理解される状況だったわけです。そのタイミングで先生は、業界団体の失敗に言及する発言をなさいました。そのとき先生は、ある陣営(A)からは敵とみなされることになって感情的反発を誘発し、同時に、(A)に批判的な陣営(B)から味方とみなされるような状況になりました。つまり、先生の言説は、本来コミットしない文脈に回収されることにより最初から誤解される運命にあった(!)ということができます。

 じっさい、脊髄反射とかなんとかいうのはよく知りませんが、苦境に立たされている人が狼狽するのは仕方がないとして、救済にまでアゲンストととられる契機は、むしろ理解者っぽいことを言った人によってもたらされた面がありますからね。つまり、エピゴーネンみたいな人が先生も仰っていないような勇ましいことを言っていた、その挙げ句、その責まで先生に着せられる羽目になった、ということです。(ここではそういうのは目立ちませんでしたが、他所には結構いましたね。業者個人をさして「間抜け」とか、下手をすれば「勝手に飢えろ」とまで言う人もいました。)先生ご自身はリサイクル業者の救済可能性に対して否定的ではなかったと僕も思いますが、一方で、エピゴーネンじみた言動をとる人のなかには明らかに救済を否定する人がいましたからね。(そんなもんマッチョどころの話じゃないですよ;苦笑。)こういうのを贔屓の引き倒しというのでしょう。そのことが(A)の人たちによって想像的に同一視されてしまったのでしょうね。

 やはり、きちんと先生のお立場が理解されるためには、もっと事態が落ち着いてから、「今回は仕方なかったけど、本来はこうあるべきだ」といったような調子で、あくまで提言として言われるべきだったんじゃないかと思います。


>
ところでカナ表記ですが「日本語のページを検索」byぐぐる先生、というのはいかがかと(笑)。ホームズ判事くらいならいいんですが(それでも「ホウムズ」と書く人はいるか)表記が揺れるのも面倒なんですよね。

 その手があったかー(笑)!……いやいや、知ってますよ。でないと、ドゥオーキンなど本当に困りますからね。場所によって、ドウォーキンとかドゥウォーキンとか、下手をすればドーキンとか、それはもう(苦笑)。それを考えると、言語表記の方が確実ではあるでしょうね。
 とはいえ、カナ表記の親しみやすさを捨てがたいのも事実です。ニーチェといえばわかる人でも、Nietzscheと書いたら「誰それ?」と言われてしまったりしますから。そこで中をとって、「カナ+原語」でどうでしょうか。それなら、「ドーキン」でもDworkinだとわかります。

訂正

言語表記の方が確実→原語表記の方が確実

>Dworkin萌えさん
ども。「悪い母親」の話、井上達夫が「マターナリズム」という言葉で日本社会の特性を表現していましたね。さて未熟な中間団体の「現時点における無力」が明白である場合ですが、まずDworkin用語で言うとその無力さが生得の問題もしくはbrute luckに由来するのか、optional luckに由来するのが問題となるでしょう。つまり、新規に成長した分野でまだ中間団体を組織する機会がなかったとか、何らかの理由で団体結成が阻害されていた場合には、積極的な救済が要請されると考えます。ただしそのような救済も将来的な団体結成と自律化(ゲームのプレイヤーへの復帰)を目標にすべきであり、するとやはり法治主義というゲームの最大の原則を曲げるようなことはすべきでないと思いますが。その点、「未熟な業界団体を一人前のプレイヤーとして成長なさしめる可能性を高めるように制度設計を見直す」という言い方であっていると考えます。
一方、団体結成を妨げる要因が特にないにもかかわらずそういうものがない、あるいはあっても機能していないというのは結局そのために必要な資源を他の用途に振り当てたという問題ですから、それによって生じる不利益は当事者の責に帰すべきです。もちろん救済すべき義務がなくとも政策的に救済した方がいいという場合はあり得るでしょう(ノウハウ・財産等の分散を避ける、など)。しかしその場合の救済手法としては、すでに述べたように、低利融資などの形を取ることで当事者責任を明確化する必要があると考えます。
今回の事例については、音楽業界にしても中古リサイクル業界にしても、optional luckの問題だったと私自身は考えています。後者については多くの業者が零細であるという指摘もありましたが、別にそうでなければならない特段の理由があるわけではない。やはりoptionの問題だろうと。ただこのあたりは事実認定の問題ですから、異なる意見があり得るとは思います。

さてタイミングの問題は難しくて、BB(高橋)さんからは4月1日以降だったら発言の持つ意味も違ったのではないかという指摘もありましたが、私としてはそれは端的に「無意味」に帰したのではないかという気もします。ミネルヴァのふくろうですから夜になってから飛んでもいいようなものですが、それではふくろうの存在に気付いてもらえないよねえとも思う。まあ言い方に気をつければもう少し楽だったのではないかという反省はありますね。
人名表記については、私は論文ではカナ表記が原則で初出時に原語表記を添えるという方法に(基本的には)しているのですが、まあBlogなのでちょっと見逃してください(笑)。論文ではウムラウトもアクサンも正しく表記していますが、HTMLで正しく書く方法を調べるのが面倒なので(正確に言うと調べても覚えていられないので)ここでは略記で済ませたりしてますしね。

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