On Iustitia.

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引き続きイサカに滞在中。今年は雪が積もってはいるものの降っていないくらいの温度なのでかなり楽です。さてどうもThe New York Timesに載った日本の司法に関する記事が問題になっているらしく、一部では「またオオニシか!」という反応も出ている模様。どんなもんかと思って全文に目を通したのだが、あれ、まあ細かい点で問題がないではないものの特に変な記事ではない。

全体としては日本の刑事司法における時効制度を紹介し、殺人事件が時効にかかった例や被害者遺族のやりきれなさや怒りといった反応を挙げてある種の「不思議さ」を伝えるという感じなのだが、英米の読者を想定していることを考えると「不思議」というスタンスも理解できる。なぜかと言うとイギリスやアメリカ連邦法は殺人(murder=計画性のある殺人(謀殺)のこと。故意はあるが計画性がない殺人(故殺)はmanslaughter)に対する時効を規定していない(と記事に書いてあった)。こちらにない制度があちらにあるというのは、特にそれが具体的な不利益(この場合は遺族感情の問題)を生んでいることを考えれば、とりあえず不思議に思って無理はない。

いやもちろん日本の刑事司法は英米法を継承したのではなくて大陸のドイツ・フランスといった国々の制度に由来しているんだからという話もあるのだが、ドイツは戦後に「人道に対する罪」の時効を廃止したし(典型はナチス戦犯の追及)、その後一般の殺人についても廃止している。フランスはまだあるけどね……という話もちゃんと書いてある。そもそも時効制度が本当に正当化可能なのかというのは日本国内でも議論のある問題で、一般的には訴訟経済の問題(限りある捜査能力を解決の見込みのない問題にいつまでも投入して良いかとか、時間がたつほど証拠を得る見込みもなくなるから、といったような)で説明すると思うのだが、これが本当に納得のいく話なのか。特に被害者本人や遺族にとってどうなのかと言われれば難しいと言わざるを得ないだろう。もちろん、じゃあ時効制度を廃止すればうまくいくかといえばそうでもないのが悩ましいところなのだが。

細かい問題としては例えば、時効にかかった事件が話題になるのはそういう事件が少ない=犯罪が未解決に終わるケースが少ないからではないかという点を踏まえていないことが挙げられる。とりあえず検挙率で考えれば日本の刑事司法はアメリカのものに比べてはるかに有能なわけで、「ほとんど捜査に成功するがたまに明示的に『時効』で断念する」のと「あまり成功率が高くなく、名目的にはいつまでも捜査を続けていることになっているが実際には放置される事件が多数生じる」のと、実際に国民が評価する司法制度がどちらなのかという話はある。もちろん「検挙率」というのは(検挙件数/認知件数)だから(だと思った)、犯罪が起きても警察・検察がそうと気付かなければ高くなるわけだが、まあそういう「認知漏れ」の割合が日本とアメリカのどちらが高いか賭けろと言われたらあまり根拠はないけどアメリカに賭けるな私は。エド・ゲインとかジョン・ゲーシーとかさ。もう一つ、「Justice Ministry」と書いているのだが日本の法務省は「The Ministry of Justice」だってば。そういう略記をする約束になっているのかもしれないが、組織名称を勝手に変えるのはあまり良くない。あとは明治期に日本の刑事法が手本とした国がフランスからドイツに変わった理由を普仏戦争におけるフランスの敗戦としているんだけど本当にそうだったか、ちょっと手元に資料がないので確認できない。まあこれは識者のコメントなので誤っていたとしてもオオニシ氏に直接の責任はないだろう。

さて。というわけで「変じゃない」と私は思ったのだが何故怒る人がいるのか。ひょっとしてこれかと思うことがあったので書いておくと、この記事のタイトルは「In Japan, Justice Is Not Only Blind, It Holds a Stopwatch」というのだが、これを紹介した朝日新聞の記事「NYタイムズ、札幌信金事件報道 「日本は法治国家か」」(asahi.com)ではこれが「日本の正義は不平等なだけでなく、ストップウオッチまで備えている」と訳されている。へ? 正義が盲目なのは当たり前じゃないの? どういうことかというと、例えばGoogleイメージで正義の女神であるIustitiaを検索するとわかるのだが、彼女は一般的に「公正」の象徴である天秤と「強制力」の象徴としての剣を持ち、目を覆って盲目となった姿で描かれる。盲目なのはものごとの見た目に惑わされず真実を見抜くためだという。つまり西洋の基本的な考え方としては、正義は盲目であるが故に公平なのだ。

それを前提にするとオオニシ氏の表現は洒落の効いたもので、つまり「『正義の女神は公平さを守るために目を覆っている』って言うけどさ、日本ではストップウォッチも持ってるらしいよ?」というようなものであろう。上述した通り、時効制度自体は疑問も多いものだから、こうやって皮肉られる程度のことは我々として甘受しなくてはなるまい(それが制度の見直しに直結するかは別問題として)。記事の中にも、時効制度が遺族などにとって受容可能なものかという問いかけはあるが、日本の刑事司法全体が不公正だというようなニュアンスの記述はない(と思う)。

つまり問題は、「blind=不平等」と西欧思想の常識を逸脱した思い込みに基いて訳した朝日新聞の記者の能力にあったのではないかというのが私の推測だが、さて真相はいかに。もちろん「Justice is Blind!」というのが文字通り盲目であることへの批判として機能する局面が考えられないわけでもないので、本当はどういう意図だったかというのはオオニシ氏に聞かないとわからないことではあるのだけれど。

しかし私も自分の発表前なのにこんなことしてる場合じゃないよね。やれやれ。

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コメント(5)

ええと、日本の最高裁判所の女神像は目隠しをしていないらしいです。

http://64.233.179.104/search?q=cache:mAmkyfSoVQ0J:homepage1.nifty.com/no-name/bengosi.htm+%E6%9C%80%E9%AB%98%E8%A3%81%E5%88%A4%E6%89%80+%E5%A5%B3%E7%A5%9E%E5%83%8F&hl=ja&ct=clnk&cd=8

なお、帝政モスクワの裁判所にあった女神像にも目隠しが無かったとの由。

今回はオーニシではなく、朝日の見出しの付け方に扇情的なところがあったのでしょうね。

>諏訪須知香さん
ども。「だから……」という声もあるようですが(笑)、まあ図像の知識が不十分な人が作るとそういうことになってしまうのです。天秤や剣に比べればないと恥ずかしいというほどでもないと思うのですが。目隠ししてると顔の見栄えがしませんしね。

>Baatarismさん
ども。そう思います。オオニシさんのこの記事も一定のスタンスを帯びていますが、今回についてはテクニックの範囲内であって、非難するようなものではないと思います。「扇情的」なら故意犯なのでいいのですが(良くはないかな?)、単なる無知による誤読ではないかとの嫌疑が私には強いですね。

本日夕刊で訂正が出ていました>朝日

>す さん
ども。「英文の見出しの訳が『日本の正義は不平等なだけでなく、ストップウオッチまで備えている』とあるのは『日本の正義は公平だが、ストップウオッチを備えている』の誤りでした。見出しを含めて訂正します。」(名古屋本社4版8面)だそうで、まあやっぱりオオニシ氏はちゃんと欧米の常識を踏まえて書いていたということなんでしょう。
しかし「お詫び」でなく「訂正」ということは、朝日新聞としては自社に責任のない誤りであると認識しているわけで、はて誰が間違ったんだろうか。

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