雑感

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ようやく昨日RATIO売ってる本屋さん見つけてほっとしました(挨拶)。ちなみに東京駅の栄松堂書店。ちょっと事情があってここ数日実家の最寄り駅と大宮駅の本屋しか見てないので情報源が限られていたわけですが。というわけで、雑感。


  • 情報と法というような問題を教える際に常に感じる問題というのがあって、つまり基礎知識の水準。法学部だと学生に技術的な知識がないので、例えば非対称暗号の意味を扱うのにシーザー暗号から教えないといけない(でないと何が新しいのかわからない)。逆に理系の学生が相手だと、向こうは著作権法とか個人情報保護法とかの具体的な問題に関心があるのだが、それを理解するために必要な法学の基礎が当然ながら身に付いていないので、そこから説明する必要がある。「裁判には民事と刑事があってね」というような話から始めないといけないわけで、いずれにせよえらいこと大変なのである。
  • こんなことを今言い出す理由の一つは民主党・永田議員の言い出したホリエモンのメイル問題であって、まあもちろん現時点ではわからない要素も多いのだが、とりあえず公開されたメイル(と称するもの)を証拠として信用しろというのは無理だねえというか、そもそもメイルの仕組みがわかっていればこれで何かの証明になると思うわけがないわけで、正直誰か止めるやつはいなかったのかという水準の問題である。
  • だいたいメイルのプリントアウト(らしきもの)なんていくらでもそれっぽく作れるわけで、まあそれでも現物なら少なくともその元になる情報があった(まあEudoraかWordかIllustratorか知らんけれども)ことの証拠にはなるだろうけど、一部を墨塗りして(多分さらにコピーして)公開ってあんたそんなんプリントアウトをさらに変造しても痕跡消えるやんけ。それでいったい何を証明するつもりなのか。
  • そもそも論を言うと、「AさんからBさんに送られたかくかくの内容のメイルが存在する」ことを本当に証明することは難しい。Bさんのコンピュータにそのメイルが残っていたとしても、Bさんがローカルに保存されたメイルのコピーに手を加えたかもしれないし、Aさんを名乗った別人がメイルを送ったのかもしれない。これらの可能性を排除するためにはどうすればいいかというと、後者についてはまあ非対称暗号を使って署名してもらえば、まあ何とかなる(厳密には公開鍵の使用者が間違いなくAさんだということを別に証明する必要があるだろうが)。前者は単独では大変で、ファイルアクセスのたびにその事実と改変内容を記録するような厳格なシステムの上なら、その記録がないことによって消極的に証明できるかもしれないが、もちろんそのシステムの記録も改変された可能性を考える必要がある。まあつまり、メイル単独でその真偽を確定するのは極めて難しいのである。
  • じゃあ普通はどうしているかというと、複数の場所にあるデータ・複数の場所に由来するデータを照合することで信頼性を判断する。例えば、Bさんの手元に保存されたものと、Aさんが発信の際に控えとして残していたメイルの内容が同一だったとする。両氏が別の組織に属していて管理者が別だったとすれば、双方のコンピュータの記録を改ざんできる人間は存在しない可能性が高いので、メイルの内容については信頼できると一応は判断できる。本当にメイルがその日そのときに送られたこと(AさんBさんが共謀してあとからその日にメイルを送ったように両方のコンピュータの記録を変造したというような可能性がないこと)はどうするかといえば、まず送られたメイルにはどこからいつどこを通って到達したかに関する情報(Receivedヘッダ)が記録されているので、それがきちんとあるか、矛盾していないかを確認する。で、発信・経由・受信したそれぞれのサーバにはそのたびに記録(ログ)が残っているはずなので、それらと照合して矛盾がないかどうかを確認する。すべて問題ないとなれば、やはり複数のサーバの記録を操作できる何者かが存在して矛盾なく記録を変造した可能性はごく低いと評価できるだろうから、信頼性は高いと判断できるわけである。逆に言うとそのように複数のソースに裏付けられない単独の記録は常に変造の可能性があるので証拠としての能力は低いということになる。
  • で、こんなことはメイルの仕組みがちょっとわかっていれば自明のことであって、何をわざわざ長々と書くほどのことかと自分でも思うのだが、問題はどうやらその程度の知識もない人間が証拠能力ありと思いこんだらしいという点にあり、しかしこの際より大きな問題は自分はわかっていないということがわかっていなかったらしいという点にある。人間すべてに専門的能力を持つことはできないので素人あるいはそれ以下の能力しか持たない部分というのはあるだろうし、国会議員てえのは「偉大なる素人でいいんじゃないか」(小沢一郎氏が唱えていたように行政を監視できるような専門性を持つべきだというのは無理なんじゃないか)というのは私のかつてからの持論なので、永田氏自身がそのような知識を持っていなかったことを責める気はあまりない。しかし、信頼性について専門家の評価を仰ごうと彼自身が思わなかったのか、あるいは百歩譲って国会に持ち出す前に民主党のだれかが確認しなかったのかというのが、極めて気にかかるのである。
  • ちなみに逆の話というのもあって、ネットでよく起きがちなことなのだが、何やら新しい法律ができるとかできたとかいうので利害関心を持つ技術屋さんたちが集まってその法律を読んで侃々諤々した結果変な結論に行き着いてしまうというのが典型例である。「技術屋さん」というのもあくまで例で、要は法律の素養のない人たちが集まった場合のことを言いたい。
  • 私自身が体験した例ではこういうのがあった。不正アクセス禁止法(平成11年法律128号)が審議されていた頃のこと、例えば同法3条2項1号では不正アクセス行為の一類型を「アクセス制御機能を有する特定電子計算機に電気通信回線を通じて当該アクセス制御機能に係る他人の識別符号を入力して当該特定電子計算機を作動させ、当該アクセス制御機能により制限されている特定利用をし得る状態にさせる行為(当該アクセス制御機能を付加したアクセス管理者がするもの及び当該アクセス管理者又は当該識別符号に係る利用権者の承諾を得てするものを除く。)」と規定されている。何のことかよくわからないと思うがつまり他人のID・パスワードを利用してログインするような行為を「不正アクセス」だとしているわけだ。で、これを含む「不正アクセス」には同法8条で1年以下の懲役または50万円以下の罰金が課せられることになっている。
  • で、Slashdotかどこかだったと思うのだが、まあとにかくほとんど法律家のいないネット上某所ではこの法案に恐ろしい欠陥があるという疑惑が浮上していた。なぜかというと例えばWebページにリンクがあって、なにかもっともらしい内容が書いてあるのでうっかりクリックしてしまったとする。ところがそこには実は盗んだ誰かのID・パスワードが仕込んであり、クリックした人は利用許可を与えられていないサーバにアクセスしてしまうようになっている。するとこの行為は上記3条2項1号に該当するので、クリックした人は何がなんだかわからないうちに犯罪者にされてしまう、というのだ。
  • これ、法学教育をきちんと受けた人なら一瞬で解消できる疑念である。というのは、刑法38条1項に「罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。」と定められており、過失の場合でも罰しますよという規定が明示的に置かれている場合を除いて過失による行為は刑事罰の対象にならないからである(というのは刑法の授業を受ければすぐ出てくる)。この部分は刑法の総則であって、刑法(という法律(明治40年法律45号))に定められているもの以外でも犯罪・刑罰に関する規定にはすべて適用される(というのも刑法の授業でやる)。不正アクセス禁止法には過失犯の処罰規定がないので、上記のように不正アクセスの故意がない例は当然犯罪にならないのだ。
  • しかしまあ、そういう疑惑が出てきてしまう事情は理解できなくもなくて、というのは確かに不正アクセス禁止法自体には「故意犯以外は罰しないですよ」とは書いていない。法律というのは全体として整合性の高い一つの体系を成しているので例えば同じことは二度繰り返して書かない、直接該当するような規定・法律だけを読んでも本当の意味はわからないから最低でもその分野の根本になっている法律(民法総則や刑法総則)を踏まえて読まないといけないというのは、法学を勉強すればその最初に出てくるような話であるが、法学をやってない人が非=法律家なのだから彼らがそれを知らないのはとりあえず当然の話なのである。
  • これをどうしたものかというのはなかなか難しい問題で、私の書くものがいつもそうであるように明快な処方箋など何もない(そういうものを求める人は宮台先生や西垣さんの書くものでも読まれればよかろうと思う)。これから社会がますます法化していく(というか、行政の明示的・暗黙的なコントロールが利かなくなるにつれてそうならざるを得ないだろうと思うのだが)なか、法学部に進まない人々にも最低限の法律の知識を身につけてもらう必要があるんじゃないかという話は法学部の中でもあって、例えばそれが中学・高校で法学の出張講義をするというような話にもなるのだが、はたしてどこまで普及するものかといえば心もとない。だって我々がありとあらゆる中学・高校に行って講義するわけにもいかないし、そっちの先生たちはそもそも非=専門家なんだから。
  • 問題はしかし、ほっておくとそういった「疑惑」が人づてに伝わるうちに「可能性」から「確実」「事実」へと肥大していってしまうことで、まあ掲示板とか2ちゃんねるとか電子化されて加速された口コミみたいなものなのでそういう現象の舞台になりやすい。そうなる前にどこかで専門家がそれを止めなくてはならないのだが、なにぶん相手は人数の多いことでもあり、うっかりすると炎上のタネになりかねない。何をどうしたらいいものかという話なのであった。

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「法システムへの基礎教養が不足しているかもしれなない、との件について」

 私は理系教育を受けた側の人間なので、そちらの方面から。

 一例として、「BSE牛を排除するための全頭検査」があります。副次的な効果(検査結果の持つ学術的な意義やトレーサビリティシステムの検証など)はともかく、あれで感染牛を全部取り除けるはずがなく、技術的にはほぼ無意味です。が、いくら説明したところで聞く耳を持たない人が大半。

 結局、
「検査をしないことにより自分が感染するリスク」と
「検査をすることにより発生する社会コスト増大が最終的に自分にもたらすリスク」とで、
実際には後者が桁外れに大きいのに前者が大きいと思いこんでいるわけです。そして、この認識がなかなか是正されない。

 是正されない理由は、個々人にとっては後者の絶対値が充分に小さいから。負担は一部の業界関係者に集中するので彼らにとっては大問題。人間集団を全体として捉えなくてはならない立場の人間にとっても大問題。でも、そのどちらでも無い立場の人間にとっては、そんなことのために知的コストを払うのは嫌だ、面倒だ、ということになってしまう。「俺、たいして困らないし」になってしまう。

 と、ここまで話を一般化すれば、おおやさんの指摘した「不正アクセス禁止法を巡る議論の問題」も同じ枠組みで捉えられると思います。

 そして、それゆえに特効薬的な解決策はおそらく存在せず、長く苦しく報われにくい活動を続けざるをえないということも。

永田氏について(民主党も含めて、ですが)は、
技術的知識が無いのはしかたがないにせよ、ラザー・ゲートを思い起こせないのは政治家として問題ではないかと。

 もっとも、1年前に朝日新聞が「政治家の圧力うんぬん」とやらかしたときと今回の一件は、展開が妙に似通っている(で、結局朝日はうやむやにした。)ので、全部承知のうえでやっているのかもしれませんが。

>高橋さん
ども。後者の点、私はもしかして彼らはラザーゲートを知らなかったのではないかと疑っています。一つは、知っていれば「無根拠に疑惑をはねつけて突っ張ったのが致命傷」という教訓を得ていただろうと思いますし、今回はラザーゲートよりはるかに初歩的なforgeryですから少しは警戒していいだろうと。もう一つは、今回のケースでラザーゲートに言及したメディアを私はまだ見ていない気がして、つまり日本のマスメディアもわかっておらず、従ってそれを主要な情報源とする人々もわかっていないのではないかと。
ラザーゲート当時の日本メディアの報道というのも、記憶の限りでは極めて抽象的なものだったように思います。先の米大統領選関係の報道(流れを完全に読み違えた)、ハリケーン・カトリーナ関係の報道(ブッシュ政権責任論だけを見てその背景にある党派対立を捉え損ねている)にも示されていると思うのですが、どうも日本のメディアのアメリカ関係報道は実際の取材活動よりは米メディアの情報に大きく依存していて、しかしそのメディアにきちんと色が付いていることを含め背景知識を欠いていることもあって分析の視野がかなり限定されている。それをさらに情報源とする限り、知識にせよ分析にせよ問題が生じるのかなと。
それ以前の問題として、真偽も明らかでない名刺を持ち込んで案の定一発で否定されて終わりとか、投資組合に自民党議員が関与していると発言して証拠なにもなしとか、すでに相当やらかしてきたわけですよね。もちろん野党だし捜査機関でもないから「証明」せよとは言えないけど、該当事実ありとの一定の心証を抱かせるだけの「疎明」は本来しなくてはならないのに、ずっとできていない。それをマスコミにせよ支持者にせよきちんと指摘しないで甘やかしてきたことが今回の大地雷に帰結したのではないかとも思います。味方の少ない共産党の方が(多分それ故に)よっぽどちゃんとしています。

前半、その通りだと思いますがいわゆる暗澹とさせられる類の事実ですね。専門知とのあいだのディスコミュニケーションというのが第一の問題で、その原因としての「無知の知」の欠落というのが本質的なのでしょう。この点、専門家のパターナリズム(どうせ素人にはわからないので、それでも大丈夫なように保護しよう)は後者を悪化させるので副作用が大きい、「弱い個人」など保護しないで自分で判断できる「強い個人」を育成すべきだというのがーーもちろん留保しなくてはならないことがたくさんあるのですがーー私の基本的な考え方です。このあたり、『思想』論文における「配慮の論理」と「主体の論理」の対比に結びつくのですが、単純に二項対立的にとらえているわけではないですよ、というのが『RATIO』論文で、そう読んでしまった方はお気の毒でした(とこれは余分な話)。まあ、できることをします。はい。

いま検索したところ、愛知万博にあわせて開催されたシンポジウム(朝日新聞社等主催)のなかで「ダン・ラザーはブッシュ大統領が徴兵逃れをしたという周知の事実を口にしたために解雇された、つまりアメリカのメディアは機能していない」(要約)と言っているスタンフォードの教授がいました。で、これに誰もツッコミを入れていない。アメリカにもこの程度の認識の人間がいるし、それを評価できないのが日本のメディアであるということかもしれません(タメイキ)。

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