調べろ。

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よその部局から来た書類の宛名が「教授 大屋雄祐助 様」になっていてもうどこからつっこんでいいのか(挨拶)。名前を間違って書くのは人格権の侵害だと言って怒る人もいるらしいのですが、それで侵害になるなら私の人格権なんかもう残ってないぞたぶん。「大屋生裕」って書いてきたところもあってそれはいったいどういう名前なんだと思いましたが大岩波様ですよええ。ちなみに何が「大」かというと別に間違って書いてきたことじゃなくて(なに誤記は誰にでもあることです)、返事のFAXで誤記を指摘して訂正を求めたのにもう一度「生裕」宛で送ってきたことですが

朝日新聞2月7日朝刊の丸谷才一「袖のボタン」が「守るも攻むるも」と題して戦前の海軍と自衛隊の問題を論じている。海軍にイジメ体質があった、現在の自衛隊にもそれが残っている、結局「どうやら近代日本人は軍隊という厄介な組織を持つのに向いていないらしい。近頃は改憲とか再軍備とかを主張する論者が多いけれど、その種の議論をする際、このような国民全体の幼さを考慮に入れる視点も必要だろう。」というのが主張したい内容らしい。

さてそうなのだろうか、と思ってみるとこれがすごい。まず日本海軍の爆沈した艦艇のリストから始まってその原因が「制裁のひどさに対する水兵の道連れ自殺」だということが示唆されるのだが、まず戦艦三笠については事故だったらしいということを丸谷氏自身明記しているのでいいとして、それ以外の4艦についてはなんの根拠も挙げていない。ただ中井久夫が「噂が絶えない」としている上記の記述が引かれているのみである。中井氏は「父方の一族に軍人が多い」というのが、どうやら丸谷氏が先の記述に根拠ありと信じた理由であるらしい。各艦艇で何が起きていたのかもちろん私の知るところではないけれども、最後の例である戦艦陸奥については確かに人為的理由であるらしい。しかし一説によれば多発する窃盗の犯人であると疑われた下士官の犯行という話で、仮にそうだとすればイジメという話とは異なるようである。いずれにせよどうもイジメ問題ではなさそうなケースが2例、不明なものが3例、どうしてそこから「陰湿ないじめの体質、それを傍観して平気でいる気風は、われわれの社会から除きがたい。戦前も戦後も日本は変わらない」と言い切れるのか、私のごとき凡人にはよくわからないのである。

しかし丸谷氏によればそれを「端的に示す」データがあるらしく、自衛官の自殺者数が00年度から04年度まで緩やかな増加の傾向にあることがそれだという。ほう、と思ったので丸谷氏が記事中に挙げておられる自衛官の自殺者数と、警察庁発表の統計による各年度の全自殺者数を並べて割合を出してみた。以下の通りである。

年度全自殺者数自衛官の自殺者数割合(%)
0031,957730.23
0131,042590.19
0232,143780.24
0334,427750.22
0432,325940.29

どうだろうか。私にはこれらの数字から、日本全体の自殺者数の推移と自衛官のそれがほぼ同期しているような気がするのだが。そうだとすれば、社会全体における自殺者の増加と小泉改革の関係とか論じることはできるだろうが軍隊・自衛隊の特殊性を言い立てることはできないだろう。04年度のみ若干多いようにも見えるが、同じくらい少ない年(01年度)もあるので継続的な傾向になるのかどうかに注意する必要があろう。つまりそもそも単年度で見ると結構増減が多い数字なので、長期的傾向でなく任意の期間を取れば増加でも減少でもなんとでも主張できそうなのである。丸谷氏が「01年度から04年度まで」という区分を思いつかなかったらしいことが残念でならない。

自衛隊にイジメがないかといえば、文中で実例が一つ挙げられている通り、きっと存在するだろう。戦前の陸海軍にイジメやリンチがあったこともその通りである。しかし民主化したはずのロシアの軍隊ではソヴィエト時代同様のイジメやリンチが横行し、椅子に縛り付けられて放置されたあげく両足を切断する羽目になった新兵の話、というのも先日報道されたばかりのはずである。韓国でイジメに耐えかねた兵隊が兵営で銃を乱射した話、というのは確か去年のことであった。この間日本で挙げられた例はとりあえず一つだけであるから、ロシア人も韓国人もおそらく日本人よりはるかに「軍隊という厄介な組織を持つのに向いていない」ようである。思うに丸谷氏はただちにこれらの国に赴いて軍備全廃を主張されるとよろしい。

まあつまり言いたくはないが軍隊というものとイジメの発生可能性というのは切り離せないのだろう。同じところで同じメンツがず〜っと一緒に暮らす。海の場合にはこれに「狭いところで」というのが加わる。軍隊と切り離せない上下関係の問題もつきまとう。もちろん非民主的だったり、徴兵制で逃げようがなければ確率がばんばん増加するだろうことは確実だが、任意で所属している組織であってきっと民主的に運営されているだろうところの某新聞社内でも先輩記者による後輩の殴打事件が発生して警察沙汰になるご時世である、どんなに健全な軍隊でも確率ゼロというわけにはいくまい。となると重要なのは確率の大小・件数の多寡であって、事例の絶対的な有無ではない。で、データとして挙げられているものが上記の通りである。こういう科学性の欠如が戦前の日本を誤らせたのか、なるほど「戦前も戦後も日本は変わらない」。


夕刊は「窓・論説委員室から」。慶應大学と早稲田塾が「大学の先生が高校生に先端科学を講義し、研究課題をいっしょに考える」というようなプロジェクトを始めましたという話で、それ自体に別に文句はないのだが「大学入試や高校の授業は、5科目とも高得点を目指すやり方が主流である」とか書いてあって「はあ?」

そのあと「ノーベル賞受賞者を含めて世界的な科学者の多くは『好きな教科はとことんやる型』」という慶應・環境情報学部長の話に続いて「総合点は目立たないが好きな科目はずば抜けている。そんな若者が埋もれては日本の科学の将来は暗い」というお説教に続くので念のため調べてみた。「世界的な科学者」とあるので独断と偏見によりとりあえず調査範囲を旧帝国大学7校の理系に限定したところ、二次試験で5科目を課す大学・学部はゼロ。4科目を課すところが東大・京大の一部(東大の理系各科類前期、京大の理・農・医・薬・総合人間各学部前期)。それ以外はすべて3科目以下であり、中には二次試験が1科目のみとか、小論文のみというところもある。なお理系ではないが某名古屋大学法学部後期も小論文のみであるので我と思わん方はどうぞ。ただし解答時間が3時間あり、部内では前期の小論文(1時間半)と区別して「大論文」と通称されているような代物であるが。閑話休題。

もちろん国立各大学は基本的にセンター試験を課すので国語や社会のウェイトもゼロではないが、上記の通り二次試験まで考えれば重みがぜんぜん違うわけで、大学入試が5教科平均主義で行なわれているわけでもなければ、それを前提にした高校の受験指導だって均等にやっているわけではないだろう。早慶あたりの理系はもっと明確に3教科主義だと思うのだが、自分で入試を受けた経験がないので断言は避ける(私が受験した私大は東京理科大のみである)。まあいくら理系相手でも「国語の点数は低い方がいい」と指導する先生はいないだろうから5科目とも高得点を目指しているといって嘘ではないが、それ言ったら上記の言明に現実的な意味はないよねえ。いったいこの人はどこに行って何をご覧になったのか。

念のために言うと大学の中では後期入試のような科目削減が行き過ぎたなという反省が最近よく聞かれるところであって、つまり才能を育てるとしても一定の基礎や知識の幅は必要なのではないかという話である。「優れた才能」とか「一芸」とかいうとよく数学の話になるのだが、大学院クラスになると数百年前のヨーロッパの文献をドイツ語だのフランス語だので読むのは当たり前だそうで、もちろん専門文献だから一般的な会話の能力なんかとは違うのだが、語学力がないとどうにもならないそうである。数学の先生からの聞きかじりなのでどこまで本当かはわからない。しかし理系の他の分野でもそうだが数学ができないと計算のしようもないし、英語ができないと論文が書けない。せっかくいい論文を書いても社会的常識がなければアカハラだの研究費流用だの倫理問題だので失脚する羽目になる。専門にする理科の一分野だけの才能が突出した人間は「世界的な科学者」に到達するところまで行けないのではないか。

じゃあ一部が突出してあとはほどほどだったらどうかというと、そういう人間は前期でちゃんと合格するのである。追跡調査したら前期と後期の合格者で入学後の成績の伸び方が変わらなかったという話もあって、つまり「突出した才能」とかほぼ伝説だよねえという判断に、私なぞは傾いている。

でまあ、そこまで内部の話を聞けとは言わないが、上述の入試科目など河合塾のウェブサイトを少し見れば調べのつく話であって、つまりその程度のデータチェックもなさらずにこの原稿をお書きになったらしいのである。そんな人間に科学の将来について何か言われてもなあ、暗いのはマスメディアの将来じゃねえのかと、まあそういう話である。その前日には同じ欄で別の論説委員氏が高校生程度の英文法ひねくってたしな。

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後半に関してですが、このような原稿を書く人の事はあきらめたとしても、社内のチェックで「専門バカ」やら「文系理系の解離」の問題はどうなのよなどのツッコミが入って然るべきだとは思いますし、それが機能しない事のほうが病巣は深いかなと。「自らの思索や研究を論文にまとめる学究の世界とは違い、日々の仲間同士の議論を踏まえて社説を練り上げるのが論説の職場だ。戸惑いも少なかったことだろう。」(都留重人先生が亡くなられた時の 2/9 の「窓」から引用) とのこと......ですから。

『フルメタルジャケット』にも、“ほほえみデブ”を夜中にリンチするシーンが出てくるので、“イジメ体質”は、別に洋の東西を問わないんじゃないかと。かの東條英機も、“私的制裁”の禁止を厳命しましたが、効果はなし。思うに、ハートマン軍曹のような、ブチ切れ下士官でもあてがった方が(「俺は厳しいが公平だ。人種差別は許さん。○豚、○○豚、○○豚を、俺は見下さん。すべて――― 平等に価値がない!」(伏字は引用者))、効果はあるのではないでしょうか

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