雑感

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一週間ほど意識的に速度を落として仕事したらようやく「座ると身体が重い」現象から解放されました。つうか木曜をオフにするまで元日しか休みなかったからな、今年。海外出張中も一箇所に最大2泊というめまぐるしい日程だったこともあって、本気で自分がいまどこにいるかわかんなくなってくるという。というわけで頂いた年賀状への対応もまだ終わっていないわけですが、雑感。


  • 武田徹という人について私はダメなものしか見たことがないのだが長い著作ではまともなのだろうか。現在たまった新聞の処理中であるわけだが、ある日の朝日新聞夕刊で現在検討されている伝染病拡大予防策について論じ、公益も個人の権利も守るべきだとご高説を垂れておられる。個々人の幸福について配慮する福祉国家welfare stateは、それによって戦争遂行を容易にしようとする戦争国家warfare state的な性質を、その起源において持っていたという指摘は正しいのだが、だからそれで何だというのか(つうかそれ単なる発生論的誤謬だよねえ)。「公益」といっても、何やら独立で本質的な存在としての「国家」の利益(国益)を考える人も、個々人の利益の集計(全体利益)を考える人もいて、前者を否定しても後者が否定できることにはならない。で、まさに伝染病のようなケースが典型的だが個々人の利益と全体利益は相反する可能性があり、しかし全体利益とは個々人の利益の集合だからある個人の利益を守って全体利益を犠牲にすればそれ以外のある個人たちの利益が損なわれる可能性があるわけで、個々人の利益が重要であると考えるならむしろ積極的に規制(ある個人の権利制限)を認める必要があるだろう。
  • もちろん問題は、全体利益に名を借りた特定個人・特定集団への不当な弾圧が行なわれる可能性があるとか、制限される権利とそれによって守られる利益の均衡がちゃんと保障されるかわからないとか、いろいろある。いろいろあるが、問題があるからといって何もしなければ爆発的な感染拡大が起きてみんな死ぬのであるから(少なくともそういうケースは十分に想定可能なのであるから)、それに対処するために事後の検証をきちんとする(例えば医療専門家だけでなく公益委員を加える)とか、検証可能性を担保することも含めて権利制限の内容自体を制限する(例えば隔離するが殺さない)とか、そういう具体策のレベルで提言できることがあるならともかく、「危険があってよくない」とご高説を垂れて得々とする人間というのは存在自体が無駄だとしか思えない。つうかそんな危険性があること自体は関係者全員わかってると思うぞ。
  • この種の人というのはどうも、問題解決のための議論をしているあいだは時間が止まっていて資源も消費しなければ問題事例も発生しないとお考えなのではなかろうかと思うことしきり。status quo neutrality批判とか、見たことも聞いたこともないんですかね。
  • もう一つダメな議論として内田樹氏のblogにおける専門知批判があったが、これについては梶ピエール氏の批判が簡にして要を得ているのでもういいや。私が書くと「確かに専門家の予測が彼の持つ欲望によって歪められる危険性というのはあるのであって、教務部長を兼務する大学教員が『改革が受験生に嫌われて難易度が下がるであろう』と予測した大学の人気が逆に上がったりした実例もあるようである」とかどうも下品になっていけない。や、まあことほど左様に受験は水ものという話であって私であれば自らの専門性の未熟を恥じ入るところであるが、それが何故か専門性批判と非=専門性の称揚に向かうところがわからんところである。
  • これについては山形せんせいの「「「そのような事態」が到来することへの彼らの「期待」(ほとんど「願望」)が伏流していることに彼らが無自覚であること」という内田の読み自体に、その人々がそれに無自覚であってほしい(そうすれば自分が特に何かを調べもせずに、高見にたったこざかしい内田十八番の理屈がこねられるから)という内田自身の期待が伏流していた可能性」という指摘がおそらく正鵠を射ているわけだが、昔はもうちょっと自覚的だったあるいは病識がすり減ったという段階論で説明できるかについて若干の懸念あり。というか以前の「儒教圏」問題でもそれが垣間見えたような気が私にはするのだが、この方はおそらく「中国」「韓国」「北朝鮮」あるいは「アジア」というような単語を聞くと結論が決まってしまうという症状をお持ちであって、しかし専門知を使って検討するとその結論を支える根拠が発見できないので、そういった領域についてはとかく素人性を称揚したがるという帰結になるのではないか。そうでない場合にはちゃんと専門性をかさにきて素人考えを抑圧したがる人ですよね? というのは前述の問題やら大学改革関係のエントリで示されているように思う(いや、そういう専門家らしさがイカンと言っているわけではない)。
  • 内田氏の場合にはこれに加えて「武道」「身体」というのを加えることもでき、古武道などが「不思議な」肉体の動きを可能にするのを見て私なら「おお、不思議だ。科学にはまだ解明しなくてはならないことがあるなあ」と思うところ氏は「科学はその限界を知れ」とつき進んでしまうのだが、しかしアジアに関するそのような傾向は結構ある世代に出現頻度の高いものであるなあと感じていたりもする。なお他の世代にも出現例は多いので「特有だ」と言いたいわけではないが、しかし「他ではまともなのに、なんで?」と首をかしげたくなる人は結構多い。その原因とか世代論への展開とかやるとろくな議論にならないのでやらないが、ロマン主義的だしそのロマン主義性に無自覚なあたりが悲劇的だなあと思ったりもする。しかしこういう方々の「アジア」には中国と朝鮮半島しかなさそうなのはなんでなんですかね。まあその周囲のアジアにばかり行っている私も偏ってるんだろうけど。
  • ところで某大学では極左の影響下にあると批判されている某学部自治会と表向きは張り紙やタテカンの規制をめぐって争っているサークルがあって右派だと批判されているのだが(どちらも実際にはどうかとか私の知ったことではない)、その名称が「歴史ロマン探究部」ってのはおまえらどうしてそんなにベタなんだと脱力しきったわけであった(なお文中一部仮名)。いや以前に小田中直樹『歴史学ってなんだ?』(PHP新書)について理論的には素朴すぎるという批判をしたわけであるがその問題意識は最近非常によくわかってきたところで、もちろん「天皇は万世一系」とか「神武天皇のY遺伝子」とか言いたがる右派くだらねえというのは間違いないが、それに対抗する左派にも事実とか証拠とかどうでもよくて「私たちには聞きたいことを聞く耳しかありません、私たちの考える『正しい歴史』に合致しない『事実』を語ることに正当性などないのです」という連中がわんさかいるのであって、以前にいただきものの『図書新聞』(ありがとうございます)の特集でその連中が自分たちの主張を「倫理」の名のもとに語っていたのを見たときは本気で吐き気を覚えた(いや折角のいただきものなのにえらいすいません)。こらなんとかせんといかんなという話である。
  • 余談だが中岡成文『ハーバーマス』(現代思想の冒険者たち・講談社)では同じ事例を使ってハバマスの討議倫理学が批判されていて、この点についてだけはちょっと彼に同情した。つうか「言語分析哲学」という言葉を私は聞いたことがないような気がするのだが(もちろん私の見聞がせまいだけかもしれないが普通「言語哲学」または「分析哲学」のような)、そういう単語を使っている人に「言葉を大事にしなさい」(要旨)と説教されるという不思議な本。ちゃんと年代を検討しないと不当かどうかわからないのだが、言語分析哲学は事実の述定(「〜〜である」)に関する分析しかしなかったが、ハバマスはそれが必ず妥当要求(「そしてそれは正しい(ので、受け入れろ)」)を伴なっていることを見抜いたのでハバマスえらいみたいな記述があって、あれ、サールのF(p)型の記述ってなんだっけとか思ったりもした。あとこれは著者の責任と言えるかどうか、この本は1996年に出て2003年に装丁を簡略化した新版になったのだが、この間2002年にはハバマスの主著の一つFaktizitaet und Geltungの邦訳が『事実性と妥当性(上)』(未来社)として刊行されている(下巻は2003年5月)。ところがこの本では96年段階のまま、題名は『事実性と妥当』という著者訳で「邦訳なし」という記述。もうちょっと真面目にやってほしかったなあ、特に入門書なんだからという感じはする。
  • 「君たち数字は忘れないようにね」という話を、法思想史担当教員という本来なんかもっとも歴史ロマンに耽溺していてよさそうな人間がなぜ本気で伝えようとせなならんかという問題はさておいて、どうやったら伝えていくことができるのか。教員の悩みは深いのである。

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極端大仏率 Returns! - 今日の疑問など (2006年2月21日 19:11)

実は武田徹氏というのは.,ナカムラは以前からオンライン日記を読んでいて,「おおやにき」でボロクソ書かれたりしていても,それなりに評価をしていたのだが,ちょっと幻滅。 続きを読む

極端大仏率 Returns! - 今日の疑問など (2006年2月21日 19:18)

実は武田徹氏というのは.,ナカムラは以前からオンライン日記を読んでいて,同じく愛読している「おおやにき」でボロクソ書かれたりしていても,それなりに評価をしていたのだが, 続きを読む

コメント(6)

お久しぶりです。TBどうもありがとうございます。「もういいや」と言いつつ随分お書きになっておられますが笑、こちらもウチダ先生については当分「お腹イパーイ」という感じではあります。しかし彼の現代中国論は「儒教圏」「専門知批判」ときて、恐らくこれに「アメリカ陰謀論」が加わるのではないかという悪寒が。後は間違っても本になったりすることがないよう出版社の良識に期待するばかりです。武田徹氏の伝染病対策に関する見解については僕は論評する能力を持ちませんが、おそらく『隔離という病』での考察が下敷きになっているのではないかと思います。ただ、僕は以前彼の運営するBBSをよくのぞいていたのですが、ある時からコメントを受け付けない日記形式になり、それから何度となくブログの流行を揶揄するような文章を目にして「あれ?」と思ったということはあります。そして、それと同時に社会問題に関するやや硬直的な見解が目立つようになってきた気が・・BBSで読者と直接やり取りをしていた頃にはもうすこし色々な角度からものを見ようとしていたように思うのですが。まあ、ウチダ先生のように形式的にはブログをやっていてもそれが全くインタラクティブな意味を持っていないというケースもあるわけですが・・

ウチダセンセは思いつきでものを言う。
コレは真実ですな。(本人も認めるでしょう)
そして梶さんの言ってることは正しいと思うし、おおや先生の批評も妥当なものでしょう。

ただし内田樹先生のブログは、弟子にとってはそのまんま読むものではなくて「公案」なんですよね。(我ながら微妙なことを書いている自覚はある)
だからどれだけベタな結論であっても、「ある傾向に対して無自覚である内田樹」という批判(>山形先生)には違和感を感じる、ってのは弟子の身びいきですかね?かもね。

連投すみません。
んで、結局何が言いたいのかってーと、「最近の内田先生は『俺は意識的だよ』って書くことを止めたんじゃねえの?」
って事です。(意識的に書いたことの当否は措いといて)

だって「私は『何々は死んだ』、と言う人間が嫌いだ」と言っておきながら「映画は死んだ」っていう本(共著)出してるんですよ?これが意識的でなかったとしたら…ねえ、これはちょっとヤバイっしょ…。

もうやばいんでしょう。

仮にも研究者を名乗る者が思いつきを書き散らすようになったらお仕舞いですよ。辞職した方がいい。それが研究者の権利と自由。辞職の自由を行使すべし、内田樹。

もうやばいんでしょう。

仮にも研究者を名乗る者が思いつきを書き散らすようになったらお仕舞いですよ。辞職した方がいい。それが研究者の権利と自由。辞職の自由を行使すべし、内田樹。

>梶ピエールさん
ども。アメリカ陰謀論はもう靖国問題なんかで入ってますから頭痛が痛いわけですが、彼の憲法論を出版しようとする出版社があるらしいことを考えると見識も期待できないと思います。というかまあ需要があるものは出版されるんでしょうね、ニャントロ星人とか相対論批判と同じで。
有名人がブログだのBBSだのをやる場合はすべてに懇切に対応するか、すべてに平等に対応「しない」かのどちらかしかないな、そうでないと炎上の原因になるなと思っているので、内田先生の対応はこの点に関しては理解できるのです。少なくとも批判を表明する場を開放しているわけではありますしね。

>mamodolianさん
ども。や、内田先生が意図的にそういう書き方(裏読みとか深い読みを要求するような書き方)をする人であるということは事実だし、それは一定の場合に成功するとも思っています。
しかしこの、師にも誤りはあるわけでして、その可能性を認めないですべてを善意に解釈するのでは「こんにゃく問答」かアサハラショーコーですよ。なので、「だから」さんのように「単純にダメなんじゃないの?」という推測もきちんとしないと弟子としては失格だと思うです。
で、私自身としてはこのあたりの問題には裏も深みもなくて、単に何らかの妄執に取り憑かれているのだという診断をしていますが、いやもちろん私が単に誤っているのかもしれませんし、私自身が妄執にとらわれているのかもしれません。そのあたりは読んでいただく方に判断していただくしかないわけですが。

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