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リバタリアンと相続(2)

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さて、前エントリでは森村・八島に共通する要素として、死後には保護すべき自然権の主体が存在しないから相続は否定されるという考え方を挙げた。実際に森村は『自由はどこまで可能か』において、相続とは結局財産の所有者に死後の財産処分に対する権限を与えるものであるが、意思のない死者は行為者たり得ないと主張している。そこで問題は、このような発想が(1)妥当な帰結をもたらし得るのか、(2)一貫性を維持し得るかという点にある。後者から考える。

リバタリアニズムについて頻出する論点が自己奴隷化である。リバタリアニズムは自由を極大化し自己所有権を保障すると言うが、では自己を奴隷として売り渡すような契約を結ぶ自由もそこに含まれることになるのか。そのような帰結は道徳的直観に反しており、そのような帰結が導かれる前提=リバタリアニズムは誤っているのではないか。こういう批判に対して、多くのリバタリアンは何らかの根拠から自己奴隷化を否定することになる。典型的な論法の一つが笠井潔によるものだが、ここでは森村がそれを否定していることに注意しておきたい。

笠井は、自己奴隷化が主体を消滅させてしまうことを問題とする。彼によれば正当な売買には売り手と買い手が必要であり、かつ双方が所有権を持ち得る「主体」である必要がある。しかし自己奴隷化はそのような「主体」を消失させることを目的としている。


そこからは必然的に、交換行為の主体である自分自身を売ることはできないという結論が導かれる。(……)奴隷売買は禁止されたのではなく、はじめから理論的に成立不可能なのだ。(笠井潔『国家民営化論』光文社 1995)

これに対し森村は、契約を結ぶ瞬間において契約者(売り手)が主体であることを根拠として、この笠井の主張を斥ける(*1)。


交換の主体が「履行時から主体たる地位を捨ててあなたの奴隷になる」という契約を結ぶことが不可能だとは思えない。契約者はその締結時はまだ権利主体なのだから。(森村前掲書)。

契約締結時には主体なので、その自己所有権(処分権を含む)は自然権として保護される(これが森村が贈与税を否定する理由であった)。履行には他者にその所有権が移転してしまうわけだが、履行の瞬間までは自己の所有物であるので処分の意思が保護されるというわけだ。

そこで私の疑問は、だとすれば何故森村が相続一般を否定できるのかという点にある。森村は上述の通り、相続が死後の財産処分に関する権限であり、従って死後には主体なき意思になると当然のように述べている。しかし、当然のことではあるが、死後の財産処分に関する意思が表示されたのは彼がまだ生きているあいだのことである。秘密証書遺言のケースであっても、遺言が書かれるという形でその意思が表示されたのは生前のことであり、単にそれが明らかになったのが彼の死後であるということに過ぎない。遺言はあくまでも生前の意思である。でなければどうやって意思表示を行なうというのか。自己奴隷化に関する森村の議論を応用すれば、意思表示の時点では彼は主体だったのだから彼の意思は保護されるべきであり、処分の生じる瞬間(死の時点)に至るまで彼は所有権を持ち得る主体なのだから、自己奴隷化が可能であるように死後の財産処分に関する意思表示も有効ということにはならないか。

順を追って考えるが、第一に死因贈与(これは相続ではないが)は生前に結ばれる契約であり、自己奴隷化に関する議論から見て森村がこれを否定することはできないのではないか。さてすると、死因贈与と遺贈を区別する根拠がどの程度あるかは疑問である。もちろん前者が契約であるのに対して後者は単独行為であるが、いずれも贈与者の最終意思の尊重である点は共通している(最判S47.5.25)。そして遺贈が認められるとすれば、それと遺言相続の差がどの程度あるかは非常に疑問である。結局、森村が笠井の議論を否定し続ける限り、法定相続を除く死後の財産処分権を認めない理由は存在しないように思われるのである(*2)。

この論点に関し、森村は笠井を始めとする帰結主義的な相続否定論者たちは生前と死後における主体の存在論的な立場の差を理解していないと批判するのであるが、同様に森村が「相続」とのみ言い、死因贈与や遺贈や遺言相続や法定相続の差異について無自覚である点にも注意されるべきだろう(彼はかろうじて遺留分についてのみ性質の違いを認めている)。


(*1) 念のために付言すると、森村は笠井の論法を斥けているが、別の論拠(最低限のパターナリズム)によって自己奴隷化自体は同様に否定している。

(*2) 法定相続についても、「そのような相続のされ方で構わない」という消極的な意思表示であると考えることはできる。

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