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改革神話

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P1000494.jpgキャンパスを歩いていたら「毎日就職ナビ」のご案内をいただいたのですが私の就職も支援していただけるのでしょうか(挨拶)。いえ別に現職に不満が……ないわけではないですが、でもきっとどこに行っても同じだよねえ(タメイキ)。というわけで写真は今日、名大病院から見下ろした鶴舞公園の紅葉であります。中まで見に行く時間はないのですが。

あちらこちらで扱われている新しい霞ケ関を創る若手の会『霞ケ関構造改革・プロジェクトK』、いや読む気はないのですが新聞記事などを見てなんだかなあわっはっはと思っていたところ、


プロジェクトKのメンバーについて

プロジェクトKのメンバーは基本的には平成9年4月1日に霞ヶ関の国家公務員として社会人の門をくぐった者が中心となっている。つまり今年で入省9年目を迎えることとなる。(霞ヶ関構造改革・プロジェクトK)

同期かよ……orz. (*1) いやこう、こないだ外務省から独立しながら税金を潤沢に使える情報機関を作るべきとか愉快なこと言ってんのは誰だろうと思って調べたら高校の先輩だったとき以来の衝撃です(*2)。ああん。

しかし何ですな、読まずに言うのもあれですがいわゆる縦割りや省益至上主義の問題があるとして(bewaadさんは本当にそうなのかに疑問を呈しておられるわけですが)、「改善策として、国の総合戦略を作り、省庁間の対立を仕切る官邸直結の「総合戦略本部」設置を提言した。この本部が最も国益にかなう政策を判断し、内閣が実行を決断する形を想定する。」(asahi.com)てえ発想はどうなのかいったい。いや問題が発生するとこの種の調整機関を新設することで対処しようとする発想法の人というのがあちこちにいて(前述の「情報機関」てのも同様だと思いますが)、飽き飽きしているわけです。

というのは第一に、問題処理に関与するエージェントの数を増やすとそれだけコミュニケーションコストは増大します。一般的に問題の処理能力が投入したエージェントの数に比例してしか増加しないのに対し、コミュニケーションコストは階乗になるので、遅れかけたプロジェクトに新規の要員を送り込めば送り込むほど効率は低下していく、というのがブルックス『人月の神話』ですな。もちろんこのケースでは、エージェントは個人ではなく関与する組織なので能力は比例的にしか増大しないという仮定を単純に置くわけにもいかんのですが、しかしコミュニケーションコストの増大という効果については同様であり、そもそも問題自体が(存在するとして)調整・検討などの省庁間コミュニケーションの不足にあるのではないかと懸念されるところでそのような施策を選択すれば目も当てられないことになる。一次的な機関の調整がうまくいかないから超越的な新機関を作る、今度はその新機関との調整がうまくいかないのでさらに超越的な新々機関を作る、さらにその新々機関との調整が……以下同様と。その意味で、bewaadさんは「根本病」という位置づけですが、むしろ問題発生の根源を放置したまま解決策の改善に走る姑息療法なのかな、とも思います。

念のために言うと、じゃあ逆にいろんな機関を統合すればコミュニケーションコストが低減できるからうまくいくよねえ式の発想の人もいて、いや確かに重複部分がある場合なんかには成功する手法だけど、そうじゃないときは単に外部で行なわれていたコミュニケーションが内部化されるだけなんだからまったく意味がない。どころか「しかしもちろん一体です」という建前を維持するためのコストが追加されるだけ損になるわけで、目的や手法を共有できる・コミュニケーションコストの低い集団を独立した基本的単位として扱うのが効率的だという基本線は変わらないんだから無理矢理くっつけて「なにか変わるかな、わくわく」とか見守るのやめようよと思うわけです。組織改革して妙に長い学部名になっちゃったところとかだと、独立学部2つ(教授会×2)が合併したら学科会議×2+教授会に増殖したとか、そのとき一部の学科は独立大学院を作ったので研究科教授会と学部教授会を別途開催する必要が生じた(構成員が違うから)とか、しかし人事の発議は旧学科とも組織原理の違う教員グループが担当することになっていて別の会議を開く必要があるとか、ありがちな話ですよね。もちろん大学の話で、しかも架空の例ですよ。霞ヶ関のどこかを念頭に置いていたりするわけではありません。ええ。

しかしまあ大学教員は仕事をしていないとか常々批判されているわけですが、私ごときでもこれらの改革圧力をはねのけて法学部の独立を守るべく奮闘しているという実態があるわけで(ええ堂々の抵抗勢力ですともよ)、「学部運営というのはたいして難しいことがあるわけでもないし、みんなやりたくないから、年配の教授たちで輪番のように担当していくものである」式の記述を見ると(*3)そういう牧歌的な時代がこの国にもあったんですねえと、まるでバブル経済を見るような目になってしまうわけです。まあ私よりひどい目に遭っている同期がいることを思うと心が多少は安らぐわけですが(ひどい)(*4)。

あ〜あと個人的には、本当に改革の実現を目指してるんなら(選挙とか転身目当ての売名行為でないのなら)、自分たちの特徴をことさらに強調して「僕たちは新しい世代なんだ、僕たちは特別なんだ!」とか言って回らない方がいいと思います。これからその力を借りて(もしくは利用して)改革を進めないといけない相手に初手から喧嘩売るってな政治学を、君ら大学で習ったですか。周囲との差異を強調して結束を固める手法はカルトの典型だ、つう問題もあるわけですが。


(*1) もちろん正確な表現ではない。大学でも霞ヶ関でも「同期」を規定するのは入口(入学年次・入省年次)であり、同じ平成9年入省でも平成5年入学だとは限らない。というか、留年の確率を考えると大学の同期には相当していない可能性も高い(私の年の東大法学部現役卒業率(規定の2カ年で卒業したものの割合)は、研究科長によれば51%だったとのことである)。それ以前に私も平成9年に国家公務員にはなったがいわゆるキャリア入省ではないので(笑)、通常の意味での「同期」には当たらないだろう。ここでは同年代かよという嘆きの象徴的表現と捉えていただければと思う。

(*2) 正確には某学校法人の先輩。つうかこの人直接の知り合いだよ、向こうが覚えてるかどうかは知らんけど。

(*3) 立ち読みした村上政博『法律家のためのキャリア論』(PHP新書)にそういう類の記述があって慨嘆することしきり。「学者にはサバティカル(長期の研究休暇制度)があって著作に集中できるので物書きとしても恵まれている」(要旨)という記述もあったのだがすいません僕は見たことないんですがそれはどこに行ったら落ちているんですか。正確にはサバティカル制度導入したいよねえという話はあったものの、LSで負担が増えているなか学部運営が不可能になるというような理由でうやむやになったまま。それでも、外部から留学援助を獲得してきた人をこころよく送り出すくらいの余裕は残っている分、まだおそらくは恵まれている方なのだろう。ちなみにこの制度、研究科長などの重職で消耗した人を休ませようという狙いもあったのだが、私が就職して以来の研究科長はその全員が任期終了直後に別の重職に転用されるという憂き目を見ており、現実化の可能性は低そうである。

(*4) こっちは本当の同期。まあその、がんばってください。ええ。

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※「おおやにき」の記事に対するコメントとして記しましたが、若干長くなったのと、「Bewaad Institute@Kasumigaseki」へのコメントも含むので、こちらに載せ、トラックバックします。 「プ... 続きを読む

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t9930211 さんのコメント (2005年12月 1日 01:51):

TBありがとうございます。
また、お礼が遅くなり申し訳ありません。
当方の「まじめ」な部分を見てくださる稀有な方ですので(笑)、今後ともごひいきに。
まあ、たいしたものを書いていない当方があかんのですが。。。

おおや さんのコメント (2005年12月 2日 13:23):

>t9930211さん
どうも、はじめまして。Trackbackされても基本的に何もしないところの私としてはわざわざご挨拶いただいて若干申し訳ないところです。今後ともよろしくお願いいたします。

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おおや on 改革神話:
>t9930211さ
t9930211 on 改革神話:
TBありがとうござい

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