自民党改憲案II

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新幹線にもマイレージ キターー!!(挨拶)。いや正確には「エクスプレス予約グリーンプログラム」だそうで利用回数に応じてグリーン車にアップグレードになるだけですが、何もないよりゃええわな。うふふふふ。

というわけで自民党による改憲案の新しいものが出たので見てみる。とりあえず例の「東海の小島の磯の白砂に」みたいな前文じゃないというだけで高く評価したいが、基本的には前回同様、非常に穏健な案であると評価して良いように思う。もちろんそのこと自体の評価はまた別問題であって、朝日新聞で評しておられるお三方(良かったことに今回はお二人が憲法学者ですよ)のうち長谷部先生はこれなら変える必要ないんじゃないか(意訳)というご意見である。つまり自衛権の行使や新しい人権についてはすでに憲法解釈の枠内で実現されていることであって、「いま、急いで字面をいじる必要性はないと思う」と。

昔のように憲法が法律家のものであるならそれでもいいんでしょうけどね、というのが私の感想。第一に事実の問題として、ネットワークの普及などによって多くの非=専門家(単に法律家でないというだけで、他の何かの専門家ではあるかもしれない)が憲法をめぐって議論したりその解釈を前提に何かを述べたり、ということはすでに一般的になっている。憲法が人民の意思によって国家を生み出しそれを規律するためのものであるということを考えれば、これは望ましい事態でもある(はずだ)。だが第二に、そこで展開されている言説が憲法を、と言うのは「日本国憲法」という一片の文章でなくまさに長谷部氏が「そのまわりに慣行や判例があり、解釈や運用で継続的に変わりながら次の世代へと受け継いでいく性質の法」と呼んでいるものだが、それを理解して行なわれているかといえば残念ながらそうではない。日本国憲法が整合的だと主張する人や、衆議院解散が憲法59条違反だと主張する人がうろうろしているところを見ればそれは明らかだろう。長谷部氏は「[憲法解釈の]枠を外すつもりがなければ改正に意味はない」(補足大屋)と言うが、たとえ内容に変わりがなくともそれが「解釈」や「慣習」にのみ支えられているのと、文字として書いてあるのは違う。人民にとっては違うのである。

逆に言うと、現在の「日本国憲法」のままでも(慣習等を含む)憲法の内容に対する理解が多くの人々に共有されており、現実に反する主張がトンデモとしてきちんと排斥されるようになっていたのならば、わざわざ手間をかけて字面を変える必要はなかろうと私も思う。そしてその仕事を本来もっとも良くなし得るのは憲法学者たちであり、ちゃんとしていてくれれば何も私なぞがしゃしゃり出てトンデモを嗤う必要などないのである。しかし現実には、「憲法は国家権力に制約を加えるためのもので国民の義務が規定されるのはおかしい」などという妄言俗説をたしなめるどころか助長している人々が当の憲法学者たちの中にいる。どのくらいの割合なのか私は部外者なので知らないし、長谷部氏がその一部だとも思わない。ただ私は、雪印乳業だって三菱自動車だって「ちゃんとできるんです」と主張してたよな、と思うだけである。

その点、大石先生の立場ははっきりしていて非常にわかりやすい。つまり政治というのは「国民が主体」になって行なうべきものなのだからもっと直接民主政的な要素を入れるべきだし、自由や権利に対する制約を国民自身が読んで理解できるためには「国際人権規約や欧州の多くの国の憲法のように、制限の規定が具体的な方が」いい。だが改正の要件を総議員の過半数に引き下げたのは、それによって国民の政治参加の機会がより増大するだろうから評価できる。氏の思考は、「能動的な政治主体としての国民」は「どうすれば(……)政治の舞台に出られるか」を問うという点で一貫している。私自身は直接民主政をあまり高く評価しないので異論はあるが、しかし傾聴すべき意見だと思うわけである。当たり前だが。

ところで「軍事裁判所」については前の案通り最高裁に属する下級裁判所として設置されることとなっている一方、特別裁判所の設置を許容する76条2項改正案は消えている。というわけであれはやはりバグだったのではなかろうかと思うわたくし。

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朝生に関して。 まずひとつ、最後に姜尚中氏が「憲法改正」と「徴兵制度」を結び付けていたけど、センセー、そなたは1992年、いまから13年も前、カンボジアPKO法案が成立した際「PKOが 続きを読む

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「エキスプレス予約グリーンプログラム」、計算してみると大体最大(特典のぞみ東京-博多の場合)4.3%ほどの割引になるようですね(東京-博多間でグリーンへアップグレードする場合特急料金で6,730円の差)。八往復半利用でやっと一回のぞみグリーンへアップグレードされるのなら、もう少し「有難み」(チープでもいいので)が欲しい、とたまの旅行にしか新幹線を使わない私は思います。たとえばANAのスーパーシートプレミアム(http://www.ana.co.jp/dms_svc/service/ss_fr.html)のような。

>よこはまさん
や、もともとエクスプレス予約自体がそれなりに割引になっているので(回数券と同額)、だいたい月に2往復乗っている私としてはこんなもんで十分です。乗車時間短いですし。
まあグリーン車に乗りたければ「ぷらっとこだま」でいいんですけどね。

「、「憲法は国家権力に制約を加えるためのもので国民の義務が規定されるのはおかしい」などという妄言俗説をたしなめるどころか助長している人々が当の憲法学者たちの中にいる」


これが妄言俗説であるゆえんを書いたエントリは、今までのこちらのブログの中にありますか?保守革新をとわず、非常に人口に膾炙した理論で、間違っているとしたらどう間違っているかに興味が有るので。
(私なりの解釈(以前ですが)はTBさせていただきました)

>Gryphonさん
ども。そういやちゃんと書いてないんですが、きちんと書こうとするとちょっとステップ数が増えることに気付いたので(社会契約と実定憲法の違いと、しかしそれがエクスキューズにならないことを言わないといけないのですが、originalismの問題なんかがあるのでちょっと難しい)、とりあえず直感的な話として実例から挙げると日本国憲法26条2項(教育の義務)・27条1項(勤労の義務)・30条(納税の義務)というのがあるわけで、まあ「憲法に義務を書くのはおかしい」派の人たちが「だから日本国憲法を改正しよう」とまで断言したらちょっとは尊敬しますが実定的にはまず誤りですね。ちなみにドイツ連邦共和国基本法6条(2)(教育を受けさせる義務)、12a条(兵役義務と役務義務)、14条(2)(所有権には義務が伴う)というのもあるので日本だけが違うというわけでもないです。
英米仏という市民革命の先進国にはないと言い始める人がいるかもしれないのですがつまりここがキモであって、たとえばフランス人権宣言(1789)13条は租税の公平な分担を定めており。これは租税負担の義務があるという前提で考えないと意味がない。アメリカ合衆国憲法8節(1)は租税賦課の権限を連邦議会に認めており、これも反射的に国民の義務が発生すると考えないと無意味である。つまりどちらかというと国家の権限構成で書いている憲法と国民の義務構成で書いている憲法があるけれども、いずれにせよ憲法が国民の義務を規定するものでないとはまったく言えないと言うことになるでしょう。
なんでこういう違いがあるかという点については、ご指摘のように歴史的な問題として君主の絶対的な主権を前提にしてそれに制限を加えるという考え方で書いた時代と、新たに国家権力と人民の関係を取り決めるという感覚で書いた時代の差というものもあるだろうと思います。
私の考えではしかし、根本的な問題はそこで規定される義務が「国家」という存在を想定しない限り意味をなさないものか(eg. 国を愛する義務)、市民相互間の権利の反映として理解できるものか(eg. 国を裏切らない義務)という点にあります。前者を規定するのはおかしいという話なら理解できるのですが、義務をすべて一緒くたにして否定する発想というのは、実のところ国家というものを市民の合意を離れた実体として想定しているわけですから、国家に対する幻想の強化に貢献しているよな、と思うわけではあります。
ええと、最後の方がわかりにくいと思うのですがきっちり書く暇がないのでこのあたりでご勘弁。

なるほどかなりよく分かりました。

>「国家」という存在を想定しない限り意味をなさないものか
>(eg. 国を愛する義務)
>市民相互間の権利の反映として理解できるものか
>(eg. 国を裏切らない義務)

このへんが焦点ですかね

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