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大学教員と人事
これも憲法違反なのかなあ(挨拶)。
民主党 イラク復興特別措置法の廃止法案を衆院に提出(毎日新聞→Yahoo! News)
民主党は6日、イラク復興特別措置法の廃止法案を衆院に提出した。イラクに展開している自衛隊の早期撤退を求める内容。(……)同党は昨年11月、同内容の法案を共産、社民両党と共同提出したが廃案となり、今回は民主党単独で提出した。
証明する気はないけど一般的に法案作成能力が低いのは明らかに野党なので(もちろん霞が関の力が大きいわけですが)、「廃案→再提出は違憲」説を採ると野党に不利になるんですけどね。まあ10ページでも20ページでも法案は法案ですし、どうせ可決される見込みはないんだから中身なぞどうでもいい、という考え方もあるわけですが。念のために言うとこれは必ずしも悪口ではなくて、ウエストミンスター型議会において実質的な権力が与党に独占されるのはシステム上当然のことであり、野党にできるのは国民に向けてのアピールだけです(だから「アピール型議会」とも言う)。そのアピールの手法として代替法案を提出するという考えは悪くないと思いますが、まあその、論争のレベルにはよるでしょうな。
さて。少し前の記事ですが「『会社辞め研究職目指したのに』34歳以上お断り」(東京新聞)。「研究者の採用に年齢制限が設けられているケースが多い(……)間口こそ広くなっている社会人入学だが、将来展望は決して明るくない」という話。日本学術振興会特別研究員の応募資格は34歳(特定の分野で36歳)までだし、助手の採用は30歳くらい、助教授なら37〜8歳くらいに実質的な限界がある。社会人経由で大学院に入るとこういった公然・暗黙の年齢制限にひっかかってしまうと。
まあ私の基本的な見解はLS騒動のときと同じであって、そういう事情は基本的に以前から変わっていないのだから、事前にそれを調査・理解できていない段階で研究者としての基本的な適性に欠けているのではないかと思うわけだが、でもあまり人のことも言えない。いや助手になるときに自分では「私は研究者になるのだ」と信じていて、就職できたら講義で教えることになるとは何故かちっとも思っていなかったのですよ。あはははは、馬鹿ですねえ。今となっては何でそんな視野狭窄起こしてたのかなあと思うわけですが、思い詰めてたんでしょうねえ。しかし事態が判明しても私は自分の不明を恥じるだけであって、「年齢制限があるなんて入学前は考えもしなかった。大学は思う存分研究ができる場だと思っていた。制限があるなら、なぜ入学する前に教えてくれなかったのか」なんて甘えたこと抜かしたりはしませんでしたけどね。ええ。
で、何故そういう年齢制限が発生するかという話。学振特別研究員については若手育成のための制度であるという取材結果があるようですが、他には出てませんな。正当化をしようというのではなく、思い当たる理由を単に説明すると、こんな感じかと。
一つ目は、在職可能な年数とそのバランスという話。(実質的に)学部だけの大学なら、毎年毎年の講義ができれば良いので長期計画というほどの話もないのではないかと思うが、研究者養成をやっている大学の場合、指導できる専任教員を切らしてはいけないという配慮が働く。すると例えば特定分野の教員を2人雇えるなら「大家(50代)+中堅(40代)」にして、大家が定年で引退するころには中堅が新たな「大家」になっているはずなので代わりに中堅を雇うかなとか、3人なら「大家(50代)+中堅(40代)+若手(30代)」かなとか、そういうローテーションの感覚が発生する。この中で助手ポストというのは、そこから三十数年間雇用し続けるか、数年雇って余所の「若手」に出すという位置付けであり、どちらにせよ30代後半では失格ということになる。
念のために言うと、こういう長期的な人事計画は当然ながらよく狂う。法学界隈では先頃のLS設置騒動で多数の異動が発生して関係各位は処理に追われたと拝察するわけであるが、狂った場合でも元の人事計画に戻せるような採用を起こすケースが多いかな、とは思う。もちろん新たに立て直すケースもあるが、いずれにせよ長期計画は残るのであって、対象ポストに適切な年齢層を外れていると非常に不利という事情は変わらない。
二つ目は、これは普通の組織にもある傾向だと思うのだが、職階の序列と年齢の上下関係が逆転するのは望ましくないという配慮もあるだろう。年下の上司はイヤじゃないか? とまあ気にするのはむしろ周囲の側だったりするわけだが、そういう話。採用期数や階級のように別の序列があったり、採用区分から違う「別の人々」だという了解があれば解消するのかもしれないが(大学の場合、教員と職員というのはそういう関係かなと思う)、教員集団内部にはあまりそういうものもないので、そうなると例えば31歳の助教授がいる講座で37歳の助手は採用できないよねえという空気になる。場合によっては逆転してないだけでは不十分で、適切な年齢差があることが求められたりもする。というのは(これは今は解消されたけど)従来の国立大学では教授・助教授の人数が限定されていたので、ある講座の教授が退官してポストが空かない限り助教授が昇任できないというような事態があった。ここで教授と助教授の年齢差が例えば3歳くらいだと、助教授にとっては非常に不幸な事態になる。ローテーションを組む、というのにはこういう背景もあった。
どちらの問題からにせよ、人事はまず対象年齢層で規定され、その内部で能力による競争が行なわれる。社会人学生の場合の問題点は年齢が高いのに業績は低いということであって、つまり業績相応の公募では年齢が高すぎ、年齢相応の公募では業績が足りなさすぎると、そういうミスマッチが生じるわけ。
根本的な問題は、大学教員の人事的な弾力性の低さにあると思う。つまり例えば私は法哲学の専門家(のはじっこ)であるが、ちょっと人数が余ったとか、年齢バランスが悪くなったとか、余所で足りなくなったとかいう理由で、「じゃあ、おおや君あしたから民法に転属ね」というわけにはいかない。全然いかない。普通の企業なら、まあ営業とか総務とか経理とか、そういう枠の中であればかなりの弾力性があるだろうし、枠をまたぐ異動も選択肢としてはあるだろうが、大学教員の場合そういうわけにもいかない。可能なのは大学をまたぐ異動で、つまり例えば他の大学の法哲学担当に転職するというルートだが、これも可能性はかなり限定されている。何故かというと各大学は独立した組織であって統一した人事を行なっているわけではないし、個々に前述した長期計画に基いた人事を実行しているので、たまたまそれに狂いが生じたとか、入口が空いたという場合でないと需要が発生しないからである。
「割愛」という制度もこのようなシステムの産物であって、何かというと転職したいときには先方の大学からいま在籍している大学に「割愛願」という、まあつまり「○○さんが欲しいのでください」という書類を送ってもらい、現大学でそれを承認するという手続を踏むのが普通である。つまり我々の世界の「転職」というのは移る先を決めてから現職を辞するものであって、とりあえず辞めてから考えるということは、あまりない。だから雇用保険意味ないよね〜と言って私学がずっと加入してなかったりしたわけだ。
というわけで、もちろんこのような現状が正当化できるかというと疑問なのだが、状況が根本的に変わらない限り記事で指摘されたような問題は解決しないかな、とも率直に言って思うわけである。というかそんなことはわかっていたので、大学院の定員充足を強く求められる現状においても法学部界隈では「専修コース」のような研究者人生に入らないルートを拡張したところが多い。社会人学生は歓迎するけど在職のまま来るのが基本であって修了後には帰れという課程で、もちろん高度の技能を有する職業人の養成とか専門家のリカレント教育といった文部科学省様の政策目標に合致しているんだぞと言ってみる。そういう思慮なしに研究者コースを拡張しちゃった大学と、それに騙された大学院生については、まあそのなんだ、知らんがなと、そういう感じ。
なので、こういった問題を解消しようとすれば出口側というか、現在の大学教員の人事システム全体をいじる必要があるだろうとは、率直に言って思う。大学間の流動性を高めるために全員を任期制にして、定年制度も廃止して、年齢に関係なく職責に応じた待遇を行なう職務給に移行すれば、ミスマッチも生じなくなるのではないだろうか。いや私はそれでいいので誰か言い出してくれんかなと切に願うものである。
おまけ。
小谷教授は社会人学生だけでなく、出産や育児で学問を中断せざるを得なかった女性への積極的な配慮の必要性を訴え、「子育てが終わるまで時計を止めてあげる、つまり年齢制限など設けず、意欲があるなら何歳になっても研究職に就けるよう道を開くことが必要だ」と主張。「配慮するだけではない。代わりに『七十歳まで働きなさい』といった義務を課せばいい。女性の方が寿命が長いのだから、女性の力を引き出さなければ日本全体にとって損失になる。そのためにかかる社会的コストなど大したものではない」と強調する。(強調引用者)
いやそれ憲法違反だから(憲法22条1項の職業選択の自由には、辞職の自由も含まれる)。ちゃんちゃん。
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このブログ記事を参照しているブログ一覧: 大学教員と人事
はじめまして。
私は微妙な年齢をすり抜けすり抜け生きてきた、
大学の下っ端研究者です。
これって、本当に立場によって見解が分かれる問題ですよね(笑)
同じ人格でも、置かれた立場で絶対に意見が変わるだろうという。
もし私が今助教授なら、ふむふむと読んでたでしょうけど、
そうではないので、妙に神経に触るなあと思いました(笑)。
人事を考えるとうつ病になりそうなので、研究します(笑)
そういえば、下手に教授になると雑事に追われかえって煩わしいというので、
あえて助教授の座に居座りつづけるという方をしばしばお見受けいたしますが、
おおや先生もその口でしょうか。
>オッカムさん
ども、ええ、ご不快だったら申し訳ないです。ただその、正当化するつもりではないと書いた通り、賛同するにせよ批判するにせよ、どういう論理で動いているかを正確に把握しないとちゃんとはできないよな、というのが書いた動機です。
私自身は上述の通り現状には批判的なのですが、全員任期制というのも結局馴れ合いに陥るので、逆人気投票に基づく再審査制度の方がいいのではないかと学内某会議で発言したところ静かになってしまいました。残念ながらどうも少数派の模様です。
>匿名希望さん
まず前提が場所によって異なるのですが、理工系だとおっしゃるように教授は学内行政・講座運営・資金獲得に専念し、研究は助教授以下が担当、でも論文は連名で発表してラストオーサーは教授なので年に数十本単位で論文が増えるんだぞうはうはというところが多いようです(理系でも数学は違うみたい)。で、そういうところだと自分の手で研究が続けたいから助教授、という人もいるでしょうね。
法学部の場合、少なくともウチの場合は小講座制ではないのでそういう分担はなく、学内行政負担・講義負担とも助教授・教授にほとんど差はありません。教授指定のある職もあって(全学委員会の委員長とか)そういうのはやらないのですが、その分別の負担が回ってくるということです。だいたい私自身、全学委員会にも出ていますし他部局の委員にも就任していますし、学部内の校務分担は「研究科長補佐」です。というわけで助教授にとどまるメリットは何一つなく、私が助教授なのは単に昇任条件(主として研究年数)を満たしていないからです。
つうかですな、法学畑で雑事に煩わされずに研究を続けるためには専任講師以上に昇任してはならないのでして、これを言うと怒られるのはわかっているのですが、しかし大学院生ってえのは研究者としては幸福な境遇なんだよとは、声を大にして言いたい。もちろん収入が保証されないと時間の自由に意味はないですと反論されるでしょうが、つまりもっとも幸福なのは学振特別研究員だよなと思うわけであります。
もう就職してしまったのであきらめて雑務に追われていますが、じっくり研究に取り組みたいなあと遠い目をすることはあります。ただその機会があったら本当に研究できるか、というのは正直わからないですね。もう腰を据えるだけのこらえ性がなくなってるんじゃないかという危惧もあります。
他人のことなど知ったことか俺は行政をしない、という腰の据え方もあるわけですが、どうもそういうエゴイストにもなれないのが弱いところです。まあその、リベラルですから。
おおや先生。ハジメマシテ。
> 大学院生ってえのは研究者としては幸福な境遇
> なんだよとは、声を大にして言いたい。
私も指導教官から「大学院生の間に勉強せんといつするん
ですか」と言われておりました。先生方を見ております
と,ホント研究&教育以外で大変そうだなと思います。