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総選挙概括(1)

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さて、まあようやく報道に追いついたかなと思っているのだが、私にとって中心的な印象は非常に小選挙区制度らしい選挙だったということになろうか。自民党がまさに地滑り的な圧勝を収めたわけだが、小選挙区制ではこういう結果が起きがち、というかむしろ得票の比率を議席配分に拡大して反映させることによってこのような結果を起こすための制度なのであって、その意味ではまさに教科書通りの事態が起きたとも言えるわけだ。本家のイギリス議会(議事堂の所在地から「ウエストミンスターモデル」とも呼ばれる)では経験的に「三乗則」というのが成立すると言われている。つまり得票比率がA:Bであるときに議席配分はA3:B3の割合になるというもので、もちろん理論的な根拠も何もないのだが、事実にはよく当てはまると言われてきた。今回の総選挙結果では(きちんと得票数から計算して言っているわけではないが)小選挙区における議席配分がこの三乗則を超えて自民党に傾斜しており、この理由は検討される必要がある(有力な第三党の存在が原因ではないかと思うが、直感に過ぎない)。

だが問題は、選挙制度がだいぶ前に変わっていたにも関わらず、このような大変化が何故今まで発生しなかったかという点にある。第一の仮説は、実はすでに起きていたのだが少数党に有利な方向で起きていたために(民主党に地滑り的勝利ともたらしていたために)その影響が見えにくかったというものであり、結構妥当かとも思う。この点は後の論点とも関わってくる。第二の仮説は、自民党の党内構造に選挙制度に対応する変化が起き、そのために影響が明確になったというものである。ウエストミンスターモデルでは二大政党制を背景として党首・執行部の公認権が非常に大きな意味を持つ。一方、55年体制下の自民党はむしろ派閥を単位とした連立政権と考えた方がよいとはすでに(井上達夫の所説を参照して)述べたところであるが、その派閥も実は個々の議員の連合体ないし互助会的な性質を持っていた。地盤・鞄・看板は個々の議員が持っているものであって、だからこそ個々の議員の都合で禅譲されたり相続されたりしたのである。こういった中小企業連合的な性格は、中選挙区制を背景に誕生し存続してきたものである。

今回の選挙の中にあるより大きなシフトとは、そのような中選挙区制を基盤とした中小企業連合体から小選挙区的な組織政党への変貌ではないかと思う。いわゆる「刺客」騒動に関連して、福岡政行氏が自民党の候補なら誰でも良いという投票傾向が見られたという趣旨のことを述べていたが、つまり有権者はたまたま自民党員である○○候補に投票したというよりも、たまたま○○候補である自民党員に投票したということだろう。つまり議席配分だけでなく、政治を構成している政党のあり方においてもウエストミンスターモデルへのシフトが進んだということではないか。もちろんそのようなシフトが今回で完結したわけではないし、多くの人々がそれに自覚的だったわけでもないだろう。いわゆる「造反組」の人々は過去のように自らの政治的資産(人脈・金脈)を背景に当選できると考えていただろうし、(綿貫氏・亀井氏や平沼氏のように)ある程度それは正しかったわけである。しかし結果を見ればそのような個人資産がかつてほどの意味を持たなくなってしまったことは明確だろうし、また国民もそのことに気付いてしまったのではないか。このシフトはさらに続くのではないか、とも予想される。

このようなウエストミンスターモデルへの全体的なシフトは、ある種の言説に対する私の違和感にも結びつく。何かというと、かつては極めて鋭敏なセンスの持ち主であり、批評的な言説を繰り出していた人々の意見が、こと最近の政治問題に関する限り、少なくとも私の目には極めてピントを外したものとしか写らなくなっているという話だ。典型は(私にとってこう書くことは非常に残念なのだが)、小林信彦・いしいひさいち両氏である。このお二方の批評眼について私はほぼ信奉していると言ってもよい感情を抱いてきたのだが、最近の週刊誌連載を見る限り(特に小林氏については)「ぼけたかおっさん」という感想しか持つことができない。なにせ、小泉政権をヒトラーと重ね合わせて戦前の復活を憂い、それにマスコミが荷担して偏向報道を行なっているという、ほとんど被害妄想的な言説にまで後退しているのだ。で、問題は何故そうなってしまったかという点にあるのだが、彼らの批評眼が55年体制とその下での非常に個人事業的な政治家のあり方を前提にしているのではないか、彼らにとっての「政治」とは個々の地盤を背景に当選してくる政治家たちがあっちの政党に行ったりこっちの政党に行ったりすることであって、いずれにせよ「政治家集団」の内実が変わるものではなく、「他者」の世界・自分とは関係ない批判対象と位置付けられているのではないかと思ったのである。

しかし、ウエストミンスターモデルへのシフトという私の印象が正しいとすれば、そのような立場の存在可能性は急速に消えていくだろう。二大政党制下において現在の政権に批判的なスタンスを取るということは、反対政党へのコミットメントを意味するか、あるいはむしろ自らが代替選択肢を提示することを求められるだろう。その意味においてウエストミンスターモデル下における「野党」とは政権与党に対する単なる批判勢力であればいいというものではなく、現在の与党に変わって政権を担当する候補として有権者の批判的投票の行き先になり得るような存在であることが求められる。岡田・民主党前代表のこれからは「政権準備政党」であるという趣旨の発言はその意味で正鵠を射ていた。もちろん問題はそのような切迫した必要性に当の民主党の人々自身があまり自覚的であったようには見えないという点と、現に妥当な代替選択肢の提示に失敗し続けたという点にあり、だから少なくとも私としては失笑せざるを得なかったわけだが、しかし彼の認識は正しかったのではないだろうか。つづく。

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TK さんのコメント (2005年9月21日 19:26):

私は、小選挙区制を採用するということは、現在のような結果を生じさせるため、だと思っていました(私は、井上先生の所説ではなく、樋口先生や森嶋(通)先生の所説を通じて)。
ただ、そのような意見をお持ちでない方が多いようで、今までショック(失望)を感じていましたので、今回の選挙の有り様は、非常に歓迎するものでした(ただ、比例を無くした方が、もっと良かったのですが)。

おおや さんのコメント (2005年9月24日 23:53):

>TKさん
ども。や、そうなんですよね。小選挙区制が導入された際には政権交代を可能にする制度という位置づけからそれに賛成していた人もたくさんいたはずなんですが、逆目が出るとこれですかね。まあそういう人々の民主主義理解の内実を物語るものではあるでしょう。

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>TKさん ども。や
TK on 総選挙概括(1):
私は、小選挙区制を採

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