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DQNアトラクターとしての憲法

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というわけで無事帰国いたしました。ジュールにある大学の国際シンポジウムで1回報告するという話だったのが、着いてみたらブダペシュトにあるハンガリー科学アカデミーとカソリック大学で講演を2回するという話になっていましたが、まあ小さなことだきっとうん。

総選挙の結果はハンガリーでも報道されたらしく、あちらこちらで話題にされました。多少ですがウェブは見る手段があったので(2時間で3500フォリント(約2000円)もすんだよあのホテル。信じられん)私も結果を確認して腹を抱えていました。

さて今回の総選挙が違憲無効だという訴訟が起こされたという話(asahi.com)。このような解散は憲法59条で予定されていないから違憲だというのだが、まずでは条文を見ていただきたい。


第五十九条 法律案は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、両議院で可決したとき法律となる。

○2 衆議院で可決し、参議院でこれと異なつた議決をした法律案は、衆議院で出席議員の三分の二以上の多数で再び可決したときは、法律となる。

○3 前項の規定は、法律の定めるところにより、衆議院が、両議院の協議会を開くことを求めることを妨げない。

○4 参議院が、衆議院の可決した法律案を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて六十日以内に、議決しないときは、衆議院は、参議院がその法律案を否決したものとみなすことができる。

まず条文解釈の問題を考えるが、見てわかる通り59条はどのような場合に法律が成立するかを定めた条文であり、それ以上でもそれ以下でもない。衆院で可決された法案が参院で否決された場合、衆院は2/3以上による議決を目指すか(2項)、両院協議会の開催を要求する(3項)ができる。しかしいずれにせよ主語は「衆議院」であり内閣ではない。59条は内閣の義務や権利についてまったく言及していないのである。にもかかわらず内閣の解散権がこれにより制約されるはずだというならその明確な根拠が必要になるはずだが、そんなものは存在しないだろう。

というのは、59条2項による再可決の試みが失敗した場合にしか解散できないという解釈にはあまり実益がないからである。政党制に基づく議院内閣制の下では、ある法案にどの程度の議員の賛成が得られるかは基本的に予測可能である。もちろん郵政民営化法案のように造反によって票読みが微妙になるケースもあるが例外的だろう。すると賛成が2/3を越すだろうというケースについては再可決を選択すれば良く、1/2以上2/3未満の場合(今回のようなケース)では否決・廃案を受け入れるか解散するかしかない。ここで再可決のための試みを要求しても、わざわざ本会議を開いて否決するだけの手間が必要になるだけのことであり、コストに見合う実益はない(これは(確か)衆議院の解散は不信任決議が可決された場合に限るという意見を否定した最高裁の論拠の一つでもある。つまり、仮にそのような解釈を採用しても自ら提出した信任決議をあえて否決するという(ちょうどドイツでシュレーダー首相が選択したような)手法が可能である以上結果は同じことであり、余計な手続を強制する意味がないというもの)。

つうか総理の解散権は基本的に無制約であり、その決断が妥当であったかどうかはそれこそ直後の総選挙における民意によって示されるというのが憲法解釈の通説であったかと思うのだが、それを理解していない人間が市議を務めていられるというのは悪い冗談だよなあ、と思ったところで同じ条文に関する別のトンデモを思い出したのであった。

そちらもこの選挙に関わる話なのだが、投票日直前の週に発売された週刊文春の連載において米原万里氏が、廃案になった法案をそのまま再度提出するのは憲法59条に反して違憲である(A)と日垣隆氏が言っており、それを企む小泉政権はけしからんのだがこの点がマスメディアでは一切報道されておらず、政府によるメディア・コントロールだと書いていた。一読して呆れ果てて放り出したので細部がいい加減かもしれず、その場合には指摘していただければありがたい。

まず、郵政民営化法案が「廃案」になったという認識は、基本的に正しい。しかしそれに立脚するこの議論(A)が正しいかどうか、やはり条文から確認して欲しいと思う。

普通に読めば59条1項・2項は「法律となる」という事実を発生させるための条件を規定しているので、そのような条件が存在しない場合に「法律になる」ということはない。しかしそれが現時点において法律にならないというだけでなく、将来において当該条件が整った場合にも「法律にしてはならない」という極めて強い規範的効果を生じさせる根拠が、条文の内部にあるだろうか。

このような規定の仕方をしている条文が一般的にそのような規範的効果を意図していると読めないことは、以下の例を考えれば明白である。例えば民法第3条は「私権の享有は、出生に始まる。」と規定しており、これはつまり「出生した場合には、私権の権利主体になる」という意味である(721条の問題はとりあえず無視する)。さてある時点(t0)において8ヶ月の胎児がいたとして、これは権利主体ではない。何故なら「出生した」という事実が存在しないからである。次に2ヶ月後(t1)、彼が無事生まれたとしよう。t0の時点で彼の権利主体性は否定されているわけであるが、t1において事実を発生させる条件(出生)が生じたにもかかわらず、彼に権利主体性を持たせることは(t0においてそれが一旦否定されたという理由で)永遠に禁止されるのだろうか。

もちろんそんなことはあり得ない。「条件が成立したら効果が生じる」という法文は「条件が成立していないにも関わらず効果を生じさせてはならない」という規範を含んでいると言って良いが、それ以上の意味、すなわち将来に対する拘束を含んでいるわけではない。従って、条文そのものに根拠が求められないとすれば、そのように特殊な効果があると主張する人がその理由(例えば、他の条文がそのような読みを前提しているとか、慣習ではそうなっているとか)が存在することを証明しなくてはならないはずだ。だが米原氏はそのような根拠を挙げていないし、おそらく日垣氏もそうだろう。というのは、そんな証拠は実在しないからである

そもそも「廃案」という言葉は憲法の中で使われていないし、特別の意味のある法律用語でもない。法案が成立しないという意味での「廃案」の用例は、日本の全法律のうち国会法56条4項「前項但書の要求がないときは、その議案は廃案となる。」のみである(総務省の法令データベースによる。なおこれは同条3項の「委員会において、議院の会議に付するを要しないと決定した議案」に関する規定。また衆議院規則・参議院規則にも「廃案」の用例はない)。「廃案」というのは提出された法案が(否決または審議未了のために)会期末までに成立しなかったということを意味する慣習的な表現であって、それに特殊な規範的効果があるわけはないのである。

さて、というわけで私としては(A)をトンデモ理論だと断じるわけである。それを米原氏が採用していることについては、私は専門であるロシア・スラブ関係を除く彼女の能力をまったく信用していないので別に衝撃的でもないのだが(スラブ関係なら信頼していると言いたいわけではない)、日垣氏が言っていたとすれば非常にショッキングである。というのは彼は法学部出身者のはずだし、法律問題についても(特に刑法39条をめぐって)相当の発言をしているからだ。しかしどうも当該発言は彼の有料メイルマガジンに掲載されたらしく、その読者と思われる人のブログによる言及もあるので本当らしくはあるのだが、わざわざ費用を負担してまで当該発言の存否を確定したくもない私としては未確定であると結論しておく。

それにしても憲法というのはこう何というかトンデモをいろいろと魅き付けるものなのだなあ、ということで某所にならってDQNアトラクターと呼んでおく次第である。

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Comment(10)

TK さんのコメント (2005年9月18日 13:07):

憲法でのトンデモ主張で最も衝撃的なのは、
「自民・公明で(衆議院の)3分の2の議席を占めるので、
自民・公明はやりたい放題だ。憲法改正も可能だ」
という、(朝日等の投書欄で見た)主張です(確か、投書には、憲法改正の公布が可能とあった←記憶なので不確かですが)(併せて、六法を見たら直ぐに分かる誤りをそのままスルーして載せた朝日の編集能力にも脱帽ですが)。

アニマル蛤 さんのコメント (2005年9月18日 17:04):

まあ,護憲派を自任する人ほど憲法を知らなかったりしますから・・・

おおや@ようやく研究室 さんのコメント (2005年9月18日 17:39):

>TKさん
それは単にあほうなのであってトンデモではない。トンデモには斜め上の正当化論理が必要ですよ。ええ。まあ朝日の編集能力についてはもう言うまでもないとして。

>アニマル蛤さん
知らないから護憲派でいられるのではないかという疑惑についてはいかがか。

アニマル蛤 さんのコメント (2005年9月18日 18:14):

>知らないから護憲派でいられるのではないかという疑惑についてはいかがか。

ご指摘ごもっともでございます・・・
まあ,護憲派といわれる人の多くは憲法を神社のお札のようにありがたがっているわけで,その「お札」を開披したり御利益を疑ったりすることは決してしませんからね。ただ,朝な夕なに拝んでさえいれば平和を守ってくれると信じているわけで,福沢諭吉みたくそれで尻を拭うことなど考えもしないのでしょう(いや,尻拭けとまではいわんが,本来信仰の問題じゃないんだし批判的に考察してもいいのではと思う。)。
かくいう私も昔はさる高名な憲法学者(もち護憲派)に心酔したことがある(私にしては珍しく「優」を頂戴してしまった)のであんまし人のことをとやかくいえないが,それでもここ10年ほどの社会情勢の変化を見てなお改宗しない(できない)というのはある意味すごいことだと感心する次第。
ちなみに「護憲か改憲か」という表現も不適切だと思います。改憲勢力だって非合法に憲法秩序を破壊しようとしているわけじゃないし,護憲をいう人だって例えば憲法改正手続の立法化そのものに反対するように自分に都合の悪い規定は無視するわけで。まあ,もともと憲法知らないから仕方ないですか・・・

fromage さんのコメント (2005年9月26日 13:11):

おおやにきさん,はじめまして。
少し気なりましたので,コメントさせていただきました。
もしご不快であれば,削除していただいて結構です。


(日本国憲法59条)
1 法律案は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、両議院で可決したとき法律となる。
2 衆議院で可決し、参議院でこれと異なつた議決をした法律案は、衆議院で出席議員の三分の二以上の多数で再び可決したときは、法律となる。
3 前項の規定は、法律の定めるところにより、衆議院が、両議院の協議会を開くことを求めることを妨げない。
4 参議院が、衆議院の可決した法律案を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて六十日以内に、議決しないときは、衆議院は、参議院がその法律案を否決したものとみなすことができる。

(asahi.com引用)
>「衆院の優越を定めた憲法59条にのっとり、衆院で法案を再議しても3分の2以上の賛成が得られず、両院協議会で結論が得られなかった場合に初めて解散が許される」と主張。

(「DQNアトラクターとしての憲法」本文より引用)
>総理の解散権は基本的に無制約であり、その決断が妥当であったかどうかはそれこそ直後の総選挙における民意によって示されるというのが憲法解釈の通説であったかと思うのだが、それを理解していない人間が市議を務めていられるというのは悪い冗談だよなあ、


当該原告が問題視しているのは,内閣が(重要)法案不成立を理由に解散権行使に踏み切るのであれば,憲法が59条で規定している法案処理手順を履践するのが大原則なのに,それをしなかったということではないでしょうか。原則たるべき手続き履践を内閣が「怠った」点が,原告にとっては,選挙無効にも値する「暴挙」だと映ったのでありましょう。果たして一市議に原告適格があるか,については疑問はありますが,憲法規定に対する問題意識としては自然なものではないかと思います。

もとより,おおやにきさんがご指摘のように,59条は,衆議院での再審議・再可決(2項)および両院協議会の開催(3項)が解散権行使にあたっての前提条件である,などとは規定していませんし,そう解釈するのも無理でしょう。しかし,だからといって,原告の問題提起が否定されると断じるのは早計ではないでしょうか。仮に,原告が主張するように,解散権行使に際しては59条が規定する法案処理手順を履践するのが原則であるのだとすれば,第2次小泉内閣は「例外的解散」を行ったわけであり,解散権行使にあたってはより厳しい要件が課せられるべきだとするのが道理でしょう。「コストに見合う実益がない」で済む問題ではありません。「例外的解散」を行うための要件とは何なのか,ということを考えさせる類の問題提起は,むしろ歓迎すべきではないでしょうか。

おおやにきさんが述べておられるような,解散権は基本的に「無制約」であり、その決断が妥当であったかどうかは直後の総選挙における「民意によって示される」という論法は,政治学としては成立し得たとしても,法律学としては落第ではないかと思われます。その論法は「とにかく政治は何でもあり」という無力な命題を言い換えたものに他ならず,解散権の所在をめぐる憲法問題を議論する基礎とはなりえません。これを「憲法解釈の通説」とまで持ち上げ,それを根拠に,当該原告の提訴自体を「悪い冗談」だとあざ笑おうとする態度こそがむしろ問題だと考えます。

学問に対するこのような基本的態度すら理解していない人間が高等教育にかかわっているというのは悪い冗談だよなあ,と言われても仕方がないのではありませんか。

おおや さんのコメント (2005年9月27日 02:35):

>fromageさん
ども、ええと、長くなりましたので別エントリで書きます。

よこはま さんのコメント (2005年9月27日 10:39):

ある種の罠があるように感じるのは、「その決断が≪妥当≫であったかどうかはそれこそ直後の総選挙における民意によって示される」の部分です。時間がなくて憲法の教科書を確認できていませんが、もしそのように記しているならかなり意味のとりにくい説明のように思います。つまり総選挙の結果が付与する「妥当性」とは何なのか、それは≪法的≫妥当性なのか。解散権行使自体の法的妥当性に関する人民の判断がどのように選挙で示されるのか、あるいは逆に政権与党の敗北は、解散権行使自体の法的妥当性がないことを示すのか。
おおや氏の理解は、このエントリと次のエントリから推測するに、解散権行使の正当性に関しては、シュミットのいうような主権的決断の問題になる、ということだと私は考えますが、シュミット的主権論的状況を法的妥当性の有無の関心で扱うことには、少なくとも一見したところでは違和感を喚起するものではあります。

但し以上の留保は、59条に依拠して今回の解散の違憲性を問うことが無理筋である、というおおや氏の議論に賛成することを妨げるものでは全くありません。

おおや さんのコメント (2005年9月28日 16:41):

>よこはまさん
ども。なんかどっかで問題になった気もするのですが、私が「妥当」と注意書きなしに使うときはvalidityじゃなくてpreferabilityです。つまり一般的な日本語の「妥当」の意味であって法的妥当性ではありません。
基本的に解散については7条からvalidであり、直後の選挙で問われるのは政治的責任のみになると考えます。ただ、政府見解でも何の理由もない解散は許されない(政権基盤の強化、あるいはさらに消極的に任期切れという選択の余地のないタイミングでの選挙を回避するための解散といった理由すらない場合)ようなので、例えばいま再度衆院が解散された場合にはinvalidになり得る余地があると思いますが、統治行為論からするとそれは裁判所ではなく政治プロセスに委ねられるべき問題であり、だとするとやはり直後の選挙で争われることになりますから、解散に関する政治的責任の問題やその他の論点と独立にその点を判断することはできないことになるのではないかと思います。
ので、結局解散の問題に関するvalidityを単独で問題にできるケースはない、と考えています。まあその、参議院が解散されたりすればそれはinvalidですし、裁判所がそう判断するでしょうけど。

Gryphon さんのコメント (2005年9月28日 22:13):

一応、参考として日垣隆氏の原文をお伝えします。
同氏が発行する個人メルマガ「ガッキイファイター」8/23号の一部です。

-----------------↓ ↓ ↓-------------------

・・・これもなぜかマスコミで無視されているわけですが、あの郵政民営化法案は継続審議になったのではなく、憲法第59条の定めるところによって、正式に廃案になったのです。

いったん廃案になった条文を部分的に修正しても、再び国会に上程することは明らかに憲法(第59条)違反です。しかも、あの法案を否決した参院の構成は、あたりまえのことですが、衆院解散前と変わっていないのです。憲法違反を敢えておかして同法案を再度上程しても、参院を通る道理がなく、もし通っ
たら参院など要らない、ということにならざるをえません。・・・・
------------------------------------

おおや さんのコメント (2005年10月 1日 23:28):

>Gryphonさん
おお、ありがとうございます。で、見る限り、あきませんなこれは。
59条の解釈については既述の通り。同一法案が参議院を通るかについては、事実問題としては同一の議員でも投票行動を変える可能性がありますし、それは憲法でもいかなる法律でも禁止されていない。それはけしからん、というのは一つの見識ですが、ニューディール期のアメリカ連邦最高裁のように、民意が示された以上はそれに従うことが責務であるという考え方も一つの見識です。
というわけで、がっかり。

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