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選挙戦続く
結局、東芝RD-XS37とか買っちゃったわけですが何か(挨拶)。持って帰ってこれからセッティングですよ。出発前夜に何やってんだか私も。
さて、まあ相変らず選挙戦と選挙報道が続いているわけで、前にも述べた通り朝日新聞が表面上の中立性を維持しようともしていないあたりはまあ「必死だな」の一言で済ませておけばいいのだが(いやまあ結果がどうなるかわからないけどね)、週刊誌になるとさらに余裕がなくなって見苦しい。
週刊朝日は造反議員の選挙区に立てられた自民党公認候補たちについて「アメリカかぶれ」と呼んでみたりして、戦前の朝日に戻ったんですか?というか韓国の親米派狩りみてえというか。女性が多いことについて「イメージアップのために使われている」とか批判してる女性団体(と称するもの)もあるようだが、今回の候補者には前議員とか有識者とか官僚とかいわゆるキャリアのある人々が多いのであって(いやまあ料理研究家が政治に役立つキャリアかと言われればそれはなんだが)この方々をイメージ向上の道具と評することはむしろ女性のキャリア形成と専門性を認めていないことになるのではないかと思うがどうか。つうかお前ら社会党の「マドンナ旋風」の時には何を言ってたんだ。
一方、普段は朝日的なるものを批判し続けている週刊文春も小泉政権を敵とするところでは軌を一にしており、しかし端から因縁つけなので至るところで矛盾に陥っておりダメダメである。今週は小泉総理の政治手法が強権的なのでこのままでは周囲にイエスマンしかいなくなると批判、例として衆院解散に反対した島村農水相が罷免されたことを挙げているのであるが、同じように反対した(しかし最終的には総理の意志に従った)麻生総務相には「選挙後も留任」の観測がされており、じゃあ総理は反対者に苛酷なのか寛容なのかどっちなんだと小一時間問い詰めたいところである。
まあ要するに反対意見を述べることと決定に対して反対行動を取ることの差がわかっていないということなのだが、しかし反対閣僚を罷免できる総理の権限が独裁防止のために導入されたということをどう考えているのか。
こういうことである。閣僚の中に反対者がいて説得にも応じないとして、それを罷免する権限が総理になければ、閣内不統一が生じるのであるから内閣は総辞職せざるを得ない。戦前の大日本帝国憲法においては総理大臣が閣僚中の首位に過ぎず、他の閣僚の任免権がなかったので、こういうことが良く起こった。さて総辞職した内閣の総理に再度組閣の指示(大命降下)があった場合、彼としては閣内不統一を生じさせた閣僚を排除した政権構想を立てるわけだが、この際にしばしば問題になったのが軍部大臣現役武官制である。すなわち戦前においては(1913年から36年を除き)陸軍大臣・海軍大臣については現役の大中将でなければならなかったため、軍部大臣が閣内不統一を生じさせ、かつ当該軍部が後任大臣の推薦を拒否した場合、総理は新内閣の組閣を断念せざるを得なかったのである。特に第二次大戦に向かう時期においてはこれが問題化し(一例として米内光政内閣)、軍に対する政治のコントロールを失わせる大きな要因になった。なおこの問題は軍部大臣に関して起きるだけではなく、連立政権内部での対立でも発生した例がある。要するに総理の罷免権を認めないということは少数派に拒否権vetoを認めることに等しく、それは少数派の独裁を意味するのだ。日本国憲法はそのような少数派支配を排除し、選挙により構成された多数党に立脚する総理大臣による「多数派の支配」を定めたということになる。
とはいえ、そのような性質が明瞭になった(なりつつある)のはごく最近のことである。長いあいだ行なわれていた衆議院の中選挙区制は少数派に有利な・多数党を極めて構成しにくい選挙制度であり、自民党政府は派閥を単位とした連立政権的な性格を強く帯びていた(従って55年体制における自民党長期政権は表面的には一党による長期政権だが現実的には内部で支配的派閥の交代があり、政権交代が生じていたと考えた方が良い。日本で自民党による長期支配が続いているとするノリミツ・オオニシ氏の論説(Norimitsu Onishi, "Letter from Asia: Why Japan Seems Content to Be Run by One Party" the New York Times)は、非自民連立政権(1993-94)って何でしたっけという問題を横に置いておくにしても、不適切である)。小派閥であっても党内の勢力構成においてキャスティングボートを握った場合、連立を崩壊させるという脅しによって実力以上の配慮を勝ち取ることができたわけだ。これは一方で「多数派の専制」に対する少数派の防衛障壁になり得るが、他方で上記の通り「少数派の支配」を生じさせる懸念もあった。
ところが衆議院は1993年の選挙制度改革で小選挙区制度を(全面的ではないが)導入したのであって、それはつまり多数党と少数党の関係において多数派に相当の有利を与えるとともに、党内では公認権を背景に執行部に非常に強い権限をもたらすような改革であった(というのは純粋小選挙区制度に立脚する議院内閣制であるイギリスの民主政を見ればわかることである)。今回の選挙に、少数派に強い拒否権を与える合意形成型の政治システムか、多数派の指導者に強い権限を与えるリーダーシップ型の政治システムかを選択するメタ的な側面があるという指摘(誰が言ってたんだっけな)はまったくその通りなのだが、私にすると何をいまさらというところもある。つまり制度はすでに準備されており、今までの総理はそれに気付いていなかったか、使おうとしなかっただけだということなのだ。もちろん、今になってリーダーシップ型の政治に反対を主張している人々の中に、このような改革にコミットしていたはずの人々がいることも注意されるべきである。
じゃあお前どう考えるんだと問われると、イギリスのように非常に強いリーダーシップを形成することには少数者の権利保障の面で不安があり、井上達夫の「批判的民主主義」構想のようにそれを司法府に期待することにも諸手を挙げては賛成しにくい。しかし従来のような「少数派の支配」もまったく支持できないのであって、結論的には極端に進まないように注意しつつ小泉政権的なリーダーシップ形成に賛成するということになる。この点、「イギリス的方向に進むこと」と「イギリス型まで進むこと」は別なのであって、前者を後者に行くまでに止められるかどうかはまさに我々の民主政の強さにかかっているわけだが、いわゆる改革を批判する人々に限ってこの点をごっちゃにしたり、「アリの一穴」論という要するに人民の判断能力をまったく信用してないんですね?という議論に依存したりするのは大変にいかがなものかと考える次第である。
はじめまして、おおや先生。いつだったか、つれづれなるままに「菊田幸一」で検索かけたところ(しかし何で私もそんなもので検索かけたのか)、このブログの例の書評に辿り着き、以降楽しみに読ませていただいております。ちなみに私も菊田氏の死刑廃止論を昔読んで、こういう輩が死刑廃止の旗を振ったのでは逆に存続派が増えるのでは、と余計な心配までしたクチです、はい。
で朝日の記事ですが(私は精神衛生上の理由から朝日は読んでいませんが)、まあ赤旗ほどじゃないにせよ朝日読む人にはもともと自民党支持しない人が多いだろうし大勢に影響はなかろうかと。ただ、露骨に自民を批判するのであれば、むしろ欧米の新聞がそうであると伝えられるように(自分で確認した訳じゃないです)はっきりと「我が社は岡田民主(powered by Ozawa)支持です」といってくれた方が清々しいような気がします。表面的に中立公正を装いつつ、読者をある方向に誘導しようとするから何となくいやな気分になるわけで。まあ、これは多かれ少なかれ他社にも見られる傾向ですけどね(程度の差こそ重要ともいえますが・・・)。「有権者は棄権しちゃ駄目だ」とか、「熟慮の上で投票を」というような一般論(それ自体は文句つけにくい)を並べるだけならともかく、「有権者には賢明な選択が求められる」などといわれると、じゃあお前のいう「賢明な選択」とは何なのだ、社説とか読んでたら何となく分かるけどはっきりいえと噛みつきたくなったりするわけです。こんなこというの、私だけかも知れませんが。出張頑張ってください。
私は、自民支持の朝日購読者ですが、朝日って(最近)変ですね。例えば、識者のコメントやインタビューについて、内容をチェックしていないのでしょうか?
先日、愛知県版に、総選挙について、名古屋の大学院生の女性のコメントが載っていました(実名・写真入り)。内容を見て驚きました。
(要旨)
1 自分の両親は教師で、子供時代、夏休みを両親とエンジョイしていた。
2 実社会を経験してみると、民間で長期間の夏休みを取れるところは希であることが分かった。
3 長期間の夏休みが取れる公務員は恵まれている。
というものでした。
事実誤認も甚だしい(民間は長期の夏休みを取れない、とか、
公務員は長期の夏休みが取れるとか、という基本的な事。教師と一般公務員を同じと思っていること)のですが、紙面に載せるに当たって、何もチェックをしていないのでしょうか?
あと、大学院生って。。。。。。。
やあ、ようやくインターネットのまともに通じる国に戻ってきましたよ(泊まったホテルの環境が悪かったとも言う)。
>アニマル蛤さん
ども。いや新聞各紙に特有の立場があることなんざ常識の範疇なので言説が偏るのはいいんですが、今までは少なくとも中立性を標榜していたし、歴然たる偏りを見せないところが「高級」たる所以とされてきたのではなかったかと。そういう意味で従来はそのテクニックを見破るリテラシが読者に求められてきたわけですが、今回のような状況ではその必要すらなく鼻白むなあと。
>TKさん
ども。識者のコメントや寄稿の中身はチェックしてないだろうなあ、というのは以前の「状元」問題でも明らかだとは思うのですが(山形浩生さんも「Be」連載の担当編集者が読んでねえという話をどこかでされていたような)、それはまあ中の記者が書けないから外部の識者に依頼するのであってチェックできるわけがねえとも思います。
投書欄とか一般人のコメントについてはそういう問題はないわけですが、まあチェックしてないのかする気がないのか。今回の例などは郵政民営化を優先させる小泉方針の批判という意味では朝日の論調に合致しているわけで、意図的なデマゴーグなんじゃねえかという気もします。つうか「教師の夏休みは長い」というのも過去の神話というかお前の親の世代がいい加減なことやり過ぎたから研修だらけで休めなくなったんじゃねえかというかそもそも高校と大学では違ってわしら夏休みくらいしかまとめて研究する暇ねえもんなというか。
その貴重な夏休みを使って(しかも締切を抱えつつ)仕事で外国出張する私を誰かほめてください。面白かったからいいけど。