前の記事: 裁判員と陪審(2・完) << | >> 次の記事: M.I.B.
批判と信頼
久しぶりに週末にオフが取れるかなと自宅でだらけていたところすごい勢いで仕事の増えた金曜日(挨拶)。誰だ俺を監視してるのは(被害妄想)。さて民主党が小泉総理を含む複数の議員が飲酒して本会議に出席したとして懲罰動議を提出した件(関連記事: goo経由asahi.com)、根拠が「顔が赤かった」のと「確認に対して返答しなかった」ことだ、というあたりで相変わらずの脇の甘さに腹を抱えていたところ今週の週刊朝日が追加調査をもとに支援攻撃。
と思いきや、結局「総理のスケジュールに1時間半の空白がある」のと、総理の隣りに座っていた高村元外相が「確認に対して返答しなかった」というだけの内容で疑惑を匂わせており、今度は頭を抱える。いやまあ民主党の方は院内の行為だから刑法上の名誉毀損にはならないし(憲法51条)、週刊朝日の方も断言を避けてあくまで疑惑が残るとしているだけだからクロにはならないと思うけど、しかしこれが真実であるか、あるいは真実であると誤認するに相当の理由がある場合にあたるかどうかというのは問いつめたい。
いやまあ本題はそこにはなくて、この緊張感のなさは何だろうと思ったわけですよ。野党として政権与党を攻撃していたり政府批判していたりするわけですよね? それでこの脇の甘さというのは、結局反撃されることを想定していないんだなと。現に今回は自民党から逆襲されて攻撃失敗に終わったわけですが、良かったよね日本で。シンガポールだったら裁判で潰されてるよと(まあ1997年にそういう事件が本当にあったわけで……院内発言ではなかったと思うけど)。考えるまでもなく相手は国家権力を握ってるわけで、アヤつけてこようと思えばいくらでもできる立場ではある。現に戦前には内務省の露骨な選挙干渉なんかがあったわけだ。それを相手に喧嘩を売るのにきちんと尻尾を踏んづけておかないというのは、よほど相手がそういうことをしてこないと信頼しているのだろうかと。
と思う一方、古くは通信傍受法やイラク特措法、最近だと人権擁護法案をめぐる論議ではいかに国家権力が信頼できないかという話になっている。いやもちろん個々の議論に関与している人の立場というのが統一的に理解できるかという問題があるのでそう単純には言えないんだが、しかしいったい我々は国家を信頼しているのか、信頼していないのか(まあそもそも法律を変えたら社会が変わると思っている段階で非常に高度の信頼が成立していると、発展途上国と比べれば思うわけではあるのだが)。このあたり、マスメディアの位置付けという問題も絡めて考えてみないといかんなあという覚書きであります。
あ、なお私、お金のいただける仕事については常にウェルカムですのでそのあたり誤解なきよう念のため。お金の増えない仕事は……まあ、宮仕えですからね、ええ。
Trackback(0)
このブログ記事を参照しているブログ一覧: 批判と信頼
Write Your Comment