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難問(補足)
え〜と、以下前のエントリに対する補足。
(*1) もっともその後の展開は十分に正しいとは思われない。問題は第一に、「『国益』ということば」に「領土の保全・実効的な法治・通貨の安定」を託すのが「たいへんリアルでクールな条件」と言えるのかという点にある。後二者についてはまあそうかなとも思うが、領土の保全は何故重要なのか。もちろん領土を喪失しまくったあげく国民の住む土地がなくなってしまえば問題だが、例えば沖ノ鳥島という誰も住むことのできない土地を失うことの何が問題か。いやもちろん問題ではある。それは同島が巨大な排他的経済水域を生み出し、我が国の経済力に、ということは我々国民一人一人の経済状態の改善に貢献しているからだ。では居住可能性がなくそのような経済的影響を持たず、さらに治安国防上の重要性もない領土がどこかにあったとして、それを守ることは重要だろうか。もちろん持っていればいつか何かに使えるという発想はあり得る。しかし何かを持っていることは通常その管理に要するコスト負担をもたらすので将来の利得がまったく見込めない物件を所有し続けることは合理的選択であるとは言えず、欲しがる国があるなら適切な値段でうっぱらったほうが得策、ということはあり得る。その可能性が認められるとすれば「領土の保全」というのは絶対の条件ではない。
要するにそれらはすべて、結果として生じる我々一人一人の国民の利益(の総和)を確保し改善するための手段に過ぎない。それを「国益」と呼ぶのは、いちいちそう呼ぶと面倒だからというお約束に過ぎない。だが一度付けられた名前はあたかも実態があるかのように振る舞い始め、個々人の利益を離れた国家独自の利益としての「国益」などというものを想定する人々が現れる。それにおつきあいしてしまう段階で到底クールとは言えないと思うのだが、もっともこれは「政治的イデオロギーとか宗教的信念とか芸術的好尚」と対比されている表現であるから、さほど問題視するには当たらないかもしれない。
第二に、政治家は「自らが下した重大な政治判断の適切性を有権者に説得する努力」を為すべきか、という問題である。上述の通り民主主義国家における政治家は二つの目的を追求する必要があるところ、両者が完全に一致している、あるいは(1)を実現すれば有権者がそのことを確実に認識し(2)に反映させるという考え方は、理想ではあるかもしれないが現実ではない。両者が相克する場面があり得ることを前提した場合、にも関わらず自らの判断の理由を有権者に表明しなくてはならないかは問題であるし——何人も自らに不利な供述を強制され得ず——、また重大な政治判断をほぼ行なうことのない野党指導者がその義務を免れていることとの均衡も問題になろう。
(*2) なお前者に関し内田氏は、アメリカが強い反対を為し得るはずであるところしていないからには政治的にそれを問題化させないという思惑があるはずだと述べているが、多くの在日米軍関係者、第二次世界大戦における敵国を含む多くの在日本大使館駐在武官が自ら靖国神社を参拝していることを考えると、旧敵国の指導者を含む犠牲者が追悼されることは不愉快だし、その感覚は保護されるべきだという感覚の方が例外的である可能性について考慮すべきであり(ロシアの戦勝記念式典に日独伊の首脳が招かれ、かつ日・伊の総理は戦勝国の首脳たちと並んで犠牲者への献花を行なっていることも参照せよ)、仮にそうだとすればアメリカと「東アジア共同体」をめぐる氏の議論はその主要な立脚点を失うことに注意すべきである。じゃあ間違っているかといえば直ちにそうなるわけではなく、それをアメリカが歓迎していないことは事実だと思われるが、アメリカがどう思うかとは無関係にそれは空虚な夢想に過ぎないし、日本が歓迎するいわれもないと私は考えるだけである。つうか朝鮮半島統一問題について関係国を減らして当事者の努力にできるだけ委ねたとして、ある推計によれば少なくとも500億ドル(5兆円)から最大6700億ドル(67兆円)になると予測されている統一費用をどこから調達するつもりなのか。ちなみにこれはアメリカのランド研究所が国防長官室(the Office of the Secretary of Defence)の依頼で行なった研究North Korean Paradoxes: Circumstances, Costs, and Consequences of Korean Unificationの推論だが、サマリによれば4〜5年のうちに北朝鮮のGDPを2倍にするのに必要となる費用に限定した数字である。北朝鮮の一人あたりGDPは韓国の6〜12%と推計されているので、つまり生活水準の(ある程度の)平準化に必要な総費用には全然足りない。念のために言うと東ドイツの一人あたりGDPは西ドイツの25〜33%であったが(1990年)、経済水準に未だ大きな格差が残っていることは指摘されている通りである。同報告書は(1)統一後には北朝鮮の膨大な軍事費負担の必要がなくなるはずである、(2)現在軍事に投入されている膨大な労力を国土建設に転用できるかもしれない、(3)日・米・中・EUなどの関係国や国際機関が資金提供するのではないか、といった理由を挙げて何とか韓国政府の短期的負担を軽く想定しようと試みているのだが、過程と目標決定にコミットできないのに金を出す馬鹿はいないだろうから(3)が消し飛ぶわけで、ちなみに2/3が(3)から出てくると仮定しても韓国はGDPの最低0.9%から最大11%をつぎ込む破目になるわけですが何か。
つうか誤った結論から出発して議論を組み立ててるから変な被害妄想に陥ってるんだけど、本質的には師匠がアジア的価値論に加えた批判と同様の議論があてはまるのではないか。裏返しのオリエンタリズムというか、欧米に対する反感が東アジアの共通性を幻視させると、まあそういう話。
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おそらくおおや氏の見方(内田先生の偏向の傾向)は正しいんと思うんですが、するってーと小泉首相は一体何を目指して靖国参拝をしてるんでしょうか?
もちろん正解が無いのは分かってるんですが、お遊びでもいいんでご意見を拝見したいです。
(このエントリをよく読め、と言われたらぐうの音も出ませんが…。ひとつ、ぜひ)
はじめまして。
いつも楽しく拝読しております。
(*1) について。
確かに局面によって「一人一人の国民の利益(の総和)を確保し改善するため」に不要な領土というものが存在することは御指摘の通りですが、
とりあえず類型的に国益である場合が多いという意味で「国益」にカウントしておいて、具体的な利益衡量によって国民益に反する例外も判断していくというのも、十分合理的な在り方だと考えられます。類型的に国民の益になりやすいという意味で国益を具体化しておくことには、それなりの意味があると思いますので。
内田先生が国益を「国民益とは別の独自の利益として最優先すべきもの」と硬直的に考えているとは思えませんし、とりあえず設定された国益の内容に関しては不問に付してもいいんじゃないでしょうか?
と思うんですが、どうでしょう。
一定の「リアルかつクール」度は具えているので、つっこむほどのことではないなと思ったのです。
後半に書かれていることをもとに、国益という言葉を用いること自体が「個々人の利益を離れた国家独自の利益としての「国益」などというものを想定する」ことを助長することになるという批判をしていくこともできそうですが、そうまでして批判するほどのことでもないですね、やはり。
「第二に」以降でおっしゃっていることが、とてもシャープで良いので、その前の部分がない方がぼやけなくていいのになぁと思った次第です。
失礼いたしました。
>mamodolianさん
ども。そんなん私にわかるわけなかろうもん(笑)、というか、きっと一つではないだろうなと思います。自民党橋本派へのいやがらせというのも小さな話としてはあるでしょうし、マクロな話としてはおそらく中国との関係が長期的には対立でしかあり得ないという読みのもとに将来の選択肢を限定しようとしているのだとは思うのですが。
>naoさん
ども。ええまあ全体としてそもそも補足であるし私用のメモという面もあるわけですが、しかしこの、「リアルかつクール」と言いつつ途中で立ち止まってしまっているところが内田先生の議論の特徴の一つだとは思います。つまり、本当はそれらがすべて個人に還元できることを前提としつつ議論の便宜のために「国益」という言葉を使っているのではなく、国家というものを(私からすると)うかうかと実体視してしまっているところがある、それは東アジア共同体論の背景にある「儒教圏」という考え方、つまり文化実体論と共通した問題点なのだと思っています。
>おおや先生
お忙しいところ、お返事をいただき、ありがとうございます。
>本当はそれらがすべて個人に還元できることを前提としつつ議論の便宜のために「国益」という言葉を使っているのではなく、
ふむふむ、なるほどです。おおや先生が内田先生の用語法についてそのように印象にお持ちだったとすれば、私が蛇足だなあと思って余計なことを言ってしまった部分にも十分に意味はあることになりますね。訂正してお詫びいたします。
ところで、内田先生は国家についての問題が出ると「国家はもちろん幻想である。だが、それは有害無益であるということを直ちに意味せず、有用であれば幻想で構わない」というような枕を振ってからよく話をされるので、国家を実体視しているという印象を私は持っていないのですが、「例えば、こういうところから読み取れるんだよ」というような部分を「儒教圏」のエントリーとは別のところでおおや先生が御存知でしたら、ちょっと教えていただきたいです。
(「調べて、教えろ」という意味でなく、すぐに思いつく適当な例があればということです。お忙しいことと存じますので、それでもちょっと面倒ということであれば、もちろんそれで構いません。)
ソースは「内田樹の研究室」の過去ログでも、内田先生の本でもなんでもかまいませんので。自分でもこれから洗ってみたいと思います。
このエントリーと直接関係ないですが、おおや先生のおっしゃるとおり憲法問題や中韓問題についての内田先生はまるで別人のようにおかしいと私も思います。
「戦略」とは、内田先生が好んで使われる言葉ですが、それらの問題に関する内田先生の発言がいったいどのような戦略を達成するためのものなのか、それすら読み取れません。
おおや先生は内田先生に対して「先生、あなたのやるべきことはそんなことじゃないですよ」というスタンスで批判しているのが、とても素晴らしいと思います。私もまさにそんな気持ちですので。
それから、最後に。内田先生のところの関連でしかおおやにきを読んでいないかのような印象を与える失礼な文章になってしまったかもしれませんが、おおやにきはいつも独立のものとして楽しみに読んでいます。これからも更新がんばってください!
それでは。
お忙しい中お答えいただきまことに有難うございます。また返礼が遅れたことをお詫びします(実は名古屋出張で…)。
ところで内田先生はレヴィナシアンとして「顔」を探し出し、合気道家として「身体」を幻視してしまうのではないでしょうか?
それが上手くいく場合もあれば上手くいかない場合もある。 で、そこんところを判断するのは読者の裁量なのではないでしょうか?
コメントフォロー中。
>naoさん
ども。ええと正直、この点について内田先生が覚めきれない(妙な思い入れを払拭できていない)のは中韓関係の問題についてだけなのではないかとも思いますが、一例として、そもそも「中国は」、とか語っていいのかなとは思います。こうつまり、日本という国は東京にある政府が何かを決めたら概ねそうなります。韓国もそうでしょう、たぶん。しかし北京政府が何かを決めたら全土がそうなるのかどうか。そういう意味での近代国家とか中央政府なるものがどのくらい成立しているのかという点がまず問題だと思うのですが、内田先生はそういう中国内部の問題や差異には自覚的でないように見えます。「儒教圏」も文化的共通性があるという話なのか政治的フレームワークにそういう名前を付けましたという話なのか判然としませんが、前者ならウイグルとかチベットとかが問題でしょうし、後者なら台湾問題を無視できないはずなのですが。
念のために言うと、連邦制なり地方分権なりというのは、しかし特定の問題についてどこの誰が権限を持っているのか(他の人々は従って持っていないか)ということは明確なので中央政府が成立している類型の一つです。もう一つ、このような政府の未発達というのは発展途上国にはよくあることであって、中国だけを取り立てて悪いとか言うつもりはありません(規模が大きいだけに確立が大変だろうなとは思いますが)。国家は幻想だと言いつつ、その幻想が世界中のどこにでも成立していると思ってしまっていないかと疑っているわけです。
>mamodolianさん
ども。名古屋はもう街中が温水プールのプールサイド状態です。出張で済む人はいいなと思います(笑)。で、顔と身体の話、まずそれはその通りで良いのですが、法律家としてはそれで済まされないわけですよね。「俺は確かに顔を見たんだから国家賠償に応じろ」とか言われても困るわけで(「俺は金を払う」ならご自由ご勝手なんですが)。誰にどのような責任があるのか、それは(最終的には)いくらの金銭に相当するのかを、普遍化可能な、ということは理念的にはあらゆる第三者が合意せざるを得ないように定める必要があるというのが法の次元です。その意味で法律家というのは常に非=道徳的だったりもするわけですけども、ねえ。
おおや先生
再度のお返事、本当にありがとうございます。
「国家は幻想である」という言明の中に「幻想としての国家は成立している」という考え方を読み取ることができ、ゆえに「幻想としての国家も成立していない」場合を見落としている可能性がある、ということで誤りはないでしょうか。また、初めからそういう意味で「実体視」とおっしゃっていたのですね。
丁寧に理路を説明していただき、ありがとうございました。
自分が見落としていた他の人の考え方の筋道を追うのはとても楽しいですね。しかし、おおや先生にはお手数をかけてしまいました…申し訳ありません。
>naoさん
ども。ええ、そういう意味で良いかと思います。私も書きたくて書いてるだけですからお気になさらずに。はい。