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ええと一応お答えしておきますか。まず別に批判されても怒ったりはしません。モノを書くというのはそれに同意しない人々から反論される可能性を受容した上で成り立つ行為ですから、しかるべき批判を受けるのは当然のことです。まあそりゃ無根拠な推測とか書かれれば怒りますが、そういう内容ではないですね。もちろん批判するということもモノを書くということである以上それに対する反批判を受ける可能性があるということはご覚悟の上だと思いますが、と書くけどそれはおわかりのようだからいいか。

ですがまあ一読した上で申し上げると、遺憾ながら対話が成立するだけのレベルにないというのが率直な印象です。一言でいうと「当惑」に近い。それは批判された私だけではなく、まああまり勝手に忖度してはいかんのですが、それを通じて擁護された内田先生もこれを読むと当惑されるのではないかという意味コミで。

まず最初に、「ポラライズ」の意味については基本から間違っていますからrhetoricの基礎で良いので勉強されることをお勧めします。内田先生の文章の「世の中には三種類の人間」というのは抽象だから、「現実にこれからはずれる人間は『その他』とでもして分類しておけばいい」とお書きですが、多分これ聞いたら先生目を回しますよ。「世の中には三種類の人間とその他がいる」なんてえのが先生の文体ですかね。もちろん本当は三種類のあいだにも重なりがないという保証はなく、ある人間は「A要素20%、B要素50%、C要素20%、その他10%」かもしれないわけです。その可能性を踏まえた上で、しかし抽象しないと理論が立てられないので、統計上の有意性を確認していく(つまりそういう抽象に根拠があるかどうかの根拠を提示していく)のが通常の科学的な探求というものでしょう。

内田先生の特色であり魅力であるものは、そのような留保や抽象への根拠といった要素をすっとばして「三種類」と思い切り良く断言するところにあるわけで、つまり三つの色の中間調や他の色をすべて飛ばしてしまうわけです。だから「ポラライズ」polarize。念のために言うとこれは評価ではあるが必ずしも批判ではありません。ポラライズを排除した科学的な文で評論や文学は多分書けないから。そもそも「内田氏の魅力はそのポラライズにある」という私の文自体がポラライズです。factualな学を守るという大義名分(に本当になってるかどうか知らんが)のために、私は内田氏のrhetoricにrhetoricで対抗しているわけですな(本当に対抗できているかどうか知らんが)。

で、これは前半部の評価につながるのですが、rhetoricをお使いの述語論理程度で適切に分析できましたっけ。内田氏が論理的に言っていることがある程度あったとして、それによって受容者が受け取る意味はそれ以上のものであり得るというのがrhetoricではなかったでしょうか。「受容者にとっての意味」を広げるためのトリックを、改憲を「軍事大国化」と飛躍的に結合させる平川氏の論説を肯定的に参照する点とか、戦争を回避するために改憲の必要性を唱える論者の存在に言及しない点とかに見出すことができる。特に後者の点は「言わなかったこと」が一定の意味を持ち得るという話であり、お使いの程度の論理では分析不能でしょう。つうかあまり単線進化的なモノイイをするのも良くないんですがAustin以前かよと頭を抱えたい気分。

というわけで、まあ批評理論の教科書の一冊も読んでからおいでなさい、というのが結論であります。というか批評理論の訓練をきちんとやってもいない私にこう言われるようではダメですよと。

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おおや さんのコメント (2005年6月11日 15:41):

よく考えると怒らなくても機嫌が悪くなったりするわけですがまあこれは人間天然自然の情ですから咎め立てしても仕方ないというか、しかし「うを、そうきたか」ってえ批判だったりすると批判されてるはずなのに楽しくなってきちゃったりして、なかなか難しいものです。ええ。

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