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著作権・への意識
ぐふ屋発見。いえ私は見てなかったので ぐふ とか ざく とか何が違うのかよくわからんのですが。
さて水曜二限の一年生向け講義「法と政治の思想」の分担部分も先週で終わり、午後の教授会も流れたのでオフにできるかなと思ったのですが急遽お呼びがかかり、大学院多元数理科学研究科で行なわれた講義にゲストで出てまいりました。ええと要は数学科なのですが、大学入学以来すっぱりと縁を切った私に何用あってのことかというと科目名は「計算機数学」であり、つまりネットワークリテラシと著作権あたりに関する話をやるから補足しに来てくれという話でした。担当の先生と全学委員会でご一緒しているのですが、ええと、いいのか私で。まあその、折角ですから「憲法は私人間の行為に直接適用はされないんですね」とか「違法行為だからただちに悪というわけではないですね」とか法律家2Pモードでお話ししてまいりましたが。
事前に行なわれた試験の解説をフォローして学生の質問に答えるという話だったのですが、もっぱら担当教員の先生方からの質問に応答していたり。著作権むずかしいよねえと嘆息しておられましたが、なに法学部の教員だって著作権法の規定知らない人間がごろんごろんげふげふ。
いや問題はむしろ、基本的に善良であり(と信じる)、他の法分野(例えば刑法や道路交通規則)はおおむね苦もなく守れる人々が、何故著作権については苦労するのかという点にあると思うのです。それはもちろん第一に、交通規則における教習所のような系統的に学習する機会が存在しないからですし、第二に情報財と知的財産権の重要性が短期間のあいだに急上昇したことの反映でもあるわけですが、本質的には現行著作権制度の抱えている「無理」のせいだよな、と思います。つまり著作権は法文上は無方式主義であり基本的にはどんな著作物にも認められるわけですが、従来は事実上一定の財産的価値を持つものだけが問題として扱われてきたわけです。しかし情報化に伴って発信能力が万人に拡散していくと、今までは事実上無視されてきた無価値な・財産的価値の低い著作物についても法律上は排他的権利が存在しているということがトラブルの源泉になってくる。普通に行動すると著作権を侵害してしまう(ことがある)という事態は、そのような制度と意識の乖離(制度と、意識を作り出す社会化への制度の乖離)の結果なのだろうと。まあそういう話です。
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♪く~もえ~も~ん~、く~もえ~も~ん~(挨拶)
…本題とは関係ありませんが、表題を
「著作権・屁の意識」と誤読してしまいしました。
…あるいは意図的なものなのでしょうか。
>内藤さん
まさかそのような。私は知財アナキストではなく利用料転換派という穏健な立場です。金なら払うからガタガタ言うな派、とも言いますが。インセンティブ付与のために独占権構成を選んだ点に問題があるわけでして、適切な知的財産権の存在自体は有益だと思うわけですよ。
日本経済
への期待
という話(遠藤周作)を思い出しました。