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雑感

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主指導教員として大学院生の指導を引き受けることになりました。はじめて。何故に同じ法哲学の教授ではなく不肖私が担当することになったかというと、ラオスからの留学生だからであります。研究指導も論文執筆も英語ですので、まあ負荷分散というわけですな。ところで私、英語で研究指導を受けたことも留学したこともないわけですが。だ~か~ら~。orz

  • 「最近のコメント」の表示がうまくいかなかったのを、四苦八苦の末修正することに成功。MovableTypeのバージョンアップの際にバックエンドをBerkley DBからmysqlに移行したことに伴う問題でした。やれやれ。
  • 前のエントリへのtruely_false氏のコメントに関連して。Taub氏の本に関する内田先生のエントリはうっかり読み飛ばしていたのだが、ようやく話のつながりを理解した。基本的にはtruely_false氏のご指摘が正しく、内田氏の反論は悪質な開き直りの域を出ていないと思う。いや「愚かしい幻想」も人間の行動を左右するので現実的に大きなパワーを持ち得るというのはまったく正しいのだが、しかし幻想が物理的な財を生み出し得るわけではない。夢のために3日間の飢えを耐え忍ぶことはできるだろうが、1ヶ月何も食べずに生きていけるわけではない。それは我々の世界のアーキテクチャである。疑うものは「大躍進」を見よ。
  • つまり幻想の力を知らぬ卑小なリアリストが愚かであるのと同様、現実の制約を無視する尊大な夢想家もまた愚かなのである。本当のリアリストはその両面を見なくてはならず、そのことはまさにマルクス自身に示されている。つうかエンゲルスがいなかったら飢え死にしてるでしょ、あの人は。幻想を通じて人々の共感を駆り立てるアジテーターと、その背景で冷徹に金勘定をする実務家がいて世の中うまくいくという話が、例えば新興宗教団体に関する「ヒメ=ヒコ分業制」である。
  • さてその話を抜きにしても、まあTaub氏の本自体を読んでいないので確言したくはないのだが、「儒教圏」なるものは裏付けなき幻想だという気がする。「東アジア共通通貨圏」なるものが現実には到底実現し得ないということはbewaad氏がすでに指摘されているというか、梶ピエール氏によればそれどころか中国内部を複数の通貨圏に分割した方がいいような状況だということである。つうかそもそもこの地域の経済が結びつきあっているといっても「技術開発は日本、設計は韓国」とか「企画は日本、生産は中国」とか一方的な流れが中心であって双方向的に結合しているわけではなく、ということは結合が効率的に機能するためには流れの各段階の間での落差(経済的な格差)が必要なので均一化・統合化するメリットがないという気もする。で、上流を握っている側からすれば下流をどこにするかは(移行コストの問題はあれ)自由なので、そのブロックのヘゲモニーを中国が握るということはないだろう。現に中国での生産コストが上昇しすぎたという理由でベトナムその他に拠点をシフトさせはじめている日本企業もあると聞く。だからこそ中国はこのままでは困ると思っているだろうし、近時の対日姿勢の背後にそのような焦慮を読み取ることもできるだろう。
  • 韓国と北朝鮮が統一される可能性というのは私も認めなくはないが、おそらくTaub氏とは逆のイメージであると思う。Taub氏のイメージが実現した場合、前にも書いたが西側最先進国と東側先端工業国のドイツ統合ですら経済的には大きな負荷となったのに、中進国と最貧国の統合で何をどうするつもりなのか。逆であった場合、まあ、2007年に国土の形がどうなっているかを心配する必要があるだろう。いずれにせよ楽観的に過ぎるというよりは、ガン患者にアガリクスの話をするようなものだとは思うわけである。
  • しかしそれは区々たる現実の話であって、愚かかもしれないが幻想は現実を変えるというのが内田氏の反論の趣旨であろう。だがその反論も相当に怪しげな前提に立っている。つうか我々は本当に「儒教圏」なのか。
  • 内田氏は「儒教圏」を「中華圏」というかつて実際に存在した政治=文化圏に基礎付ける。そこでは「漢字を共同使用し、儒教、仏教、老荘思想のような文化的リソースを共有し、長く中国の朝廷に朝貢していた」。私の疑問は第一に、だとしたら何故ベトナムがここに入ってこないのか、第二に日本が本当にここに入るのかという点にある。漢字を使っていたというが、ベトナムの知識人=官僚が漢詩を作り漢文で法を作ったのに対し、日本の武士は和歌を詠み川柳を作り、法を和文で書いている。その背景には、ベトナムや朝鮮では科挙すなわち漢文による作詞作文の能力によって国家官僚を選抜するシステムが定着していたのに、日本ではそれと無関係な武士政権が主流だったことがある(武士政権の成立以前も、試験による文章生(もんじょうせい)制度を経て任官するルートは事実上特定の家系に限られて空虚化していた)。中国・朝鮮・ベトナムにおいては姓は生まれた家のものであり終生変わらず、従って夫婦別姓だし養子が嫌われる。一方日本では婚姻によって姓が変わり、武家でも商家でも養子による相続は一般的であった。
  • そもそも儒教とは華夷秩序である。そこでは、すべてが儒教の示す真理への近さによって一元的に秩序付けられる。中国における伝統的な図書分類はまさにそのようなものであり、孔子の手になる聖典、それに対する注釈、それ以外の諸家の手になるものといった順序に配列されるのであって主題の近さによらない。それが現代中国でも変わっていないということを高島俊男先生が書かれている(「本の並べ方について」『寝言も本のはなし』)。同じ経済学の本でもマルクスのものはA(マルクス主義・レーニン主義・毛沢東思想)、マルサスやリカードのものならF(経済)に入る。Fの中でも最初の方はマルクス経済学のものであり、近代経済学は「低い」ものとして劣位に置かれる。官吏の能力を測るのに詩文によるというのも、政治も経済も哲学も文学も頂点にある儒教によって一元的に統合されるからである。その儒教の真理をもっとも体現するものが「中華」であり、世界もまた中華を頂点として一元的に理解されることになる。
  • だが日本文化は基本的にこのような考え方を取ってこなかった。先程も述べたが科挙は定着せず、儒教の文治主義に反した武家政権が主流であった。町人文化が栄え、武士であってもその文化に染まるものが多数発生した。文化も政体も多元的であり、他国との関係においても華夷秩序を受容しなかった。内田氏は「中国大陸、朝鮮半島、日本列島に興った政治単位はカオティックでアモルファスな境界線をつくったり壊したりし」たと言うが、日本列島が一部であれ中華政権の実効的支配下に置かれたことはなく、侵略を受けたことでさえ例外的であり、朝貢関係も短期間しか結ばれていない(千年間の占領を受けたベトナムと比較せよ)。
  • もちろんこれは相当の単純化である。日本においても華夷秩序を深く受け入れて現在ではむしろ本朝こそ中華であるとか言い出した漢学者もいたし、中国でも裕福な塩商人などによる町人文化が栄えた例がある(会稽だったかな)。琉球諸島はどっちだ、とかいう問題もある。しかし愚かな幻想としてであれざっくりと言うなら、日本と中国・韓国の間にあるのは断絶である。ビジョンの次元でなら私は、日中韓の東アジア共同体などという位置づけより、日本はアメリカを中心とする西側世界の「極西」である(そしてヨーロッパが「極東」である)という見方に説得力を感じるのである。もちろんこちらとてキリスト教的伝統の不在を言えば荒唐無稽に過ぎないのだが、どうせ同じなら「アジアは一つ」的な非=理性的感情論に与するより、現実の欧米世界の背後に想定される普遍的理念・リベラルデモクラシーへの忠誠としてのVerfassungspatriotismusとかいう寝言の方がまだましだ。
  • ところで何でベトナムが入らないのか。単にTaub氏の無知や書き漏らし、あるいは内田氏が書き写さなかっただけという可能性も十分にあるが、入れると中国が単純な被害者じゃなくなっちゃうからというのは邪推が過ぎるだろうか。いやもちろん日本はベトナムに対する加害者であったわけだが、まあしかしこう、前後と比べると大したことねえなと率直に思わなくもない(いや悪いことしたとは思ってるんだ、うん)。いずれにせよ「アジア」は中国と朝鮮半島のことではないとは内田氏に、そして内田氏が引用した平川氏にも、申し上げたいところである。正直言ってベトナムやインドやモンゴルや台湾やマレーシアは日本の軍事的プレゼンスの増大を歓迎するだろうと(正面切って言うかどうかはともかく)思うんだよね。非=民主主義的な軍事大国の脅威に現に直面してるんだからさ。「寡聞にして」とか「聞いたことがない」というのは便利なレトリックだけど、情報源がすでにフィルタされている可能性について自覚してないと喜劇的だよな、とは自戒を込めて書く。

(2005.05.13: 誤記を修正。つうかどこだ琉球「半島」ってのは。)

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Comment(22)

shuzhai さんのコメント (2005年5月13日 16:35):

当面、経済統合なんぞができなさそうということには同意です。
しかし、政治のほうはともかく、「文化圏」については微妙ですね。どこからどこまで「文化圏」というのか、よくわからないのでありますが、そもそも事実誤認がございます。
まず、婚姻によって姓が変わるのは明治以降のお話です。江戸時代、姓のある人々の間では一般に嫁いだ女性は実家の姓を名乗っていたようです。(c.f.加地伸行『儒教とは何か』)例えば渋江抽斎夫人は渋江五百ではなく、山内氏の女(むすめ)五百であります。ついでに申し上げれば名乗りという点で、江戸の武家の人々は中国風の氏姓名字の図式をかなり忠実に踏襲しています。
それと、ここからは事実誤認というほどではございませんが、武士政権成立以前の政権が参考にした唐代の制度に、確かに科挙はございましたが、実態は貴族制というところまで一致しております。それに先生が独自の文化として挙げておられる和歌の蒐集が、しばしば『詩経』および、その形成に関わったとされる「采詩」(民間歌謡の蒐集)のイメージをともなって語られてきたこともまた、看過しがたいでしょう。おまけに日本文学についていえば、平安期から明治にいたるまで、漢詩壇が文壇のかなり重要な位置を占めていたことも否定しがたいことでありまして、『唐詩選』の翻訳で知られる服部南郭は江戸文壇に多大な影響を及ぼしていますし、夏目漱石(ことによっては中島敦)あたりまでの作家が、折に触れて漢詩を作っていたという事実を無視することはできないと思われます。(漱石の漢詩は彼の作品中、それなりに重要な位置を占めています)日本語によるあれほど見事な表現をなしとげた芭蕉すら、李白からとった桃青という号を持っていました。
さらに申し上げると、江戸時代の武家政治は、しばしば当時の知識人たちの間では、春秋時代に見られた周公(=天皇)と諸侯(=諸藩)、および覇者(=将軍)のアナロジーで理解されていました。また林羅山や荻生徂徠といった漢学者がかなり政治と深く関わっており、立法などに携わっていたことも忘れてはならないでしょう。「大明律」は諸藩における立法ではそれなりに重要な規範でありました。また、町人文化の発達という点については、どこまでをそういうかはわからないのですが、明代の中国南部ではしばしば見られたことのように思われます。(もっとも連中は少なくとも子孫には科挙を受けさせて、士大夫階級にしようという意図を持っている場合が多かったようでありますが)
たしかに政治的な事実という点においては、先生がおっしゃるとおり中韓(とベトナム)と日本の間には確かな断絶があったでしょう。しかしながら文化、少なくとも知識人の眼差しの上では、少なくとも先生が思われるほどの断絶はなかった。だからこそ、あの本居宣長の戦闘的な姿勢というのが成り立ったのではないでしょうか?
小生は「儒教圏」という概念はよく存じませんから、議論にかかわる資格はございませんでしょうし、おまけに漢学関係を少しばかり学んでいるせいで、イメージに先生とは逆向きのバイアスが過度にかかっている可能性は否定できませんが、先生が議論の前提にされていることは、すくなくとも文化の次元では間違っておいでです。
ただ、逆に先生のおっしゃるような認識が堂々とまかり通るまでになっていては、とてもじゃないが「儒教圏」としての「文化圏」などというものは不可能だ、というような議論は十分に可能でしょう。しかし、それは実のところ、ここ百年ほどに育った「日本文化」であるように小生には思われます。

長い不躾な書き込み、どうかご寛恕ください。それでは。

おおや さんのコメント (2005年5月13日 17:40):

>shuzhaiさん
ども。ご教示ありがとうございました。事実誤認があればお詫びします。で詳細なのですが、調べ直したところややこしい話も出てきましたので次のエントリでフォローいたします。そういうわけでひとつ。

Vampire.S さんのコメント (2005年5月13日 23:16):

日本における姓氏の継承が東アジア標準と異なる問題は、優れて家族制度の違いを表していますからねぇ。いや、そりゃ正確には苗字(律令国家の各職務とそれを遂行するための予算的バックボーンになった家領地のセット=イエ、の名称)と、姓(男子の Y 染色体の由来)の混同が原因ですが、これは明治政府がわざわざ近代法の導入に際して混同したはずなので、なんというか大屋先生の学術的立場としては混同しているターミノロジーこそ正しいんだし。

最近は Wikipedia も便利になったので、この辺でいかがでしょう:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%A7%93

N・B さんのコメント (2005年5月13日 23:51):

 おおや先生のエントリーに関して感じたことを少し書き込みます。文化的なことはshuzhaiさんが仔細に書かれたので控えます、一つだけ書くと一元的と多元的という価値評価を含んでしまう言葉を安易にお使いになるのはまずいのではないでしょうか?
 これは私が宋から明末にかけて中国の民間の経済や文化が大いに発展したという通説を信じ込んでいるためますますそう思うのですが。そのあたりは詳しい方にお任せします。

>前後と比べると大したことねえなと率直に思わなくもない
 という書き込みは45年の日本軍の占領下における飢饉の事を知っていて書かれたのでしょうか?かなり多くの要因が重なって起きた飢饉であることは確かですが最終的責任が日本にあるのは明白だと思います。ベトナムの北部で少なくとも40万(恐らくはそれ以上、ベトナム側によると200万)の死者を出した惨事を「たいしたことねえ」と仰るのでしょうか(だとすれば「前」にはどのような事があったのでしょうか)?それとも単にご存じなかったのでしょうか?いずれにせよ、そのような認識でベトナムの話題をわざわざ導入されて書かれれてもあまり説得力がありません。「自戒を込めて書く」と最後につけるような書き方ももこれでは逆効果のように思います。

 もうひとつ質問しますが、
>入れると中国が単純な被害者じゃなくなっちゃうから
 この文は何を意味なさっているのでしょうか?中越戦争ことでしょうか?だとすれば朝鮮戦争の中国が単純な被害国だとは全く思えません、さらに中越戦争の背景に中ソの対立があったことは重要だと思うのですがいかがでしょう。
 それとも、1000年以上前に実質的に終わった中国の北部ベトナム支配の事を書かれているのでしょうか?だとすれば2000年さかのぼっても構わないと思いますが。

 なお私が梶さんのところで議論した「冷戦文化論」はある意味でイデオロギー的に全く逆の立場からおおや先生のエントリーの基本前提(shuzhaiさんが最後に書かれたことです)を検討しているので一読されればよいかと、もちろん梶さんの仰るとおりの欠点はありますが。

 ただ先生においては実は身分や専門から考えれば以上述べたようなことはいささかもリアルなそしてリアルに考えるべき問題ではないのかもしれません。そう考えればまことに余計な差し出口だった気もいたします。以上いきなりの書き込み失礼しました。

 ベトナムの1945年飢饉については、山川の東南アジア史Ⅰを主に参照しました。この本にも参考文献は載っていますし。他にもベトナム史の本や論文は多いので参考にしてください。

おおや さんのコメント (2005年5月14日 01:08):

>Vampire.S氏
というわけで私自身も混同していたのです。書く前にちゃんと調べなおさんといけないんだろうけどね、本当は。

>N・Bさん
ども、はじめまして。宋から明までの民間文化というのはその通りですし(四大奇書の成立とかこの時代ですな)、清代にも志怪小説があるのですが下火という気がします。このあたり何故かをもっと詰めて考えるべきなのでしょうが、上記については差異を強調したモノイイだとお断りはしておきます。ところで一元的と多元的について、それ自体として価値判断を含んではいないと思います。つまり一元的な方が望ましいという価値観は十分に成立するでしょう。私はそれを取りませんが、それは概念自体とは別の話です。

ベトナムの件、第二次大戦中の侵攻・占領にご指摘の飢餓を当然含んで考えています。犠牲者数については私の確言できるところではありませんが、まだ学問研究の自由が保障された地域ではありませんので留保が必要だとは思います。前後については、フランスの植民地支配と主としてアメリカによるベトナム戦争を想定して書きました。植民地支配は1858年以来約100年続きましたし(日本占領は5年間)、ベトナム戦争では全土が戦場として荒廃し(日本軍進駐の際の武力紛争は限定的)、100万人以上が戦死、さらに北爆などによる一般市民への犠牲は、枯葉剤などの悪影響もあり非常に大きなものです。「たいしたことねえ」というのは確かに穏当さを欠く表現ですし、比較の問題でなく絶対量で言うなら甚大な被害であるに違いないわけですが、しかし比較するとやはり小さいのでは(念のために言うと私は日本を免罪したいわけでなく、米仏を批判したいのです)。
もう一つこう言った理由は、これは印象論なのであまり正当化できませんが、彼ら自身の認識の中で日本による占領があまりウェイトを占めていないのではないかという思いがあります。ハノイの独立博物館、軍事博物館、歴史博物館、あるいはホーチミンシティの戦争証跡博物館や統一会堂の展示でも、日本の話はほとんど出てこなかった記憶があります(ベトナム反戦運動の文脈でのみ若干登場しました)。ホーチミンの独立運動にとって、日本進駐(とその崩壊)が必ずしもマイナスでなかったという事情もあるかもしれません(念のために言うと別に日本にベトナム解放の意図があったとかそういう話ではなく、敗戦に伴う権力の空白をホーチミンがうまく利用できたというだけの意味ですが)。
ベトナム人と話してもやはり日本進駐の話がほとんど出てこない、というのはあちらが気遣ってくれているのだと思いますが、かえって申し訳なく感じて頑張らないかんなと思うわけであります。まあフランス植民地支配が完全にマイナスかというと、こう、改良郷約を伝統村落に押しつけて回ったりしていて迷惑だったに違いないんだけどそういう外部からの法化をどう評価するかは難しいですなとかいろいろあるわけですが。

「中国が単純な被害者」の話、念頭に置いていたのは中越戦争です。で、朝鮮戦争がある件についてはごもっともで、失念していました。中ソ対立が中越戦争の背後にあったというのもご指摘の通り(だからといって正当化できるもんでもないとは思いますが)。そういうもので、つまり国家とはそれ自体善でも悪でもない。しかし最近の内田先生はとにかく中韓がああいう反応をするのは自然であって、それと食い違う日本のあり方がおかしいという議論を展開する傾向があるように見えるのでそれをからかったのですが、いたずらが過ぎたかな。ところで「2000年さかのぼっても構わない」という部分のご趣旨がちょっとわからないのですが。

「冷戦文化論」についてはあとで読ませて頂きます、ということでとりあえず。いろいろとご教示ありがとうございました。

梶ピエール さんのコメント (2005年5月14日 01:50):

こんばんわ。「儒教経済圏」なるものは実は80年代のNIESが台頭したときにもかなり流行していまして、それに対して呉智英先生が後藤末雄の『中国思想のフランス西漸』(東洋者平凡文庫)などを引きつつ「儒教の通俗的理解にしか過ぎない」と一蹴しておられたように記憶します。参考まで。

N・B さんのコメント (2005年5月14日 06:11):

 おおや先生、素早いコメントをありがとうございます。

>それ自体として価値判断を含んではいないと
 分かりにくくて申し訳ありません、文脈上含んでいるのではないかと書いたつもりでした。「多元的」は日本に「一元的」は中国に割り振るという前提で。『そもそも儒教とは華夷秩序~一元的に理解される事になる』の段落のような文章置く事はおおや先生の中国の文化に対する否定的判断を公言していると受け取らざるを得ません、華夷秩序がはたしてどのようなものかに対する理解も含めて問題でしょうが、後者は専門家に任せます。

>しかし比較するとやはり小さいのでは
 もちろんそうです、200万でもベトナム「全土」におけるインドシナ戦争の死者よりも少ないですから(おおや先生が第一次インドシナ戦争をはずしたのどうしてでしょうか?)。ところでこういった論法ではいわゆる「ホロコースト」を除いても、『ナチスドイツの侵略によるソ連の被害は甚大だ、スターリンの圧制などたいしたことねえ』という言説も可能です。私はソ連びいきでナチス嫌いですがですがさすがにこういう言い方はしたくないのです。しかし、おおや先生がそれでもかまわないと思うならあえて批判はしません。

>彼ら自身の認識の中で日本による占領があまりウェイトを占めていないのではないか
 こちらはかなり程度の了解できます。(私は行ったことがありませんが)現地をご存知でしたら第一次インドシナ戦争をはずす理由がますますよくわかりませんが。ただ、ホーチミンの『独立宣言』の中に「日本ファシストがインドシナ領土を侵略して~。その日から我が人民は日本とフランスの2重のくびきにつながれた。彼らの苦難と悲惨は増大した。その結果、昨年の末から今年の初めまでに200万人以上の同胞が餓死した。」『物語ヴェトナムの歴史』p345、とありますから日本の位置付けは明白でしょう(もっともここでもフランスが第一ですが)。基本的に飢饉の記憶より戦争や暴政の方が記憶がなされやすいのことはあるでしょうし、それに印象論ですがブログをチェックすると中国でもその話題を振らない限り日本への批判は特に出てこないという記事を見かけますから、長いインドシナ戦争を経ているベトナムでは日本に対しての批判はさらに少ないと推察します。そこから、どういう発言をするのかは人それぞれであえて批判することではないでしょうが。

>「2000年さかのぼっても構わない」という部分の
 申し訳ありません、これは後者の「千年前に実質的に終わった中国の北部ベトナム支配」をさしていたのならということです。朝鮮半島の事を念頭に置いています。余計なことすいません。
 
>念のために言うと私は日本を免罪したいわけでなく、米仏を批判したいのです
 それは了解できます。ただ、おおや先生は
>同時に日本はアメリカを中心とする西側世界の「極西」である(そしてヨーロッパが「極東」である)という見方に説得力を感じる
 と書かれた上で、そちらを選ぶと言明なさっているのですから(違っていたらすいません)、米仏への批判は自らの立場への批判を含めなければいけないのではないでしょうか?特に大戦後のインドシナ戦争はそうです。さらに朝鮮戦争の忘却はしてはならないはずです。そのような忘却こそが「冷戦文化論」のテーマでもあります、ネットで調べられる範囲で内容はある程度分かります。まあ内田さんがそのような前提で書いているのかは分かりませんが。

>まだ学問研究の自由が保障された地域ではありませんので留保が必要だとは思います
 犠牲者数は私が知る限りの最低値(南ベトナムとの賠償交渉での日本側の主張、これに近い数でまとまったはず)を先に出しました。そしてさまざまな要因(連合軍による海路の遮断、フランス行政府の怠慢、ベトミンの跋扈など)が重なっていたと言明しました。その上でなお必要な留保とは具体的に何でしょう?ここにあえて書き込まねばいけないほどの疑問が私の文中にあるのでしたらぜひ示してください。ペレストロイカまでソ連史は不自由を前提で行われていました(二重の意味で)。それでもかなりのことは分かったわけです、ベトナムに関してもある程度は調査が可能になってきました、具体的でなく疑問を付けるのは問題です。

 実は肝心の東アジア共同体の方には特に経済的な問題が分からないのですがまだまだ困難だろうなとしかいえません。近世までの日本がある程度東アジア世界の一部であったことは事実ですが、それをどの程度重く見るかは日本の辺境性もあり判断が分かれるでしょう。一応それだけは。

 えらく速いペースの書き込みになってしまいました。延々と書いてご迷惑おかけしました、失礼しました。では。

BJ38 さんのコメント (2005年5月14日 12:19):

おおやさん、はじめまして。

「儒教圏」を持ち上げる人たちは、実際に成立するものを「儒教圏」と呼ぶように儒教の解釈を変更するので、実際に成立するかという問いかけは躱してしまうことができます。
「儒教圏」は以下のような裏付けがあるため、人によっては信ずることができるのだと思います。
まず、「修身>治国>平天下」という儒教の基本理念の一つから、個人の倫理の完遂から国家間の協調を導き出せるという幻想が担保されるでしょう。
ところで、いわゆる「漢字文化圏」を見渡すと、知識人に限らず一般の個々人の生活のレベルで「儒教倫理」が広く行き渡っています。もっとも、儒教的な価値観(仁義礼智信忠孝弟)をそこまで伝播させたのは「儒教」そのものではなく、その価値観を組み込んだ「道教」「仏教」「民間信仰」の類なのですが、(知識人は通常)そこには目をつぶる。
さて、個人レベルで実現すべき倫理がすでに共有されているのですから、倫理の到達点にある平天下=「儒教圏」成立の可能性が共有されていることも自明なのです。
そして共有されているのは可能性であって、それ以上のものではないので、みんなで実現するためにはどうすればいいか考えましょう、ということになります。
振り返れば、民国初期に中国人知識人たち自身が儒教を近代的価値観として創造していた訳で、まあ歴史は繰り返すといいますか、朱子学も似たような成立なので、そもそも儒教は創造された伝統としてしか機能してこなかったし、だから常に最高の価値として成立できたのだと思います。

小僧 さんのコメント (2005年5月14日 14:10):

コメントへのコメントをさせていただきます。

姓を Y 染色体云々というのはどこかの女帝論議で
どなたかが述べたものに由来するかと存じますが、
Y 染色体と姓を関連づけることで姓を遺伝子に直截に根拠付けるのは
あまりにも勇み足過ぎるかと存じます。

そのような事をおっしゃる前に
http://www.natureasia.com/campaign/ychromosome/
http://hotwired.goo.ne.jp/news/news/technology/story/20030623306.html
などを参照になり勉強されますよう。

おおや さんのコメント (2005年5月14日 15:17):

>梶ピエールさん
ども。ご教示ありがとうございます。私の儒教像も呉智英先生の影響を受けているのですが、もう東洋はだいぶ長いあいだ真面目にやっていないので抜けてきてますね。いかんなあ。

>N・Bさん
ども。ええと、はい、私は一元的秩序としての儒教には否定的ですしそのことを公言していると理解していただいて構いません(「本当の儒教はそうではない」という反論が成立し得ることは留保しておきます)。というのは第一にそのような真理の基準が有効に存在し得ないと、これは法哲学の専門家として考えているからであり(cf. 「規則とその意味」)、第二にそこで私は基本的に多元的秩序を志向する相対主義を取りますが、多元的秩序自体を破壊しようとする思想に対する不寛容を肯定します。ですから絶対的真理性を標榜しない・世俗化された儒教であれば許容しますが、ということですね。

第一次インドシナ戦争を人数に入れなかったのは、まあその責任は概ねフランスであろうということと(単純過ぎますけどね、こう言うと)、ちょっと数字を簡単に思い出せなかったからです。深い理由はありませんので。はい。で、ナチスドイツの侵略による被害とスターリンの圧政のあいだには因果関係があるのではないかとも思うのですが(赤軍将校があそこまで粛清されてなかったらもう少し楽だったんじゃないすか)、まあそういう混ぜっかえしはやめておくと、私はまず比較可能性は肯定したいと思っています(ホロコーストについて少し迷いはあるのですが)。それは、悪を措定することが善なる国家への夢想につながってはいないかと考えるからです。私の考えは、国家とは善かれ悪しかれ暴力機構であり、それが人民にその暴力の惨禍より大きな幸福をもたらす場合にのみ正当化されるというものです。ですから、(批判対象として戯画化された)自虐史観のように「日本が悪かった」と言ってその他の国家の暴力性から目をそらしても意味がないし、逆に自由主義史観(の一部? 多数?)のように「他も悪かったから日本は悪くない」と開き直るのも阿呆らしいと思うわけです。そのあたりの微妙な感覚を「大したことねえな(……)いや悪いことしたとは思ってるんだ」というあたりに籠めたつもりなのですが、単純な開き直りに見えますかねやっぱり。う〜ん、まあ言いたかったのはそういうことですごめんなさい。で、なら朝鮮戦争を忘却してはいかんというお叱りはごもっともです、はい。冷戦文化論については面白そうなので時間が取れたら読もうと思いますが(その時間がどこにあるかはともかく)、どうでしょうね、私としては日本は冷戦体制に隠然とコミットしていたという見方は正当だと思いますが、だからこそそれを自覚的に引き受けなくてはならんと言うのかなという気はします。つまり西側諸国というのが多くの惨禍を引き起こしたことを認めつつ、しかしlesser evilとしてそれを支持すると。Verfassungs Patriotismus(Habermasですが)は「寝言」だと評価しているわけですけどね。

朝鮮半島の件、了解しました。なんかですね、これも印象論ですが、しかしその中国支配の時代をどう見ているかという点において韓国とベトナムの差があるようにも思います。韓国は詳しくないので「そんなことねえよ」という話かもしれませんが、ベトナムでは例えば「徴姉妹」hai ba chunという古代の対中叛乱の首謀者が民族の英雄で、ハノイでもホーチミンシティでも大通りの名前です。これに対して韓国は? という。もちろん現在のベトナムが民族自決権を正統性の根拠としているのに対し、韓国はちょっと留保がいるという背景が影響しているのだとも思いますが。

飢饉の犠牲者の件、まず第一に原論文等を参照して評価したわけではないので留保しただけです。で、日本側主張とのことなので想定される最低値であるというご指摘については妥当だと思います。ただ「さまざまな要因(……)言明しました」というのはどこで書かれたのでしょう。ここではない、ですよね。留保した第二の理由は私自身の経験に由来するものです。2001年にハノイ周辺で複数の村落の調査に入ったのですが、現地国家機関の協力を得ていても、移動の自由も調査の自由もないわけです。私はソ連研究に詳しくありませんが、このあたりは似たような事情でしょうか。しかし、おそらくさらに深刻な点として、記録文書等の保存状況が挙げられます。共産政権下で一時期「無価値なもの」と扱われたこと、戦災、さらに気候条件の問題があってボロボロですし、そもそも漢文だから彼ら自身が読めないんですよね。村落に残っている古文書の蒐集と解読はベトナムでもようやく始まったところで、独立前の植民地体制下とか、さらにその前の伝統村落がどういうものだったかというのは、正直まだ良くわかっていないのです(ので、そこで何が起きたのかについても、そう簡単にわかるんだろうか、と思ったわけです)。それでもまあ、村落の祭礼に関する聞き取り調査の結果などをもとにして、郷約(伝統村落の自治的規則)の復権という通説的見解(政府見解をもとに古田元夫先生が主張したもの)はどうもあやしいのではないかというレポートを書いたりしましたが。

勉強になりました。しかしこう、梶ピエールさんの方でもそういう話が出てましたが、こういう長めのご意見つうのはご自分のblogからトラックバックされた方がいいんじゃないすか。いや私は「ご迷惑」でも何でもなくて興味深かったし勉強になったんでありがたい限りですが、来た人が読みにくくねえかなと。

>BJ38さん
はじめまして。わはははは、その通りですな>「実際に成立するものを「儒教圏」と呼ぶように儒教の解釈を変更する」。TBされたbewaadさんもそういうご指摘をされてます。Vampire.S氏からは別便で、そもそも武士道という[忠>孝]な価値観は本来の儒教とぜんぜん違うというご指摘もいただきました。ごもっとも。
しかしそうすると、ああいう主張の「神を撃つ」にはどうしたらいいのかなあ。ちょっと考える必要がありますね。伝統とは遡及的に創造されるものなんだから実体視する議論は筋が悪いと内田先生に言うと、それこそ幻想が力を持つということだとか開き直られそうなもんで。

>小僧さん
ども。あ〜あれは(私が次エントリで説明した)「姓が父系制原理に基いて継承される」ということの別表現であって、別に遺伝子に直接根拠付けたということではねえと思いますよ。まあ一つおだやかに。

小僧 さんのコメント (2005年5月15日 00:49):

>おおや先生
確かにその通りなんですが、某論客の「神武天皇の Y 染色体」云々というおバカな発言に対して
その発想が変に流通しない為の釘を差しておいただけですのでお気になさらぬよう。

稲葉先生の所にも少々書きましたが、
そういうトンデモな話に対する耐性を付けておくためにも
岩波「科学」の 2005/3, 4 の座談会は読んだほうがいいと思うんですけどね。
著作権の問題が clear に解決出来るのならば upload するのですが。

N・B さんのコメント (2005年5月15日 05:20):

梶さんのところでも書きましたが、近々今のような書き込み形式は止めます。読者の方も長々続くのは面倒でしょうし。最後にいくつか書いて終わりにします。そういうわけでこちらに書き込みます。

>絶対的真理性を標榜しない・世俗化された儒教であれば許容しますが
 留保なされるのであればわかりやすい話としての図書館の話を出すのはちょっと。

>私はまず比較可能性は肯定したいと思っています
 「ホロコーストは抜いて」と私は前の文で明記しました、その上で了解しました。ちょっと付け加えると最近落ち目のプーチン政権は5月9日の終戦記念式典などあからさまにこういう『論法』を使って自らを重ね合わせることで国民の人気を取ろうとしているようですね(最大野党の共産党の創始者のレーニンは無視)。まあ、プーチン政権の行動から見るとこういう論法はうかつに使えば危険ですね、危険はいたるところにあると思います。

>だからこそそれを自覚的に引き受けなくてはならんと
 それはまったく正しいと思います、別の立場を選んでも(私もということ)一貫させるべきでしょう、米仏の立場と日本が重なってしまう事をきちんとさせていないからこそ、
>私は日本を免罪したいわけでなく、米仏を批判したいのです
 と書かれたことがより深刻な開き直りに読めてしまうわけです。ただ、意外にに日本にこだわられている事がわかって逆に興味深くもありました。

>まず第一に原論文等を参照して評価したわけではないので留保しただけです
『まだ学問研究の自由が保障された地域ではありませんので留保が必要だ』の理由ではありませんね、私のほうの留保の一つは『かなり多くの要因が重なって起きた』です、例示はしていませんがそれがどれほど必要だったのでしょうか、おおや先生はこの飢饉についてご存知ですし。読者の方は別でしょうが。

>第二の理由は私自身の経験に由来するものです。
 興味深い話ありがとうございます。恐らく(旧共産国以外でも)現在世界中でにたようなことは起こっているのでしょう。このあたりは日本についてすらかなり論争がありますからね。

>そこで何が起きたのかについても、そう簡単にわかるんだろうか
 しかし、ソ連(ロシア)史の場合もそうですが帝政やスターリン体制化での農村の社会構造や住民の意識などの実態がそう簡単にはわからなくても飢饉(とそれによる犠牲者)の存在自体ははっきりとわかったわけです、まして生存者のかなりいる状況なら聞き取り調査が可能ですし、その質問も比較的単純です、「飢饉」があったかなかったレベルでの調査はかなり楽でしょう、農村の社会構造(統治や文化)の実態とは大分レベルが違うのでは。ちなみに飢饉についての村落調査に参加したのは問題の古田元夫さんです、同じ調査に基づいて一部のベトナムの学者はやはり200万と主張しているようですが、古田さんはその説は取っていません(後者については、『ベトナムの世界史』p122~126)。飢饉の調査の場合は原因としてどれが重要かある程度正確な犠牲者数はどれくらいかなどで判断が分かれることになることがほとんどです。村落調査もその後の推計で変わってくるわけです。その上で犠牲者数はかなりの幅を持たせました。

 ところで、問題のレポートというのは公開されているのでしょうか?私は桜井由キ夫さんの『ハノイの憂鬱』を読んでベトナムに興味をもったのですが彼は村落史の専門家ですし、ちょっと興味があるので、どこに発表されているか教えていただきたいのですが。

 なお、古田さんの本の副題は「中華世界から東南アジア世界へ」です。ベトナムの中国に対する微妙な位置取りがそれだけでもわかります。確かに韓国とは違いますね。

>多元的秩序自体を破壊しようとする思想に対する不寛容を肯定します
 これは結論でもあり前提でもありますね。そのような破壊者が狭い意味での「思想」なのかすら議論できますから。しかし、これについて議論を始めれば大変です、他人のブログでやることではありません。

 というわけで長々と失礼しました、おおや先生の「情報化社会における自由の運命」なども近いうちに読んでみます、私も論文の中で書かれたように「自由」に役だっているのかもしれませんから。では、すいません。

おおや さんのコメント (2005年5月16日 18:32):

>小僧さん
いるんだそんなこと言ってるやつ orz そういや見たような記憶も。つうか神武ってそんないたかいなかったかわからないようなもの持ち出されても。継体とか天智天武とかどうすんだおい。

>N・Bさん
あはは、いやその方が見やすいだろうなというだけのことですからお気にせずに。儒教の件、可能性として理論的にはあるなと思いつつ現実的にはないなと思っているのでああいう書き方になりました。法律家の文章は「とりあえずいろいろ留保してみる」ものなので、あまり深く気にしないでいただけると。悪い癖なんですが。

日本へのこだわりはですね、実は結構あるんです、へへ。正面からcommittmentを書くのが恥ずかしいなという感覚があってあまり言わないんですけど。で、危険が至る所にあるというのはご指摘の通りなので、開き直りに見えないように気をつけて書かないといかんなと思いました。また留保が増えるかもしれませんが。

ベトナムの件、まず一般論ですが、聞き取り調査をベースにするとかなり網羅的に行なう必要があり、また証言のあいだでの重なりの排除が重要になってきます。証言の任意性の確保も必要です。なので調査方法を確認しないと結果の信頼性が判断できないわけです。で、その網羅性と任意性について私の経験を基礎に考えると、なかなか難しいのではないかと。文書資料があってそれに依拠できれば(例えば速水融『歴史人口学で見た日本』は「宗門改帳」を使うことによって近世の人口移動の傾向をかなり明らかにしています)数字の確実性が上がるのですが、という話で資料保存問題とも結び付いてきます。レポートですが、公刊はしなかったようです。それをもとにした報告の記録が『名古屋大学 アジア法整備支援研究会 報告集」(2003年6月)という、名大・法政国際教育協力研究センターの出版物に掲載されていますが、一般には出回っていないでしょう。ええと、ですのでメイルで送付先を教えていただければコピーを差し上げます。私の調査範囲はごく限定的でしたし、ベトナム語の読み書きもできないので論文にできるほどの信頼性はないと思っているのですが、しかしベトナムがご専門の人類学者からも間違っているとは言われていないので、まあそれなりに正しいのでしょう、たぶん。

たにぐち さんのコメント (2005年5月16日 19:25):

『名古屋大学 アジア法整備支援研究会 報告集」(2003年6月)

えーっとコレ読みたいのですが。私の知人でも読みたいというのがおるので、今度頂けませんでしょうか m(_ _)m

おおや さんのコメント (2005年5月16日 20:41):

>たにぐちさん
ええといいんですが、全部だとA4版で180ページほどあり、その中で私の報告は8ページだけで、かつ報告のレジュメが掲載されていないのですがどうしましょう。
私のを含めたベトナム関連が良ければ該当部分(とレポート)をコピーして差し上げます。資料にするので全部、でしたら明日CALEに行って在庫あるか聞いてきますけど。

N・B さんのコメント (2005年5月17日 06:12):

あのー毎回、メールアドレスを打ち込んでいるんですが、なぜか表示されませんどうして?問題の文書は昔通っていた大学の図書館で見られるかもしれません。とりあえず、メルアドはksmnknb@hotmil.comです。

 ネットで調べてみたらひとつ恥ずかしい間違いがあったので訂正。日本の主張した飢饉の犠牲者数は40万ではなく30万だそうです、たぶんこちらが正確でしょう(図書館いってきちんと調べりゃわかるんですが)。
http://www.kaho.biz/main/taisen/butuin.html


このような主張をした背景には日本軍が持っていた資料(おそらくセンサス)があるのでしょうが、これはどうなったのでしょう。軍の資料は終戦時に相当焼かれてしまったため韓国の研究者はひどく苦労しているようです、ベトナムはその後30年戦争も続きましたし、なおさら大変でしょう。

 ソ連の30年代の飢饉の規模の推定などは基本的に公表された人口統計で行われましたし、ペレストロイカ以後もあまり重大な変化はないようです(塩川伸明・「終焉の中のソ連史」、「ロシア史Ⅱ」山川)。ちなみに上記書物によると、80年代初めにに30年代の暴政(飢饉を含む)の犠牲者数の推計は欧米では500万ほどから2000万までの間で争われていたようです、その後の経過などは同書や他の本を参照してください。

 一例を挙げましたが、調査困難な飢饉などの犠牲者の推計は人口統計などの資料が基本だということです、宗門改帖のような便利な資料は使えないわけです(現在はある程度村落調査が代行できるわけですが...)。ですから一定以上の正確さは望めません、ましてや戦後の人口統計は期待できない以上(現在はある程度村落調査が代行できるわけですが...)、正確なことはとてもいえません。以上の前提の上で30万(修正します)という日本が賠償交渉で主張した数字を最低値にして、今主張されているある程度ソースのある数字を並べたわけです、当然大幅な差が出ています。私が疑問に思ったのは、そのような「留保」のもとで記述されている数値(例えば南京事件なら、2~3万から20万近くなどと幅を大きく持たせた数値を書くでしょう)に、わざわざ「学問の自由が保障されていない地域であるという理由で」「留保」をつけた意図だったわけです。それで私としては不信感を持って疑問を出したわけです(私も見事に恥ずかしいミスをしてましたが)。

>網羅性と任意性について私の経験を基礎に考えると
 日本側のかつての主張は既に書きましたから、その時点で終わっていると思うのですが、せっかくですから、私見を述べます。網羅性については基本的にサンプル調査で、飢饉の程度が地方によって程度が大幅に違うのですから、当然、各地方の村落を調査しているわけです。証言の重なりを排除しなければならないのは当然ですが、把握できない人口喪失が存在した可能性も同時にあります。任意性についてもある程度同様の事がいえます、この調査はインドシナ戦争犠牲者の調査とともに行われていますから、任意性の不足でバイアスがどうかかるのかは微妙では、両方を変えれば現在の資料との矛盾が大きくなるでしょう、また文書との照合も時期から考えて日本のようなレベルを期待なければ有効でしょう、そのあたりを複合的に考量すべきで、同じ資料を使ってさらに検討も可能でしょう。

>「宗門改帳」を使うことによって近世の人口移動の傾向をかなり明らかにしています
 「宗門改帳」は当然ながら江戸時代の資料です、18世紀まで1000年近く人口統計のなかった日本だけでなく世界的にも画期的な資料だと思います。しかし、200年前の人口動態や社会構造などの探求を、洗練された方法論を用い、豊富な資料をベースに行う歴史人口学と、60年前の飢饉の実態調査を同列に並べていいのでしょうか?
同じベトナムでも200年前と60年前では古文書の残り方は全く違うでしょうし、解釈できる人間が(わずかでも)存在することは決定的に大きい、最も重要なことは調査目的がかなり単純なことです。200年前の日本の村落の実態の調査と60年前の飢饉の犠牲者数の調査では難易度がかなり違うはずです。現在の日本で江戸時代の飢饉について議論するとすれば要因や社会に与えた影響や制度や経済などとの関係でしょう。少なくとも40年前の時点でも、飢饉の存在やその大規模さを疑う学者はいなかったでしょう。センの「エンタイトルメントアプローチ」のような方法もやはり原因などの正確な分析に関するものでこの場合はとりあえず本格的に導入せずともかまわないと思います。前の段落と合わせて、『そこでなにがおきたのか』という言葉で指しているレベルがおおや先生と私では一貫して違うようです、前回もそう書いたつもりなのですが。
 もちろん、「まだ多くの調査が必要であることは強調しておいた方がいいだろう」(ベトナムの世界史・p126)という前提の上でですが。

>「とりあえずいろいろ留保してみる」
 まあ、私もそうです、でも後から留保をつけるのはちょっと。
 それに、やたらと無意味につけるのも他人とのやり取りではまずいと今回気づきました。これについては自戒も込めて。

>正面からcommittmentを書くのが恥ずかしいなという感覚
 ネットに書くというのはそういう恥ずかしさをさらすことなのでしょう。私もあちこちでずいぶん恥をかきました。とりあえず、より恥をかかないように気をつけたほうがいいですね。では、しつこい書き込み失礼しました。
 
http://www.globetown.net/~mkvrh/RealHanoi/gBaoTang/BTCM/BTCM.htm
 これはちょっと面白い記事で「革命博物館」に飢饉に関する展示があるそうです、2001年には改修工事中ですからおおや先生はご覧になれなかったのではないでしょうか?

おおや さんのコメント (2005年5月17日 20:53):

>N・Bさん
メイルアドレスが表示されないのはそういう設定になっているからで、誰のも見えません。私には通知されておりますのでお気にせず。
「200年前の人口動態や社会構造などの探求を、洗練された方法論を用い、豊富な資料をベースに行う歴史人口学と、60年前の飢饉の実態調査を同列に並べ」たわけではなく基礎資料の有無が信頼性に響くという話のつもりです。いずれにせよ犠牲者数の問題、それに影響を与えた諸要因の問題、ともに「まだ多くの調査が必要であることは強調しておいた方がいいだろう」けれどもこの程度の数字だというのは言い切っていいのかな。
革命博物館は、そのページを見て思い出しましたが、行きましたね。その写真も見たかもしれない。でもその写真を含む一画しかなかったような気もします(記憶自体はおぼろげなので「革命博物館ギャラリー」を見直して言っていますが)。仮にそうだとすると展示全体に占める割合は、やはり相当に低いのかな。
余談ですがベトナムの博物館の展示保存状況というのは素人目で見てもかなり悪くて、あちこちにいろいろなものがむき出しで置いてあります。美術館なんかあの気候なのに油絵類がそのまま飾ってあるので人ごとながら心配になってくるわけですが(こういうのこそ日本の援助で何とかならんのかなと思います)、行く分には面白い。日本語どころか英語の説明すらなかったりするのが多少困りますが。

おおや さんのコメント (2005年5月17日 21:02):

お詫びと訂正。いま確認したら私の在外研究は2001年度2月~3月なので、「2002年」です。すいません。

N・B さんのコメント (2005年5月18日 03:43):

あ、完全に勘違いしてました。送付は抜き刷りでということですね、すいません。そうだとすれば図書館を調べてから請求するのが筋ですね。久しぶりになりますが調べものもたまってますし調べてみます、なかったら請求のメールを送ります。どうにも失礼しました。すいません。

>けれどもこの程度の数字だというのは言い切っていいのかな。
 長々と書いたとおり、留保を重ねて幅を持たせました。それでも言い切ることに危険があると認めます(現にあった)。ですが、この数に留保をつけることは効果としては大飢饉の存在自体の否定に近くなってしまうのではないでしょうか?つまり、この場合に『留保』が3000人と30万人(300万人)のどちらでもあり得ることを認めてしまう含意を持つ以上は比較可能性を認める立場に立つ時の帰結としての危険があるのではないでしょうか?法律家の方がこの場合どうするのかはわかりませんが、ここは法廷ではないはずですし。おそらくは留保の付け方によってかわるとおもいます。

>基礎資料の有無が信頼性に響くという話のつもりです。
 そうです、基礎資料の乏しい条件での限定された目的の研究についてある程度比較したり書いたりしたわけです、問題は「限定された目的」がなんでありその難易度をどう取るかです。そこは以前と上に書いたとおりです。
 前のコメントで書いたエンタイトルメントアプローチなどを取れば原因やプロセスの問題も大幅に精密になるでしょうが今はまだ行われていないようですね(さらに資料が必要になるし)。さすがに私の能力で書けることは少なくなってきました、これ以上は繰り返しが多くなりますので。

>日本語どころか英語の説明すらなかったりする
 革命博物館は英仏あるようですね、まあ歴史書のページ数でも歴然としていますしね。北部には仏語だけというのもあるんでしょうかね?なんせ行ったこともないので。では。

たにぐち さんのコメント (2005年5月18日 04:38):

『名古屋大学 アジア法整備支援研究会 報告集」(2003年6月)

上記の件については、メールで送っておきましたので。
よしなに。

おおや さんのコメント (2005年5月22日 19:47):

>N・Bさん
そうかPDFで送るという手があったか。まあでも多分重いので、とりあえず探してみてください。
留保が否定説に読まれる可能性があるという点についてはご指摘の通りで、私としてはもちろん存在は否定しないが犠牲者数の推定には相当の幅がある(出ざるを得ない)という趣旨だったのですが、反省します。はい。
博物館類の説明文ですが、フランス語しかないというパターンは覚えがありません。結構あったのはベトナム語だけというものでした。まあ展示によって「読ませたい対象」が異なるということはあるでしょう(美術館には英仏の説明が少ないとか、戦争証跡博物館の、確か日本人カメラマンの写真を展示してある部分には日本語の説明があるとか)。それは当然のことで非難も批判もする気はないのですが、ちょっと困るのは事実ですね。

>たにぐちさん
ではそのように。

N・B さんのコメント (2005年5月25日 04:07):

あ、見ていないうちに返事がありましたすいません。まだ、調べてませんがとりあえず補足です。

>留保が否定説に読まれる可能性があるという
 留保が必要だという前提は議論をすれば共有されると思います。ただここで述べたのは「比較可能性」という前提が共有されていたのかという点がポイントで、私は基本的にしたくないのですがおおや先生は違うのでそれにしたがって留保の意味も変わるということです。やや、蛇足ですが。

 『ナショナルヒストリーを越えて』の古田さんの文章を読んだところでは調査は北部の23箇所の村で行われ、村ごとに幾人もの老人に聞き取りをしてそれを照合させて、重なってのカウントや把握もれがないようかなり緻密にやったようです(とはいえ限界はありますが)、文書資料はあまり使えなかったようですが。とりあえず、これだけ大掛かりとなると国のかなりの援助があったからそれが出来たのは確かでしょう。ベトナム側の報告書は公刊されているそうです。200万という数字だけが一人歩きした上に、インドシナ戦争による死者、特に兵士は独立の勇士として顕彰されてきたのに隠れてこれまでは飢饉の記憶はあまり積極的には語られてこなかったこと、日本軍は村落レベルまで入っていく事が少なく(フランスとの2重統治のため)、日本軍自体に関する直接の記憶はさまざまだなど興味深い事が書いてありました。日本軍に関する好意的な証言も、矛盾があることを否定論の論拠にさせないためにもあえて載せたそうです。日本語版の報告書がどうやらまだ出ていないのが残念です。

 その上でなお参加した学者の間で推計値は分かれているようです。恐らく歴史的事件にはこのような不確実性は避けられないでしょうが、いまだすべきことは多いようです。

 とりあえず、この調査自体が10年近く前ですが歴史の共同研究はどの程度可能かの試金石ではあると思います。では。

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『名古屋大学 アジア
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あのー毎回、メール
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『名古屋大学 アジア
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>小僧さん いるんだ

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