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憲法記念日

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なので憲法の話題はスルー(あまのじゃく)。え〜読んだなかで一番面白かったのは内田樹先生のかな。結論には反対だが、筋の通った議論だと思う(しかし整合性を「呪文」と呼ぶ言説をこう褒めていいもんか)。

結論の違いが生じた所以を二点だけ述べておくと、第一に私は内田氏の言う「ナショナリスト」ではない。私が国家の役割を重視するのは、それがある社会状態の方がそうでないよりも私の(そして私が大切だと思う人々の)利益が良く守られるだろうと想定しているからである(念のために言うと「利益」とはこの私が尊重して欲しいと思っている財のことであり、「私が大切だと思う人々の利益」とは私が想定する限りでのその人々の享受すべき財のことであり、つまりこれらはすべて〈この私〉の観念に繰り込まれる)。確実にその方が利益を良く保護し得ると証明されるのなら、日本政府など明日なくなっても構わない。そのような私が国家に期待するのは「唯一無二の国」などになることではなく、普通の政府として普通に私を保護することである。

第二点。憲法と、自衛隊の存在を含めた現実的な制度との整合性は可能な限りあることが望ましいと考えている。それは、その整合性こそが政府の国民に対する権力行使を制約する最大の原理だからである。内田氏は整合性を持たせることによってどのような利益がもたらされるのかを問題にしており、つまりパフォーマンスが良いものが良い政策であるとする帰結主義的立場に立っているように読める。しかし問題は、そのパフォーマンスは誰の・どの時点のものかという点にある。黒人差別政策は非=黒人にとって、ユダヤ人絶滅政策はそれ以外のドイツ人にとって、パフォーマンスの高い政策である可能性が十分にある。整合性よりも帰結を重視すべきとする議論は、そのようなパフォーマンスを測定する母集団自体を操作する政策に対して無力である。また、結局パフォーマンスがそのように操作可能なものであるとすれば、整合性よりも帰結という議論は結局、政府の施策が制約なしに実行し得ることをもたらす。もちろん「整合性」なるものは呪文である(というのが「規則とその意味」の中心的な主張であった)。しかしそうであるとしても、自らの行為を憲法その他と整合性があるかのように正当化しなくてはならないという制約は、政府の行動を有効に束縛し得るだろう。

さて今日のネタは二つ。第一、朝日新聞朝刊社会面に「統制の足音」と題する連載があるのだが、2日(名古屋本社版)は「論調でメディアを選抜」という見出しで、もちろんそういう行為を批判する内容である。在沖縄米軍海兵隊が、イラク派遣部隊が帰還する際に基地内での取材を特定のメディアにしか認めなかったという話を持ち出しているのだが(招待されなかった県内二紙の片方・琉球新報の記事)、ええっと、あなた方は文化大革命の頃に北京で何をしてらしたんでしたっけね。「過去の歴史に盲目であるものは未来にもまた盲目である」というヴァイツゼッカーの言葉は、そろそろご自身に向けられた方が良いのでは。

ちなみに私はこの米軍の「選抜」が悪いとはあまり思わない。公機関だから基本的な情報を無差別に開示する必要はあると思うが、それを越える特典をどこのメディアに認めるかは先方のメディア戦略の問題だろうし、情報を受け取る側でそういう「選抜」が働いているかもしれないという目で読まなければならないということだろう。逆に、公機関はあらゆる取材者をあらゆる局面で区別するべきではないというのなら、まず記者クラブ制度を廃止しないと筋が通るまい。要は自分たちは特権を認められた存在であるはずなのにそれが否定されたという主張であって、正当化可能な言い分ではない。

第二はリクエストのあった郵政民営化をめぐる問題なのだが、あ〜まあ党内手続きの段階なのでどうでもいいのでは。民営化が公約だというのはそうなんだけど、公約というのは契約ではなく、有権者と議員の関係は自由委任であって命令委任でない。もちろん「こういうことを実現します」という公約を我々は信頼して投票するのだが、それは「別に特段の事情がない限り」とか「諸条件からして非常に不合理であることが判明しない限り」とかいう留保が付いているわけで、公約だから絶対にそれに沿って行動せねばならぬというものでもない。また、確かに民営化が公約だったかもしれないが公約は他にもあるのであって、有権者は(比例代表においても)政策パッケージとしてしか選択できないわけである。私のように、民営化は基本的にどうでもいいし国立大学の法人化は基本的に愚策であると信じているが、しかし治安外交政策を考えると他に投票できないという理由で(*)自民党を支持した有権者もいるだろう。「私が党首に選ばれ、その体制で総選挙に勝ったのだから民営化が国民に支持された」という小泉総理の言い分は詭弁なのであって、もちろんそういう詭弁をうまく使うところに彼の能力が示されているのだが、しかし我々がそれにつきあう必要もないだろう。

で、だから公約の内容を党としてどうするかというところが議論されていたわけである。これは本来は内部の議論だからタブーなしで良いので、公約ではあるがここは一発反故にしてしまい、次回の選挙ではそうせざるを得なかった理由について有権者の理解を求めた方が良いのではないかという意見もあって良いだろうと思う。問題は党の意思が固まり、党議拘束がかけられたにも関わらず議会においてこれと異なる行動を取った場合で、これは政党政治の考え方から言えば不適切であり、特に比例代表選出議員の場合には許されないということになろう。もちろん、本来は一政党の党内手続きに過ぎない「部会」その他の段階が現実の政策決定において非常に重要なウェイトを持っており、そのためにこの段階の議論がメディアで大きく扱われるという問題はあるのだが(**)、しかし本来はそういう話だろうと考えるわけである。

しかしこうあれですな、教務部長の中の人があれだけモノを書くんだから私も愚痴愚痴言ってちゃいけませんな。がんばって原稿書こうっと。


(*) ちょっと嘘。本当は、民主党に入れるつもりがこれっぽっちもなく、一方共産党候補者の選挙ポスターのセンスが最悪だったのでどうしても投票する気にならず、他に選択肢がなかっただけ。あのポスターで有権者にアピールできると考えている時点で正直まともな感覚がねえなというか、そのへんの市民の選好構造がわかってねえなというか。

(**) 参照、大山礼子『国会学入門』(三省堂、1993)。

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Comment(7)

よこはま さんのコメント (2005年5月 4日 19:22):

前半の記事について、「整合性」は導出の不確実性からして「呪文」であるけれども、政府の権力の制約の条件として有効であるので、善いフィクションとして活用すべき、という話だとすると、内田氏ほど直裁に帰結の善し悪しを持ち出す議論でないとしても、ある種の「帰結主義」、つまり帰結の善し悪しから遡って必要な制度的条件を同定していくという考え方に行き着かざるを得ない、と思います。そうなると内田氏とおおや氏とはどこで根本的な違いがあるのでしょうか。
おそらくは権力を規制する制度に対する関心の有無、濃淡ということ(つまり内田氏は秩序が安定的に存立する条件についてナーバスすぎるということ)か、とも思いますが、他方おおや氏が、呪文ではあれ、権力の「正当化」の問題にこれだけ特権的な関心を寄せる理由ないし動機がどこから出てくるのか、には、(A氏の快楽説的功利主義の制度構想が正統性問題に対して冷淡であることと比しても)わからないところがあります。勿論私は正当化に固執するおおや氏のほうに賛同するのですが。

bewaad さんのコメント (2005年5月 5日 04:22):

サーバ移転の影響でしょうか、trackbackがエラーとなったので、下記にてこのエントリに触れました旨、この場をお借りしてお伝えさせていただきます。
http://bewaad.com/20050505.html#p01

おおや さんのコメント (2005年5月 5日 15:01):

>よこはまさん
この件、ひとつには帰結主義を取るとしてもという相手の土俵に乗った議論ではあります。もう一つ、これはまだ明確に言語化できているわけではないのですが、例の主体の論理と配慮の論理の対立という問題において、それがどこまで普遍的に正当化可能かということはさておき、私としては主体の論理を取るべきだと考えている。そのことと正当性への執着は結びついているだろうと思います。つまり、A君に怒られるような気がするのですが、私は他者の快苦を本質的には知り得ないと考えているのではないか。その推定は不確実なのではなく不可能なのであり、だからこそ「合意は拘束する」ということを最上級の擬制として扱うことによって他者を思い為さなければならないのではないか。今のところ自分で言えるのはこの程度のことなのですが。

>bewaadさん
お手数をおかけします。どうもまだ変なところが残っているのですが、trackbackは自分でテストしにくいもので。

たにぐち さんのコメント (2005年5月 7日 17:57):

他のトコにも書きましたが、お師匠さまが論座6月号にオモシロ論文、載せてます。大声出してワロてしまいました。>改憲問題。

そりゃそうと、他に書くのに適切な場所がないので、ここを間借りしますが、わたしは11月のガカーイを大層楽しみにしております。というのも今年はそれくらいしか旅行に行けないだろうから、、、というのはさて措くとして、以下の文献を購いました。

■なごやめし研究会『なごやめし』双葉文庫
■名古屋グルメ100人委員会『名古屋いい店うみゃ~店』文芸春秋
■清水良範『蕎麦ときしめん』講談社文庫

 この前の広島ではコンビニ弁当だけだったので、今回こそリベンジを。(名古屋で?とかゆう内心の疑問はこの際、無視します。)

おおや さんのコメント (2005年5月 8日 01:32):

>たにぐちさん
え〜名古屋市郊外部の書店には論座など置いていないわけですが何か。月曜に生協行けばあるかなあ。
名古屋も旨いものは結構あるんですよ。鶏料理とか。ただとにかくすぐ味噌味になってしまうので、耐性がない方には ひつまぶし か手羽先くらいになってしまうのです。
「なごやめし」は私も読みました。まああんな感じですが、喫茶店でコメダ(というチェーン店があるのです)を紹介してないのはだめですね。なんかあれが名古屋スタンダードという気がするのですが。
会場が南山なので少し中心部から遠いのが難点ですが、こちらに見えたらご案内しますよ。というかあれですね、遠足のしおりでも作った方がいいのかしらん。

ところで旅行の機会が多いことは必ずしも幸福を意味しないと思います。ええ。

たにぐち さんのコメント (2005年5月 9日 04:32):

> ところで旅行の機会が多いことは必ずしも幸福を意味
> しないと思います。

 すいません、すいません(T_T)

 それわさておき、論座もあんまり扱ってる書店少ないんですね。最近『世界』もトンと見かけませんが。後者は、もう『インパクション』とか『情況』並みの「同人誌」レベルなんでしょうが。なんというか左右を問わず、論壇誌と呼ぶに値する「内容」・「規模」のものが無いのは、、なんというか。まあ、それはそれでイイんですけど。『諸君!』とかの方が元気なのかしら。『新潮45』は健闘してるみたいですけど。

おおや さんのコメント (2005年5月 9日 18:10):

『論座』読みました。さすがです師匠。
近所の平和な本屋(というかTSUTAYA)だと『論座』『世界』、もちろん『インパクション』『情況』なんかは影も形もありません。まあ一応『文藝春秋』とご指摘の『諸君!』『新潮45』、最近出たのか『WiLL』あたりがすみっこに数冊置いてある程度です。まあきっとこれが平和というものですよ。

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