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こどものことども

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> 2005.04.20 10:18:57 xxx.xxx.xxx.xxx Search: query for '今そこにある'

"Clear and Present Danger"でしたら正しい訳は「明白かつ現在の危険」だと思いますが何か(挨拶)。ライアン? David Lyonですか?

朝日新聞(名古屋本社版)の夕刊には「ナゴヤマル」という、まあつまり読者投稿欄がある。何日か前に、小学生だかの子供を持つ主婦から、息子を含む学校行事のご一行が愛知窮迫もとい愛・地球博の会場入り口に設置された金属探知ゲートをくぐらされた、なぜ小学生に必要なのか理解に苦しむとかいう投稿が掲載されていて、ばかでえと思ったもののシロウトさんの言うことだしと流していたところ、今日になって同欄に「学校行事の皆様につきましては当初から金属探知器を通らず、専用のゲートで、ご入場して頂いています」という博覧会協会からの回答が掲載され、どうやら馬鹿が蔓延しているらしいことに暗澹とするこの夕餉。

そもそもなぜ子供なら不要だと思うのかというと、大人は刃物とか爆弾とか危険なものを持ち込む可能性があるが子供は純真だったり無垢だったりするので警戒する必要がないと、そういう話なのだろう。アルカイダの皆さん、万博を爆破したければ学校行事の子供に小金つかませれば簡単にゲートが通過できるみたいですぜ。つまり子供が頑是ないなら頑是ないで、それは大人の悪意に無力であって操作可能性が極めて高いということを意味している。自分がどういうことに手を貸しているのか、その行為にどのくらいの価値があるのかということを知らないからコストもきわめて低い。こないだ言及したクメール・ルージュではないが、だから独裁者やカルトは子供を洗脳して手先として活用するのである。学校行事の小学生にそういうのが混じっていないという保証は、どこにあるのか。

もちろん、そもそも子供とはそのような純真無垢な存在ではないと考えた方が妥当だろう。小学五年生の女子でも、カッターナイフ程度の道具さえあれば同級生が殺せるわけだ(しかもそれが起きたのが学校という、先生が管理しているはずの場所であったことにも注意しておく必要があろう)。そのことはすでに現実に証明されてしまったというのに、なぜ子供なら特別扱いだとか、そういう発想がまかり通るのだろう。つまりこの国の人々はあの事件を忘れ去りたくて仕方がないということなのか。

まあつまり、問題はこういうことだ。小学生その他の学校行事だけを特別扱いする理由は、彼らには普通の入場者と異なる持ち込み制限が適用されているからだろう。「弁当が持ち込めない」というので悪評高かった愛知万博だが、学校行事関係だけは当初から特別に弁当を持ち込めることになっていた。つまり学校行事の一行の荷物は、弁当を隠していないかどうか検査する必要がない。それが金属探知器の設置された通常の入場ゲートを通らなくて良いという理由であり、要するに荷物検査の目的は弁当やペットボトルの持ち込み防止、「テロ対策」なんてのは名目に過ぎなかった、のではないか。

念のために言うと、私は弁当他の持ち込み制限を批判する気はあまりない。「高くつく」と言うが、出費を気にするなら最初から万博なぞに行かなければよいのである。会場内で飲食ができるようにするためにはレストランその他を誘致する必要があり、半年という短い開催期間で十分な利益が上げられるようにするためには一定の客入りを保証する必要があり、だとすれば持ち込み制限を敷いて競争相手を減らすという方法には十分な合理性があるだろう。逆に持ち込みを許せば客の入りが悪くなるわけで、それでも出店してもらうには賃料を引き下げるかリベートを提供するか、いずれにせよそれは博覧会の収支を悪化させ、入場料に転嫁されるだろう。結局それを観客が負担することになるのは同じことである。だいたい祭の食い物が高いのは当たり前で、それを祭のご祝儀だと思えない野暮天には祭に参加する資格がないのである。その野暮があたかも正論のように幅をきかせているあたりにも馬鹿の蔓延を感じる。

だから博覧会協会は最初から、持ち込み制限は飲食店の利益確保とゴミ処理のためだと正面切って言えば良かったのである。正論を主張して受ける風当たりをおそれて「テロ対策」だの「食あたり防止」だの訳のわからない姑息な理屈付けをするから、総理の一言で方針転換を迫られたり、底が抜けていて何の役にも立っていない金属探知器などを導入する羽目になるのだ(セキュリティ手段についても私が反対しているのはその強化ではなく、目的のために有効に機能しない間抜けな強化であることに注意)。馬鹿に馬鹿足しゃ馬鹿ばかり、馬鹿から馬鹿引きゃうすら馬鹿と歌ったのは植木等だった。現実のモーレツ社員に対する揶揄だったはずのスーダラ社員が大手を振ったバブル期のあとに我々は生きているはずなのに、現実はどうもその外側に出られないようである。

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よこはま さんのコメント (2005年4月22日 02:27):

承知の上でのネタとは思いますが、敢えて記すと「世間」は、地球博開催自体(あるいは全体)を「そっちの都合でしょ」と捉えていて、さらにTDLやUSJほどにも有難みを感じていないから、自分たちが尻をまくったらやはりそっぽを向かれてしまう、と協会は怯えているのでしょう。西原『できるかな』で、叩かれすぎておかしくなっている「もんじゅの職員」(西原が描くところの)が出てきますが、場合によっては似たような精神状況なのかもしれない、と想像します。

Vampire.S さんのコメント (2005年4月22日 16:26):

>"Clear and Present Danger"でしたら正しい訳は「明白かつ現在の危険」だと思いますが何か(挨拶)。
大屋先生がそのネタで何か Blog に書かれていたかどうかが気になったんですよぉ。

TK さんのコメント (2005年4月22日 19:37):

ちょっと前のナゴヤマルに、次のような投書がありました
「息子が北海道の大学に入学したので、仕送りのために郵便局の通帳とカードを作って持たせた。息子がお金を引き出すためにカードを使ったところ、「安朱番号が違います」3回続けてなり、カードが使えなくなった。そこで、郵便局員に「暗証番号が違うというのはどういうことなのか?」と聞いたところ、「暗証番号が違っています」と言われ、「正しい暗証番号はここでは分からない、調べるには2週間程度必要」と言われた。息子は、つい先日もカードを使っており、
暗証番号を間違えるはずはない。こういう目にあった人はいませんですか?」(記憶に基づく要約)

これを読んで、先ず、投書する前に、2週間待って、「本当に正しい暗証番号だったのか」を確認するのが
先でしょう!と思い、次に、間違える「はずがない」
という思いこみに基づく批判を、何の疑問もなく掲載する朝日新聞に唖然となりました(ちょっと前にも、同じナゴヤマルに、「銀行の窓口でお金をおろそうとしたら、本人確認を色々されて不愉快だ」というが掲載されてました)。そして、こういう(不確かな前提に基づく)批判に答える金融機関の方々に、深く同情するのと同時に、こういう批判に答えるのが面倒なので、(利用者サービスの名の下に)本人確認等のセキュリティを甘くした結果が、盗難通帳によるなりすまし引き出しなんだ、ということに気づかない、朝日新聞に、再度、唖然となりました。
以上

おおや さんのコメント (2005年4月26日 00:49):

>よこはまさん
まあそういうところはあるのでしょうが、もんじゅのケースと違ってこちらにはほとんど同情していない私です。というのは、事故という想定外の事象(もちろん本当はその発生も予測していないといけないわけですが)と異なり、博覧会の運営方法をどうするかというのは事前にいくらでも予測と対処が可能な事柄ですから。その上で言うと、持ち込み制限の問題、イベント予約システムの処理能力不足、予約するだけして来場しない参加者の発生など、シミュレーション甘過ぎというか準備不足としか言いようのない事例がかなり見受けられます。以前、明石の花火の際に発生した将棋倒し事故の時にも思ったのですが、通常のシミュレーション能力があれば回避可能な事象を「プロ」であるはずの人々が平気で引き起こしてしまうことが珍しくなく、つまり危機管理が全然できていない。その一因は報道する側にもその能力がないことにあるのかとは思っています。

>Vampire. S氏
やあ。ところでこの問題の教訓は「誤訳も時には必要である」だと思います。やはりハリウッド映画の邦題が「一事不再理」ではまずかろう。

>TKさん
ども。あ〜おっしゃる通りですな。まあ普通の人がセキュリティを理解していないというのは、もちろん本当はそれではいかんわけですが、仕方のないところもあります。投書欄なので原文に忠実とは限らない(元々の投稿では「なぜ勘違いではあり得ないか」が縷々と説明されていたかもしれません)という問題もあります。高島俊男さんが、記事の謬見を指摘する投書をしたところ分量を削って相当印象の異なる内容にされたうえ、批判された記者が高島さんの指摘内容を得意げに説明して投稿者の短慮をたしなめるという形の反論まで付けられたという経験をどこかに書いておられました(あれも朝日だったような)。結局問題はマスメディアの見識にあると思う私は、その弊害があることをもちろん認めつつも、マスメディアに対する検証可能性や批判可能性を生み出しうるネットワーク・コミュニケーションというものを肯定せざるを得ないのであります。

glueball さんのコメント (2005年4月27日 23:40):

前々から疑問なんですが法学部は何で学卒で助手になれるんですか?
私の同級でやはり学卒で助手になったひとがいました。院で学位を取ったりしないんですか?
他の学部の慣習と比較して前々から特殊な慣習な気がしています。
アメリカでは法学でも他の分野と同様なステップがありますよね。

おおや さんのコメント (2005年4月28日 01:32):

>glueballさん
ども。え〜聞かれても私が決めたわけじゃないんで「そういう制度があったから」としかお答えのしようがないわけですが。

昔は他の学部でも修士を終えてとか博士課程の途中で助手に採用されることは結構あって、しかし教員ポストの需給関係が厳しくなった結果、普通は博士号を持っているのが最低条件みたいになっているわけです。法学の場合、他の選択肢が多くて研究者志望の学生が少なかったり、研究者コースに乗せる段階での絞り込みが厳しかったりして需給関係に比較的余裕があり、それが最近まで学卒助手制度が残った理由かなと思います。
現に、法学以外でも需要が急拡大した分野では大学院経験のない教員が多いみたいですし(eg. 看護学)、最近では法学でも学卒助手制度が減ってきています。名大はかつて学卒助手がありましたが、教員ポストが逼迫したために(と聞いた)博士課程修了後の任期付助手制度に移行し、さらにLS設置のためのポストを確保するためにその制度も廃止されました。
まあもう一つの理由として、就職口の競合というのはあるかなと思います。つまり学卒助手というのは法学部の中でも試験成績のいい人間がなるわけですが(念のために言うと学部の試験成績がいいことが良い学者の条件かというとそうではない点に問題があるわけですが)、そういう人間は往々にして司法試験や国家公務員試験にも受かってしまうわけです。研究者という進路をそれらと比較しても魅力あるものにしておかないと残る人間の質が確保できない、というのは正直あるのかなと。私にしても「研究者になるなら大学院に進んで授業料を払いなさい」と言われたら今頃は霞ヶ関だったでしょうから。まあそれ以前に大学院入試の受験料が払えなかったので助手採用試験しか受けられなかったんですけどね(あれ職員採用だから郵便代だけなんですよ、ええ)。
念のために言うと法学の研究者でも大多数は大学院に進んで学位を(博士課程在学中か満期退学後かはともかく)取っています。あたしゃ少数派で、学位がないので給料が安いです。科研費の計画調書の学位欄に泣きながら「学士(法学)」と書いて出したら「学士号は学位じゃないんで空欄にしてもらえますかセンセイ」とかいって本部から書類を返されました。ううううう。

アメリカですが、そもそも学部に法学教育がなく、ロースクールはすべて大学院相当なので「他の分野と同様」ではありません。卒業すると(正確にはそのあと弁護士会の試験に受かると)弁護士になるのでLSは実務教育が中心で、学問としての法学はあまりやりません。一応DoctorではあるもののLSの出すJ.D.は日本でいう専門職学位であって、他の分野の博士号(主にPh.D.)とは違うわけです。
LSの教員になる人も弁護士資格を持っているわけで、もちろんLSで優秀な成績を収めてlaw clerk(裁判官の秘書みたいなもの)を務めた人がエリートとしてLSに戻るのだ……みたいな傾向はありますが、いつでも実務家に戻れますし、実際に裁判官になる人が結構います(PosnerとかBorkとか)。なのでアメリカのLSの教員は高給取りです。いいなあ。
最近ではさすがにアカデミックな訓練まったくなしで教員になるのもどうよという話もあって、J.D.を取った後にもう一度LSに戻って今度は法学研究の学位(S.J.D.)を取るとか、よその分野の大学院でPh.D.を取るというケースも多いようですが、まあやはり特殊な分野でしょうね。実務家養成課程という面ではお医者さんの世界(アメリカのM.D.、日本の医学部も同様)に似ているのかな。あれほどの権力はないでしょうけど。

ちなみに私も別に強い意志を持って学位を取らないことにしているわけではなく単にもらえる機会がなかったから持っていないだけなわけですが、「LSって2年で博士号出るからいいっすよねえ、行こうかな」と適性試験の監督したときに他の先生に言ったら笑われました。笑い事じゃねえっつうかやっぱりダメでしょうか教えながら通っちゃ。なんか明治の代用教員みたいでいいかなと思ったんですが授業についていけなかったりして。(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

Vampire.S さんのコメント (2005年4月28日 03:33):

中世大学以来、Medical school, Law school という形による教養課程からの独立は伝統ですからね。Doctor in Legibus と Ph.D (何となく、Magister in Artibus の系列が ph.D に近いような気がする……当てずっぽうですが)の比較とは別に、M.D. とのそれも妥当な観点かもしれません。神学部ってなくなっちゃったなぁ。

glueball さんのコメント (2005年5月 7日 06:33):

おおやさま、見るのが遅れてすいません。丁寧なレスありがとうございます。アメリカの制度については少々勘違いしていたようでご教示ありがとうございます。
医学部だと学位は誰でも取れるものの、研究に必要なディシプリンは、かなりの年数をかけないと身につかないんで、日本の法学部の学卒でしかも実務経験がないのとは結構違いがありますよね。LECなどが繁栄してきたのも不思議ではないのではないかと。個人的には法学のアカデミズムに権威があまり無さそうに見えるのが気になるんですが、少し権威があったほうが「公益」に適うように思われますが、あくまで印象に過ぎません。それと学術と試験の成績の間には本質的な違いがあるものの、相関は高いように思います。おおやさんの論文のタイトルを見ると面白そうなので、そのうちまたご質問に伺います。

おおや さんのコメント (2005年5月 8日 01:53):

>glueballさん
そうですね、学問としての法学の世界と、法実務(入門)の世界があまり関係なく併存してきたという感じでしょうか。だから学者志望の人間は大学院に、法曹志望の人は予備校に行くと。まあでも、学卒・実務経験なしという人間はもう法学の世界でもかなりの少数派だと思います。
で、法学(アカデミズム)に権威があるかどうかはよくわかりません。「権威主義的だ」とは他分野の人などからよく言われます(笑)。分野によって結構違うというのが正味のところでしょうか。学会での議論が法改正を引っ張っている(ように見える)ところもあれば、判例理論と学界の通説がまったく違っている分野もあります。私のようにそもそも関係する「実務」が存在しないので普通の学問に近い(と思っている)ところもあります。

通りすがりの者 さんのコメント (2008年12月 9日 13:55):

「学部を卒業してすぐに助手になれる制度」が過去の法学部では存在したと知り、色々と調べているうちに、このページの記述を発見しました。

上で、「助手採用試験」のことに触れられていますが、どのような試験だったのでしょうか?例えば、筆記試験のみだったのか、面接試験なども課せられたのか、内容なども詳しく教えていただけるとありがたいです。

また、「大学院入試の受験料が払えなかったので助手採用試験しか受けられなかったんですけどね(あれ職員採用だから郵便代だけなんです」と述べられていますが、現在の大学院を出ないと研究者になれない仕組みについてどう思いますか?法科大学院は学部の授業料よりも高い授業料が徴収されるので、「受験料が払えるかどうか」どころの問題じゃなくなっています・・・。もし、よろしければ、その辺の昨今の状態に関してどう考えていらっしゃるか、お聞かせ願えますでしょうか?

おおや さんのコメント (2008年12月20日 00:41):

>通りすがりの者 さん
すいません、いま気付きました。
え~っと、どうだったかな。まず大前提として法学部の成績が一定レベル必要で、指導教員の推薦は必須だったかどうか忘れましたが実質的には必要、試験自体は面接だけですが、参考として論文を提出してもよい、という制度だったように思います。私は成績がいまいちだったので論文を出しましたが、すると面接で聞かれるのもその論文の内容のことばかりだったような印象があります。大学院入試は関連分野の先生が面接するのですが助手採用はそうではないので(人数が少なすぎるので、ということだったような気がします)、畑違いの人にも自分の研究したいテーマを説明できるように準備しておくのが大切、とかアドバイスされたような気がします。

この制度ですが、正直に言うと上に書いた通り法曹界や官庁に人材を取られないためという動機が大きくて、必要悪だったという気がします。私はそれでも論文出しましたしそれで別の団体から賞もらってますからそれなりに研究者としての能力証明をした上で採用されていると思いますが、出さないで本当に学部成績だけで採用される人間もいたわけです。で、それが研究能力の適切なインデックスになっているかというとそんなわけはなく、まあ平均的にはちゃんと優秀な研究者が助手から育っていたと思いますが、助手論文すらまともに書けないとか、それはギリギリ済ませたものの公表もできていないしそのあと一生まともな論文書けてない、なんてえのもいて、後者などは一応の義務は果たしたからということか旧帝大のポストに堂々と収まっていたりするわけです。もちろん大学院博士課程に進んできちんと博士論文を書いてもその後ダメになってしまう人はいるわけだから確率の問題ではありますが、優秀な研究者をきちんと評価するという観点からは問題のある制度だと思います。
なので、基本的には大学院に進むことが前提となる制度の方が正しいと思っており、経済的な問題は理解できるもののそれは本来奨学制度の充実などで改善されるべき点かと考えます。ただまあ問題点としては第一にそんな理念通りに奨学制度は改善されないでしょうというものがあり、第二に霞ヶ関との競争は相手が勝手に弱ってきたようですが法曹界は逆にオープンになったのでこのままでは大学が簡単に負けそうであり、第三に法科大学院教育も別に研究能力の養成には向いていないというか基礎法学あたりで考えるとその期間外国語能力が伸ばしにくいだけ基本的にマイナスなのでどうしたものかと悩むところもあり、全体的には悩ましいねえという感じなのですが。

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