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ループ

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それが富○通クオリティ(挨拶)。

さて、daisenseiの資格について考えている。単に言っている内容がおかしいというだけでは、明らかにない(それは単なる誤謬や狂気でも実現される)。客観的には(あるいは第三者から見ると)おかしい内容が、あたかも正しいものであるかのように、つまり本人の中では論理的に正当化されている。これでトンデモか。無謬性への確信と、自己の見解を広宣せんという気迫。このへんもトンデモにありそうだが、さらに「昔は偉かった」というのを付け加えるとdaisenseiが誕生するのだろうか。主張される理論の適用範囲が膨大であること(大統一理論みたいな)というのも思いつくが、それもトンデモにあてはまりそうな。

なんでこんなことを言っているかというと、必要があって奥平康弘・宮台真司『憲法対論: 転換期を生きぬく力』(平凡社新書2002)などを読みかけ、暗い気持ちになっているからである。全体的にどこからツッコんでいいかわからないというか、だんだん読んでいるうちに平衡感覚を失ってくるような本なのだが(そしてその責任のほとんどは奥平先生にない)、問題点を一つ一つ指摘していくことがきっと「神を撃つ」ことにつながっていないだろうなという予感がある。「インターネットのアーキテクチャはアメリカがライセンスを取得してるらしいですわよ奥様」とか、あ〜これは発生論的誤謬そのものだな〜とか言えばいくらでも言えるのだが、それは本質的な論点ではないときっとご本人は(そして信者たちも)言うのだろう。こういったものを、どうすればいいのか。そのことに悩んでいるのだが明確な結論が見えないので、とりあえず細かなずさんさだけあげつらっておこう。

本文中に括弧書きで入っている人名や生没年の書き方、挙げられるデータの統一性がない。外国語のカナ表記がおかしい(映画Black Hawk Downが「ブラック・ホークダウン」、法理学jurisprudenceが「ジュリス・プルーデンス」。なぜそこで切るという話)。どちらもまずは編集の問題で、ありゃ平凡社がこうかと一方で思い、しかし東洋文庫の校訂方針はひどいという話もどこかで聞いたような気もし(私自身が事実確認をしたわけではない)、まあしかし最終的には著者の責任だよなと。

ついでにこれは事実として確認できる問題というよりは一当事者(だった者)として「え?」と違和感を感じたところを挙げておく。

(1) 「私立エリート高校の旧御三家」として灘・麻布・開成を挙げているのだが、私にとって「ご三家」というと「麻布・開成・武蔵」で、灘・ラサール、あと国立の筑波大附駒場は別格という感じ(ちなみに「女子ご三家」が桜蔭・女子学院・双葉雙葉。私の母校は自称「三多摩一の受験校」。他にあるんかとはどうかツッコまないでいただきたい。ううう。)。これ自体ある時代の中学入試経験者特有の感覚だとは思うのだが、一方で宮台氏の言う「旧」ってのはいつごろの感覚で、それは今でも有効なモノサシなんだろうか。ここでは名門校の出身者が国Iに進まなくなったという議論をしているので、「名門校」自体が栄枯盛衰で変化していれば、同じ学校出身者の進路を比較しただけでは意味を持たなくなってしまうだろう。

(2) その「国I」(国家公務員採用I種試験)について、「成績上位者から順番に、大蔵・通産といった経済官僚になるという形」がなくなっていて、「総務省や警察庁を志望」する。それは「旧内務省系、つまり情報管理行政に携わろうとするわけ」だというのだが、ええっと。つまり総務省の中の自治(地方財政・旧内務省)と郵政(情報政策もあり・旧逓信省)と総務(行政内部の情報管理もあり)の差異は無視ですかそうですか。ちょうど私が卒業する頃に省庁再編があったのだが、そのときに総務省は旧自治と旧郵政で別々の採用をしているという噂もあった。私自身が確認したわけではないし、もう十年近くたっているので今どうかは皆目わからないが、仕事の方向性も組織としての出自も異なるものを「総務省=情報管理行政」というのはえらくいい加減な把握だと思う(郵政事務は1874年から85年まで内務省だったのではとかいう指摘は聞きたくないからそのように)。さらに、これは同世代で共有できている感覚かどうかもわからないのだが、私のごく個人的な思いとしては、人気省庁の「三羽烏」が大蔵・通産・自治と言われていたのが私よりもう10年20年前の話。1990年代にはもう、それに警察を加えて「四天王」という話だったように思う。通産省の斜陽というか、産業政策の時代は終わったのではという話も出ていた。つまり経済官僚から情報管理行政へ……という変化は起きていない。あえて言えばeconomyからsecurityへという感じだが、それももう十年前からの話だろうと思う。

上記のように非常に個人的な感覚に依存した議論なのであまり正当化する気もないのだが、これらの点をはじめ宮台氏の官庁とか行政に関する発言はほとんどが「は?」というレベルで、しかし非常にご本人は自信まんまんであるというところが困りものなのだろう。さてどうしたものか、というあたりで話はループするのである。


というような話をt.ikawa氏からトラックバックをもらう前に書いていたのである。ある論者に有効な批判を加えるには通常、その急所を撃たなくてはならない。それを見付けにくい論法(良い意味でも悪い意味でも)に対してどうすべきかという問題の答を、私はまだうまく見付けていない。ロールズJohn Rawlsの思想をスキャンロンThomas Scanlonが評した「頸静脈jugularがない」という言葉を思い出す(jugularとは猟犬が獲物にとどめをさすために噛み付く「急所」のことだそうな)。それに対してロールズが「そう、私の理論には頸静脈はない。その代わり、無数の毛細血管capillariesがある」と応えた……という話が井上達夫『普遍の再生』(岩波書店2003) ch. 7, s. 1に出てくる。そのエピソードを聞いた師匠の問いとロールズ自身の答もまた、非常に印象深い。...... Then, what is the best way to kill your theory? ...... You can not kill my theory. It will just die out. だとすればそれが生きられないような環境、つまりは議論を取り巻く第三者たちに期待するしかないのか。もちろんこれも明確な結論というわけではない。私自身はそのようなスタンスを――つまり議論とは相手の説得を目的にするものではないということを――数回明らかにしたことがあると思うが、そこから「議論を投げている」とか「良心的に議論していない」というような印象を受ける人もいることだろう。それはそれでどうしようもないのかな、とも思う。

ともあれ今回ご指摘のような問題については、法律屋に特徴的な譲歩的な議論の足を取られたという話かなとも思う。つまり我々は相手の「AゆえにZ」という主張に対しては単に「Aならず、故にZならず」という反論をするだけでなく、「たとえAであるとしてもBであるが故にZならず」、「たとえAでありBでないとしてもCであるが故にZならず」……という議論を述べるようにしつけられている。それは、両主張の優劣がそのたびに判定されるのではなくて判決という形で最後にまとめて明らかになるという裁判のアーキテクチャに由来する慣習なのではないかと思うわけだが、その作法を知らない素人さんからはどうも、譲歩的な議論をするということは本来の反論に自信がないのでは?と見えるらしいのである(だからそうじゃねえんだよ、という話を法学部の導入教育でする破目になる)。相手も法律屋であれば「神」の所在と譲歩的な議論の作法を承知しているので、上記の例ならA・B・Cといった論点に対する議論を並行的に進めるわけだが、素人さん相手だと最後の議論にひきずられて論点がA→B→C→とはてしなくズレていくのかな、と。

で、どうする。それが問題だったはずなのだが、「よい知恵」はありません私もひっかかりましたと告白するくらいだろうか。むしろt.ikawa氏などの峻別の努力によってようやくクリアになった面があるわけで、そういうことを本来は自分でやらないといけないのだけれど、とまあ画期的な展望もないままに終わる。

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なない さんのコメント (2005年4月17日 13:23):

あら、うちの会社なんか先生に悪いことしました?>挨拶

otiak さんのコメント (2005年4月17日 18:36):

うちのSEがまたなんかやらかしましたでしょうか。

otiak さんのコメント (2005年4月17日 18:43):

しまった、挨拶への反応だけでpostしてしまいました。

えーと、御三家の認識は私も同様ですが、最近は武蔵の凋落が著しく駒場東邦と入れ換え(?)なんて話もあるらしいです。本当かウソか知りませんが。
宮台センセも確か麻布出身だったかと記憶しておりますが、我々の頃とは勢力分布が随分違ったのでしょうか。

あと、女子御三家の「ふたば」は「雙葉」だったような。

おおや さんのコメント (2005年4月17日 19:54):

>なない さん
いえ私自身ではなく国立大g***DELETED for the Security Reasons***
もちろん私には守秘義務が課せられているので職務上知り得た秘密を漏洩するはずがなく、従って挨拶も「それが富○通の品質である」という事実命題であって事実から規範を導こうとするのはG. E. ムーアが言うところの自然主義的誤謬ですからそのように。

>otiakさん
なんか久しぶりに東大合格者数ランキングなどを見たところ武蔵凋落というのはどうも真実らしく、しかし我が母校より上なんだよなと。しかしここ十年くらいの国I合格者の動向が問題ならそれこそ我々の世代の認識で判断すべき話で、宮台先生の頃の伝統校がどうなってようが関係ねえよなと。「日比谷高校出身者の東大合格者が減っている、東大はソッポを向かれるようになったのだ」とか言ってんのと同じ話では。
「雙葉」は直しました。ども。

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