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福岡に来ています。4時前にホテルにチェックインして、部屋でずっとノートパソコンで作業してました。なにしに来たんだ(挨拶)。いやまあ本番の会議は明日だからいいのですが。さてフォロー特集です。

  • 可罰的違法性?」で問題にした反戦ビラ訴訟について、弁護士の小倉秀夫氏が検討している(たとえばここ)。なるほど、政治表現の自由を認めるとしてもなぜドアポストが必要かというのは問題になるだろうなと。私は表現行為と商行為の価値格差を基本的に認めないが、しかし建物入口付近の集合ポストに入れるという選択肢があるにもかかわらず、住民の意思に反し私生活の平穏を乱してまで、なぜ個々の家のドアに行かなくてはならないか。確かにビラ入れの自由を認めてもここまで許容する必要はない。私人間の問題なのではあるが、つまりLRA基準(less restrictive alternative)で考えればいいのか。同等の効果を上げ得る、より他者の権利を制限しない方法があったにも関わらず、あえて侵害の激しい方法を選択したのであれば、その部分に関しては憲法上の権利の存在を援用できないと。ふむふむ。
  • NHK「圧力」問題に関連して、AcNet Letterがゆかいな文章を送りつけてきた。「メディアの辺境地帯」というサイトだかなんだかの文章らしいのだが、そもそも「公正中立」とは何かを考えないと今回の事例が「公正中立」なのかどうかわかんないと。ふむふむそれで。
    筆者の公正・中立原則は、一言でいえば「過去の誤りから学び、それらの誤りを批判し、排除することにより、よりよい人類社会を追求する」ということだ。その具体的方法は、自由主義と人権に基づく。これらの思想自体が、人類が過去犯してきた大きな誤りから学んで得られたものだからだ。完全な公正・中立の実現は無理かもしれないが、そこへできるだけ近づくことはできるだろう。
    人なら誰でも誤りからは逃れ得ない。しかし、権力者やの犯す誤りの影響は計り知れないものになりかねない。実際、太平洋戦争で日本が犯した誤りの影響はまことに大きかった。そこで、権力者の犯す誤りを優先的に批判することにする。(……)
    これまでの公正・公平・中立論をいくつかの類型に分け、とりわけ、『左右の両極端を排し、その他の異なった意見をできるだけ多く並列的に列挙する、いわゆるNHK的公平』や、『さまざまな意見の真ん中をとることを中立と考える、いわゆる中道』に批判を加えていることだ。要するに、無色無味無臭の公正・中立など存在しない。われわれは特定の思想やものの見方に基づいて事実を知るのであって、事実を知ってから特定の思想やものの見方を形成するのではないのだ。(……)
    以上の公正・中立原則から考えれば、日本の最高権力者であった昭和天皇の過去の誤りを追及した「女性国際戦犯法廷」の趣旨に沿った番組の制作・編集は、公正・中立であると推察できる。
    ……(爆笑)。あ〜つまりなんですか。権力批判的な言説はその方法論がどうであろうが「公正中立」であり、そのような結論に至らないものはとにかく不公平であり偏向していると。
    なんかこう、法解釈論争において「客観的な法解釈とは、科学的な歴史の発展法則を正しく認識した上で、その発展を促すような解釈である」とか主張していた1950年代のマルクス主義法学を彷彿とさせますな。というかおまえらそこから一歩も進んでねえじゃねえか50年なにやってたんだ
    いまだにこんな議論が通用すると思ってるあたりの香ばしさが鑑賞に値する、かなあ。ちょっと自信なし。
  • Bewaad Instituteにこんな指摘あり。知的ストックには都市・地方の間に大きな格差があるという問題。さて我々国立大学はご承知の通り2004年4月をもって「国立大学法人」に移行し、我々教職員も公務員から通常の労働者になったわけだが、これに伴う大きな変化として私が実感していることに「大学運営の法化」がある。もちろん以前から公機関である国立大学の運営は法に基づいていたに違いないはずなのだが、実際にはあまり法律自体が参照されることはなく、それがより具体的な行動規範のレベルまで書き下された種々の「規則」や「前例」に大きく依拠していた(法令上は認められるはずの処理が現場の事務官の「規則です」「先例がありません」攻撃であえなく撃沈、ということも)。
  • ところが法人化後はそこで従うべき規則が降りてこない。問い合わせる上級庁もない。本当にこのへんが理由なのかというと事務官でない私にはよくわからないところもあるわけだが、とにかく大学はさまざまな法規制に対応する学内の運営規則をすべて自前で制定する必要に迫られるようになった。しかも、法人化によって直面することになった労働基準法だけではなく、この4月には個人情報保護法制が本格施行されるため、この関係も整備しなくてはならない(しかもこちらは準拠法が異なるため、純粋な民間企業の規則を流用するわけにもいかない)。なんかあっちこっちで「法律的にはどうなるんですか?」という質問を受けるようになった。
  • で、どうなったか。私の見える範囲で言うと、法学部の教員がすごく忙しくなった。名大では訴訟リスクに対応するための「法務室」が作られ、いわゆるアカハラや男女共同参画問題への取り組みが進められ、個人情報保護法制への対応が協議されている。で、これら全部に法学部の教員が動員されているというか、贔屓目コミで言うと、重要な立場を担わされている。何故って、これらのプロジェクトを進めるためには法令が理解できる必要があるし、規則をできれば自前で書く必要がある。そういう能力を持っている人間は、ほとんど法学部にしかいないからだ(法学部の教員ならそういう能力があると言いたいわけではない)。言うけどね、でも名大の教員全体に法学部が占める割合って約5%なんだよ。
  • もちろん一人の法学者として言えば、このような「法化」は望ましい。法令違反が横行していたり、よくわからない「先例」がまかり通っている状態に比べれば、きちんと規則が整備されてそれに基づいて大学運営が行なわれるのが良いということに異論はない。しかし問題は、それを実際に担当する人間の人的リソースはちゃんと確保されているのか、というところにあるわけだ。
  • まあ名大は良い。旧帝大最小とはいえ一応フルラインナップの法学部を自前で持っているので、それを駆使すれば(いや駆使される方の心理的肉体的な健康状態はさておいて)きちんと「法化」を進めることはできそうだ。しかし目の前で進んでいる事態を見るにつけ、いったい法学部のない大学はどうしてるんだろうという疑問は募る。うそかまことか、某国立大学に就職した先輩は「県内唯一の行政法学者」だという(しかも先輩ほんとうは環境法学者じゃないすか)。「地方分権」とか「民営化」「法人化」という言葉は美しいが、本当にそれを実現できる人的リソースがあるのか、それを整備するためのコストを社会的に負担する覚悟があるのか、とは問いたいところなのである。
  • ところで法人化以降我々は「教官」から「教員」になったわけですが、「事務官」「技官」の皆さんはどうなったんすかね。「事務員」「技員」? まさかねえと思うんだけど。

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よこはま さんのコメント (2005年1月21日 11:51):

出張ご苦労様です。
「メディアの辺境地帯」の記事、つまりは中立性、およびそれと結び付けられている「公正」は必要ない、「正しい」(正解?)かどうかが問題である、その上で権力は「間違う」ことが多いので、「正しい」状態に漸近していくために、マスコミは権力を監視する責務がある、というものだと理解します。一方で「正しさ」の基準として記事があげているものが当たっているのかどうかも問題でしょうが、こんなに逡巡なく中立性原理をなげうってしまう態度には、ついていけません。その程度には私も「懐疑主義」であるということか。いや、皮肉ですが(当然私の立場は「懐疑主義」と呼べるものではありません)。

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