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風物詩
耶蘇の祭典など祝わぬ(挨拶)。いや私門徒ですし。まあ不受不施派というでもなし、そもそもこの祭り自体は耶蘇にとっても異教の風習のはずですが。
それよりも本研究科では今日が修士論文の締切だったわけです。わざとか、わざとなのか。締切ぎりぎりになってコピー機にはりつく院生とか、今年は締切を抱えていない院生たちが「あと何部?」「どこまでできたの?」とか手助けして回る光景はまさに冬の風物詩。やたら留学生が多くて多彩なのが本研究科の特色、コピー手伝い係と事務泣きつき係が携帯電話で連絡を取り合っているあたりが現代性というやつでしょうか。どうも今年も時計が止まったらしいな。
と偉そうに言うわけですが当人は修士論文など書いたこともないという罠。現実には体験したこともない「過去」を懐かしむというこの構造に、過去の物語り性というか、時系列をさかのぼった地点に現在から遡及して投影されるという事実が示されていると考えるわけです。何のオチもなく終わる。
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似たようなことを言うてましたら、彼女の人に泣かれて妥協した記憶があります。
今は昔。
ワタシの通ってた学校の日程:締切→(1週間前後)→発表 & 提出。
締め切り前日AM: とにかく書ける所まで書く
締め切り前日PM: 結論と考察と参考文献と謝辞を書く
締め切り当日: とりあえず担当教官に持っていって受理だけしてもらう
締切と発表の間: 残りの論文書きと発表資料準備
発表当日: 発表 & 提出
締切と提出にずれがあるためできた技…。
泣かれるくらいならまだ...
私は殴られたことありますし。(no more DV!)
遅いコメントですが。
>この祭り自体は耶蘇にとっても異教の風習のはずですが
甘いな。異教の祭があるからそこに新たに祭をぶつけるのです。降誕祭の日付に12月25日と1月6日と議論があった際に、12月25日が最終的に選ばれたのはそういうわけ。異教の風習がある日を空白に残しておくと習慣にひきずられて異教が抜けませんからな。
……ということをヨアンネス・クリュゾストモスは云っているそうですが、わたしも原典に当たったわけではありません。まあそういう事情はとりわけ後になると忘れられ、12月25日がキリストの誕生日だとかいう人もでてきますね。物語は歴史を捏造する。