前の記事: 可罰的違法性? << | >> 次の記事: 風物詩
情報社会学(若手)研究会
プチ引きこもりであるところの私ですが年に何回か物見高くなるので、ナマの切込隊長氏を見るために生息範囲外であるにも関わらず六本木のGLOCOMまで行ってまいりました。テーマは「ネットとジャーナリズムの将来像について」ということだったのですが、見事にすっぽかされました。ああん。悲しいので「そもそもデモクラシーってのがそんなにいいもんですかね」とか無闇に噛みつく私。まあ詳細はログが出たらリンクしますのでそちらで。
草なら何でも良かった。
今は反芻している。
さて思ったことどもを補足。情報化社会の発展で多様な情報が入手できるようになったところ、実は情報処理能力に対するオーバーフローが起きていて、人々は「みたいものを見る」メディアの趣味的な消費を始めているという指摘があちらこちらから。バルカナイゼーションの問題なのだが、これをどう統合していくか、例えばblogでなんとかなんねえかとか、マスメディアの役目ってないかねという話につながっていく。この問題とビジネスモデル論を絡めたR30(旧shintakkin)氏の話は面白かった。というか前に書いた「意味づけや分析」のところを金取って売れないかというモデルですね。ネット上でやると代金回収をどうするかという問題が生じるわけだが、そこを物理媒体である雑誌の定期購読権とからめることによって解決したと。なるほど。
一方そういう金をからませる形態というのは過渡的なんであって、最終的にはみんなで協力して分散的に評価したりできんかねという話を湯川氏はしている。オープンソースなんかの例もあり……と述べていたあたりでツッコミを入れたくてうずうずしていたのが私だけではなかったらしいことは心強い。参照、みかまま氏。つまり人間、実際問題として食わないと生きていけないというのは万古不易のアーキテクチャであって、オープンソース運動を贈与経済と分析する場合には、みんな普段の仕事で十分に食べていけるということを前提にしている。その上で余暇を組織化すればなにか違うことができる、というわけ。
しかし問題は、第一にそんな余裕が今後の日本社会に本当にあるのかなあというあたりであり、第二に余暇を使った活動は第三者にサポートされていたり莫大な財産をもっていたりしてフルタイム参戦できる人間に基本的にはかなわないというところにある。この点、私はよく直接民主政と金権政治はどちらが望ましいかという形で説明しているのだが、こういう話である。
もちろんこれはアネクドート的に単純化した話なので信じてもらっては困るが、「オピニオンリーダーがアマチュアであることは望ましいだろうか?」という私の発言の背後にはこんな考慮もあるのですよというおはなし。
マスメディアの「中立性・客観性」と「俗情との結託」という問題について、関東大震災後の「大新聞(おおしんぶん)から小新聞(こしんぶん)へ」という転換を挙げるのは特殊日本的な文脈では正しいわけだが、それをテレビの問題までそのまま拡張しちゃいけません。放送の公益性要件はアメリカでもレーガノミクス期まではかかってたんだから。テレビの場合の問題は、電波資源の稀少性に求められる。限りある電波を無秩序に利用すると混信が多発して結局誰にとっても利用できないことになるので、放送免許制度で分配をコントロールする。そのとき放送者はいわば公有の電波帯の受託者trusteeなので、公益性を保障する必要があるというわけ。じゃあなんでレーガノミクスでこの要件が外れたかというと、少なくとも表向きの理由は、CATV等の普及によって放送という資源が稀少ではなくなったから。もちろんアメリカの「公益性」はさまざまな意見を平等に紹介する責任(いかなる意見も述べない責任、ではない)であるとか、日米の相違はいろいろあるわけですが、やはりこの稀少性とその消失という文脈をおさえておいた方が良いのではないか(アメリカ放送行政については稲葉一将『放送行政の法構造と課題』がhandyだが、一概にお勧めはしかねるかな、基本的なミスもあるし)。
まあいろいろ興味深い話も聞けたので面白い研究会でした。隊長来なかったけど。ところで帰りにトンネルのところで水着の上に毛皮着ただけのおねえちゃんがビデオ撮影かなんかやってたみたいなんですが、六本木ってのはそういう街なんですか。同じ毛皮でも私は日本学術会議の敷地に入ってった茶トラの猫の方が気になるわけですが。
Trackback(1)
このブログ記事を参照しているブログ一覧: 情報社会学(若手)研究会
先日、GLOCOMの情報社会学(若手)研究会に参加させていただきました。 もともとは「ネットは新聞を殺すのか」の湯川さんと切込隊長の対談の予定だったんですが、残念ながら切込隊長は参加できず他のメンバーによる濃いディスカッションとなりました。 今... 続きを読む
以前青山を生活拠点にしていた際、気分転換の散歩に六本木付近を彷徨したことがありました。ちょうど年末最後の週末で、立ち寄ったドトールは、「戦闘服」に身を包んで姿勢良く腰掛け、髪にもメイクにも一分の隙もない、「お水」の女性ばかりで、各々携帯電話で得意の客に次々に誘いの電話をかけていました。ホッブズなどを間抜け面して読むような場所ではないことを痛感しました。
ホッブス的状況でした、というオチがつくのかとも思ったの
ですが(笑)
>よこはまさん&たにぐちさん
ご挨拶が遅れましたが,いつぞやはお世話になりました.これからもよろしくお願いします.
> ホッブス的状況でした、というオチがつくのかとも思ったのですが(笑)
ワロタ.