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可罰的違法性?
おや、という感じ。「反戦ビラ訴訟、3被告に無罪 地裁八王子支部」(asahi.com)。いや結論がどうこうではなくて、無罪を導いたロジックが可罰的違法性論を正面から認めたもののように見えるので。つまり、犯罪の構成要件には該当していて形式的に違法な行為であると判示しつつ、実質的な違法性に乏しいので無罪とした、ように読める。刑法の知識はいい加減なのだが、「六厘事件」とか おそらく可罰的違法性論に立っている とされる判例はあるのだが、学説でなく判例理論が正面から認めていたかについて自信がない。出張から戻ったら調べますかね。
まあ事件自体にはあまり関心がない。異例の長期の勾留、という批判も朝日には出ている。異例の抵抗をなさったんじゃないだろうかという気もするが、証拠のある話でもない。何か警察が調べたくなる背後関係があったのか、あると疑われたのか。念のために言うと「疑ったけど空振り、つまり警察のカンチガイ」という可能性だって十分にある。ポケモン同人誌事件などはどうもそういうカンチガイがあったらしいと、人伝てに聞いた。もちろん真相を私が知るわけではない。
私自身の意見としては、こういうビラを形式的にせよ違法行為まで犯して撒くという行為は愚かしいと思うが、もちろん愚行権は保障されるべきだし、言論という手段であって身体・私有財産に危険が及んでいなければ自由を保障されるべきだと考えている。しかし違法は違法であって、むしろ解決は住居侵入罪の構成要件の解釈でできないのかなあと、刑法の素人としては思うわけである。「実質的に違法性がないから無罪」なんてロジックを正面から認めたら交通違反やった人間がみんな同じこと言うに決まってるわけで。
しかしこの事件を「政治的表現活動の自由」の問題として、商業活動の自由より尊重されるべきだから無罪にすべきだという朝日(および一部識者)の論調は大層気にいらない。「ピザ屋のビラならともかく」みたいなこと言ってるやつもいたな。じゃあ今回の裁判を支援した皆様は、次にピザ屋が捕まったら「それは商業活動であって神聖なる表現ではないから有罪にされて構わないんだぞ」とのたまうのだろうか。どちらが人々の役に立っているか、生活を豊かにしているかと言えば当然にピザ屋やデリヘルの方だと思うわけだが。だがそれは次に「低級な表現」を保護範囲から切り捨てることにつながるだろうし(猥褻表現は「表現の自由」の「表現」に入らない、なんて理論もかつてはあったわけですよ)、そうなったら自分の表現がいつその切り捨てられる側に入れられるかはわからない。品質や目的で表現を選別するという行為は少数者や文化的マイノリティの切り捨てにつながるし、その行き着く先は、たぶん社会主義リアリズムとかゲルマン的美術とか、まあそんなものだ。
そうではなくて、互いの生活の空間が接している以上「完全なプライバシ」ということは不可能であって、従って制裁の対象とするかどうかは侵害・影響の程度によってしか決め得ず、そのときに確かにプライベートな領域に影響を及ぼすもののせいぜい「不愉快感」ないし「捨てる手間」にとどまるもの(i-mode spamのように受信料という経済的損害を生じさせるものですらない)は受忍範囲として互いに許容しあうべきなのだ、というロジックに立たなくてはならない。「政治的」だから保護されると言うのなら、数日前に指弾なされていた街宣車だって政治的だろう(それともあれは「正しく政治的」ではないから保護されない、とでもおっしゃるのかしら、まさかね)。そんなふうに理由なく「思想」を「経済」より持ち上げるから経済的な現実から復讐されるんだよ、と根拠なく決め付けてみる。まあでも一番リアリティを感じたのは「抗議は命令される側じゃなくて命令する側にしてきてくれ」(意訳)という自衛隊関係者の文句ですけどね。
ちなみに朝日は(少なくとも名古屋では)これが一面トップ。一方読売は社会面で、しかもトップではない。両新聞の熱の入り方の違いが如実に出ていて興味深いですね。っつうかまだ地裁支部判決だってのに何を熱くなっているのか。
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http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20041216#1103183769
参考になる、かな。
はじめまして、読者です。
仰るとおり、八王子支部の用いた論理は、可罰的違法性とよばれる一連の議論で括れるものではあります。
もっとも、ご指摘の大判明治43年10月11日刑録16輯1620頁のように、その行為自体の軽微性を理由に可罰性を否定したものではなく、その行為自体は可罰的であり得ることを留保しつつ、行為にでた動機・その行為の担う価値等を考慮して、可罰性を否定したものであるようです。
したがって、仰るとおり、八王子支部が用いたのは、「低級な表現」を切り捨てる場合があり得るし、また、本事件と同様のビラを配布する場合であっても、立入りの態様によっては、なお、処罰する場合があるという論理だろうと思います。
以上、すべて、新聞報道で得た情報によれば、ですが。
お邪魔しました。
えーと、asahi.comに
「法学者ら百人余「検察は控訴するな」と声明 反戦ビラ訴訟 」
http://www.asahi.com/national/update/1221/013.html
こんなん出てたんで、おおやさんが判決に触れていたのを思い出して読み返しに来てみました。
で、
>商業活動の自由より尊重されるべきだから無罪にすべきだという朝日(および一部識者)の論調
ですけど、asahi.comを読む限りでは、判決もそんな論調みたいですね。朝日新聞のほうは見てないのでわかりませんが。
>す さん、gk先生
ありがとうございます。参考になりました。以下、私見によるまとめ。
無罪判決の原因について、検察側の訴訟活動の問題を指摘する見解あり。形式的に違法行為であるという点に限定すれば良かったものを(それでも違法性の軽さを考えれば有罪にできるかという問題はあるが)、被告人の活動の危険性などを主張してしまった模様。つまり好き好んで検察側から政治犯化してしまった、と。
無罪判決の根拠については、《報道を見る限り》やはり可罰的違法性論であると考えられる。本当にそうかは判決自体を見ないとわからないねえということで、発表待ち。まあ結論としては私も無罪判決を支持するわけですが、理由付けはやはり気になる。まあこのあたりも本気で突っ込むほどの知識はないので(特に専門家の前で)、あれ? という疑念の提示に留めておこうかなと。
>otiak氏
けしからんですな。まあ、いわゆる「二重の基準」論(通説)がそういう立場なので、無理もないのですが。なお我が師匠は同説を敢然と批判しております。
どうでもいいけど法律上定められている三審制を自己否定するようなことを主張するんじゃねえよ、仮にも法学者がよ。そりゃ無罪判決に対する検察側上訴を認めない法制度の国もあるから(確かルイジアナ州とかそのはず)立法論として誤りだとは言わないが、我が国現行法はちゃんと上訴を予定してるんだから。
まあでもなんですね、きちんと改正条項がある(=改正を予定している)日本国憲法の改正に絶対反対されるような方々ですから、何を申し上げてもムダでござんしょうかね。ええ。
ただ単に主張というか、要請するだけなら別にいいんじゃねえの。
検察だって、権利上はしてもいいし、しなくてもいい、だろ。逆転できるとか、これじゃ面子が保てないと思ったら控訴するだろうし、逆転は難しいとか、かえって面子がつぶれると思ったらしないだろ。
私もいなばさん同様、法学者の議論は三審制を否定するものではない(意図だけではなく含意としても)と思います。手続として三審制を支持することと、実際の事件において当事者がどのように対応するべきか、さらには裁判官がどのように振舞うべきかの主張とは別であるからです。例えばドゥオーキンの市民的不服従の正当化論などは、特定の主体が違法行為を行っており、それが本当に原理にそくして市民的不服従を行っているものなのかどうか判然としていない局面でも、裁判官は有罪判決を下すことを一旦は保留すべきと論じていますが、そのような議論は、裁判手続として三審制の意味を認めない主張を含意するわけではありません。
>いなばせんせい
いや要請なら構わないんですが、どっちかっつうとこれは集団的示威行為ですからね。それでも検察の自由は自由だってのもその通りですが、裁判外における力関係や人数の圧力を排除するところに裁判の裁判たる所以があるわけですよ。やや厳格な分離主義ですけどね。