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腕前(2)
さて町山氏は福音派プロテスタントや田舎の人々が正しい情報を把握していないこと、正確な知識を持たないことを繰り返し指摘している。これが恐しいことであるという点に異論はない。しかし「福音派かどうか」という信念をめぐる対立軸と異なり、都会と田舎の対立は知識水準や知性の差でもあり得るが、それ以上に利害対立でもあり得る。たとえば自由貿易(ブッシュ)か保護貿易(ケリー)かという争点については、国際競争力のある農業・牧畜業の従事者は前者を、競争力の弱い鉄鋼業や自動車製造業の関係者は後者を支持するだろう。もちろん農業は田舎、工業は都会が中心である。両者の差がこういった利害対立ではなく信念の問題、それも「中絶とゲイ」だとするのは何故か。
もちろん町山氏はその理由に言及している。民主党の健康保険政策が実現されれば彼ら(田舎の非富裕層)のためになるのに、それを選ばなかった(しかし民主党の銃規制は彼らの「安全」を危険にさらすのではないか、私はその「安全」が本当の安全だと言うつもりは微塵もないけれども)。オハイオでは失業率がもっともひどくなった地域でもブッシュ氏が勝っている(CNN出口調査によれば、失業者自身・あるいは家族に失業者がいる人のあいだではケリー支持が結構強い(だいたい1:2でケリー氏)。単に失業(経験)者は調査対象の17%しか占めていないだけのことである)。都市と農村の対立自体は、かなり明確に結果から読み取ることができる。だがそれは価値対立なのか利害対立なのか。価値対立だとしても、それは「正しい」価値と「誤った」価値の対立なのか、それともたとえばキリスト教かイスラム教かというような、我々の信じるところによれば特に優劣のない同格のものの対立なのか。町山氏はそれが「正しい」価値と「誤った」価値の対立であるということを明確に主張しているが、上で検討した諸事実がそのことを十分に証明しているとは思われない。あるのは彼の印象と技巧、技巧、技巧である。
ブッシュ氏が政権をとるとしたらそれは「無知と欺瞞に基づく政権」だと、町山氏は言う。さてその町山氏が嘆く「若者の投票に占めた割合が10%」というのがそれだけでは何の意味もない情報だということは前に書いたが、しかし氏はまたもその主張を繰り返している。誤りではないが、正しくもない。意味のない情報だが、それによって町山氏はある印象を読者に植えつけようとする。私はそこに彼の腕前が示されていることを認める。感心もする。だがその技巧を見抜けずに彼の主張を信じる人々、彼に同調する人々は何なのか。与えられた情報を正しく判断できない人々を愚かと呼ぶなら、彼らもまた、アメリカの田舎の人々と同様に、愚かなのではないか。
もちろん町山氏は愚かではない。頭に血がのぼっているとは思うが、彼は自分の文章が「嘘」や「間違い」と非難される可能性を避けながら、「愚かな」人々に与える効果を計算して書いているように見える。だが、だとすれば、その町山氏の手法とカール・ローブ氏のあいだにはどのような差があるのか。「怪物と闘う者は、そのためおのれ自身も怪物とならぬよう気をつけるがよい。お前が永いあいだ深淵をのぞきこんでいれば、深淵もまたお前をのぞきこむ」(F. Nietzsche, Jenseits von Gut und Boese)。
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こんにちは。
やはり、ある種の(正しい価値を選ぶ)聡明さを備えている人々が町山氏を選ぶ故にカール・ローブ氏とは異なる、と(暗示的に)訴えそうに思います。で、その人々の聡明さの担保は何かと言えば、町山氏に同調する点というトートロジーで〆ると。
さておき、深淵はこちらから想像している程悪い場所では無いようで、入り込んだ人は概ね帰ってきませんね。余程居心地が良いんでしょうか。
>giraudさん
ども。うん、まあそういうトートロジーになってしまうあたりがあれなわけですが、きっとそうでしょうね。まあ帰ってこれないのも居心地がいいからなのか、もう深淵が帰してくれないのか、捨て去ったものを考えると自らの選択が正しかったと自己合理化せずにはいられないのか。「本当のこと」を知らされずに深入りしてしまった総連の老活動家とか、心痛は察するに余りあるわけですが、しかしそういうときの身の処し方で人間の価値は示されるよねえと無責任に言ってみたり。行蔵は我に存す、ではあるのですが。