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開発における法の役割
国際シンポジウム「開発における法の役割―法と開発: その理論と展望」(主催: 名古屋大学大学院法学研究科・他)。というわけで東京法哲学研究会にも法理学研究会にも行かず、ここ2日間会場のKKRホテル名古屋に詰めておりました。いや発表してたわけでも運営側だったわけでもなく、単に出席してただけなんですけどね。先端研究拠点事業の関係で打ち合わせというか顔合わせというかをする必要もあったので。
密度も濃くて良いシンポジウムだったと思います。2日間で6セッション、報告者11人。ディスカッションの時間も長く取ってあったし、使用言語は英語・日本語(同時通訳あり)だったので混乱も少なかったし。たいがいの人が結局英語で喋ってましたが。
ちなみに悪夢再び。質問票を提出しておいたのにマイク渡されて「説明しろ」と。今回も手元にメモを残しておらず(マーフィーの法則は偉大だ)、しかも英語。翻訳時間の問題を考えてわざわざ日英併記にしといたのに。
いや今回は最初の一人でもなかったし、あくまで日本語を使うと押し通せば良かったのですが(そうした先生も結構いたし)、こちらにも虚栄心てものがあらあな。まあたいした内容でもないんですけどね。
ええと、こういうことです。第一セッションの報告者Prof. David Trubek(ウィスコンシン州立大学)が「法と開発: 過去・現在・未来」(Law and Development: Past, Present and Future)というタイトルで、法と開発の三段階モデルを提示されました。第一に「法と発展途上の国家」では伝統的な障壁を破壊し経済活動を変化させるための道具として法を使うことになる。第二に「新自由主義市場」では、自律的市場における私的交換を支えるために、国家を抑制する法が求められる。問題はその後の第三段階において法が果たすべき役割であり、それが単なる市場維持に留まるのか、それを超える原理を生み出すのかが問われる……という内容です(と勝手に要約する)。それに対する私の質問はこういう内容です。第二段階の市場において国家が積極的な介入を控えるとしても、ルール違反者・犯罪者に対して制裁を加えるという消極的役割は当然果たすことが期待される。そうすると自律的市場が成立する条件はそのような制裁が確実に実現することへの予期が社会的に共有されることであるから、第一段階においては単に障壁を破壊するだけではなく、積極的にそのような政府への信頼を構築する必要があるのではないか。
ちなみにオチは、時間切れで議論の一部が第二セッションに持ち越され、私がこの質問をしたときにはTrubek先生が部屋に戻って休憩しておりその場にいなかったというものです。またかよ。まあ内容をちゃんと聞いていてくれた人はいたようなので別にいいのです(シンポジウム後にProf. Thomas Bruce(コーネル大学)と打ち合わせをしていて、私がこの質問の内容に言及したら納得しておられたようです)。というか(こういう内容の質問をしていた先生もおられましたが)「法の支配」Rule of Lawと「法による支配」Rule by Lawあるいは「法治国家」Rechtsstaat(だっけ)の関係について、英米圏の人はもう少し自覚的に議論した方が良いと思うんだぞと。
個人的に一番面白かったのは、ベトナムで法整備支援の実務を進めているProf. Lars-Goran Malmberg(ルンド大学・スウェーデン)の報告ですな。法整備という観点から見た場合のベトナムについて、どこから手をつけていいかわからないという現状を赤裸裸に語っておられました。懇親会でベトナム最高裁の判例公開に関する態度について質問しに行き、現地の状況について貴重なご教示をいろいろ受けるとともに、援助体制の抱える問題とその中で感じるストレスについての獅子吼をたっぷり受けてまいりました。プロジェクト開始以来約15年を経ているが人材育成と考えればまだ一世代、これからだ、とも。
教育という事業の、この息の長さというのは、まだ実感できないことではあります。留学生の採用や教育といった側面を考えれば、私もすでにその一翼に加わっているはずではあるのですがね。まあ、まだ自分のことで精一杯ですよと。
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法の権威の根拠(=遵法責務の根拠)をある形の「法の支配」に求めようと考えている私にとって、おおや氏の質問はこれ以上なく重要です。果たして法に対する信頼があってこそ法の支配が成り立つのか、それとも法の支配があるから法に対する信頼が存立するのか。勿論理論的根拠付けにおける先後関係と実際の生成過程における先後とは区別しなくてはなりませんが、それを分けた上でも、「法の支配」モデルと「法治国家」モデルとは、法の権威の根拠について基本的に異なった立場にたっており、それはいきつくところ権力観の相違に基づくのだ、というのが私の現在の見通しです。しかしこの問題難しすぎる。どつぼかも。
> 2日間で6セッション、報告者11人。ディスカッションの時間も長く取ってあったし、使用言語は英語・日本語(同時通訳あり)だったので混乱も少なかったし。
こっちのやつとはエライ違いですね.色んな所から金を出してもらおうした結果,各方面の面子を立てるために,「あれもこれも」という陥穽に陥るということにはなりませんでしたか.w また,言語の問題に関して申し上げれば,こちらの場合は,英語嫌いの某氏が今後の大会においても英語の使用を認めるとは思えないので,通訳上の困難は解決されないと思われます.