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だからダメなんだよ(1)・ステキ確率論

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家でコーヒーを久方ぶりに淹れようと思ったらベトナムコーヒー用しかなくやむを得ずコンデンスミルクとかきまぜる午後(挨拶)。いや本場で経験して以来ときどき中毒のように飲みたくなるのです。頭を殴られたかと思うほどの甘味とともに血圧がリアルに上がっていく衝撃的な体験。「衝撃度」という観点では濃硫酸に並ぶね、あの味覚は。

さて頼みもせんのにネタを運んできてくれるAcNet Letter経由でステキな議論を発見。「改憲阻止メディアキャンペーン10万円x10万人計画」というのを提唱されている方の「九条についての考え」だそうです(*1)。

一国の軍隊が侵略者となるか防衛者となるかは、数学的な確率としては半々である*。前者の可能性が排除できない以上、軍隊を廃止するのが理性的な選択である。(……)一国の軍隊が侵略者であるか防衛者であるかが確率半々なら、いっそやめてしまおう、これが九条に込められた知恵ではないだろうか。(idea)

すでに頭痛がしてきた人も多いと思うのだが、私の気持をなだめるためにもまだ続ける。つまり提案者の議論は(A)ある軍隊が侵略者・防衛者になる確率は等しいという事実判断と、(B)侵略する可能性があれば軍隊を廃止すべきという価値判断から成り立っているわけだが、上記の「*」の部分には原註が付いていて、「この「対称性」についての高校数学レベルの確率論」が別文書で展開されているという。詳細については原文を読んでいただくのが良い(精神衛生には悪い)と思うが、要はこういうことである。まず以下のように仮定する。

n+1の国があり、どの国も他の国を侵略する確率は等しいものとする.ある国がある一定期間に他の何れかの国を侵略する確率をpとする。pはまた、その期間に侵略を行う回数の期待値でもある。同じ国が他の特定の一つの国を侵略する確率(また同時にその回数の期待値)はp/nである。なお、国々の間での侵略傾向には全く相関がない(例えば軍事同盟などは存在しない)ものとする。(math)

するとある特定の国xの立場で考えた場合、別の国aから侵略を受ける確率は(aがxを侵略する可能性に等しいので)p/nである。xにとって、侵略元になり得る国の数はnであるから、ある国から侵略を受ける可能性はn(p/n)=pである。従って任意の国を侵略する可能性と、任意の国に侵略される可能性は等しい(*2)。

原文ではこの帰結が以下のように要約されている。

侵略は反対側から見れば侵略されることであり、すなわち戦争という一つのイベントに付けられた二つの名前であることを考えれば、このような計算するまでもなく明らかなことではある。(math)

はいそうですね。それだけのことを言うのに何故こんな計算が必要だったんですか? つまりこの「確率論」なるものは、「カードの表と裏の数を全部数えると同じである」ということを権威付けるための道具だったということですな(なおこれを確率論と呼ぶと本来の確率論に悪いので、以下「ステキ確率論」と呼ぶことにする)。

だが残念なことに、戦争はカードの表裏ではない。第一に、攻める確率はコントロール可能だが、攻められる確率をコントロールすることはそれに比べれば非常に難しい。この点については「我が国はつい60年ほど前「わが国が攻めた」ことをどうにも出来なかったのです」(math)と主張しているが、それは国家の意思決定システムの問題に起因するものだから、改善されるべきはそちら(*3)。民主主義の問題を軍事に押し付けられても困る。

第二に、攻められる確率をコントロールする手段がないかと言うとそれはあって、つまり抑止力である。極めて単純な意思決定のモデルとしては(ここではステキ確率論がそれすら使っていない点に注目してほしいのだが)「コスト・ベネフィット分析」があり、つまりある主体は行為aに必要なコストCとそれにより得られる利益Bを見積り、B-C>0の場合に行為に踏み切るというものである。サイコロふって隣国を攻めるかどうか決めるヤツはいないだろうから、このモデルの方がまだなんぼか現実味があるだろう。

さてこのモデルにおいて行為主体の意思決定をコントロールするための方法は二つある。ある行為をやめさせよう・防止しようとする場合、それはベネフィットを減らすか、コストを増やすかである。ところで侵略を防止する際に「ベネフィットを減らす」というのは我々の国の魅力を減殺しようということだから(そりゃ確かにナウルを今から侵略する人間はおらんだろうが)、これは嬉しくない。であれば「コストを増やす」という選択が、相手を合理的に意思決定する主体として扱う場合には理性的である。侵略のコストを増やす、そのためのもっとも確実な手段は侵略の障害となる軍備の増強である。おや。まあ普通の人にはここまで親切に書かんでも自明のことなんだけどね。

そもそもここで展開されているステキ確率論は、意思決定のコントロール可能性を等価に扱っている点、意思決定を確率的なものとして扱っている点で、とうてい現実的ではない。もちろん「数学の確率論の練習問題」(math)として解いてみるのは構わないし有益であり得るけど、これで現実の世界の問題に何かが言えると思ってるんだったら……「帰れ」ってことですな。「摩擦がゼロであると仮定すれば、永久機関が可能になるのでエネルギー問題は解決される。従って省エネ対策を行なうのは理性的ではない」とか言ってみようか。こういうのも「事実に対して仮定を持ち出す」(詭弁のガイドライン)と呼べるかもしれない。

価値判断もおかしい。仮に(A)ある軍隊が侵略者・防衛者になる確率は等しいが成り立つとしても、防衛者になり得る以上はメリットがあるので、それとデメリットを勘案して決めようという感じに、普通は進むのではないか。それが「いっそやめてしまおう」(idea)。

え〜この論理を拝借いたします。純数学的な確率としては、「人を食うか」「人に食われるか」(比喩ではない)の確率はどちらも50%です。人を食っているとき、相手は人に食われているわけですから、このことは明らかですね? すると人間、生きている限りは人を食ってしまう可能性があるわけです。ステキ確率論によればこのとき、人を食うような可能性をもたらすことは(そのような事態の発生確率の多寡、正当性・メリットの有無を考慮することなく)「いっそやめてしまおう」という帰結が導かれるわけですから、人を食う可能性自体を排除するために、すみやかに生存をやめるのが「理性的選択」になります。さあどうぞ。惜しくないから止めないよ(*4)。

こんなステキ確率論を披露してくださった方はどこのどいつだろうかと調べてみると、某国立大学(特に名を秘す)理工学部で物理科学科の教授をお勤めでした。いやまあそりゃあ「相対性理論は間違いだった」と言い続けてる某都立大学の助教授なんてのもいたから不思議はないかもしらんし(*5)、平和運動についてどういう意見を持っているかということと物理学者としての能力に相関性はないと思うけど、しかしこの確率論を主張しちゃう人にまともな数学の計算、できるの?

AcNet Letterのこの号(No. 165)では宮城県の教育委員会が高校理科の教員を能力不足を理由として分限免職したことを取りあげているのだが、能力不足教員はお前だよというのがオチの模様です。この問題、つづく。

(*1) 以下、http://pegasus.phys.saga-u.ac.jp/tenbillionyen/myidea.htmlよりの引用を(idea)、http://pegasus.phys.saga-u.ac.jp/Education/invasion.htmよりの引用を(math)で示す。
(*2) 原文では複数の国に同時に侵略される可能性を考慮して計算がややこしく見えているが、どうも意味がなさそうな気がする。うまく言えないが。
(*3) じゃあ民主主義を完全に行なえば戦争はなくなるか……と言うとぜんぜんそんなことはない。たとえば日露戦争のときは国民・有識者がとにかく開戦したがるのを専政的・非民主的な藩閥政権が必死に抑制していた。大衆は往々にしてもっとも好戦的であるなんてなトクヴィルがとっくに指摘していることなんだけどね。
(*4) 私は「食うか食われるか」(繰り返すが比喩ではない)になったら文句なしに食おうとする立場だから困りません。理性的であろうがなかろうが知ったことか。
(*5) こういう人がクビになるならクビダイ改革にも一抹の価値が感じられるんだけど、どうなのかそこんとこは。というかこの例は大学の自浄能力のなさの象徴みたいなもんだからなあ。

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Comment(6)

よこはま さんのコメント (2004年9月 1日 12:52):

この手の「反戦」派(左翼?)が、戦争に限って非常に素朴な決断主義的政治観、つまり侵略を行うか否かの判断は「カードの表と裏」の確率と同様どちらに転ぶか事前に論じうることは全くなく、全ては(主権的)決断を行う者の意志に委ねられるほかないというイメージを持っていることが、赤裸々に示されているところが、とても興味深いです。

よこはま さんのコメント (2004年9月 1日 13:24):

すみません、「反戦」派でなく、「護憲」派に読み替えてください。

いなば さんのコメント (2004年9月 1日 15:00):

>こういう人がクビになるならクビダイ改革にも一抹の価値
>が感じられるんだけど、どうなのかそこんとこは。

逆だろやっぱり。

giraud さんのコメント (2004年9月 1日 15:18):

笑い過ぎで腹痛いです。

おおや さんのコメント (2004年9月 2日 16:05):

>よこはまさん
「アリの一穴」論というのは自民党ハト派の中にもありましたし、国家のコントロール可能性への絶望感というのはある世代にとっては自然なものなのかもしれないと思います(それこそ60年前に止められなかった人々のことですが)。
いわゆる護憲派の問題は、その前提を無批判に受け継ぐだけにとどまっている点にあるかと。小泉ポピュリズムやいわゆる保守派は「民意の支持」や「選挙の洗礼」という、それ自体民主主義においては正統性を否定し得ないものを根拠としてくるわけですから、それに対抗できる原理を導き出さない限りはこういうカルト的な(セントラルドグマが所与の前提になっており批判を許されないという意味において)運動への退潮が止まらないと思います。
それは社会全体にとって良いことではないと思うので関係者の奮起を期待したいところではあるのですが。

>いなばさん
え〜。

>giraudさん
ありがとうございます。

よこはま さんのコメント (2004年9月 3日 10:24):

敗戦のトラウマを無批判に継承するをやめ、戦争をより客観的に認識する問題動機を手に入れる、これこそ本当の「敗戦後論」ですね。

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