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雑感
名古屋に帰りました。しばらくぼおっとしていたあいだにもいろいろあったみたいですな。
- 美浜原発事故(asahi.com)が9日に起きて、翌10日に倫理コンプライアンス研究会(ゲストスピーカ)、11日に原子力安全文化専門委員会ってのはまた何か悪い冗談みたいな話であるわけですが(前にもあったなこんなことが)、二次系ってことは沸かした湯でタービンを回すところだから熱源が原子力だろうが火力だろうが大した差はないわけで、「最悪の原発事故」ってのは死者4人出てるからウソじゃないけど原発事故としての特異性はないよなあ……と思っていたら15日に相馬共同火力発電所で(asahi.com)同じパターンの事故。こんな証明の仕方せんでも。
- このアウトソーシングの時代に点検が外注から内部の子会社に切り替えられていたのは何か隠さないといけないことが? とか、定期点検期間120日が短縮されていたのは安全性軽視では? とか言っている人たちもいます。ん〜わかんないけど外注とはいえ三菱重工と(そう、三菱なんですよ点検箇所のリストアップしくじったの)内部とはいえ子会社とでは、多分子会社の方が安くつくんじゃないですかね。定検の期間短縮も原発固有の事情ではなくて、電力自由化政策=競争促進政策の影響、つまり電力業界共通の事情と考えた方が妥当かと(これも相馬火力事故で図らずも証明されてしまったわけですが)。そう思うというだけなので、ジャーナリストの人でも誰か調べてくれねえかなと。それだけ言うんなら。
- 沖縄のヘリ墜落事故。現場検証拒否というのは何かあったのか(機密とか)、単に現地政府に干渉されたくないという一般的な方針なのかはわからないけど、まあ日本側の感情は悪化するわな。数少ない同盟国なのにねえと思うわけですが、沖縄の対米軍感情なんてこれ以上悪化しようもねえという判断なのか、他に優先すべき価値があるという判断なのか。
- 笑ったのは「日本の主権をないがしろにする」とか連合が抗議していることで、あんたらそんなに主権を尊重してらっしゃいましたかねえと小一時間。「主権」ってな国家が国民と国土に対して有する権力ですよ、わかってますか?
- 念のために書くと、主権を尊重しないのが悪いと言いたいわけではない。そもそも労働運動とは「我々を個としてではなく類として扱え(個として扱うと各個撃破・分割統治されてしまうじゃないか!)」という発想に基づいているから、個人が社会契約によって国家を創設するという主権の論理と相性が悪いのは当たり前。私が気に入らんのは首尾一貫しない機会主義的な言動なのですよ。しかし労働運動を上記のように言うと「マルクスは本来そう考えていなかった」とかいう意見も出そうですな。まあそれはそれでよし。
- 敗戦の日があったので早野透氏がまた間抜けなことを書いていたり、「首大非就任者の会」が結成されてウェブサイトが公開されていたり(リンクしたくないので興味のある筋はぐぐられたし)、プロ野球は渡辺恒雄氏がオーナーを辞任して喜ぶ人たちがいたり。脈絡なさそうですが同じ匂いを感じてしまったので。
- 世の中には昨日と同じ明日が来るということを信じて疑わない種類の人がいる。何かしようとすると「まだ議論が尽くされていない」とか「それ以前にするべきことがあるはずだ」とか「本質的な解決策になっていない」とか言い出す人たち。本質を探して議論しているあいだにも内戦で子供たちは死んでいくし、プロ野球人気は落ち込んでいく。どちらも「何かする」ための元手が失われていくという意味では同じだ。改革は余力のあるうちでないと成功しない。
- そもそも議論を続けているあいだ継続している「現状」が正しいかどうかはわからない。権利を求める黒人に対して白人たちが「まあ待ちたまえ、徹底的に本質的な議論をして、全員が合意に達したら是非とも実現しようではないか」と言い放つ。これは正義にかなっているのか。我々は今日を問い直し続け、正義の明日を作らなくてはならない。野崎綾子はあの論文でこれが言いたかったはずだ(と思う)。正義と平和は構築しない限りやって来ないし、続かない。
- もちろん改革が成功するという保証はない。成功が保証されていることなんて何もない。だから改革は賭けに過ぎない。だがそれが賭けであるなら、あるいはあればこそ、どのような賭けに賭けるかは当事者が決めなくてはならないのだし、それに文句が言えるのは出資者だけだ。金も出してないのに外野から文句を言う連中からは、同じ匂いがする。私は外野にいる人間に過ぎないけれど、泥船で漕ぎ出した人間にそこから石を投げるようなことはしたくない。だからせめて手を振って見守ろう。石ではなく花を投げよう。「ゆえに問うなかれ 誰がために鐘は鳴るやと そは汝がために鳴るなれば」(ジョン・ダン)。本当は救命ボートを用意しておきたいのだけれど、こっちが乗ってんのも泥船くさいからなあ(タメイキ)。
- 何の因果かイタい「研究者」のウェブページを3件たてつづけに読んでしまう。一件はまったく畑違いの人、従ってその人の主張が間違っているかどうかは皆目わからない。わかるのは文章と主張の仕方がイタいということだけで、まあ指導教官に「参考文献を紹介してくれなかったのだから博士論文提出が遅れるのはあなたの責任」みたいなことを繰り返し言っているのを見ると、研究者失格なのは間違いないだろう。こんなのに相談されちゃうNPOも大変だよな。あと二件は(そういうリンクを辿ったわけでもないのに)当方の関係者。あうあう。
- どうにも共通している気配というのがあって、「私正しい」→「しかるに不遇」→「世の中が間違っているに違いない」という三段論法。いやその前提は誰がいつ決めたんですか?と思うわけですが、そう思わないところがドジの踏み初めなんだろうなあ。世間様が間違ってると言うからには、お前さんそれなりのこたぁやってきたんだろうねとか細い目(あ、私の場合はデフォルトですか)で言ってみたくなるのですがどうか。研究者としての優秀さの基準は高校の自由研究やNPOの肩書の数じゃないと思うぞと。あと「2ちゃんねる」程度のシステムでアカデミアの批判するのも禁止。最後の人はまだ前に進もうとしているようなので見守るけど(と本当は私なんぞに言われてちゃ駄目だろうに)、今までの業績も発想は面白いのに論理展開が詰め切れていなくて、つまり自分に自信があり過ぎたんじゃないかなあ。とりあえず仕事はしてから書こうよ。
- そもそもさっきの三段論法は、私に評価を下してくる「世の中」を単一の・ソリッドな存在だと見做してるよなと思い付く。でも本当にそこにいるのは無数の「第三者」の群れなのであって、個々に自分の利害とか信念とか良心とかに従って意思決定を行なっている。その中から自分に同意してくれる人間がいない・少ないという時点で何かを考えるべきなんだろう(お前も「朝日新聞は〜」とか言ってないか? と思うわけではありますがあれは法人なので単一の意思が擬制できてですな、まあいいや)。本当に良い商品なら機能とか価格とかをアピールすれば良いのであって、「良い商品です」ということを連呼する必要はないよなとか。まあ最終的には「良いな」と人に思わせればいいんだから宣伝戦略はいろいろあり得るし、黙って仕事をしていれば誰かが見ていてくれるよ!とかナイーブなことを言う気もないのだけれど。
どういう事態であるのかを見てとることのさまたげにならない限り、自分の言いたいように言うがよい。もしそれを見てとっているのなら、多くを言わないだろう。--- Ludwig Wittgenstein, Philosophische Untersuchungen, S. 79. - まあ私はやかましく仕事することにしましょうかね。これ以上「腹ふくるるわざ」をしていると健康管理面での不安がですな。
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