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「費用」というもの
ニュースの内容を小説で書いたら「こんなバカな人間いるわけないでしょう」と怒られるのではないかという気がした4月28日夜(挨拶)。さてイラク人質事件とその後の「自己責任論」問題を見ていて、理解していない人が多そうなことにまた気付いたので書く。当然のことと思ってしまう自分の知的背景とかそういうものを反省する契機になるので良いですな。
何かと言うと「費用」の問題。救出経費を自己負担させろと言うか、それに反発するかという話は置いておいて、とりあえずどのような「費用」がこの事件に関連して発生しているかというと、簡単に考えて以下の数種類がある。
(2) 間接費用……救出行為に携わった人々の人件費・食料費や、余計に必要になった役所の光熱水道費など。
(3) 機会費用……関与していた人々が、もしこの事件がなかったらできたはずの他の行為によって社会に与え得たであろう便益。実際この事件のために日本の外務省や治安関係省庁は忙殺されたようなので、それによって日常業務が遅れたことのダメージがゆっくり効いてくるはず。
(4) リスク……この事件によって(i)日本社会がテロの要求に対して脆弱であることが知られてしまったためにテロ行為の危険性が増すだろうし、(ii)無謀な行為をしても国家の負担で救出してくれる実例ができたので一部の人々のモラルハザードが発生し、類似行為を試みる可能性が増大している。いずれも日本社会の運営コストを上昇させる効果を持つ。
注意しておくと、(a)分類は概括的なもので、個々の費用をどこに入れるべきかというのは細かい点では議論の余地がある。(b)(2)は概算でしか算出できないし、(3)(4)は可能性の問題も大きいので金額は出せそうもない。
さて本件について見ると、途中で20億円とか30億円とか数字が出たのは(2)、結局請求したのは(1)の一部ということになる。そこで「30億円って高いか?」とかいう論議も出ているわけだが、これは(本気で言っているとすれば)相当にアタマワルイ。つまり莫大に上昇する可能性があり、政府にとって何としてもそれを防止したいのは(4)で、だから「再発防止」ということが事件発生直後からの課題になっているわけ。一回きりの30億円ならまあ何とかなるが、今後同種の事件が発生するたびにほぼ同額が必要になるんですよ? ということ。本件に関する費用を社会的な次元で考えるなら、(4)まで含めた社会全体の費用が高いか安いかという議論をしないと意味がない。もちろん確率的な数字なので「絶対こうなる!」という議論はできないが、普通に考えて相当に頭が痛い。
この春に某国の日本大使館で面白いリーフレットを見付けた。外務省が制作したのだと思うが、大使館のできること・できないことというのをいろんな場合について例示してある。例えばこんな感じ(正確に覚えているわけではないので若干不正確かも)。
- 海外で盗まれるなどしてお金が足りなくなった場合
- 日本の家族に送金方法を案内する……「できる」
大使館員がお金を貸す……「できない」 - 犯罪の被害にあった場合
- 現地の警察に捜査を要請する……「できる」
大使館が捜査する……「できない」 - 家族が海外で行方不明になった場合
- 現地の警察に捜索を依頼する、捜索業者を紹介する……「できる」
大使館が捜索する……「できない」
一読して「外交官も大変だなあ」と苦笑してしまったわけだが、わざわざこんな印刷物を作らなきゃならんということは、こういう要求をしてくる人間がかなり多いのだろうと推察される。退避勧告が出ている地域に入った人間を国費で救出するのなら、インドかどこかで消息不明になっているウチの息子・娘も……てな要求をする人間も出るだろう。そんな要求を全部聞き入れていたら税金をいくら集めても足りないわけで、どこかで線を引いて断らなきゃならないし、危険性の高い行為を国民が自発的に断念するような環境を作っておく必要がある。費用の社会的な次元と、その費用の負担を誰がするか(どれだけを当人に払わせるか)という話がリンクしてくるのは、この文脈においてである。
このような配慮は、実は人質が殺されれば考える必要はなかった。命を失うかもしれないという予期は、それほど強い動機を持たない人々を思い留まらせる効果を持つ。しかし生きて帰ってきて「ひどい扱いは受けなかった」なんて言いはじめると……経費負担をさせろという議論が出てきた背景には、こういう問題がある。だから最初は「20億円か?」とか払えそうもない(だから請求することに現実的な意味がない)額を出してきたけど、被害者たちに対する社会的批判が増えたら(それが抑制要因として働くことが期待できるので)別にそれに固執する必要もなくなった。まあそれだけの話だよねえ、という読み筋もあるわけですよ。
ところでAERA誌はこの経緯を「尻すぼみ」と呼んでいるわけで、まあその当否をここで論じようとは思わないけど(主にバカバカしい)、関係者の人件費について関係省庁職員の残業代はどうせ予算不足で支払われないからという理由で「費用」から除いているのには唖然。おまえらサービス残業を強いられるという事態について今まで何を言ってきたんだ、というのもあるのだが、それよりそもそもサービス残業というのは個々の職員が使った時間に対して適切な報酬を受けられないという事態だから(2)間接費用を(3)機会費用という形に変えて個々の職員に転嫁しただけだ(従って費用の総額には何の変化もない)ということに気付いていないあたりが、とてつもなくアタマワルイ。いやもしかしたら気付いていて胡麻化しているだけなのかもしれないけど。
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私は、原理的には3邦人(あるいは2邦人も含めて)が負うべきなのは費用そのものではなく、自らの行動を理由付けする責任(瀧川氏の証し立ての責任)であると考えます(「責任を負うべき」という言い方そのものが瀧川氏の責任論において問題とされていることはとりあえずおく)。費用負担は、費用免除のために必要な理由付けがなされないところで問題になります。
今回のケースに関しては、私は結局は雪山での遭難と同様に考えてよいという立場ですが、一般に不服従に関して政府や他の構成員が負った費用を、不服従者が払わなくてはならないという考え方は誤りであると考えます。(例えば悪法の糾弾、および改革のために広域的なストライキを組織した不服従者は、そのために企業や政府が負った費用を負担すべきでしょうか。)
む、私はどこまでの費用を被害者たちが負うべきかなんて話はしていないですよ? 社会的コストとしてはこれだけのものが生じているという事実を指摘し、適切な費用負担について論じるためにはその事実を前提する必要があると言っているだけです。コストが生じるという問題と、そのコストを誰が負担するかという問題は独立です。実際にどの程度を請求するかなんて話は、私にとってはわりとどうでもいいことですし(それは政治が決める問題で、のちに国民の審判を受けることになるでしょう)。
ストライキ設例について言うと、まあ「悪法」なんてぺろっと言っちゃうあたりがよこはまさんらしいと思うのですがそれは置いておいて(それは誰にとっての・どのような基準によっての「悪法」なのですか?)、ストライキを計画する側はそれが政府に多大な機会費用と間接費用を課すことを(部分的には)目的とするわけですし、その際に自分たちも機会費用を負担します。政府もその法律を制定した場合にストライキ等が生じれば社会的コストが発生するということを予期して行為するはずです。従って、どの立場の主体の行動について論じるのであろうが十分な議論を行なうためにはコスト構造の全体について把握しておく必要があります。
その上で今回のケースやストライキ設例についてどう考えるかという問題ですが、私の個人的意見としてはまあ直接経費の一部の負担だろうということになります(多分よこはまさんと同様かと)。まあ「雪山に退避勧告は出てないですよ?」というちゃちゃを繰り返してもいいのですが、実際問題として間接経費まで入れると負担できませんし、政府がアレンジした航空機を利用する場合の経費請求の基本原則通り、エコノミークラス運賃相当額という請求で妥当かと。北海道東京事務所が費用請求というのは、まあ場所代なんかは計算もしにくいとしても電話代やFAXの消耗品代なんかも相当にかかっただろうにと思うと太っ腹だなあとは思いますが、道民の判断することですしね。
ストライキの例でも間接費用や機会費用については「お互い様」で当事者負担にすればよいと思いますが、一部が暴徒化して道路設備を破壊したとかペンキを看板に投げつけたとかいう場合、その補修費用を不服従者に請求することは妥当でしょう。あるいは、国立病院で手当を受けたのなら治療費を払う必要があるはずです。目的さえ良ければ費用を負担しなくてよいというものではなく、目的と行為の相関性や、費用の生じた理由が問われるはずです。その点でも設例の表現はやや不用意かなと思うのですが。
なるほど。責任論でどのような立場をとるかはとりあえずは措いておいて、レレヴァントな費用としてどのようなものがカウントされるのかを考えよう、という趣旨ですね。わかりました、お手数をおかけしました。
ただ不服従者の責任と「費用」の議論があまりしっくりこないな、という印象はあります。その印象の源がどこにあるのかを述べようと思いましたが、やや長くなりそうなので、自分の日記帳に(近いうちに)記します。
む、私はどこまでの費用を被害者たちが負うべきかなんて話はしていないですよ? 社会的コストとしてはこれだけのものが生じているという事実を指摘し、適切な費用負担について論じるためにはその事実を前提する必要があると言っているだけです。
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その問題圏に、懲罰的費用請求の、将来の類似行動の抑止効果を含めるのは無理筋じゃない? 「適切さ」に「抑止効果」が入るという主張なのか知らんけど、そうでなければ筆がすべった感をいなめず。
さて、この手のことにかかわらず、懲罰の抑止効果ってどれほどあるものなのかね。そこに山があるから人は上る。
>よこはまさん
まずここでは行為の妥当性の問題を抜きにして、不服従として正当化できるかどうかはともかく、「費用はこう生じるのだ」という話に限定しようとしています。だから不服従の問題としっくりこないというのはそうなのかもしれません。でも行為の正当性は最終的な費用分担者を誰にするかという局面でのみ効いてくるのであって、費用が発生しなくなるわけではないと思います。
>Brittyさん
ベクトルが逆向きといえばそうなのですが(現に生じている費用と、これから生じる可能性のある費用のコントロール)、しかし「懲罰的損害賠償」というのはまさに両方を扱う議論ですし、政策決定者は両者を一元的に扱って考えるでしょうから分離しない方が妥当かと。抑止効果については原理的に証明不能かと思いますが、100%は当然達成できないですね。しかし95%が思い留まれば費用削減はおおむね達成できるので可かと。
ところで「支援者」たちは政府が航空運賃を請求したのもけしからんと主張しているようですよ。英雄扱いで帰国して下にも置かぬ扱いを受けるのが当たり前、とか思ってたんですかね。
>大使館のできること・できないこと
↓多分これでしょう。ご参考までに:
http://www.anzen.mofa.go.jp/pamph/pamph_02.html
ふお、読まれてましたか。
それです>リーフレット。ありがとうございます。