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軍靴の足音
blog書いてりゃbloggerかよおめでてえな(挨拶)。さて出張から帰ってきてたまった新聞をまとめ読みしていたら、座談会の記事で「憲法9条がなかったら今ごろ徴兵制が敷かれてイラクに派兵していただろう」とか言ってる馬鹿を発見し激しく疲れる(*1)。まだ生き残ってたのかこんなのが、と思っていたらなんか東浩紀さんまでその手の議論をしていたらしく(blogの2月2日「降りる自由」)(*2)、どうなのかそれは(*3)。
ではこの種の議論のどこがダメか。よくまとまっているのは唐沢俊一氏の指摘(「裏モノ日記」2004年2月2日)。ポイントを要約すると、
- 徴兵制には衣食住の経費・徴兵事務の経費など膨大な費用がかかる。
- 軍事技術の高度化によって(1)兵士に求められる専門性が高くなっており、徴兵期間程度では十分な教育を与えられない。(2)装備費用が高くなっているため、コストパフォーマンスの悪い徴兵による部隊に割く予算はない。
- 総力戦の時代に重要なのは社会全体の生産力を維持することだが、徴兵制はその障害になる。
- 戦前に徴兵制が機能していた背景には、社会(特に農村)と比較して軍隊生活が豊かであったという条件がある。これは現代において失なわれている。
という感じか。補足しておくとここで出てきている軍事技術の高度化傾向は「軍事革命」(Revolution in Military Affairs)と呼ばれるもの。一方では誘導ミサイルや精密爆撃などを通じて兵士なき戦争をやろうという傾向を持ち(兵士にかける費用があればミサイル・爆弾などの装備に使わなくてはならない)、もう一方で「サイバー兵士」のように技術支援を通じて個別の兵士の戦闘能力を向上させようという傾向を持つ(カネと装備を使って能力アップした兵士を大切に使おうという発想なので、やはり徴兵制とは矛盾する)。結局、軍事的な観点から見れば徴兵制は基本的に過去の存在だということになろう。
もちろん唐沢氏の議論は軍事的な観点以外から徴兵制の必要を主張する議論を否定できるものではないし、そういう論者がいることを唐沢氏も否定していない。しかし軍事的・合理的にはおかしな議論だということだし(前述の座談会でも志方俊之氏は「アメリカもイギリスも徴兵制じゃないんですが、なにか」(意訳)という指摘をただちにしていた)、それでもなおその種の議論を「敵」として祭り上げる人々がいるとしたら、彼らの欲望は何なのかを考えた方がいい。これが唐沢氏の主張である。
本当にそのような人々が唐沢氏の指摘するような欲望を持っているのか、それとも単に間抜けなだけなのか、それはわからない。とりあえずしかし唐沢氏の議論が基本的に正しいことを認めつつ、若干の補足を試みよう。
というのは、指摘されてきた「軍事的観点」というのが戦闘の局面を主として念頭に置いているだろうということ。現在のイラク情勢のように占領・支配の局面になってくると、「一山いくら」というか、とりあえず銃を持って立っていられれば良い(*4)というレベルの兵士でいいから一定の人数欲しいという需要が出てくる。そしてそれに応えるために用いられる「柔らかな権力」とでも言うべき要素に注目した方が良いということだ。
まあ(自衛隊を含む)他国からの派遣部隊というのも「一山いくら」性を期待されている部分が大きいわけだが、アメリカからは最近、州兵部隊の派遣などが行なわれている。その背景にあるのは軍による奨学金制度で、兵士としての登録と一定の訓練を受けるともらえる。アメリカは大学の学費が高いから、この奨学金をもらうために予備役士官制度に登録している学生が結構いるという話は、湾岸戦争のときにも指摘されていた。重要なのは、この奨学金があくまで本人の同意に基づいていることだし、100%の強制などを期待してはいないこと。ある程度の規模で奨学金を自発的にもらう人間がおり、そのうちある程度の割合で「もらったから行かなきゃ」とか「行きたくないけど返済できない」という人間がいれば、必要な数は調達できるだろう(*5)。つまりここで我々は一定の行為を確率的に取るように促され、確率的に支配されている。このような形で機能する権力にこそ注目せよ、というふうに東氏の議論は進むべきではなかったのかな、と。
残念ながらこの議論はでだしでつまづいてしまった。軍事が政治の延長であるなら、それを理解することなしに政治が語れるわけはないのにねという、まあそれだけのお話。
(*2) 今になって取り上げるのは何か意図が……とか言わないように。本当に知らなかったんだから。
(*3) ただし念のために言うとここで東氏は「徴兵制」を私にとって絶対に受け入れられないが、社会によって強制されるものの典型として使っているだけで、遵法義務をどう考えるかというのが本題なので、ここで何を言っても議論の本筋がダメになるというものではない。まあ「不用意」「不勉強」というそしりは免れがたいが、「降りる自由」を行使すると言って議論を仕切り直ししたのは賢明でしょう。もちろん「降りる自由」の正当性をただちに認めるわけではないし、我々にはきっと「へたれと罵る自由」があるのですが。え、いや私は罵ったりしないですよ。
(*4) このレベルも実現できない人間も結構いるのだが、というかうかつに銃を撃つ人間は一切撃てない人間よりたちが悪いというのは例えば小林源文氏の作品などを読むと理解できるところですね。
(*5) 米軍が他にも永住権や国籍を(悪い言い方をすれば)「エサ」にして志願兵たちを確保しているというのも有名な話ですね。
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はじめましてです(意味なし)。 たにぐちさん@おおやにきコメント欄 >> むかしエラい法学者が志願囚とかゆう本書いてましたけど、 あんな感じで。外国語の学習とかにもよさげですし。 << 志願囚。なんと ... 続きを読む
東氏のあの記事を読んで、私が研究していることも今日的関心に乗るんだ、とその点のみでとても勇気付けられました。しかし誰もが感じたと思う(思いたい)が、政治的責務論と「降りる自由」(東氏はこれと精神分析的タームを類比的に利用して案出した、「解離」の自由との関連も口にしている)との相関をもっとはっきりしてほしい。政治的責務の正当化自体は、とても平易な枠組みで論じられているのだから。
アメリカでは「徴兵制復活を議論すべき」という上院議員が出て物議を醸していますね。例えば、この記事。
http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?file=/c/a/2004/04/22/MNGSK691H61.DTL
Google Newsで検索すると、この件に関する社説・記事がたくさん出てきます。ほとんどが反対のようですが…。
>よこはまさん
「のみ」ってああた(笑)。まあそうなんですが。むしろですね、徴兵制という非現実的な想定くらいしか、現在の国家が我々に強制してくることの中で「耐え難いこと」がない、ということの方が面白いんじゃないかなと思うわけですが。仕切り直しを待ちたいですね。
>むなぐるまさん
ありがとうございます。記事にも書いてありますが、「一山いくら」需要が増加しているということが背景にあるのでしょう。まあしかしコスト面でも戦闘能力面でも無理のある話なので、「みんなで負担しましょう」って言い方はいいけど徴兵制はなあ、ということになるのでしょうか。
徴兵制って非現実的かなあ? まあコストからいっても軍事的にみても非効率的ですな。というわけで以下余談。
兵隊かき集めないといけない国ってのは嫌だけど、なぜそう徴兵制自体を嫌がるかなあ。謎。ヨーロッパな友達はみな楽しいっていってましたよ。>徴兵
もっとも誰も銃かついでをやってたやつはいないけど(代替社会奉仕のほうにみんな回った)。
人生に三ヶ月か半年ばかり自分の人生設計から少し外れてみる期間があるというのはそれはそれで悪くなさそうだとは連中の話を聞いていて思った。代替オプションのない徴兵制てのは論外だけど。
こちらでは初めましてです。相変わらず原稿に苦しんで
おります。やはり〆切は守らねばならない、と遅れてい
るくせに、いや増しに強く思う今日この頃。。。
以前、こちらのページが見えないなあ、などとメールで
お知らせしましたが、どうもブラウザの問題であったよ
うです。Operaに変えたら何の問題も無く拝読出来るよ
うになりました。お知らせまでに。(参考までに以前は
Donutを使ってました)
徴兵制の話題が出てますが、良いかもしれませんね。給
料貰ってダイエット!肝臓とか腰に疲労の来ている私に
は魅力的な話です。ただ、タバコがやめられそうにない
ので、軍隊よりは刑務所の方がイイかもしれない。むか
しエラい法学者が志願囚とかゆう本書いてましたけど、
あんな感じで。外国語の学習とかにもよさげですし。
はじめましてです。
長くなりましたので、自分の weblog に書きました。トラックバックいれておきます(ぉぃ)。
鰤さん、はじめまして。
『志願囚』は、正木亮(まさき・あきら)著で矯正協会
というところから出ていたと思います。わたしは博士課
程にあがった時に、こりゃいっそ刑務所でも入った方が
論文も進むのではないか、東京の家賃は高いしなあ、な
どと半ば本気で思って(ぉい)読んだ記憶が。。。
以下、参照。
http://www.kyousei-k.gr.jp/library/masakibunko.htm
なにせ昔の刑務所だったので正木氏も大変だったみたいで
すけれども。ずいぶん前に読んだので、はっきりと内容は
覚えてませんけど、研究室の書架に置いてあるかもしれな
いので、今度研究室に行ったら(いつになるのだろう?)
改めて見てみますです。
鰤さんの方のblogの話、興味深く拝読しました。
>たにぐちさん
お疲れ様です。仕事を遅らせれば遅らせるほど次の仕事に響くわけですな(タメイキ)。「プロは8割の実力を出し続けるのが仕事」という言葉の重みを思い知るこのごろですよ。そのうちさらに講義という「休めないもの」が増えますから、期限を守る習慣か破って恥じない鉄面皮が装備できないとつらいですよ、と自分も某誌の締切を破ったくせに言ってみる。
>Brittyさん
社会奉仕と選択可能な徴兵制なら「受け入れがたいこと」でも何でもないのでは。まあ日本はボランティア体験義務化にも大議論のあった国ですから(あれでボランティア活動の定着は10年遅れたぞ、へたれめ)、選択的徴兵制でも文句を言う人は言うでしょうが。私もちょっと自分の生活設計からはずれてみたいのでサバティカルください(待て)。
>「プロは8割の実力を出し続けるのが仕事」
これはいい言葉だ覚えておこう。
ところで月末の日哲@南山(+前夜祭)に行くのだが先生とめてくださらんかね。金曜に名古屋出て来て日曜には帰る予定。もっともその日は関西法哲学なんちゃらもあるらしいので、そもそもいないのかな。ルームエクスチェンジも可。イサイフミ。
締め切り前だけど今度こそひつまぶしを食べて帰るぞと今から日記に書いておこう(マテ)。
上記書き込みは自然消滅しません。
昨今の民主主義国で代替奉仕のない徴兵制なんてないだろう(イスラエルは一応民主杉なのかorz)。本邦は代替的社会奉仕で世論三分だと思うな。代替認めない右左の声の大きい人と一部少数派。ボランティア体験って教育実習の?私は反対でした。いまの運用にも反対です。ていうか福祉現場で知ってる人はたいてい反対してましたね。受け入れ側に負担が大きすぎるんだよあれは。イナゴのようにある日来襲してある日去っていく。福祉施設は教育機関ではないっての。と言う声は善意の人々には届かないのでとほほだよなあ。どうせ義務付けるなら一年なり半年なり「週一回丸一日」でローテ組んで毎日最低一人よこすとかじゃないと猫の足にもなりゃしないっての。
「民主主義国」の定義次第ですな。民主主義であればいいのなら中進国を中心にいくらでも義務的徴兵制の国があるようです(トルコ、メキシコ、フィリピン、韓国)。先進国と限定すればイスラエルくらいですか。
上記の「ボランティア義務化」は高校のカリキュラムに入れるという案を想定していました。現場には負担になるというのは当然ですが、負担なしに広告は出来んです。活動のための(人的・経済的)資源を継続的に確保するためには犠牲を払って広報する必要がある。経費がかかるならそれはそれで「必要なんですよね〜」とゴネて国費を出させるとか、いくらでも手段はあったはずなのに。という声も善意の人々には届かないのですわい。「良いことをしていれば認めてくれるはず」というのは顔の見える村落共同体と神様にしか通じない言い分ですよと。
ところで猫の足には精神的治療効果があるので実用的だと思います。「猫の手」という写真集にはちと感動。月末の件についてはイサイフミにて。