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どこかの国の人質問題
「匿名希望」さんへ。お気の毒に。あなたの国では、人の命を救おうと実際に努力する人より、良いことをした気になることの方が大事なのでしょう。ネットで大言壮語して、署名を集めて、デモをしながら「政府はばかだなあ」と鼻毛でも抜いてる人がいちばん立派なのでしょう。実をいうと、わたしの国でも同じようなことが起こっています。そのことについて書きます。もしかしたら、あなたたちの役に立つことができるかもしれないから。
その前に、一ついっておきますが、わたしは、きわめて穏健な前公務員です。わたしは、わたしの国の市民の中に信じられないぐらい無能で嘘つきの集団がいると思っていますが、だからといって彼らをどうこうしようとは思いません。面倒くさいし。うるさいし。だからわたしは法律で規定された「国家公務員の義務」を遵守しています。つまり、わたしは「寝食を忘れて」働いた上にそこで得た収入から国税を政府に黙って徴収されています。有名な作家の人と違って数百万も納める収入はありませんし、そもそも源泉徴収なので脱税の自由もありません。しかし国民の税金で雇われているのですから、わたしは、わたしの義務を完全に果たします。それ以上の義務はなにもないはずです。それ以外は政府に委ねられていない事項ですから、市民が自らの負担で、自らするべきことです。つまり、彼らにはするべき仕事を自分でしてもらわなきゃなんない。
ところが、ですよ。信じられないことに、わたしの国の市民団体の活動家たちやマスコミは、わたしたちの義務以上のものを要求するのです。というか、とにかく自分で責任は取りたくないっていってるみたいなんですねえ。
実は、わたしの国でもイラクで誘拐された人たちが人質にされました。そして、やっと解放された。よかったよかった。そしたら、その被害者たちや市民運動のエラい人が「政府は何もしてくれなかった」とか文句をいいだしたんですよ。わけがわかんないとは、このことですよね。だって退避勧告とか情報収集とか交渉の努力とか、やったんですから。やるべきことはやって当たり前、でもそれ以外はやらなくて当たり前。もしかしたら市民運動の人たちは「公務員は死ぬまで働いて当たり前」、自分たちの望むことは何でもやらせられると思ってるんでしょうか。法律を知らないんじゃないですか。
人質の人たちは、いいことをしようと思って個人で海外へ行ったんです。そしたら、拉致された。あのね、そういう時のために、わたしたちは政府とか役人とかとして雇われているわけですが、わたしたちにも生命と生活があるわけです。「海外危険保険」を税金を出して買ってるわけだけど、生命保険でも自動車保険でも免責条項ってのはある。一定期間内の自殺や、危険運転による事故では「保険は効きません」。人は金を出した範囲でしか働いてくれない。当たり前のことですよねえ。条件違反なのに保険金を払えといわれちゃった。どうやら、わたしたちは悪い客をつかまされたみたいなんですねえ。
武装集団はイラクでがんがんジャーナリストや民間人を誘拐しています。イラクの政府は、まあ存在しないので、見てみぬふりをすることすらできません。そんなところにのこのこ出かけてイラクの人を誘惑し、日本人が犯罪被害に逢う危険を増やしてしまったのを、政府の人々が(一部の「世論」に反して)断固とした態度を示したことで、その危険を減らしてくれたのです。彼らは、日本人の名誉を高め(その結果、日本の安全に寄与し)ました。おどせば金を出す人間だけではなく、不正には負けない人間もいることを、イラクの人たちに証明してくれたからです。つまり、バカな国民の犯した過ちを、政府の人たちが償ってくれたのです。10万人の市民活動家を送るより、彼らの果たした役割の方が大きかった。それが非難の嵐とは。
わたしはわたしの国の政府の人たちにこういいたいのです――こんな恩知らずの市民のことなんかもう放っておきなさい。
これは朝日新聞2004年4月19日夕刊に掲載された、高橋源一郎「Q どこかの国の人質問題」という文章のパロディです。言いたいことは一つだけ。おまえ文学者なんだろう、知らないこと書くな。パロディとしての制約を受けていますから、内容のすべてが私個人の主張に一致しているわけではありません。
私が本当に恐れているのは、最後の一文のような文章が、本当に彼らによって言われてしまうことです。我々が我々の行為に責任を取れないのなら、我々の生活は柔らかい権力によって気付かぬうちにコントロールされてしまうでしょう。それを防ぐためには、我々自身が選択の帰結を引き受ける必要があります。自己支配できない者は、他者に支配されても仕方がないのです。まあこれが、「情報化社会における……」で言いたかったことなのですが。
(このエントリは2・3日したら消すかもしれません。低次元ですからね、相手が。)
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トラックバック入れる自由を行使してみました。
カントには人権と訳せる概念はないようです。これは事典で調べた。KdpV はまじめに読んだことなかったけど自然法概念批判としても読めるんだ、へー。実定的秩序としての法はおっしゃるとおり端的に命令の性格をもつようですな。権力はたいがい不法な手段で獲得されるものだが、その来歴を詮索するのは公益(精確には「主権者の尊厳」)に反するので禁止されるべきだと。このへんはいかにもカント節。てかプロイセンが出来星大名だからんがごご。
ちゃちゃでしたー。見出しはここの読者の人ならすぐ出典分かるから、いらないよね? と野暮なネタ晴らしをして再び回遊に出るのことあるよ。
# もとが消えたら向こうも消します。どうぞ沖使いなく。あらナイスな誤変換。
どうせ二三日したら消えるんだよね。叫ぶぞ。
俺の歌を聴けぇ
じゃなくて
自己責任じゃないのなんだのって
自由な行為には当然責任というものがついて回るんだそれを冬山だのなんだのって
五歳のお子様だろうが自由な意志に基づいて行動すればそこに責任が生ずるのは定義から明らかだろうがよ、ただ我々は純粋に英知的存在者じゃないし全知でも全能でもないから免責つー概念を考案したんだろうが責任を本来問われる場面だから免責が可能なんだってのああああ
汚い手で人間的自由の概念に触るな
もーみたくないけどどこのアンテナにもこればっかり。やだやだやだ。お茶まずー。指輪は今週何時からだろう。
問題は詩人がかくのごとくあることではなく、かくのごとき詩人の言葉を政治の場に持ち込もうとする人間がいることではないでしょうかな。菊田氏の本についてよこはまさんが指摘していることでもありますが、こういう語りを必要としており、自らの政治的言説を代替するものとして利用する人々が。
そして利用され嗤われていることに気付かぬ詩人やあわれ、彼らついには煮られ食わるるべき定めなり。そも野の鳥にして自ら楽しみ、鳴かずば撃たれまいものを。
我等ひとつの新しき神話を欲す。そは理性的なるべし、ならずんば哲学者はそれを恥じん。そは詩なるべし、ならずんば民衆はこれを解さざらん。
近代はまだ当分終わらないってことですか。やれやれ。なんだか'30年代と似てるなあといやんな気分になることが多い今日この頃。