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イラク邦人誘拐事件

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こんなメイルが来た。SPAM同然に送られてきた公開の呼びかけなのでプライバシの問題は生じないものと解する。

■3人の若者たちを救うための100万人緊急行動を!■

ご存じの通り、イラクに於いて邦人3人が拘束されました。時間がありませんので、もったいぶった文章は書きません。緊急行動を呼びかけたいと思います。今晩中に私はできる限りの友人、知人にこのメッセージを送ります。
 
受け取られた方は、可能な限り早く、以下のメッセージを転送し、行動を起こしてく下さい。私は今晩中に100名以上の方にこのメッセージを送ります。その100名の方がさらに100名の方に送って下されば、100万人の方に届きます。これは、緊急です。可能な限り早く、お願い致します。

呼びかけ人
緑の市民 ××××

まずこのような手段はチェインメイルと呼ばれ、インターネット全体のインフラストラクチャを危機にさらす問題であり、いかなる理由があろうと許されるべきでないということを確認しておきたい。

(A) ところでこのメッセージにおいては、「日本政府の役割が国民の生命を守ることであり、自衛隊の目的も国民の生命を守ることであるならば」という仮定のもとに、特定の行動が呼びかけられている。私もこの仮定を共有する。日本政府は国民の生命を守るために行動すべきであり、断固として自衛隊撤退を拒否するべきである。同一の仮定に立ちながら呼びかけ人の「緑の市民」なる人物と到達した結論が正反対に異なることを遺憾とするものである。

私は国家の実在など信じていない。国家とはそれを構成するとされる我々一人一人の人間の集合に対して便宜的に付けられた名称であり、それは我々個々の集団としてのみ意味を持つと考える。従って私にとって「国益」とはどこかに実在する実体としての国家に固有の利益などではなく、国民一人一人の利害を集計したものの謂いである。

国家は我々の生命・財産・福利を守るために存在する。しかし問題は、ここで言う我々が集計化された存在であり、一人一人の「私」ではないことにある。「私」たちの利害は対立し得る。そのとき国家のなすべき選択は、できる限り多くの「私」の利益を、できる限り多く守ることである。個々の「私」にとって、それが国家に守られているということの意味は、確率的なもの・集計化された可能性に過ぎない。

「軍隊は国民を守らない」という批判が、沖縄戦などを例に挙げて向けられる。当然のことだ。軍隊が守るのは集計化された我々である。一人の「私」を殺せば百万人の「私」が助かるのなら、軍隊は一人を殺すだろう。軍隊が、国家が、我々が守るのは確率的な私であり、私の生存可能性という抽象化された存在である。それは決して、「この私」の生存を保障することはない。

だからこそ我々には、国家に従わないというオプションが与えられている。国家が集合的な我々の利害を理由として私に死を迫ったとき、私にはそれに対抗する自由と権利がある。その努力が往々にして実を結ばないというのは、単に経験的な事実であるに過ぎない。だが国家の求めに反したならば、そのとき私は国家により配慮されるべき我々からも脱落するのである。国家に反するとは、国家による配慮と強制をともに拒否し、一人の独立人として生きていくという決意である。

第一の立論はこうだ。我々は現に危機にさらされている(のだろう、多分、おそらく)三つの生命と、我々が脅迫に屈した場合に世界中で続発するだろう日本人を対象としたテロによって失われるだろう生命を比較しなくてはならない。我々はより少ない犠牲を選択しなくてはならない。もちろん後者は可能性であるに過ぎない。実際にはもうテロは起きないかもしれない。可能性に過ぎない将来の被害をどう見積もるかということに絶対の正解はないだろうし、その見積りが正しかったかどうかを検証することはできない。しかし我々には両方に賭けることはできず、決定は行なわれなくてはならない。これは政治の問題であり、決断の問題である。私の見積もりは、後者が大きいというものだ。「超法規的措置」とやらでテロに屈したことによって何が起きたのかを、私はまだ覚えている。

第二の立論はこうだ。誘拐被害者の人々は国家の政策を公然と批判し、国家がすべきでないとしていることをあえて行なった。それはまったく彼らの自由であり、私はそのこと自体を批判する気は毛頭ない。むしろ国家の配慮を拒絶して自らの自由を主張した気高い行ないであると言ってもよい。そして彼らが自由な主体であり続けるためには、国家の配慮を受け入れてはならない。独立人として自らの選択をまっとうしてほしい。武力によらず平和的貢献によって世界が変えられると主張したのなら、変えて帰ってきてほしい。ここで我々が彼らの行動に干渉したならば、彼らの主張を実現する機会をあらかじめ奪うことになる。それは彼らの肉体のためになるのかもしれないが、主張のためにはならないであろう。私は彼らの選択を尊重する。

なお、(B) 誘拐被害者のご親族が自衛隊撤退を要求することを、私は責めない。それは肉親の情として当然のことである。我が子の死を信じられず、ミイラ化するまで抱き続けていたニホンザルの話を、どこかで聞いたことがある。肉親に対する思いが客観的な視点とすれ違い、科学によって否定されざるを得ないとしても、むしろそれはその故に美しいのかもしれない。

しかしそれは同時に、縁なき我々がその視線を共有できないということも意味している。客観的に事態を受け入れ、肉親たちにそれを納得させ、喪失の儀礼を遂行しなければならないはずの我々が、肉親の情の陰に隠れて自らの主張を正当化しようとするのであれば、醜悪なこととしか言いようがない。

一言のみ言う。恥じよ。

(2004.04.10追記) このエントリについてはフルヴァージョンで公開した後、約1時間後に途中の部分を削除した。しかしその間に当該部分を見た方もいるようだし、基本的に間違ったことを言っているとは思わないので、元の形に戻すことにした。削除していたのは(A)から(B)までである。

削除した理由はいくつかある。反実在論の立場に立つ私が国家の問題をどう考えているかを示す材料としては適当だと考えるものの、概念的に説明を詰めきっていない部分が多いこと。事件の背景がよく分からない段階の断片的な情報で、しかも今回は法ではなく政治の問題であり解釈と事実認定の区分も想定できないという前提のもとで、いま私が何かを言うことの有効性をめぐる逡巡。しかし最大の理由は、「とにかく支持を表明し政策担当者に最大限の自由なオプションを与える」という対応を、私がこのような場合における最善の対処だと信じているからである。削除した部分における私の言明はこの原則を逸脱しているので、それをいま主張することがかえって難局に対応している人々の利益にならないのではないかと考えたのだ。

しかし一晩明けて、まあもうすでに誰かに見られたなら仕方ないという思いもあり、被害者のご家族の感情的な主張を隠れ蓑に自らの政治的主張を実現しようとする薄汚い人々の行為を目にしたこともあり、またそもそも私の発言の社会的インパクトなど大きかろう筈もないのだという当然の事実に思い至り、なら言うべきことを言ったという証拠を残そうという側の要求が勝利を収めたのである。

システム上証拠が残らない(と思う)とはいえ、黙って自分の文章を出したり引込めたりするのもいかがなものかと思ったので、以上のとおり経緯を記載しておく。

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よこはま さんのコメント (2004年4月11日 00:10):

その幻のエントリに対して、開設したばかりのweblogで批判を記しました。一旦削除しましたが、そういう事情であれば、拙い反論ではありますが、掲載しておくのが礼儀だと思いますので、トラックバックしておきます。

よこはま さんのコメント (2004年4月11日 00:27):

すみません。紹介が遅れました。私は「断片的日乗」というタイトルで日記を記しています。

さんのコメント (2004年4月11日 14:08):

第一立論は同意、第二立論は「あれかこれか」で短絡的とおぼゆ、よって批判あり。個人の意見としては「第一立論と同じ根拠から」、個々人の意思がどうあれ、国家は国民の生命と財産の最大限の保全のために働くべきであり(これは即撤退を意味しない)、よって今回も何らかの行動を取るべきであると考える。国家非実体論については、ここでいう「実体論」の内実がわからないので判断を留保。

トラックバック入れられるほどまとまった記事を書く時間はとれそうにないので、ここで。そして記事と関係なく
Save, O Lord, and have mercy upon all rulers of the world, on our Emperor and on all our civil authorities,
Save, O Lord, and have mercy upon the needy, and all the ones in captive,
Save, O Lord, and have mercy upon the ones sent for the duty, and who travel
In the name of Holy Three, Father, Son and Holy Spirit. Amen.

おおや さんのコメント (2004年4月11日 23:52):

出張帰り。取り急ぎ議論の明確化のみします。第二立論についてですが、独立人については「あれかこれか」ではなく程度問題、あるいは相対的に一定の範囲で独立人と化す(その限りにおいて国家の配慮対象からはずれる)と考えています。今回のケースについても、将来のテロ懸念において考慮される人命、直接的な救出作戦において失われるかもしれない人命よりも劣位するのではないかと思っていますが、救護義務の存在を否定はしません。

また、独立人への試みはそれによって人々が説得され民主的決定が変更された場合には国家決定の範囲内に復帰する可能性があります。この議論は田島正樹先生の「英雄」と同様です。その点も私が独立人性を相対的なものととらえる理由になります。

よこはまさんの議論については、エントリでまた。

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出張帰り。取り急ぎ議
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第一立論は同意、第二
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よこはま on イラク邦人誘拐事件:
その幻のエントリに対

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