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週刊文春事件・つづき
「週刊文春」発売禁止命令の取り消し決定 東京高裁 (asahi.com)
とりあえず田中氏側は特別抗告の見通しらしいですが、とりあえず注目すべきことは以下の四点。
- 公人性について否定。
- 公益性について否定。
- プライバシと名誉毀損で差し止め基準が異なる可能性については保留。
- 要保護性について、二重の客観性基準を維持して否定。
(1)について。政治活動の世界に入る可能性があるという主張のみでなく、地裁審尋の際に出してきた「外相の外国出張に同行したことがある」という理由についても否定。前者については「単なる憶測による抽象的可能性にすぎない」と一刀両断である。なお「本件記事をもって、長女の母である田中前外相の政治家としての資質をうかがわせる一つの事情を主題として報道しようとしたものであれば、別の視点からの検討が必要であろう」との注記があるが(前エントリーと同旨)、本件では否定されている(これは文春側が当該意図の不存在を認めている模様)。
(2)について。名誉毀損の違法阻却事由である公益目的性については、文春側が行為者の主観によって判断すべきと主張したことを否定。その点を一定程度考慮すべきとしつつ、公表された内容で判断するとしている。本件では報道内容を「全くの市井の一私人として生活を営む者の私事」としており、公人性を否定した(1)の論点と合致している。
(3)は多くの新聞が理解していないところ(少なくとも給湯室に置いてあった朝日・中日・産経はいずれもわかっていない)。決定は末尾部分で以下のように述べている。
つまり、事前差し止めの基準として名誉毀損事例である「北方ジャーナル」事件(*1)より広く認めるべきかについては判示していない。なぜなら、ここでどちらの立場を取っても差し止めを認めないという判断は変わらないから、ということになる。つまり本件は、(a) もちろん表現の自由は大切だという基本的理解を確認し、(b) しかしプライバシーなどと相克するので事前差し止めも限定的には許される場合があるという従来の判例を踏襲し、(c) ではどのような基準でそれが許されるかという問題については明確な判断を示していない、という決定である。ではなぜ(c)のように判断を回避することができたか。それは(4)で指摘したように、本件で侵害されたプライバシの要保護性を否定しているからである。
決定によればこうなる。「記事の対象となった事項は、一般的には望ましいことではないにしても、また、それを余儀なくされた当事者の痛みの点はともかく、社会的に非難されたり、人格的に負をもたらしたりするものと認識・理解されるべき事柄ではない」。また「当事者にとって、喧伝されることを好まない場合が多いとしても、当事者の人格に対する非難など、人格に対する評価に常につながるものではない」。つまり当の事実を公開されることを本人が望んでいないという点を認めつつ、本人に対する客観的な(ここでは社会の他の成員によるという程度の意味ですよ、いいですか?)・社会的な評価を低下させないので、保護されるべき利益がないとしているわけ。その意味で、公開された事実が社会的評価を低下させるような事実にあたるかどうか、従って一般人を基準にした場合に他人に知られたくない事実であるかどうかをプライバシ侵害の基準にした「名もなき道を」事件判決(*2)に極めて近い論旨であると言うことができる。ますます「石に泳ぐ魚」事件(*3)の読み方が問題になってきそうだなあ。
というわけで、主眼はプライバシの成否にあって言論・報道の自由との相克問題にはないと読むべき決定である。新聞各紙の報道はかなりミスリーディングと思われるので、割り引いて読まれたし(*4)。
(*2) 東京地裁判決平成7年5月19日、判時1550号49頁(控訴後和解)。
(*3) 最高裁判決平成14年9月24日、判時1802号60頁(東京地裁判決平成11年6月22日(判時1691号91頁)、東京高裁判決平成13年2月15日(判時1741号68頁))。
(*4) なお文中、決定からの引用は朝日新聞報道の「主な内容」に基づきました。
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その後の報道によれば、特別抗告は断念して本訴を提起するとのことです。なおそのことを報じた読売新聞(4月4日朝刊)は上述(3)の点、すなわちこの論点については高裁決定が判断を下していないということをきちんと指摘していました。
……読売に負けるなよ朝日もよう。それとも何かそう報道してはいけない理由でもあったのでしょうか。しかし何で今日に限って3階の給湯室に読売があったのかなあ。